笑顔でつながるHappyらいふ -4ページ目

笑顔でつながるHappyらいふ

先天性食道閉鎖症の息子からもらった「贈り物」を大切にしたいと思ったアラフィフ目前母さんのあれこれ

おはようございます音符

親子の宝物に気づき
幸せなライフワークを実現する

ハンデをもつ子のママ専門
ナビゲーター@八王子・多摩地区の

鈴木知美です
 

 

ただいま人生をさかのぼり中♪
生まれた時~ムスコの入院生活
こちらにまとまっています



昨日は

ムスコを連れての
公園デビューに
アレコレ考えすぎていた私を
小さな子どもの一言が
救ってくれ
勇気づけてくれたエピソード

でした。



病院の外へ出ることに
ものすごく
不安を抱えていたけれど

身構えるほどではなかった。


むしろ


たくさんの出会いが
待っていましたキラキラ

 






その一つが
アトリエ。


入院中に
「食べること」と
「話すこと」に関して
お世話になっていた
ST(言語聴覚士)さんに

いきなり
たくさんの子どもたちが
集まる場所へ行くのもいいけど

アートとか音楽の教室へ行って
社会生活に慣れていく方法もある


と勧めていただきました。



さっそく
市内の
絵画教室や音楽教室を検索。


いくつか出てきた中から
「アトリエアルブル」へ
見学を申し込むことにしました。



決め手は

描き方、作り方より
色彩心理を使ったセラピー
っぽいこと
  
 WEB上の印象


家から歩ける場所にあること

絵を描くことは
私のコンプレックスであり
憧れであること笑顔(色無し)

音楽系の習い事には
いい思い出がないこと汗



うわ~


自分の幼少期の
体験や経験が
かなり影響しているわ~あせ①



これについては
改めて書くことにして・・・



話を戻しますピンク音符



見学へ行った日

人見知りならぬ
場所見知りのムスコ
  
 病院育ちなので
 人見知りは全くなし(笑)


案の定
私から離れず・・・



ただ
このアトリエ
1つだけある
ルールを守っていれば
何をしてもOK。



そのルールとは
「人の創作を邪魔しないこと」


絵を描きたければ描く
何かつくりたければつくる

はもちろんのこと

絵具を水に溶かして
色水を作りたければ
それもOKぐっじょぶ

自分の体に
色を塗りたければ
それもOKぐっじょぶ

完成しなくてもOKぐっじょぶ

途中で他のことを
始めてもOKぐっじょぶ

何もしなくてもOKぐっじょぶ


だから
ママから離れられなくてもOKぐっじょぶ



見学の日は
私の膝の上に乗って

私に
機関車トーマスを
描かせるという・・・あせ①

それもOKぐっじょぶ



一人ひとりの
自由な表現を保証する

という
アトリエの特徴を
ムスコも私も体感して
入会を決めました。

ムスコ2歳10か月の時でした。



通い始めてからも
何ヶ月かは
私と一緒に

というか

私が
トーマスシリーズを
描いていましたトホホ


おかげで
絵が苦手な私も
ちょっぴり上達aya



そして
このアトリエ

子どもの
心と能力を育てる


だけでなく

カウンセラーさんが
子どもの創作
 使った色
 使った画材
 使ったモチーフなど
から
子どもの状態をキャッチして

親に対して
子育てのサポート

してくださる。


これが
私にとっては
大きかった。


どの色やモチーフを
使っているから

いい、悪い

ではなく


「今の状態」を
そのまま受け止めることが
できました。



あ、過去形ではなく
現在もです。


昨日は

ちょうどアトリエの日でした。

 

ムスコが何をしていたかというと・・・

本読み

それもOKぐっじょぶ


10年近く通った今も
アトリエが大好きで

「ずっと続けたい」

と言っているほど!



親子ともに
育ててもらっている場所です。



ここを選んだ
10年前の自分も
ほめよう!

でかしたぞワタシaya



次は
もう一つの出会いを
つづります。

 

 

引き続き

おつき合いいただけたら

嬉しいですピンク音符

 

 

ムスコの入院生活までの様子はこちらにまとまっています


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ただいま人生をさかのぼり中♪
生まれた時~ムスコの入院生活
こちらにまとまっています

 



昨日は

いよいよ息子の退院
という時に

親の不安が伝わり退院延期(^^;

病院という場がいかに
安全な場所だったか
つくづく身に染みたことと

それも
私のあるあるパターン
ドンピシャはまっていたこと

をつづりました。




さて、今日は

仕切り直して
晴れて退院

その後の生活です。



退院して直後は
4時間おきに
2時間かけて栄養補給。

点滴のような感じで
管につながる必要があって

準備片づけを含めて
2時間半くらい。


残りの1時間半くらいで

近所の線路沿いで
電車を見たり

公園へ行ってみたり




実は
初めのうちは

鼻の管のこともあって
昨日の投稿をご覧ください
人とあまり会わない所へ
行っていました汗

どんな風に思われるのだろう・・・
って。



でも
子どもにとっては
他のこと関わることは大切。

特に
病院育ちのムスコは

大人と関わることはあっても
同世代の子どもと関わることが
あまりなかったので汗


意を決して公園デビューしました!!11



そこには
すでに顔見知りになった人同士
楽しそうにしている様子があって
入りにくかったガックリ・・・


たぶん
自分一人だったら
すごすごと
帰っていたかもしれませんaya



でも母は強し。

子どものためなら、と
勇気を振り絞れた。


またしても
子どもに強くしてもらいましたチカラコブ



自分で思い描いていたほど
ハードルは高くなくて

ホッとしたのを覚えています。



次の難関は・・・

鼻に入った管のこと。

今まで会ったことのない
親子が突然やってきて

それだけでも
誰?

となるのに、

子どもの顔には
管とそれを止めるテープ。


注目されること
間違いなし汗



ママたちは
気になっていそうな視線。

でも
何も聞かれませんでした。



私も

話した方がいいのかしら
とか

話したら
重いと思われちゃうのかしら
とか

気の毒と思われるのかなぁ
とか

アレコレ考えて
何も話せず。



お互い
何か物がつかえた感じの
空気が流れていましたもやもや




そんな時
ある子が

「ここお怪我したの?」

って聞いてくれました。


管を固定するために
ほっぺに貼っていた
テープを指さして。


それが
話をするきっかけにキラキラ



それからは
周りのママたちも
気軽に質問してくれたりして

私も気軽に話すことが
できるようになりました。



子どもの純粋さに
に救われたできごとであり

大切なことに
気づかされたできごとでした。



この経験に
勇気づけられて


その後
スイミングに通うようになったり
幼稚園へ通うようになっても

余計な不安をもたずに
新しい生活を
スタートできるように。



もちろん
右脇からおへそ辺りまでの
大きな傷や

お腹の管(腸ろう)のことも
昨日の投稿をご覧ください
子どもたちの目に留まります。


「これ何?」
って聞いてくれて

その都度説明をすると

「ふーん
 よくわからなけど
 大事なものなんだね」

と理解をしてくれました。




子どもは
心に浮かんだ疑問を
素直に表現できる。

そこには
邪念はなくて
純粋さだけ。

だから
こちらも
素直に答えられる。



自分を開示することで
コミュニケーションが
より上手くいくハート


それを身をもって
感じました。





それなのに
私たち大人ときたら
育つ過程のなかで

そういうことは聞くもんじゃない

などと
周りの大人に注意されたりして

気にはなるけど

聞いたら悪いのかな?
なんて

気をまわし過ぎちゃったりしてあせ①


それが積み重なると
お互いのことを
思い込みで決めつけたりして

表面的な付き合いになったり

気を遣って疲れたり

聞かれたことを
素直に受け取れず
何か思惑があるのでは・・・
なんて勘ぐってみたり

こう言ったら
どう思われるのだろうと
言葉を飲み込んでしまったり

誤解をしていさかいになったり



いつからか
いろいろなものを
身につけてしまって
大事なことを
見失っているなぁと

改めて気づきましたaya





このブログで
自分のプライベートのこと
特に内面のことを書いているのは

実はこっ恥ずかしいのデステヘ


でも
書く中で気づきを
たくさん得たし

読んでくださっているあなたの
何か気づきになることがあれば
嬉しいなぁ笑顔(色無し)

という思いもあるので
書いています。


それでもやっぱり
こっ恥ずかしさは
ぬぐい切れていませんaya



それでも
書き続けていられるのは

「そのままを理解する」

子どもたちに
救われた経験から
勇気をもらっていることも
大きいと

これまた
書いていて気づいちゃいました!!



まだまだ続きます

引き続き
おつき合いいただけたら
嬉しいですピンク音符

 

 

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ただいま人生をさかのぼり中♪
生まれた時~ムスコの入院生活
こちらにまとまっています

 


ムスコの病院での
約2年の生活は

そして
命について考えさせられた
時間でした。

その生活から
いよいよ外の世界へ!



一昨日予告しましたが・・・



この退院が
スムーズにいかなかったことを
少し掘り下げてから

次に進むことにしますね!!11



普通に
家で家族3人で生活できることは

幸せなこと
・・・のはず

なのに。





その頃のムスコは

食道と胃をつなぐ
根治術は終えていたものの

生まれてからこのかた

口からものを
食べたり
飲んだり
の経験はほとんど無しごめん

唾液を飲み込むことは
生まれてから
ずっとしてきていたから

ゴックンはできるものの

いろいろな「味」は
未知の世界。

かろうじて麦茶は
飲めるという状態でした。



そのため
自力で100%の栄養を摂ることは
難しく

「腸ろう」という
小腸(だったかな?)に
直接細い管をつないで
  ↑
 つないでとあるけど
 刺さっているだけで
 時々ムスコに抜かれて
 病院へ走ってました(^^;


栄養を注入。





これを

退院までは
病院で看護師さんたちが
やってくださっていたし

退院近くなったら
看護師さんに教えてもらいながら
自分でもやっていました。



手順もバッチリで
家に帰っても心配ないはずぐっじょぶ



でしたが



家ですべてを
自分でやるのかと思ったら

ドキドキでした。





他にも

歩けるようになるかな?
  ↑
 当時
 ほんの2,3歩歩ける程度

食べられるようになるかな?
どんなところで遊ぼうか?
友だちできるかな?
どんな風に思われるかな?
  ↑
 退院後もしばらくは
 鼻に管が入っていました




「病院」という

何かあったら対応してもらえる

○○歳の平均的な成長ではなく
その子の成長を見守ってもらえる

安心で守られた場から
一歩を踏み出すのは

本人以上に
親たちが不安でした。




3回の手術では
親の緊張を気取られず
予定通りいったのに

退院は延期に。

平静を装っていたけれど
ムスコにはバレていたようですあせ①



二度目の退院予定の日には
無事退院できて

新しい生活が始まりましたキラキラ





こう振り返ると

これも私によくあった

1回目はダメだけど
2回目はうまくいく
パターンだと

気づきました汗



小学生のころ習っていた
ピアノのグレードテスト

大学受験

英検の二次試験(面接)

テニスの試合
などなど・・・



よくわからないこと
かつ
ハードルが高そう
と思っていること

に対して

不安が膨れ上がって
動けなくなったり
動揺するあせ①



2回目は
様子がわかるので
見通しが立って
準備を進められたり
リラックスできる。




これって
ついこの間まで
この傾向があったなぁ汗

そして
「私ってこういうパターン
なんだよね」
って

十八番にしていたくらい。
  
 今でも顔を出すこと
 あります

 

 

 

 

まさか
ムスコの退院も
このパターンを
無意識にはめていたとは!!

 

 

次からこそはaya
退院後の生活をつづります。

おつき合いいただけたら
嬉しいですピンク音符

 

 

ムスコの入院生活までの様子はこちらにまとまっています

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鈴木知美です




 

ここまで
ムスコの入院生活のことを
つづってきました。

悩まないことが悩み
に感じていたくらい

人生において
大きな波がなかった私にとって


ムスコが先天異常をもって
生まれたことは

人生の転機となりました。


昨日の
入院期間中に一番考えさせられたこと
でつづったように

「命」に直面し

自分の
これまでの人生
これからの人生について

考えました。



それほどのできごとだったけど

やっぱり
大きく悩んだり
落ち込んだりは
していなかった

そう思うと

周りの人に支えられていたことが
大きいのですが

起きたことに対して

ジタバタしてもしょうがない
なるようになる
成り行きに任せるしかない

といった

現実を受け入れることが
わりとできる性格だったのかもビックリマーク

(注)自分のこと以外aya

ということに気づきました。



「人生の転機」と
タイトルをつけてはいるけれど
この時は
そうは思っていなかった私(^^;


でも
間違いなく
この時のことが
今の私につながっている。


面舵(おもかじ)いっぱい!


人生の進行方向が
切り替わっていきます。


あなたの転機

どんなことでしたか?



さかのぼりの
後半に入る前に

ここまでをまとめますね!!11

 

 

第1章*小さい頃

第0話 今日からリスタート!
⇒なぜ人生をさかのぼろうと思ったのか
第1話 義務教育まで【1】~期待はずれからのスタート
⇒特に何も考えてなかった平々凡々幼少期
第2話 義務教育まで【2】~ゆるーく、しつけは厳しく
⇒しつけの厳しい両親と姉と私と
第3話 義務教育まで【3】~フットワークの軽さは母譲り
⇒万年色黒だったのは・・・
第4話 義務教育まで【4】~外も好き。でも家の中も好き
⇒ものづくりが好きな素地
第5話 義務教育まで【5】~つい最近まで思い込んでいたことの発端
⇒絵を描くのが苦手を深堀り
第6話 義務教育まで【6】~怒られるようなことをしちゃいけない
⇒目立たないように目立たないように・・・
第7話 義務教育まで【7】~姉と同じが安心だった
⇒おさがりばかりは嫌と思う一方で
第8話 義務教育まで【8】~目立たないように、の小心者が気がつけば・・・
⇒ビビりが思わぬことに

 

第2章*高校大学時代

第9話 変化の兆し【1】~でも根っこはマジメ
⇒高校生活-世界が広がって自由に
第10話 変化の兆し【2】~試合が怖い?その1
⇒思うようなプレーができなくなった
第11話 変化の兆し【3】~試合が怖い?その2
⇒その先の未来がわからないと足がすくんでしまう
第12話 変化の兆し【4】~ザ・昭和の青春
⇒泥臭く、汗臭く応援団
第13話 変化の兆し【5】私は何者?「その他」?
⇒いい経験だったけど、もう一回はしたくない
第14話 好奇心が花開くころ【1】~A型であることが嫌だった
⇒名付けて血液型改造計画
第15話 好奇心が花開くころ【2】~美味しいものにはキケンが潜んでいる-その1-
⇒ブログを書きながら寝落ち。寝覚めに思い出したこと
第16話 好奇心が花開くころ【3】~美味しいものにはキケンが潜んでいる-その2-
⇒思い出ランキング圏外の思い出は実は・・・
第17話 好奇心が花開くころ【4】~視界が開けた感覚
⇒大人だって好奇心を広げていい
第18話 好奇心が花開くころ【5】~高額時給以上のギフト
⇒アルバイトで得たものはプライスレス

 

第3章*教員時代

第19話 根っこが全開【1】~幻想が崩れた日

⇒進路を決めたころに思い描いていたイメージとは違う学校へ赴任 

第20話 根っこが全開【2】~自分でもびっくり!こんな一面があったとは・・・

⇒繊細だとは思っていなかったのに・・・

第21話 根っこが全開【3】~公明正大に磨きをかけていたころ

⇒気持ちよりルールが先行 

第22話 根っこが全開【4】~誰の気持ちにも気づけない

⇒真面目にやっている子の気持ちも見えてなかった 

第23話 根っこが全開【5】~人に弱いところを見せられない

⇒プライドばかりが高いめんどうなヤツ

第24話 根っこが全開【6】~悩まないのが悩み

⇒何を言われてもネガティブに

第25話 根っこが全開【7】~ぐちゃぐちゃな私を救ったもの

⇒学生時代に一度断念したことを再開

第26話 根っこが全開【8】~もがくのはやめよう 

⇒自然を前にしたら自分の悩みなんてちっぽけ

第27話 根っこが全開【9】~揺り戻し-白黒はっきりせい!

⇒気持ちよりルール再び

 

第4章*面舵いっぱい

第28話 人生の転機【1】~初めてなもので・・・

⇒「こんなものだ」と思っていたら長期入院に

第29話 人生の転機【2】~人生で一番長かった日

⇒気持ちも状況もめまぐるしく変化

第30話 人生の転機【3】~ギフト

⇒小さくも生きようとしている子どもたちからもらったもの

第31話 人生の転機【4】~かけがえのない2年間

⇒病気で生まれてくれてありがとう

第32話 人生の転機【5】~淡々と病院通いできたのは

⇒様々な条件とたくさんの人がいたからこそ

第33話 人生の転機【6】~入院生活を淡々と過ごせたもうひとつの理由

⇒ひとつ屋根の下で過ごした仲間

第34話 人生の転機【7】~入院期間中に一番考えさせられたこと

⇒これまでの人生とこれからの人生と

 

 *こぼれ話編*

こぼれ話【1】~書き始めてわかった心の動き
⇒書くのは苦手から楽しくなってきた
こぼれ話【2】~シンクロしすぎて鳥肌が立っちゃった
⇒いろいろなことが次々にはまっていく

こぼれ話【3】~ぶっつけ本番で生きているから

⇒あのころの自分にシェアしたいメッセージ

 

 

 

明日からは
未知の世界での生活が

始まります。

 

 

引き続き

おつき合いいただけると

嬉しいですピンク音符

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ただいま人生をさかのぼり中♪
生まれた時~教員時代
こちらにまとまっています

 



昨日は
書いている最中に
11年前のことと
最近知ったことが
つながって大興奮(^^;

「仲間」の存在
勇気づけられていたことを
書きました。



淡々と病院へ通い
そして
楽しく面会時間を過ごせた
記憶がほとんどですが

この入院中は
命に向き合い
考えさせられた時間

でもありました。



生まれるとき

食道をつなぐための
手術に向けて
食道を少しずつ
伸ばす処置をしていて
アクシデントが起きたとき

1回目の根治術で
原因不明の血圧低下に
手術を最後までできなかったとき

小さなお友だちが
天国へ旅立ったとき

2回目の根治術後
何日も眠り続けていたとき。




生きていることが
どんなに幸せハートなことか



やれ
○○が足りない
だの

やれ
△△だったらよかったのに
だの

やれ
□□がうらやましい
だの

言ったり
思ったりしていた
自分のちっちゃいことビックリマーク



ムスコだけでなく
小さな体で
生きようと
闘っている子たちは

強いなぁキラキラ

と。



あんなに長い時間の
全身麻酔

あんなに大きな傷

あんなに痛い治療

  ・
  ・
  ・

「子どもは痛みに鈍感なのよ」

って先生はおっしゃっていたけど

いやいや
子どもだってきついよなぁ



それでも
弱音を吐かない姿に

力をもらっていたのは
大人の私たちでした。






ムスコの入院中のさかのぼりは
ここまでにします。


退院日が決まって
外泊をして
家での生活の練習を始めたら

ムスコが熱を出して
退院延期に・・・

親たちの緊張が
バレバレだったようですあせ①



次からは
退院後の生活をつづりますね。



引き続き
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昨日は

ムスコの入院期間中
落ち込んだりせずに
淡々と過ごせていた理由
つづりました。

子育ては
一人で抱えるものではない

ということを
意識することなく
自然と状況がそうなっていました。



これが
「意識することなく」
だったから逆に
退院後
ドツボにはまることにあせ①


それはまた別の章で
出てくることになります。




 

今日はもう少し
入院中のことをつづりますね。


淡々と過ごせていた理由が
もう1つ。


それは同室の仲間がいたからキラキラ



一般病棟に移ってからは
感染症にかかった時以外
同じ部屋にいました。

203号室。


ほんの数日
ご一緒しただけの子も
いますが

ほぼほぼ
一緒に過ごした子も
います。


そうなると
203号室は
1つの家のよう。

我が子同然のような感覚

を持っていました。



誰かのオペが決まると

無事予定通りできるように
願いつつ

ママパパが
いつもと変わりなく
過ごせるような雰囲気にするとか
  
 これ、親がドキドキしていると
 子どもが察するのか
 熱を出したりして
 延期になることがあるのデス



状態が落ちているときには
お互い話を聞いてもらうとか


退院が決まると
一緒に喜ぶとか
  ・
  ・
  ・


他の人が前進していることって
「うらやましいなぁ」
って思いそうなものだけど

我が子のように思っていたから
みんなで喜んでいました。



そんなだから
自分が体調を崩して
面会に行けない時も

ムスコには
ママがたくさんいて
安心して
体を休めることができましたハート





ここまで書いてきて
ピピっときちゃった( *´艸`)


それは野田玲奈ちゃんの
セッションで
伝えてもらったこと。


今生(現世)のテーマは

「仲間とワチャワチャすること」


職人気質で

過去生には

山奥で畑を耕す農民

サグラダ・ファミリア建築に
携わる職人

だった私。

一人でコツコツタイプなのだけど
今生は
「仲間と」

を選んで生まれてきたのだそう。



うわ~

203号室の仲間と
喜びも悲しみも
分かち合ってきたのは

そういうことだったのね~!!11



この時一緒に過ごした仲間とは
今も連絡を取り合っているし

その中の1人とは
一緒に活動をしている!!14


このブログを書いてなかったら
気づかなかったこと


またもや鳥肌!!




しかも
書き始めた時はこの展開
全く予定していませんでした汗



「ピピっと」
のくだりを書く前に

ちょっとトイレaya

その時に
ピピっときちゃいましたひらめき



朝から
ひとりで興奮していて
ごめんなさーいplease


明日に続きます

あきれず
おつき合いいただけたら
嬉しいですピンク音符

 

 

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鈴木知美です

 

 

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昨日
ムスコが生まれてからの
2年間の入院生活を

「かけがえのないもの」

と書いたり

ムスコに
「病気で生まれてくれて
 ありがとう」
と言っていることを

書きました。



ここだけ切り取ると

何だか

「鈴木さんって、できた人」

のように
思われるかもしれませんね。



でも、それは

「今」

だから
思えたり、書けたり
していますが、

当時は

「はやく食道が
 つながりますように」

という気持ちだけ。


目の前にある
治療と子どもの成長にだけ
関心がありました。



たくさんのギフトを
もらっていることに
気づくのは

まだまだ先のことです汗





しかも

面会時間は
14時~21時


それ以外の時間は
病院にお任せしきって

睡眠バッチリ


なので
夜泣きに悩まされる経験は
していません(^^;


といった具合に
世のお母さんの悩みを
知らずに過ごしました
汗



あ、でもね
母親らしいことも
してましたよ。
一応書いておきますaya

搾乳。

赤ちゃんがお腹がすく
大体のサイクルで
していたので

夜な夜な
起きては搾乳。

家には搾乳器の音が
響いていました。

ウィーン
プシュー
って。





ひたすら
毎日病院との往復。


その毎日の生活が
落ち込んだり
悩んだりせずに

淡々とできたのは


事前にある程度わかっていて
覚悟をできていたこと

第一子だったので
一般的な育児を知らなかったこと
(いい意味で
 「こういうもんだ」と
 思っていたこと)

育休明けには復帰して
仕事する気満々だったから
実家の近くに引っ越しを
決めていたこと
(姉が親と同居なので
 近くにいて心強かった)

結果
搬送された病院が
自宅の近くになったこと

八王子小児病院の
先生や看護師さんたちが
とても誠実で
子どものケアだけでなく
親の気持ちにも
寄り添ってくださっていたこと

友だち
元同僚
現同僚
幼なじみ
親戚
そして
教え子も

ムスコの誕生を喜び
病気を気にかけて
くださっていたこと

 ・
 ・
 ・

様々な条件と
たくさんの人の気持ちに
勇気をもらっていた
からだと
思います。



当時
もちろん感謝の気持ちで
いっぱいでしたが

改めて
こうやって書くとで
日々雑多なことに追われて
忘れていたことに
気づきました!!14



改めまして
みなさま
ありがとうございました!!!!!

 

 

 

教員時代までの様子はこちらにまとまっています

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ムスコが生まれてすぐに
別々の病院に入院

他の赤ちゃんたちの声に
何とも言えない感情に
襲われたものの

ムスコに面会しに行ったときの
小さな子どもたちの
生へのエネルギーに
力をもらって

母としての自覚と覚悟という
ギフトをもらった昨日でした。



ここからは
約2年に及ぶ
ムスコの病院暮らしを

つづります。



「2年も!!!!!」

って思いましたか?


もしかして
食道閉鎖症のお子さんの
ママさん、パパさんの
目に留まったら


衝撃的だったかもしれませんね汗




でも、ちょっと待って!!


そこで絶望的には
ならないで欲しいのです。




 

というのも

ムスコの病気や
病院暮らしから
もらったギフトは
ものすごーーーく
大きなものだったから。






この2年がなかったら
今の私はいない
と言ってもいいくらいです!!14





それまでの私は
教員でした。

ムスコが生まれたばかりの頃も
職業は教員。

産休・育休を取って
復帰する気満々。

まあ、最長3歳まで
育休は取れるから
それまでには・・・

そんな風に思っていました。


教員時代のこと
読んでいただいたように
思考や発想は硬く
視野は狭い私が

いろいろなことに
気づき
変わりました。

 


たぶん元同僚の人たちは
驚くと思いますaya




あ、
約2年だったことも
説明が必要ですね汗


先天性食道閉鎖症のことを
書いた過去記事
食道閉鎖の型の説明をしたように

ムスコはA型。


その中でも
「ロングギャップ」
と言われる

口から続いている食道と
胃とつながっている食道との
離れっぷりが大きいタイプ。


つまり
食道同士をつなぐためには
時間がかかってしまう
タイプだったからです。



ちなみみに
他のタイプだと
長さが十分にあることが多いので

生後すぐにでも
食道同士をつなぐことができる。


でも
長さが十分でなければ

成長を待って
となったりして

同じ病名
同じ型でも

一人ひとり違うのです。 



この

「一人ひとり違う」

は、入院期間中
本当に実感したことです。



この実感は
この先にも登場予定ピンク音符





・・・で
話を戻しますね笑


食道閉鎖症(A型)は

ツバを飲み込んでも
胃までいかない
 ↓
唾液で溺れてしまう

ので
食道に溜まった唾液を
常時
吸い上げることが必要なのです。


これは家ではできないので
病院で。



ということで
食道同士をつないで
安定するまで
約2年の入院だったのです。





そんな2年の病院暮らしが
始まったわけですが

この普通とは違う
  
 何が普通か
 というのもあるけれど・・・


子育てのスタートは

みんなと同じ
枠にはめる
公平平等が大切

そんな教員気質の私の
    ↑
 すべての教員が
 そうではないけれど・・・

 
認識を改める
きっかけを与えてくれました。
 
 
 
平均的な子育てをしていたら

やれ
体重が

やれ
身長が

やれ
あれができない
これができた


一喜一憂
振り回されて

大切なことを
見失っていたかもしれないなぁあせ①


そう思うのです。


ムスコには

「病気で生まれてくれて
 ありがとう」


って心の底から言っています。


最近のムスコは

「母ちゃんはそうかもしれない
 けど
 オレは毎年の検査
 キツイんだけどねギザギザ

汗

 

そう本音を言ってくれるのも
含めて

私にとってのギフトです。




明日は何のエピソードを
書こうかな…


引き続き
おつき合いいただけましたら
嬉しいですピンク音符

 

 

教員時代までの様子はこちらにまとまっています

おはようございます音符

親子の宝物に気づき
幸せなライフワークを実現する

ハンデをもつ子のママ専門
ナビゲーター@八王子・多摩の

鈴木知美です

 

 

ただいま人生をさかのぼり中♪
生まれた時~教員時代
こちらにまとまっています



昨日は

退屈だなぁ・・・
と過ごしていた入院生活が一変

予定日より1か月以上早く
ムスコが生まれました。

自分の中で
様々な感情が入り乱れた
人生で一番長かった日

あの日は
余裕がなかったけれど

落ち着いたとき

子どもが一人生まれることの
尊さをかみしめました。




今日からは
先天性食道閉鎖症の
ムスコが
どんな風に育っていったのか

私や周りの大人が
どんなことを思い、感じたのか

つづっていきますね♪






食道閉鎖症で生まれた子の

ママさん
パパさん
きょうだいさん
おじいちゃん
おばあちゃんの

お役に立てたら
嬉しいですピンク音符



気が付けば
10年以上前のこと

記憶が曖昧だったり
医療技術は進んでいたりで

今とは合わないことも
あるかもしれません。

そこはご容赦くださいませplease





ムスコは小児病院へ
母はそのまま大学病院に。

そこから
私のミッションが始まります。

それは
母乳を絞って届けること。



私の場合
赤ちゃんが泣いたら
新生児室へ

とはいかないので

時間ごとに搾乳することに。




使命に燃えていたメラメラはずの私。


授乳室の片隅にある
搾乳器を使い始めたとき

新生児室から聞こえる
赤ちゃんの泣く声を聞いて

同じタイミングで
授乳をする母子を見て

何とも言えない感情が
あふれ出ました。



幼いころから
たいていのことに

「そういうもんだ」

と思って

感情の起伏が
あまりなかったので

自分でもびっくりびっくり



「胸が張り裂けそう」

とは
こういうことか、と
30代半ばにして知りました汗



その後は
看護師さんがご配慮くださり

人の少ない時間を
見計らって
せっせと搾乳しました。



初めのいくつかは
冷凍母乳を姉に届けてもらい

3日目だったか4日目には
病院へ届けがてら
ムスコに会いに外出。


手術後でもあったので

鼻に
口に
手に
胸に
お腹に
脚に

管やらセンサーが
つながっていて
パッと見
痛々しい・・・ごめん


でも
周りの子たちも含め

NICUにいる子たちの
生きようとするエネルギーキラキラ
小さな体から伝わってきました。


その姿を見たら

いつまでも
入院なんぞしていられない!!

とばかりに

先生に
「早く退院させてー!!」
と言ってました。


「貧血の状態が回復したら」

という条件が出され

毎晩の夜食に出るレバーを
鼻をつまみながら食べましたaya


母は強し

というけれど本当だなぁ、と
これまた実感するのでした。



これって
女性が元々強いのではなくて

子どもたちに
母として
強くしてもらっている
んだなぁ

と思うのです。



これぞギフト



この後も
たくさんのギフトを
もらうことに・・・




お読みいただき

ありがとうございました!!11

引き続き
おつき合いいただけたら
嬉しいですピンク音符

 

 

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ただいま人生をさかのぼり中♪
生まれた時~教員時代
こちらにまとまっています

 


産休に入ってすぐの入院で
トイレ以外は
自由に歩くことができない生活。

ベビー用品の準備が
できていなかったことに
不安と焦りがある一方

医療連携の段取りは万端

「体重は2200gくらいだから
いつ生まれても大丈夫」
と言われていて

赤ちゃんの心配は
不思議としていなかった

何もかもが初めて
妊婦生活でした。



ベッドの上で
点滴、モニタチェック

そして
時々、診察

「はぁ…
これが2か月近く続くのか・・・」

そんな単調な毎日が
激動の毎日に変わります。



ある朝
いつものモニタチェックを
していたときのこと・・・



このモニタチェック

10~20分くらい
お腹にセンサーを当てて
子宮の収縮や
赤ちゃんの心拍を測るもの
グラフ

あわせて
赤ちゃんが動いたら
ボタンを押して

おなかの赤ちゃんの状態を
見るものです。




いつものように
テレビを見ながら・・・

時間になって
看護師さんが来たときのこと



「あれ?胎動なかった?」

「ああ、そういえば・・・」

「じゃあもう少し見てみましょう」

で、またしばらく。


再び
看護師さんが来るまでに
胎動はありませんでした。



「最後に胎動を感じたのはいつ?」

「う~んいつだろう・・・
 昨日の夜まで記憶にあるけど
 そのあとは覚えてません」



そんなやりとりをして
先生の診察を受けることに・・・



エコーで見ながら
マッサージ器のようなもので
お腹をブルブルさせても
動く気配なしあせ①



「スタミナが落ちてるね」
と先生。

「スタミナが切れる前に
取り出そう」

と、急遽
その日の午後に
帝王切開が決まりましたビックリマーク





それからは
病室に戻って
あわただしく準備開始。



・・・のはずが

私は突然のことに

「赤ちゃん死んじゃうの?」
「お願いだから生きてて!」

いろいろな気持ちが
次から次へと
めぐって

布団にもぐって
泣いてしまいました号泣



看護師さんたちは
急なオペの準備をするために

「ご家族に連絡しますね
 誰にしますか?」
「お腹を空にするために
 浣腸します」
「術前の説明は◯時から」

と次々に。



そしてある看護師さんには

「あなたよりもっと大変な人も
いるのよ。」

と。

この言葉はキツかった。

辛さや悲しみは
人と比べるものではないのに・・・



でも、
おかげさまで
このひと言は
その後の私の
行動指針の1つになっていますぐっじょぶ




そんなこんなで
ひとしきり泣いたら

私がこんなじゃ
赤ちゃん頑張れない

しっかりしなきゃメラメラ

と腹をくくりました。



同じ病室で
帝王切開をする人の様子を
見てきたので

どんな段取りか

だいたいわかっていたものの



緊急だから

前もってできることが
できなかったりごめん

選べることが選べなかったりごめん



何よりも
残念だったのは

メスの入れ方。

お隣のベッドにいた人から

お腹を縦に切るか
横に切るか
希望を聞かれた

という話を聞いていたのに

術前説明の絵は
すでに縦の線が
引かれていましたshokopon

縦に切ったら
ビキニ着られないじゃーん!!
って。

ダイバーの私にとっては
かなり重要なこと。


そして
あんなに泣いたのに
数時間後には
こんなことを考えるほどケロリ

立ち直りの早い私でしたaya

 

 



午後3時前
手術室に向かい

まな板の鯉まな板の鯉状態に。



その時には
八王子小児病院の
ドクターも駆けつけて

「準備は整っているので
大丈夫ですよ」

と声をかけてくださいました感感謝



11月16日
午後3時28分

そう
12年前の今日

弱々しいけど
泣き声が聞こえてきました。



無事生まれてくれて
ありがとう
!!



体を固定されたまま
涙もぬぐえず大号泣号泣



すぐに
状態をチェック虫眼鏡

やはり見立て通り
先天性食道閉鎖症
でした。
  

 先天性食道閉鎖症

 については

 過去記事矢印

 説明していました。


看護師さんが
私の顔の近くに
ムスコを見せにきてくださり







細い小さな手と
がっちり
固い握手握手をして
別れました。





・・・とここで
終りたいところですが滑る



感動の対面後

お腹を閉じるとき
ハプニング発生ビックリマーク

手術が一時中断されました。



感動に浸っているのも
醒めちゃうくらい

何だか
コントのようで
笑えてきました笑



ドクターカーを追いかけて
八王子小児病院へ行った
オットさんと

その間実家で待っていた姉が

夕方
ムスコの写真を届けてくれ



エコー画像で見立てていた
2200gよりずっと小さかったこと。
  ↑
 頭の大きさと
 大腿骨の大きさから算出
 うちのオットさん
 頭が大きくて(^^;


先天性食道閉鎖症のA型であること

翌日
口から摂れない栄養を
体内に取り込むための
胃ろうを造る手術をすること

治療の方針

などなど

知らせてくれました。



1日のうちに
山あり谷あり笑いあり

人生で一番長かった日でした。



しばらくは
ムスコの病院暮らしが
続きます。
人生の転機【3】~ギフト


引き続き
おつき合いいただけたら
嬉しいですピンク音符


先天性食道閉鎖症のことは
このブログに書いていました。

 

 

 

教員時代までの様子はこちらにまとまっています