最近、高校生の我が家での息子ちんのあだ名が
「ジャックナイフ」に変わった・・・ナイフ

今までは「マイケル」と呼んでいたり、「少年」と呼んでいたりしたものだが・・・

とにかく高校生になって家族に対する態度が感じ悪い!
ちょっと気に入らないことがあると、
「はぁ?」という人を食ったような感じ悪い返事を返すようになったのだ!わんわん

家族のみんなは大人だから、「思春期だから仕方ないね~」的あたたかな目で息子ちんに接しようとしているのだが・・・
なにしろ何言っても感じ悪い返事が返ってくるものだから、
言われたこちらがグサリときてしまい・・・
自然と息子ちんと関わることをやめ、
放置状態になってしまうのだったクマ

ああ、昔はあんなに可愛かった息子ちんも、こんな風にキツくなってしまうなんて!
こんな取っつきにくくなってしまった息子ちんは・・・
まさに切れ味するどいナイフのようではないか!
懐にジャックナイフを忍ばせておき、「近寄ったら刺すぞ!」的な殺気を感じさせる・・・
一昔前の不良のようだが、まさしく年頃的にもそんな感じなのだ~ブタ

う~む、これほど感じ悪い息子ちんの態度は・・・
ブライアン・アダムスの「Cuts like a knife」って感じだね!音譜



ブライアン・アダムスは、カナダのオンタリオ州出身のシンガーソングライターでプロデューサー、
そしてなぜか今は写真家としても活躍するアーティストである。
1980年代を生きたDanna世代直撃の、”硬派でいてアイドル的要素もある”憧れのアーティストであるドキドキ

幼少期から音楽に親しみ、15歳の頃にはカナダのローカル・ラジオ局のバック・ボーカリストとして働く。
1976年、17才の時にはスウィーニー・トッドというパブ・バンドのボーカリストになり、
「Roxy roller」という曲をカナダ・チャートの1位に送り込む。
約1年でバンドを離脱したアダムスさんは、バンクーバーを中心に活動するドラマー&ソングライターだったジム・ヴァランスと出会う晴れ
後に彼は多くの楽曲をブライアンに提供する名パートナーとなるのだった。

1978年にA&Mと契約したブライアンは、ジムと楽曲制作に励み、、
ついに1980年にアルバム「Bryan Adams」でデビューすることになる。
また、1981年にセカンド・アルバム「You want it You got it」をリリース。
しかし、これらはカナダのチャートで微妙なヒットで終わるのであったぶーぶー

そして、1983年にリリースされたサード・アルバム「Cuts like a knife」でついにブレイクを果たすのだった馬
バラード・シングル「Straight from the heart」が全米チャート10位を記録し、
「This time」も全米チャート24位と健闘
アルバムは全米チャート8位を記録する大ヒットとなったのである。

「Cuts like a knife」はアルバムからのセカンド・シングルである。
ハードなこの曲は、全米チャート15位とヒットし、ブライアンの人気を決定づけたのである星



う~ん、若々しいブライアンがまぶしい・・・

この曲、どう聴いてもサビが「カツラがな~い」と聴こえるのだが・・・ブタ
同じ「カツラがな~い」であっても、ロックウェルの「カツラがな~い」は弱弱しいが・・・
こちらは元気な「カツラがな~い」である!
エイティーズの勢いが詰まった1曲なのであるブタ


まぁ、そんな感じで響きはカッコイイあだ名「ジャックナイフ」・・・
確かお笑いの千原ジュニアも、昔大阪から東京に出てきた頃はジャックナイフと呼ばれていたとか・・・クマ

ツッパリに憧れる年頃というのはDannaにもあったのだが・・・
後で振り返るとカッコつけてただけの気がするわんわん
思春期って本当に嫌ね~パンダ

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