笑顔でつながるHappyらいふ -3ページ目

笑顔でつながるHappyらいふ

先天性食道閉鎖症の息子からもらった「贈り物」を大切にしたいと思ったアラフィフ目前母さんのあれこれ


おはようございます音符

親子の宝物に気づき
幸せなライフワークを実現する

ハンデをもつ子のママ専門
ナビゲーター@八王子・多摩地区の

鈴木知美です

 

 

ただいま人生をさかのぼり中♪
生まれた時~ムスコの退院後生活
こちらにまとまっています

 


昨日は

好奇心で参加した
起業セミナーのことが
なんとなく心のどこかに
 ↓
ムスコの抑制グッズを開発
 ↓
「事実」と「思い込み」が
ごちゃまぜで
あっさりあきらめてしまった
エピソードをつづりました。


でも
試作して
使ってみて
改良して
 ・
 ・
 ・


そんな粘り強い一面も
あったことに
気づきましたひらめき



今日は
ムスコの病院暮らしの一方で

「自分だけの時間」
楽しんでいた話。


実はこれが
起業へとつながることに
なります。


「ひとり起業セミナー」へ
参加したエピソードの時も
書いたのですが


ムスコが病院暮らしのとき
13時30分くらいまでは
完全に自由な時間でした。


ムスコの病院着のために
服を改造したり

抑制グッズを作ったり

仕事とは関係しない
  ↑
 家庭科教員だったので
 被服製作はしていました

ものづくりを楽しむ時間でした。



子ども服の本でも・・・
と本屋へ行ったときに

衝撃を受けたんです!!


それは
手芸の【雑誌】があることに。



以前は

手芸といえば

マスコットの本
手編みの本
刺しゅうの本
などなど

それぞれの分野の
作り方が掲載された本



雑誌(定期刊行)という形に
なっていたのは

装苑
とか
スタイルブック
といった
ファッションと洋裁のものでした。




それがまあ!!11


いろいろな手芸の手法のものが
ちょっとちょっと掲載の雑誌

刺しゅうに特化した雑誌


何だか嬉しくなっちゃいましたピンク音符


手芸が市民権を得てるーーーーービックリマーク
って(笑)



雑誌を毎月買っては
何かを作ったり

手芸材料をネットで買ったり

学生時代にはなかった
ジャンルの手芸を楽しんだり



そのうち
パリから
素敵な情報発信をしていた
日本人の方が
帰国して
刺しゅう教室を開くとの
情報入手ハート

教室に通い始めることに。


パリのアトリエって
こういう感じ?
な空間で刺しゅうの時間。

一針一針刺しながら
没頭できる時間でした。


ムスコが退院するまでの間
通い続け

家でも
一針一針
没頭。



実はムスコの根治術。

1度目は
血圧低下で
途中で断念。

2度目は
術後の経過が
あまりよくなく・・・。


前に書いたように
たくさんの人
同じ病室の仲間のおかげ

淡々と過ごせていたものの


家に帰ってからは
不安になることもありました。



そんな時に
この没頭の時間は
アレコレ考えなくて
いい時間

私にとって
必要なものだったのだなぁと
思います。





しっとりとしてしまいましたが・・・汗

話を戻して…




その教室で
初めて知ったのが
カルトナージュ乙女のトキメキ


自分で刺しゅうした布を
厚紙で作った箱に張り付けて
小物入れにしたり

柔らかい表紙のノートに
ハードカバーをつけて
オリジナルのノートに
できることを知りました。



元々文具好きだったワタクシ。

こういう罫線のノートが
あったらいいのに

とか

スケジュール帳は
このスタイルだといいのに

とか

アルバムの表紙は
布張りがいいなぁ・・・

とか

って思い始め

何かのタイミングで

「見返し用紙」の
キーワードで検索をしていたら

製本工房のサイトに
出会いました!!11



そこには

材料が販売されていることに
加え

本やノートが
1から自分で作れること

それを習える場があること

が書いてありました。



これだビックリマーク




数時間でノートを1冊作れる
ワークショップに参加。

そうしたら

もう

楽しすぎる―ーーーーキラキラ



ハッピーホルモンが
出まくっていましたハートハートハート



ブログを書いている今も
その頃の楽しさが思い出されて

口元がゆるんでますaya



あ!
製本はムスコがもう少し
大きくなってからのこと。



こんなふうに
入院中の
雑誌の発見
刺しゅう教室との出会い
カルトナージュとの出会い
 ・
 ・
 ・

と芋づる式に
興味が広がっていきました。

 

 

明日は

私のニックネーム誕生秘話

とともに

 

興味のいろいろを

もう少し。

 

好奇心満開【2】~あいみ誕生秘話

 

引き続き

おつき合いいただけたら

嬉しいですピンク音符

 

 

ムスコの退院後生活までの様子はこちらにまとまっています


おはようございます音符

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鈴木知美です
 

 

 

ただいま人生をさかのぼり中♪
生まれた時~ムスコの退院後生活
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昨日は
ニッチなニーズがあった
にもかかわらず
形にはできなかった。

でも
もしかしたら何かできるのでは
という気持ちもあったことを
つづりました。



今日は
その

もしかしたら

でやってみたことの
エピソードです。





入院暮らし中

ムスコの鼻には
飲み込んだ だ液を
吸い上げる管が
常時入っていました。

この管が外れてしまうと
一大事ビックリマーク


食道閉鎖症A型
食道が行き止まりなので

だ液がたまっていってしまいます。
あふれてしまうと
気管へ入ってしまうこともごめん



動きが活発になる前までは
抜ける心配はなかったのですが

成長とともに
手や腕を動かせるようになると
管が抜ける可能性が汗



例えば

眠くて目をこする
とか

もう少し成長すると
何かが顔についているので

引っ張ってみたくなったり

とにかく
抜ける心配が多くなりますガーン



この鼻の管のように
治療に必要なことの
アクシデントを回避するために

病院では
必要に応じて
身体拘束をします。



面会時間は
誰かがそばにいて
見ていられるけど

席を離れるときや

面会時間外は

ムスコの場合も
管が抜けないようにするために
どうしても拘束が必要でした。



拘束というと
ベッドに縛り付けられている
イメージがあるかもしれません。


でも実際は
看護師さんたちが

子どもたち一人ひとりに合わせて
より良い方法を探り

加工したり
時には手づくりで
対応してくださっていましたハート





余談ですが・・・

手術や検査の時も
一般的な器具では
なじまないときは

その子に合わせて
改良したりしてくださっている
という話を聞きました。


同じ疾患といえど
人によってそれぞれ

医療の現場の大変さと
従事されている方々の
熱い気持ちを知るにつけ

本当に

有難い

という気持ちを強くしました。





話を戻して…


ムスコの
鼻の管抜け対策も
担当の看護師さんと

アレコレ
思考錯誤しました。



ムスコの発達を
できる限り妨げず

なるべく快適に


でも手の届く範囲は
限定的に。



私も
得意分野だった
手芸の材料で
使えそうなものはないかと

手芸材料店めぐり。


こんなのどう?
と作っては

試し

の繰り返し・・・



ある時は

窮屈すぎて
腕に当たっている部分が
赤くなってしまったりあせ①


ある時は

ゆるすぎて
全く効果がなかったりあせ①


ある時は

詰め物が分厚すぎて
汗っかきのムスコは
あせもだらけになったりあせ①


ある時は

いい感じにできたけど
脱着が煩雑すぎて
他の看護師さんたちに
不評だったりあせ①


それでも
これがダメなら
こうしてみよう

の繰り返しが
なんだか
研究者のようで

粘り強く
楽しみながらやっていたのを
覚えていますピンク音符



楽しみながらできていたのは

病院という
制限のある場所で
少しでも快適に
少しでもいい条件で
成長をして欲しいと
願っていたから。

そして

物理的にも
精神的にも
余裕があって

それに没頭できたからかな…



この時の失敗作も
愛おしくて
数年前まで
処分できなかったくらいaya





そんな珍道中を経て

いい具合のものが
完成しました!!11



これは
根治術が終わって
管が抜けても
大丈夫な状態になるまで

活躍してくれましたぐっじょぶ





他の看護師さんたちにも
好評いただいたときに

起業セミナーのことが
頭をかすめました。


講師の方の

「この内容は
 社会貢献に
 力を入れている企業に
 協力を得られかもしれない」

とのアドバイス。





何か
ちゃんとした形

にできないか


形にしたら
企業の協力を得ることが
できないか



無い知恵を絞って
ネットで検索をして

特許庁の相談窓口を尋ねましたランニング



そこで対応してくださった方が
怖そうな職員の方ごめん

「こんなちんちくりんな奴が
 何をしに来た」

と言わんばかり。


初めから
勇気をくじかれた状態ガーン


正直
何を言われたか覚えていません。

何かを言われても
全て
「否定されてる」
と受け取っていたのだと思います汗



たぶん
心の片隅では

「そんな大それたこと
 私にはできっこない」

って思っていたから。



勝手に落ち込んで帰りガックリ・・・
あっさり諦めてしまいましたトホホ




今思うと

この頃は
「思い込み」と「事実」を
分けることが
全くできていない状態汗





他にもできることが
たくさんあるよー!!14



って10年前の自分に
声をかけてあげたいです。





起業について
知識も意識も
全くないころの
トホホなできごと


でも


これも
私がそれを
「やる」って
決めてやったこと


何か意味があるんだろうなぁ
と思うのですひらめき




明日は
ムスコの入院期間中
時間があった
「私の時間」について
つづりますね。

好奇心満開【1】~興味が芋づる式に


引き続き
おつき合いいただけたら
嬉しいですピンク音符

 

 

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昨日は
命や人生と向き合う日
でした。

今日も1日を大切に
生きてまいりますハート



今日のさかのぼりは
全く想像のつかない世界
のぞいた時の話の続きです。



「ひとり起業セミナー」で
講師の方が絶賛してくださった

でも
自分としては
行き当たりばったり
答えたこと。




 

それは
入院中に必要な
衣類のこと。



入院中は
前開きの衣類の方が
何かと便利。

小さなころは
前開きの衣類が多いものの

少し大きくなると
かぶりのタイプばかり。


ムスコは胃ろうが
ついていたので

かぶりタイプだと
栄養を注入する間は
上衣の裾から
管を出すことに。


動いたりして
めくれて
お腹が出ちゃたり・・・汗



病院暮らし中
日中は寝間着から
服に着替えて生活していました。

パジャマなら
まだ
前開きもないことはない。

でも、服になると
とにかくないごめん


出かけたついでに
子ども服を
必ずチェックしていたほどサーチ



他にも
長そでのシーズンに
点滴をすると
そで幅の狭いものは
手を通せずあせ①



そんな状況だったので
「こんな服があったらいいのに」
をセミナー答えていました。


講師の方の目が光ったのは
「ニッチ」なニーズだったから。


セミナーは
数回で終わってしまい
何か形にすることは
ありませんでした。


でも、なんとなく
何かできるのかも
と思っていたのかもしれません。




その頃
身体拘束のグッズの開発を
担当の看護師さんとともに
していました。



これを書き始めると
長ーくなりそうなので
明日にしますね。

全く想像がつかない世界【3】~踏み込んだもののあえなく・・・




引き続き
おつき合いいただけたら
嬉しいですピンク音符

 

 

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おはようございます音符

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鈴木知美です


今日はさかのぼりから

ちょっと離れます。

 

といっても

全く関係ない話

ではありません。

 

 

 


10月16日に
「一生忘れられない日」
のことを書きましたが、

実はもう1日
一生忘れられない日
があります。



それが
今日12月2日


ムスコのもう一人の
小さなガールフレンドが
天国へ旅立った日。



この時も
ムスコはSちゃんと同室でした。



ホームルーム
(と言うのかわかりませんが)
の203号室ではなく

205号室で。



容体が変化して
SちゃんはICUへ

とても心配だったけれど
面会終了時間になって
気になりつつも
帰宅したのを覚えています。




告別式で
参列していた方が
「何歳だったのかな・・・」
と話されていました。

12月4日のこと。


そして
Sちゃんのお誕生日は
12月5日



命の長さは関係なく
尊いものだけれど

やるせない気持ちで
いっぱいになりました。



私にできることは
生かされていることに
感謝すること。

一人ひとりの
命の尊さを伝えていくこと。

そして
その与えられた命を
豊かに育てること。



今日も
天国にいる
SちゃんとNちゃんに
誓いますキラキラ

 

 

明日はさかのぼりに戻りますねピンク音符

おはようございます音符

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人生をグラフにして描いてみても
あまり波のないワタシテヘ

平々凡々
良くも悪くも前向き

落ち込むことがあっても
立ち直りが早いぐっじょぶ

このブログを書いてみて
改めてわかりましたaya



自分と向き合うことを
してこなかった

う~ん
違うな…

自分と向き合う必要に
迫られなかった

のだと思います。



前の記事の
教員をやめるまでは。



・・・が
ここから先は
(この10年くらい)

自分と
がっつり向き合うことに
なります。

特に嫌な部分あせ①





今日は
まだ「起業」に

ピン

と来ていなかった時期のこと。


それでも

ここが小さなフックひらめき
なっていたのかな

と思うできごとです。



それは
ムスコがまだ
病院暮らしをしていたころ。



面会時間は14時から

しかも
病院は自宅から自転車で10分。


かなり
自分の時間がありましたピンク音符



フルタイムで働いていた時は
見ることもなかった
市の広報。

隅々まで読んでいましたサーチ



そこで目に留まったのが
「ひとり起業講座」



サラリーマン家庭に育ち
自分は公務員
夫もサラリーマン

友だちも
ほとんどサラリーマン家庭に
育っていたので

「自分で事業をする」という
イメージは

全くなし。



それが
なぜ目に留まったのか?



たぶん 好奇心aya



全く想像のつかないことを
覗いてみたくて
申し込みました。



初日に参加して
場違いなことに気づくワタシあせ①



自己紹介では

事業の販路拡大
これから事業を立ち上げたい
ボランティアでやっていたことを
事業化したい
経験を形にしたい
取得した資格を活かしたい

などなど…

皆さん
明確なイメージをもって
集まっていました。



講師の方の話も
それが前提で進んでいました。



事業内容について
周りの人からのアイデア出しや
講師の方からのアドバイスの時間に


運悪く!?
(今思えばよかったのかもハート)


当てられて
慌てて答えました。


人の目を超気にして
ええかっこしい
「できない」「わからない」と
言えず

苦し紛れに

ムスコの病院暮らしで
「こんなサービス
 あったらいいなぁ」
と思っていたことを

さも
自分がやりたいことのように
答える始末あせ①



冷や汗書きながら
行き当たりばったりで答えたら


講師の方の目が
キラーンキラキラ
って光ったのです。


そして

「それ、いいですね!
 必要としている人が
 たくさんいると思います。
 実現させてください!!」

って言っていただきました。


その後のランチタイムでも
周りの人が
「いいアイデアだね」
「先生の食いつき方が
 違ったね」
と言ってくださいました。



それでも私は
「ふ~ん。
 そういうもんなんだぁ」
という程度汗

しかも
その思いつきを
どう形にしていいのかも
全く見当がついていなかったちび顔


そして
全く見当がつかないことを
誰かに聞いてみる
こともできなかった。

・・・というより
「ひとり起業」は
「自力でするもの」って
捉えていたから

「自分で調べる」
のだと思っていました汗


そして検索しても
「答え」を
見つけることは
できず。



なんともトホホな経験トホホ



もう10年も前のこと。

行き当たりばったりの
アイデアについては

明日続きを書きますね。

全く想像がつかない世界【2】~ニッチなニーズ



引き続き
おつき合いいただけたら
嬉しいですピンク音符

 

 

ムスコの退院後生活までの様子はこちらにまとまっています

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鈴木知美です

 

時間は
ただ流れてきたように思うけど

その時々で
いろいろなことを感じ

また
時間が経ってみると
俯瞰の視点で振り返れたり

新たな感情が生まれたり。


自分と向き合う時間が
本当に楽しいピンク音符



でも
1年前の私だったら
チャレンジしていなかったなぁ

とも思います。



ものごとには
タイミングがある


そう思わずにはいられませんキラキラ



いよいよ
起業しようと思ったものの

動いたり
立ち止まったり

うごめいていた時期に
突入です。


その前にaya

ここまでをまとめますね!!11

 

 

 

第1章*小さい頃

第0話 今日からリスタート!
⇒なぜ人生をさかのぼろうと思ったのか

第1話 義務教育まで【1】~期待はずれからのスタート
⇒特に何も考えてなかった平々凡々幼少期

第2話 義務教育まで【2】~ゆるーく、しつけは厳しく
⇒しつけの厳しい両親と姉と私と

第3話 義務教育まで【3】~フットワークの軽さは母譲り
⇒万年色黒だったのは・・・

第4話 義務教育まで【4】~外も好き。でも家の中も好き
⇒ものづくりが好きな素地

第5話 義務教育まで【5】~つい最近まで思い込んでいたことの発端
⇒絵を描くのが苦手を深堀り

第6話 義務教育まで【6】~怒られるようなことをしちゃいけない
⇒目立たないように目立たないように・・・

第7話 義務教育まで【7】~姉と同じが安心だった
⇒おさがりばかりは嫌と思う一方で

第8話 義務教育まで【8】~目立たないように、の小心者が気がつけば・・・
⇒ビビりが思わぬことに

 

第2章*高校大学時代

第9話 変化の兆し【1】~でも根っこはマジメ
⇒高校生活-世界が広がって自由に

第10話 変化の兆し【2】~試合が怖い?その1
⇒思うようなプレーができなくなった

第11話 変化の兆し【3】~試合が怖い?その2
⇒その先の未来がわからないと足がすくんでしまう

第12話 変化の兆し【4】~ザ・昭和の青春
⇒泥臭く、汗臭く応援団

第13話 変化の兆し【5】私は何者?「その他」?
⇒いい経験だったけど、もう一回はしたくない

第14話 好奇心が花開くころ【1】~A型であることが嫌だった
⇒名付けて血液型改造計画

第15話 好奇心が花開くころ【2】~美味しいものにはキケンが潜んでいる-その1-
⇒ブログを書きながら寝落ち。寝覚めに思い出したこと

第16話 好奇心が花開くころ【3】~美味しいものにはキケンが潜んでいる-その2-
⇒思い出ランキング圏外の思い出は実は・・・

第17話 好奇心が花開くころ【4】~視界が開けた感覚
⇒大人だって好奇心を広げていい

第18話 好奇心が花開くころ【5】~高額時給以上のギフト
⇒アルバイトで得たものはプライスレス

 

第3章*教員時代


第19話 根っこが全開【1】~幻想が崩れた日

⇒進路を決めたころに思い描いていたイメージとは違う学校へ赴任 

 

第20話 根っこが全開【2】~自分でもびっくり!こんな一面があったとは・・・

⇒繊細だとは思っていなかったのに・・・

 

第21話 根っこが全開【3】~公明正大に磨きをかけていたころ

⇒気持ちよりルールが先行 

 

第22話 根っこが全開【4】~誰の気持ちにも気づけない

⇒真面目にやっている子の気持ちも見えてなかった 

 

第23話 根っこが全開【5】~人に弱いところを見せられない

⇒プライドばかりが高いめんどうなヤツ

 

第24話 根っこが全開【6】~悩まないのが悩み

⇒何を言われてもネガティブに

 

第25話 根っこが全開【7】~ぐちゃぐちゃな私を救ったもの

⇒学生時代に一度断念したことを再開

 

第26話 根っこが全開【8】~もがくのはやめよう 

⇒自然を前にしたら自分の悩みなんてちっぽけ

 

第27話 根っこが全開【9】~揺り戻し-白黒はっきりせい!

⇒気持ちよりルール再び

 

第4章 入院時代

 

第28話 人生の転機【1】~初めてなもので・・・

⇒「こんなものだ」と思っていたら長期入院に

 

第29話 人生の転機【2】~人生で一番長かった日

⇒気持ちも状況もめまぐるしく変化

 

第30話 人生の転機【3】~ギフト

⇒小さくも生きようとしている子どもたちからもらったもの

 

第31話 人生の転機【4】~かけがえのない2年間

⇒病気で生まれてくれてありがとう

 

第32話 人生の転機【5】~淡々と病院通いできたのは

⇒様々な条件とたくさんの人がいたからこそ

 

第33話 人生の転機【6】~入院生活を淡々と過ごせたもうひとつの理由

⇒ひとつ屋根の下で過ごした仲間

 

第34話 人生の転機【7】~入院期間中に一番考えさせられたこと

⇒これまでの人生とこれからの人生と

 

第5章*家での生活


未知の暮らしへ【1】~私のパターン

⇒いよいよ退院と思いきや、無意識が顔出し

 

未知の暮らしへ【2】~そのままを理解する子どもにもらった勇気

⇒いつから大人は素朴な疑問を発することができなくなったのか?

 

未知の暮らしへ【3】~子どもも親も育つ場所へ

⇒ムスコが病気でなかったら選択肢に入ってなかった習い事

 

未知の暮らしへ【3補足】~習い事の思い出

⇒自分の体験が子どもの習い事にも影響

 

未知の暮らしへ【4】~今の私につながる偶然の再会

⇒またしても病気がきっかけの新展開

 

未知の暮らしへ【5】~親子の大きなよりどころ

⇒仲間がいたら一歩を踏み出せる

 

未知の暮らしへ【6】~すっぱりやめたけど・・・

⇒10年経って気づいたひっかかり

 

 

 *こぼれ話編*


こぼれ話【1】~書き始めてわかった心の動き
⇒書くのは苦手から楽しくなってきた

こぼれ話【2】~シンクロしすぎて鳥肌が立っちゃった
⇒いろいろなことが次々にはまっていく

 

こぼれ話【3】~ぶっつけ本番で生きているから

⇒あのころの自分にシェアしたいメッセージ

 

 

 

明日からは
起業への話へ

 

 

引き続き

おつき合いいただけると

嬉しいですピンク音符


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病院生活から
家での生活へ

初めは怖かったけれど

さまざまな出会いが
素晴らしくて。

こじか園との出会いは
私たち親子のよりどころ
となるものでした。



こじか園へ通い始めたのは
ムスコが3歳5か月のころ。

 



ちょうどその1年前に
退職をしました。



産休に入ったときは
復帰する満々腕。

ムスコが1歳5か月になる4月から

と決めていました。



産休に入ったのは
実は1年生の担任の秋。

小学校ほどでは
ないかもしれないけれど

担任途中で

しかも年度途中で
産休に入るのって
なんとなくタブーな
雰囲気が・・・あせ①



中途半端なタイミングに
なってしまい
申し訳なくて

職場の皆さんには
「戻ってきたら
 ガンガン働きますビックリマーク
と宣言して
休暇に入っていたのです。



それなのに…汗


復帰時期の
変更を2回したものの

腸ろうからの栄養摂取を
3歳の誕生日までには
終えられないし

それができたとしても

定期的に外来受診があったり
突発的な入院も
予想されたので

退職を決めました。



やむを得ない事情
とはいえ

でもさんざん迷惑をかけての
この結論。


結論を出すことに
迷う余地はなかったけれど

心の片隅に
ずっと引っかかっていること
であるのも事実。



当時は
引っかかりを
感じていませんでしたが・・・汗



というのも

ムスコがこの先どうなるのか

普通に
食事をできるようになるのか

幼稚園は?
小学校は?

ムスコの先々のことばかりが
気になっていたから。



ここ1年くらいで

学校とか
先生とか
教育とか

に対して

何か恩返ししたいキラキラ

という思いが強くなりました。



こう思うようになったのは

ムスコの暮らしが
安定してきて

気持ちに余裕が
できてきたからかも乙女のトキメキ



そう思うと
なんだか

ありがたくて
幸せな気分に
なってきましたハート


なんだろう
この感覚。



うまく言葉にできないけれど
伝わりますか?



次から起業につながる
ストーリーを
つづりますね!!11


引き続き
おつき合いいただけたら
嬉しいですピンク音符

 

 

 

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昨日
NPO法人ゆめBOX西東京さんの
イベント

「みんなちがってみんないい」

の前半で
アンガーマネジメントを
お伝えしてきました!!14



これにつながったのも
ムスコが先天異常をもって
生まれたから。

昨日書いた
こじか園との出会い
あったことと

つながっています。




今日は
こじか園での生活と
ムスコの成長をつづりますね。



こじか園は
週に2日

10時~14時の
4時間。


当時は
ショートステイ事業として
認められ
補助金をいただきながら
立川市内で
運営されていました。

(今は補助金なし)



季節の行事に合わせて
工作したりカラーパレット
歌を歌ったりブルー音符

近くをお散歩したり足

誕生日を祝ったり誕生日ケーキ

遠足やキャンプへ行ったりカメラ

運動会をしたりランニング

ママたちの
手づくりランチの日があったりカレー
  ・
  ・
  ・


保育士の資格をもった
先生方が

保育園や幼稚園で
体験しそうな活動を

子どもたちに合わせた
計画してくださり

子どもたちのペースに合わせて
体験をさせてくださいます乙女のトキメキ



親は別室で
お茶を飲みながら
おしゃべり。


このおしゃべりの内容も

体調のこと
治療のこと
病院のこと
支援の制度のこと
就園・就学のこと
などなど

そして
誰かの手術が決まると
おしゃべりしながら
千羽鶴を折って

無事成功を祈ったりキラキラ


ここでしかできない話をして
すっきりしたり
勇気をもらったり
していましたニコニコ



 

心のよりどころ


なくてはならない存在でした。



その頃
ムスコは
ようやく自力での食事が
少しずつ増えてきていて

「白いもの」
は食べられるように。


お弁当は
白飯のおにぎり
豆腐、大根の味噌汁、牛乳。

以上aya



そうしたら
周りのお友だちが

しらす
とか

食パン
とか

白いもので
自分が好きなものを
ムスコに教えてくれて


食べてみる
 ↓
食べられた!!


この繰り返しで
食べられる食品の種類が
増えていきました。




2011年3月11日

私たちは
卒園遠足で
品川の水族館にいました。

解散後
仲間と残って
また遊んでいた時に地震。


広いところに避難した後
幸いにも
水族館が無事とのことで
建物の中で一晩を明かすことに。


一足先に
駅へ向かっていた先生方も
戻ってきてくださり

超偏食のムスコのために
食パンを途中のコンビニで
買ってきてくださいましたアリガトウ


たまたまホテルに隣接の
水族館だったので

食事も急遽販売され
温かい毛布も貸し出して
いただきました。


都内も大混乱だった中
私たちは幸運続きでした。



ただ
「日帰りだから」と
余分の薬をもっていなかった
私たち。

思いがけない事態に
焦りましたごめん


かかりつけの病院に
問い合わせたり

水族館近くの病院を調べたりして

なんとか
最低限の薬を出して
もらえることに。



単独で行動していたら
気持ちばかりが焦って
何をしたらよいか
わからなかったし

小さな子どもを連れて
右往左往していた
かもしれません。



この時も
こじか園の仲間と一緒にいて
本当によかったキラキラ



支え合えるコミュニティ
必要性を
こじか園での生活の中で
より強めました。



だからこそ
今の私がありますビックリマーク




いよいよ

公務員だった
育休中だった私が


全く別の活動をしているのか

のパートに突入です。


・・・っていっても
紆余曲折しているので

まだまだ5,6年前のこと汗



引き続き
おつき合いいただけたら
嬉しいですピンク音符

 

 

 

ムスコの入院生活までの様子はこちらにまとまっています

おはようございます音符

親子の宝物に気づき
幸せなライフワークを実現する

ハンデをもつ子のママ専門
ナビゲーター@八王子・多摩地区の

鈴木知美です

 

 

ただいま人生をさかのぼり中♪
生まれた時~ムスコの入院生活
こちらにまとまっています

 



ムスコの習い事のことを
書いていたら

自分の習い事の経験に
影響を受けていることに
気づいた
おととい。


昨日は
40年くらいをさかのぼって
みました。

未知の暮らしへ【3補足】~習い事の思い出




ムスコが何の異常もなく
生まれていたら
出会っていない

ひと・もの・ことキラキラ

今日もそのうちの1つについて
つづります。



それは
「こじか園」との出会い。



こじか園は
心臓病児のための
自主保育グループ。


40年以上前に
活動を始めた
歴史あるグループです。


当時は
心臓病の子は
保育園や幼稚園への就園が
難しかったそうです。


というのも

今でこそ
心臓病で生まれた子も
医療技術の進歩により

就園前には
大きな手術ができる

のですが

その頃は
就園のころには
まだ
手術を受けられなかったそうごめん


加えて

保育園や幼稚園も
心臓病児の子を
受け入れる体制が
整っていなく

受け入れて
もらえなかったのだそうですごめん



「ならば、自分たちで」

と立ち上げたのが始まり。



今では心臓病の子だけでなく
ムスコのように
他の内部疾患の子どもや
他の障がいをもつ子も
通っていますピンク音符



公園で出会った子たちが
プレ保育に参加し始めたころ

ムスコはまだ

自力での食事も不安アリ
その他の発達も不安アリ

だったので
のんびり。


公園にお友だちが
めっきり減ってしまっていました。

お友だちが
いよいよ入園
という直前

さて、我が家は
これからどうしようかな
というタイミングで

体調を崩して
新しくできた
都立小児総合医療センターへ
入院しました。


たまたま
同じタイミングで入院していた
かつての病院友だちと
再会ピンク音符

「こじか園」に
誘ってもらいました。



・・・って
サラッと書いちゃいましたが

八王子小児病院と
規模がけた違い。


病棟が
3フロアに分かれている上に

1フロアにも6つの病棟!!

しかも
同じ病棟内でも
共有スペースに
出てこない限りは
顔を合わせることもない。


診療科が同じとはいえ
ばったり会う確率は

かなり低かったはずびっくり



偶然の再会がなかったら

このブログを
書いていなかったかもしれない。


そんな大きな
できごとでした。




2年近く前にも
こじか園のことを
書いていました。

どんな場所なのか
併せて読んでいただけると
嬉しいですピンク音符


病気のこともふつうに話せる「場」



こじか園のこと
明日もう少し
つづりますね。

 

 

ムスコの入院生活までの様子はこちらにまとまっています

おはようございます音符

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鈴木知美です

 

 

ただいま人生をさかのぼり中♪
生まれた時~ムスコの入院生活
こちらにまとまっています

 



昨日は
子どもも親も育つ場所
と題して

ムスコが2歳10か月から
通い始めたアトリエのことを
つづりました。

ムスコが病気をもって
生まれていなかったら
習い事の選択肢には
なかったなぁ・・・きっと。


そう思うと
このアトリエとの出会いも
ムスコからもらった
ギフトピンク音符



さて、今日は・・・

アトリエの見学を
決めるまでのことを
書いていた時に

思い出した
私自身の習い事のことを
つづりますね。



 

40年前に戻りまーすaya



子どもの頃の習い事は

習字
そろばん
男子は少年野球
女子はピアノ

が小学生の定番。


スイミングや
学習塾へ通う子は
周りにいませんでした。


姉と私は
母が商業科出身ということもあり

「そろばんは
 必要なら私が教える」

と、そろばんへは通わず。



年長さんから
ピアノ

小学1年生から
書道を始めました。



あと、いつからかは
記憶にないけれど

姉はアトリエへ通っていました。


姉の迎えについて行くと

描きかけの絵があったり
作りかけの作品があったり
庭には大きな木があって
お兄ちゃんやお姉ちゃんが
木登りをしていたり…

何やらとっても楽しそうなところ乙女のトキメキ



「私もアトリエに行きたい」

と言った記憶があります。


親もそれなら、と
アトリエの先生に
話を聞きに行ったら

なんとビックリマーク

姉とは同じ曜日に通えないことが
判明!!


人見知りで
引っ込み思案だった私は

「ひとりで行くのはやだーごめん

とあっさり断念ガックリ・・・



やりたかったけど
できなかった
  

 それを自分で選んだのだけど

そんな思いを
ずーーーーーっと
持ち続けていたのかも。


だから
自分ができなかったことを
我が子に


という意識が
働いていたように思います。




そして
ムスコの習い事に
音楽を選ばなかったのも

小さい頃の記憶の影響が・・・



習っていたピアノ。

我が家では

習字は小学生いっぱい
ピアノは中学生まで通う

というルールがありました。



ところが
何年生だった頃からか

家での練習の時に
母があれこれ
口出しをするようにごめん


理由はわからないし

実は
前からそうだったけど
その時は
私もスムーズに上達していたから

母はあまり口出し
してなかったのかも。


この変は記憶が怪しいデス汗



とにかく
今も鮮明に覚えているのは


私がどうしても
ひっかっかったり
間違えたりする部分で

「そうじゃない
 こうでしょ!」

と教本のその部分を
爪を立てて指す場面。

教本に爪の跡が残るくらいびっくり


それが嫌で嫌で
たまらなかったし


なんで先生じゃないのに
先生より
厳しくされなきゃならないの?

って不満怒る


もともと
練習は好きじゃなかったことに
加え

口出しされるのが嫌で
増々練習をしなくなりましたあせ①



中学生の頃には
先生にも
「ここは
 練習をする場所じゃないのよ」
と怒られる始末トホホ


やめたくてやめたくて
仕方なかったけど

中学生いっぱいまで
のルールに

嫌々通っていましたガックリ・・・

 

ちなみに
音楽は「楽しいこと」
と思えるようになったのは
30歳過ぎで、
(八丈島暮らしの頃)

それまでは
音楽(特にピアノ)に対して
いい感情を持っていなかったもやもや




ピアノの先生には
本当に申し訳ないことをしたと
思います感謝




そして今思うのは

母も
「せっかく習うのだから」
と一生懸命だったのだろう

ということ。

決して裕福ではない家庭で
ピアノを買って
娘に習わせて・・・
無駄にしたくない思いや
我が子への期待が
あったのだと思います。



そして

母は先生ではないけれど
音符のこととか
リズムのことを
わかっているから
伝えようと
してくれていたのだろう

ということ。



親の心子知らず



とはまさにテヘ





こんな実体験があっての
ムスコの習い事探し。


音楽も
「楽しい」という認知に
変わったけれど、

自分が
知識や経験を持っていることで
親と同じことの
繰り返しをしたくない

という思が
どこかにあった気がします。






アトリエに出会って幸せハート
と感じているのも

40年くらい前の
できごとがあってのこと



人生におけるいろいろは

その先の人生に
つながっているなぁ

と、
またまた改めて
思っています。


次も

ムスコが病気じゃなかったら

出会わなかった場所

についてつづります。


引き続き
おつき合いいただけたら
嬉しいですピンク音符

 

 

ムスコの入院生活までの様子はこちらにまとまっています