松本壮史監督、伊藤万里華、金子大地、河合優実、祷キララ、甲田まひる、ゆうたろう、板橋駿谷ほか出演の『サマーフィルムにのって』。
高校3年生のハダシ(伊藤万里華)は映画部に所属しているが、そこで部員たちによって撮影されているキラキラなラヴコメに興味が持てずに、仲良しの天文部の“ビート板”(河合優実)や剣道部の“ブルーハワイ”(祷キララ)たちと協力して、たまたま出会った少年・凛太郎(金子大地)を主役にして部活動とは別に大好きな時代劇を自主映画で撮ることにする。
ネタバレがありますので、映画をご覧になってからお読みください。
高校生たちが夏休みを使って自主映画で時代劇を撮って文化祭で上映するまでを描く。
よく行くミニシアターにポスターが貼ってあって以前から気になっていたんですが、評判がいいですね。
去年の夏に観た『アルプススタンドのはしの方』は甲子園に高校野球を応援しにきた生徒たちが描かれていたけれど、こちらは映画を撮る高校生たちのお話ってことで、また青春映画の佳作が観られるのかな、と期待していました。
さて、早速ゴチャゴチャと言い訳めいたことを書きますが、僕は創作物を生み出すことって凄いことだと思っているし、だから映画でも演劇でも、あるいは小説や漫画など、「作品」のクリエイターを尊敬しています。
こうやっていつもブログの感想の中で人様の作品に対して偉そうにあれこれと意見やら批判とかカマしてますが、僕自身は物語を考え出してそれを文章や作品として形にする能力はないので、結局のところすでに出来上がってるものにあとから好き勝手にものを言ってるに過ぎない。
それが作品を観た者の権利だと思っているから別に恥じてはいませんが、自分が作品の作り手よりも上の立場などとはけっして思っていません。
ですから、これから書くことは自分でゼロから作品を生み出す力などない人間が無責任に言ってることなんで、仮に読まれてイラッとしてもどうぞ気になさらないでください。
…予告篇を観た時に、なんかSFっぽい要素があるようなのでちょっと「あれ?」ってなったんですよね。それからイケメンやアイドルみたいな子たちばかり出てるなぁ、と。
もしかして、俺が観たいと思ってるような作品じゃないのかな?と少々迷いが生じて、観にいくのが遅れてしまった。
で、実際、映画が始まって、本来なら自分が好きそうな要素が散りばめられているにもかかわらず、どうも物語になかなか入っていけなくて。
出会ったばかりの素性も知らぬ男子に恋をしたり(その出会いも唐突かつ強引)、彼の正体を知ってもみんなが普通に受け入れちゃうところとか、漫画やアニメっぽいノリや雑な作劇にノれず、出演者、特に主人公たち仲良し3人組と、映画部で主人公のハダシがライヴァル視している女子を演じる女優さんたちの魅力を引き出していたのはとてもよかったけど、ハダシは映画部では他の部員たちと馴染めずにいるはみ出し者なのにそういう自覚が皆無だし、全篇を通して彼女の行動がどうにも身勝手過ぎて、仲間を作って撮影のために合宿をすることにしたのに勝手に行方をくらませたり、文化祭でも上映中の自分の映画を途中で止めたりとやりたい放題。それを仲間たちに「もっと振り回してくれよ」「それでこそハダシ」みたいに言わせてしまう甘やかされまくりな脚本にはイライラした。
「あたしがそうしたいから」というハダシのワガママが、無条件で肯定される世界。どっかの朝ドラみたいに脇の登場人物たち全員が主人公にひたすら奉仕する。
誰も本気でぶつかり合わず、喧嘩もしない世界。
終盤まで「…う~ん、これは俺はダメだったなぁ」とちょっと後悔モードになりながら、高校の部活動とか夏休みの合宿とか、みんなで一室に集まって各自作業に没頭したり、文化祭など、ノスタルジーを感じさせるカケラを拾いながらぼんやりと眺めていた。
いや、映画監督が自分の作品のためにワガママになったっていいと思うし、だったらもっと思いっきりワガママを突き通してそのせいで仲間割れして撮影続行が危ぶまれるとか、上映当日までになんとか間に合わせるためにみんなが一致団結して奮闘してようやく完成にこぎつけるとか、そういう苦労の末に文化祭を迎える、っていうことなら感動的だっただろうけど、そうじゃないんだもんね。
わりとあっさり撮影は終了するし(ってゆーか、クランクアップが描かれない)、編集作業も滞りなく進んでいく。
特に自主映画だったら監督はあれもこれもといろんな仕事を兼任しまくって一番働くと思うんだけど、そういうのは描かれないから、なんか本番で「よーい、スタート!」って掛け声かけて、あとは役者の演技にダメ出ししてるだけに見えちゃってるんだよね。
そうじゃなくて、誰よりも働いている監督の姿を見て、他のみんなも奮起するんでしょう、ほんとは。
メンバーをまとめるのだって大変なはずだけど、監督自らみんなを放ったままどっか行っちゃうし。ありえないことばかりで。なのに「あの子も悩んでて」みたいに親友がフォローしてくれる。
あと、せっかく照明や録音担当の男子たちがいるんだから、彼らの活躍だって見たいじゃないですか。だけどデコチャリも野球選手のバッティングの音の違いを聴き分ける特技も物語に特に絡まないし。
明らかに撮影中のエピソードが足りないんだよね(そのわりには妙に間延びしたような場面がしばしばあった)。だから軽々と映画ができちゃったように見える。
あんなことやこんなことがあって、みんなでやっと作り上げた映画の上映で、そのクライマックスを止めてしまう、という場面のショックが伝わらないんですよ。
ほんとはハダシはそれまでめちゃくちゃ頑張っていろいろと我慢や妥協もして、みんなを引っ張ってきてなくちゃいけないはず。その彼女が、上映中に「ごめんなさい」とその映画をストップさせるから「えぇ~!?」ってなりながらも納得できるんじゃないか。
それまで面倒なことは全部他のみんなに丸投げしておいて、上映当日にも自分の気持ちひとつで武士役の老け顔男子の見せ場を止めてしまうって、それは違うだろ、と。
実はハダシが主役に抜擢して、惹かれていた凛太郎は“未来”から来たのだった。
未来には「映画」はなくなっていて(映像は最長でも5分。1分なら長篇、というのは妙なリアリティがあったが)、だから残された古い映画しかない。
凛太郎がいた未来ではハダシは有名な映画監督として知られていたが、彼女の最初の映画は現存していない。
凛太郎はそれを求めてタイムトラヴェルしてきたのだが、映画館で出会ったハダシ(その前に歩いていた彼女と鉢合わせしているが)に自作の自主映画の主役にされてしまったのだった。
果たして雷蔵や勝新、長谷川一夫に「尊さ」を見出して夢中になる女子高生が現実に存在するのかどうか僕にはわかりませんが^_^; もう少し時代劇への強い思い入れが感じられたらよかったんだけどなぁ。
何度も何度も『十三人の刺客』や三船敏郎のドキュメンタリー映画のポスターがこれ見よがしに映し出されたり、座頭市や椿三十郎の殺陣を真似たりしてみせるんだけど、どうにも僕にはあの女の子たちがほんとに時代劇映画のファンには見えなくて。
女の子たちの個性をそれぞれちゃんと描き分けてるのはよかった
それは脚本にそこまで「時代劇」が描き込まれていないから。
時代劇に詳しくもない僕にさえも、この映画で語られる時代劇についての知識はあまりに浅く感じられる。剣戟とか刀とか、監督についてなど、時代劇にまつわるさまざまなものへの関心が作り手に欠けていることが丸わかりだから、少女たちが夢中になっているはずのものもとても表面的で薄っぺらく感じられてしまう。「時代劇愛」が彼女たちの映画制作にもっと深くかかわっていってほしかった。
時代劇についてハダシやブルーハワイたちにあれこれ語らせているけど、具体的な「画」で見せてほしいんですよ、映画なんですから。
劇中で撮られている、主役の高校生の男女が互いに「好き」ばかり連呼している自主映画を「どぐされ青春キラキラムーヴィー」と揶揄しつつも、そういう映画にキュンキュンしている若者たちを愛おしく見つめる視線がこの映画にはある。作り手が描きたいのはそちらの方なんだよね。
この映画の監督さん(&脚本家さん)は、ほんとは時代劇よりもラヴコメの方が好きなんだろうな、と思いながら観ていました。
ハダシと同じく時代劇が好きで剣道部員のブルーハワイが本当は「ラヴコメ大好き女子」でもあることがわかるくだりで、両者の融和と融合が図られる。
凛太郎という男子への想いが「映画」への想いと重ねられているのはわかる。
だから、文化祭が終わったら未来に帰ってしまう凛太郎、未来ではもはや存在していない「映画」、それから高校時代という、これもやがては失われていく時間がクライマックスでシンクロすることで深い感動を生み出す…そういうことを狙ったんだと思うし、だからこそあのクライマックスに感動した人たちも多いのでしょう。
また、時代劇の主人公とライヴァル剣士のクライマックスでの死闘はまるで恋愛のようなものだ、という発想はあながち突飛でも的外れでもなくて、だからやっぱり最後にふたりは斬り結び合わなければ、というハダシの気づきも自然と受け入れられる。
ただそのためには、やはりそこに至るまでの紆余曲折をもっと丁寧にすくい上げるべきだったと思う。
なんかいつの間にか恋してましたもんね。そして、ハダシと凛太郎の間にはたいしたドラマもなかったし。“恋”って過程が大事なんじゃないでしょうか。少なくともラヴストーリーの中では。
これまでの流れがすべてあのクライマックスが描きたいがための段取りに見えてしまった。
…それでも、クライマックスでのあの展開は、ちょうど映画や映像を使った演劇パフォーマンスを思わせて、まるで小劇場演劇か高校演劇を観てるみたいでちょっと心地よくなったのでした。
倒されるべき悪役を作らず、ライヴァル、もしくは天敵だと思っていた相手とも打ち解けて手を取り合って創作活動をする。これが「青春」なんだ、という主張。
野球にまったく興味がない僕が『アルプススタンド~』を観て、野球をやったり試合を応援することに生きがいや喜びを感じる人々の存在を意識することができたように、やはりキラキラなラヴコメが大の苦手な僕がこの映画を観て、世の中にはそういう映画を愛してやまない人たちがいて、彼らも自分と同様に泣き笑い、友情を感じて生きているのだということを意識できたのはよかった。
時代劇が好きな人もいればラヴコメ好きの人もいる。それでいいんだ、と。「ぶっ潰す」必要なんかない。
「好き」と言葉に出さずに表現するのが映画なんじゃないの?と最初にヒロインに言わせておきながら、最後には演劇っぽくしっかりと言葉で想いを伝える。刃とともに。
誰も喧嘩をしない世界で互いに刃を交える行為は「愛情」なんだ、ということ。
ハダシのまわりのみんなが気持ち悪いぐらい物分りがよくて寛大だったのも、そういうことなんだろう。
とても今っぽい感性だと思う。
あの場面で、一瞬僕は自分も高校生だった「あの頃」にタイムスリップしていた。
この映画の作り手は、「時をかける少女」の原作小説や大林宣彦監督の実写映画版じゃなくて、きっと細田守監督のアニメ版を参考にしたんだろうなぁ。って、わりとまんまだったよーな。
でも、細田監督が『バケモノの子』のクライマックスでやり損ねていたことを、この映画ではやり遂げていたと思いますよ。
粗が物凄く目につく映画だし僕は夢中にはなれなかったけれど、これは「なくしたくないもの」についての青春映画だから、10代か20代の頃に観ていたらとても好きな作品になったかもしれない。
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