義務教育まで【2】~ゆるーく、しつけは厳しく | 笑顔でつながるHappyらいふ

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先天性食道閉鎖症の息子からもらった「贈り物」を大切にしたいと思ったアラフィフ目前母さんのあれこれ


こんばんは音符

親子の宝物に気づき
幸せなライフワークを実現する

ハンデをもつ子のママ専門
ナビゲーターの

鈴木知美です



昨日から私のさかのぼりが
無事スタートしました!!14



父や親せきからの
期待をはずしての

女の子ガックリ・・・


次女でもあったし

唯一のじじばばだった
父方の祖母にとっては

6番目の孫

なので

普通の出来事だったでしょう
たぶんね。



名前も

の時は

祖母が好きだった
歌手の名前をいただいたそうで

 

嫁に決定権無し。


 

母の甥っ子から
一文字もらったそう。

嫁にも決定権が
与えられたようです。




記憶があるのは3歳頃かなぁ

写真があるから
そう思っているだけ!?


写真を見ると

おかっぱ頭
髪の毛は直毛で
茶色

パッと見
ハーフの子のような感じで


小さいころは
かわいかったよね~



と、よく姉と話しています。



でもね



ニッコリ笑顔からは
味噌っ歯がのぞいている

という・・・あせ①





3歳児検診の時だかに
親子ともに虫歯がなく

表彰状をいただいたのが
飾ってあったっけキラキラ



それなのに
味噌っ歯



「2人目だからね~」

って近所のおばちゃんたちと
よく話していたのを
耳にしていました。





そんなんだから

ゆるーく

育てられてきたかと思いきや



結構しつけが厳しい両親でした。




朝起きてから
夜寝るまで


こと細かに
あれこれ決めごとが
ありました。



やってないと
ひっぱたかれることも。


「外に出てなさい怒る
って怒られて

家に入れないでいたら

托鉢の虚無僧がやってきて
怖くて怖くて

必死に

「ごめんなさーい
 もうしないから
 家に入れてーーーえーん

ってギャン泣きしていた記憶も。




でも
その頃は

そういうものだ

と思っていたのだと思います。




ほめてもらったことも
あったと思うけど

ちょいちょい
怒られていた

という記憶がほとんど。




親になってみて
気づいたのが



子どもの幸せな成長を願って

という思いだけでなく


子どもがちゃんとしてないと
「しつけできない親」

と、周りから
レッテルを貼られないように


という気持ちも
一緒に乗っていたのではないか



ということ。





時代も
叱って育てることに
疑問をもつ人は
少なかったでしょう。


そして
母が置かれていた立場
手伝っていたのではないかな。



というのも

母は山口県の出身で
高校生の時には

両親ともに他界していました。


だから
高校卒業後から

自活スタート

その後
兄を頼って上京して
父と出会いました。



父は八王子出身。

昨日も書いたように
長男で跡取り息子。

しかも
先祖代々

嫁は三多摩出身者

ということだったらしいのです。


だから
実家にあいさつに行ったとき

「どこの馬の骨とも
 わからない者を
 嫁としては認めない」

と言われ

持って行った菓子折りも
受け取ってもらえなかったそう涙



それでも
反対を押し切って結婚
 
父ちゃんでかした!!



そんな状況だったので
母の意地もあったのでしょう

子どもはちゃんとしつけなきゃ

という思いが人一倍
強かったのだと思います。




この思い
まともに受けたのが




可もなく不可もなく

平々凡々が続きます。




よし!
三日坊主には
なれた!!

このまま終わるか
三日坊主を返上するか・・・


読んでくださっている
あなたの力を
貸してくださーい



明日21:00