義務教育まで【6】~怒られるようなことをしちゃいけない | 笑顔でつながるHappyらいふ

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先天性食道閉鎖症の息子からもらった「贈り物」を大切にしたいと思ったアラフィフ目前母さんのあれこれ

こんばんは音符

親子の宝物に気づき
幸せなライフワークを実現する

ハンデをもつ子のママ専門
ナビゲーターの

鈴木知美です



可もなく不可もなく
平々凡々な幼少期

・・・と思っていたけど


平々凡々なりに

何かを感じていたり
受け取っていたことが
見えてきました。


Facebookで
コメントをいただくと

そこでまた
思考が働いて
気づくことも。


コメントをくださる方も
いいね を残してくださる方も
そっと見守ってくださっている方も

本当に
どうもありがとうございます。


毎日の励みになっています!!14



さて今晩は

中学時代に影響していたのでは
と思われる

小学校最終学年でのことを
思い出しながら

つづっていきます。



私が通っていたのは
創立100年越えの
伝統ある学校


市内で一番最初にできた
小学校でした。



その頃
1980年代

横浜銀蝿や
なめ猫
積み木くずし
スクールウォーズ
 ・
 ・
 ・


などなど
「ツッパリ」文化全盛の時代
 ↑
勝手に命名




市内の中学校は
どこも荒れていて

新聞の地域版に

「○○中学校の窓ガラス
割られる」

の見出しが躍ってました。



私が進学する予定の中学校も
市内1,2を争う
荒れてる学校。



そんな背景があったからか



6年生の時の担任の先生たちは

「開校以来
 最高の卒業生を目指して」

という
スローガンを掲げていました。



少しでも校内のルールや
社会規範に外れようものなら


帰りの会や
学級会で

話し合い


・・・というより
つるし上げに近かったかも怒る



自分がその対象に
ならなくても
その時間は苦痛でしたごめん



ビビりの私は

怒られないように
怒られないように

って
立ち回っていたなぁ。



それでも
掃除の時間に
友だちとトイレへ行ったら



怒られました。


とにかく
目立たぬように
最後の1年を過ごしました。



学年4人の先生のうち
2人が若手の先生で
特に厳しかった。


多分

すっごくまじめで
正義感が強くて
完璧主義。


それゆえに

子どもたちが
将来、
(すぐの中学校も含め)


ちゃんとした大人に
なって欲しい

という願いが
あったのだろうなぁ。





昨日までは
ここまでを書くつもりでした。



今日

あるコミュニティで
植松努さんのことを
教えてもらいました。

宇宙開発をされている方です。


植松さんの話を聞いたとき
先生たちの顔が浮かびました。


そのことについて
書きたいのですが

ちょっと興奮していて
うまくまとまりません汗


まとまったら
「こぼれ話」として
書きたいと思います。





話を戻して…


この

「目立たぬように」




中学へ行っても
続きます。



今度は先生じゃなくて
先輩に。


また明日の21:00