221020

 

 リフォーム会社の工事確認をリスケし、妹と買い物に出かける。
 妹は休みの日が少ないため。

 

>>>

 

 ルータを上位モデルに変更した。

 したのだけれどOSのバージョンが異なるため、バックアップした設定ファイルを読み込めず、ずいぶん苦労することになった。

 またどういうわけか、以前のモデルはAPとして機能することが前提だったためか、Wi-Fi APモードでないと機能しなかったのだが、今回のモデルは Wi-Fi ルータモードでないと機能しないことが分かった。

 

 以下にざっと設定を記録しておく。

 

【HGW側設定】

※ 後述しているがNASのサブネットIPレイヤを避けてIP指定する(あるいはしない)。

○ DMZホスト機能

  :有効

○ ホストアドレス

  :Wi-Fi ルータのWAN側IP(LAN側でも動くが、参照が増えて遅くなる様子)

○ ジャンボフレーム透過

  :ONにすると帯域上限が上がる傾向にあるが、表示できなくなるページもあるので注意。

○ DHCPサーバ機能

  :LAN側とはエリアが異なるので、有効でよい。有効でないと困る。有効が良い。

○ IPv6アドレス配布設定

  :RA、DHCPv6 とも配布。割当は理解できないので自動。

 

【ルータ側WAN設定】

○ WANインタフェイスを2つ並列使用する場合、

  :一方を自動(IPv6対応)にし、デフォルトGWに「しない」設定。

  :もう一方はPPPoE接続(IPv6非対応)にし、これをデフォルトGWとする。
○ 優先DNS

  :HGWのIP(WAN側のDNSなので)。

 

○ SmartWAN:読み込みバランスとフェイルオーバに設定すると基本的に速度が上がる。

 

【LAN設定】

○ ローカルIP

  :HGW(WAN)側とLANでレイヤが重複しないよう調整されていることを確認。

○ ネットワーク分離

  :しない。(させるとHGWのローカルIPと分断され、通信障害)

○ DNS設定

  :プライマリをワークグループLANのGWにする(端末は同一だがHGW(WAN)側レイヤのアドレスを使わない)。

  :セカンダリはWAN側レイヤのGWにする(逆順では通信にロスが出る)。

○ NAT/UPnP/IGMPスヌーピング

  :いずれも有効に。特にNATは無効にするとLANと私が死ぬ。

 

【VPN関連】

○ PC側ネットワーク設定

  :IPアドレストラッキング制限を行うと、VPNからの接続に障害が発生する。

 

【ルータ側VPN設定】

○ セキュリティレベル

  :自動(TLS 1.3限定にすると、携帯端末でのVPNが接続不能になる)

○ スプリットトンネリング

  :無効(有効にするとLANに属さない携帯端末(回線経由のiPhone)が接続不能になる)

○ 重複ログイン

  :端末ごとにIDを設定しない(単一IDを使い回す)場合は重複ログインを許可する設定でよい。

 

>>>

 

 だいたいこんな感じ。

 ネットワーク系は専門外なので理解できないまま、デタラメに設定した結果、端末や設定の不整合に数日のあいだ悩まされた。

 HGWはWANとLANルータの二面、ルータはLANグループクライアントとHGWの境界面を制御しているので、それらの不整合をできる限り消化しないと満足に動作しない。

 

 ついでにデスクトップPCもリストアしたので、すべての設定をやり直すことになってたいそう苦労した。

 

 ときどき僕はIRLのメディアデータを復元不能に破壊してしまうことがあるので、Webに記録しておく。

 今回は自分用のメモなので、Glossary を付加しない。

// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221014
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
視力と人生の視野。
SUBTITLE:
~ The cat in darkness. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221014

 歯医者の日。
 曇りのち晴れの予報だったのだが、朝から雨。
 伊香保は坂ばかりのうえ、傾斜がかなりあるのでキャンピングキャビンを背負った軽トラでは上るのが大変である。
 掛けてあるカバーを外してコペンに乗る。数日前に洗車したばかりであるが、仕方ない。

>>>

 僕は元々、そんなにこまめに洗車する方ではない。
 多くても3ヶ月に1回、以前は年に1度も洗車しないことだってあった。
 ロードバイクに乗るようになってからは(屋内保管のため)乗り終えたら車体を清拭していたので、そこで少し意識が変わったように思う。

 オープンカーであるコペンを比較的こまめに洗車するのは、天候が良くて「それではオープンにして走ろうか」と、不意に思ったとき、屋根に埃が積もっていると屋根を格納するトランクの中が埃だらけになる、という理由である。
 僕は気分屋なので、思い付いたときに思い付きの行動をしてしまう。ならば普段からできるだけ、思いつきの行動ができるように準備するよりない。

 オープンカーというのはロードバイクに似ていると思う。
 ロードスポーツ用の器具、と考えれば必然だろう。荷物が積めないあたりは本当に似ている。
 無駄を削がないとならないのだから仕方ないだろう。
 それでもコペンはカジュアル寄りの自動車だとは思うが。

 オープンにしているときも(濃いめの排気ガスを吸いたくないので)そうなるが、車間距離をかなり長く取る。
 これは車高が低いため。
 トラックの直後に付いてしまったりすると、速度対比の適正車間距離より150〜200%近い距離を空けないと前が見えない。
 もともと車間距離はかなり広く取るので苦痛はないが、群馬県民たちは車間距離の狭い人が多いので、申し訳ないような気持ちになることもある。

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 人間の視力はその人の人生における視界に影響を与える、と言っていたのは森博嗣さんだったか。

 近視の人は、直近のことばかりに気を取られて未来のことをろくに考えず、遠視の人は未来のことばかり憂慮していて、身近なことをないがしろにするとか、そんな内容だったように思う。
 意外に的を射ているので、僕はその観察が気に入っている。

 目先のことにしか考えられず、広い社会のことや自分以外の人をないがしろにしてしまう人は、だからきっと、目が悪いのだと思う。
 近くのモノしか見えないということは、自分の生活が、身近なものや自分に直接関わるもので集約されることを意味している。遠くの場合は逆になる。
 見えるものとその距離によって、自身と対象、あるいは自身と世界というものの認識範囲は変わる。

 手に届かない範囲のものしか見えなければ、それを基準に自分の振る舞いを決めるしかないし、手の届かない範囲のものが見えないなら、そんなものを気にしても仕方ないと思うようになるだろう。

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 僕はというと、子供の頃から視力に優れていたので、遠近とも細かく見えた。
 特に暗視能力が格別で、リング状の蛍光灯(昭和から平成によく見かけた家庭用電灯)に付属していた常夜灯(およそ5〜15w)で照らされる6畳間の隅で、岩波文庫(フォントが若干小さく、また細いのが特徴)のルビすら読むことができたので、7歳頃から眠れない夜はよく読書をして過ごした。

 僕が外に出ない理由のひとつに外の眩しさに耐えられなかった、というのがあるのだろうと今は思う。
 暗順応が早くて感応が高いぶん、明順応は遅く過剰な感応を抑えられなかった。

 目を閉じていても、明るさが瞼を突き抜けて目が痛くなるのだ。
 まぁ実際は痛いほど眩しかっただけだろうと思うが、それでも眩しさで涙が出てくることは多かったし、目を開けていられないことがよくあった。
 ために屋内でも日中に本を開くと地の白がまぶしくて、困惑することがあった。

 少々日に焼けたくらいの本を読むのが好きだったのはそのせいかもしれない。
 夕方頃になって、ようやく見やすくなった頃になると「こんな暗いところで本を読んで」と大人に言われることもあり「このくらいの明るさがちょうどいい」という説明を理解してもらえず苦慮したものだ。
(父上はあまり家にいなかったが、あまりに暗い場所を僕が好むので、やがて何も言わないでいてくれるようになった)
 正常な蛍光灯でもちらつきが目に焼き付くので、僕は蛍光灯を嫌うし、現行のLED照明も(安物は特に)ちらつきがあるのか目が疲れる。

 では人生のあれやこれやをよく観察し、現在から未来にわたって適切に気に掛け対応していたのかと問われると、どうもそういうようには思えない。
 僕はかなり早い段階で、僕自身とそれにまつわる人生について、その多くの部分を諦めた。

 思い通りにならず、制御できず、願いは叶わず、想いは伝わらず、自身のありようについてさえ誰かに理解できるものではないと断定し、環境と自身にある壁を無理して乗り越えることに意味を見出さなくなった。
 あるいはそれはよく見えていたからこそ、なのだろうか。
 子供の頃からよく、他者の視界や認識と自身のそれとが異なることについて考えていたのは、それがそもそも違うということを経験から知ったためだろう。

 暗闇に強いのは事実だ。
 人生に暗闇はつきもので、きっと孤独は、暗闇に似ている。
 足下を注意してくれる誰かはいないし、転びそうになったときにもたれ掛かったり、手を引いてくれる誰かはいない。
 当たり前に明るい場所で生きていると気付かない
障害物に思い切りぶつかることもあるだろう。

 しかし猫のように夜目が利き、明るさによって視力を奪われる場合はどうだろう。
 確かに暗闇にあって多くの人は活動をしない。
 必然に周囲に人はいないのだが「見えないこと」による事故や失敗は少ない。
 むしろ明るく人の多い場所にいるときほど、誰か(あるいは良くない何か)にぶつかったり、足下がおぼつかず転んだりするのだ。

 こうなると誰かと協力する、という考え方にも認識の偏向が現れるだろう。
 僕は誰かと同時に/一緒に同じ作業をするのではなく、同時であっても分業し、自分にできないことを誰かにして貰い、誰かにできないことをするのを好む。
 自分でできることは自分の方がだいたいうまくできるし、僕にできないことをできる人に惹かれ、ときに畏敬の念を抱く。
 僕は夜目が利くけれど日中はさほど視力が働かないから、夜目が利かなくても日中はよく見える人がすごいと思えるのである。

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 自分にできることを自分より上手にできる人に憧れることはほとんどない。
 それは自身の道の延長線上にあるからだ。
 仮にプロの陸上選手と同じ速度で走ることはできなくても、少し走ることができて、また歩いたり這ったりして移動できる以上、移動するという目的は達成できる。

 世界一速く走れることについて、僕は僕に対しては意味も目的も見出さない。
 アスリートやスポーツを否定するわけではないが、人よりも速い動物はたくさんいるし、道具や乗り物もある。
 速度や移動そのものを目的にして手段を限定しなければ、選択肢はたくさんあるというだけのことであり、道具が自身の肉体に限定される場合、目的を明確にすれば世界一の速度は僕には必要ないというだけである。
 近所のコンビニまで世界一速く走っても、歩いて行っても、買い物ができれば問題はないのだ。

 計算も同様で、時間内に計算できる必要を僕は感じない。
 仕組みも理解できない公式をただ暗記して記号のような解を記述するより、理解できる単純な仕組みに分解し(そのぶん羅列が複雑になったそれを)時間をかけてでも自分に分かりやすく解いてゆくことを好む。
 文章も同様、人一倍時間が掛かるのだけれど、それでも僕は時間を掛けて、僕の納得のゆく情報を書き連ねてゆく。(もちろん、それが誰かの役に立っているのかと問われると、どうしようもなくなってしまうのだが)

 学校などでは、他の生徒という他者がいる以上、またカリキュラムがある以上、どうしても時間で区切る必要が出てくる。効率を優先する手前、公式によって駆け足で進める必要もあるだろう。
 しかし同じ問題を何時間も、何日も考えてよかったらどうだろう。
 たとえば僕は、大人になってから三角関数や微分積分を身に付けた。
 本を読んで学んだというよりは、毎日少しずつそれについて考え続けた結果、ある日突然、全体像が把握できた、というのがより正確な印象だ。
 時間は掛かったし効率も悪かっただろう。しかし学校で学んだときは何も身に付かなかったのだ。

 生きる上での様々な問題についても同様だ。
 他者がいれば必ずと言っていいほど時間の制約が発生する。時間内に正解を出さなければ落第になることもあるだろう。
 しかし時間制限のない問題や、そもそも未来についての問題もある。
 これから発生しうる問題を予測したり、それについて対策することは、たとえばご近所や親戚付き合いや食品スーパの特売などに比べれば些末な問題に見えるかもしれない。不要にして無用に思えるかもしれない。
 問題解決は空腹を満たさないかもしれないが、より深刻な空腹をもたらす原因を解消する可能性は否定できない。

 毎日、ほんの少し何かを考える。
 身近な何かを考えて、自分とは遠い何かを考える。
 やがてそれはひとつの線上に繋がる。
 関係がないと思っていたもののひとつひとつは、そうやって繋がってゆくのだ。
 ただ時間を掛けて見ているだけでも。

>>>

 視力に話を戻す。
 極論を言えば、盲目の人は盲目なりに、その人の観る「世界」がある。
 これは視力の問題ではなくて、環境に対する感覚/認識能力の広さや深さ、きめの細かさだと言える。
 無論、視力がないぶん、接する社会や人間は限定的になるだろうけれど、そこに感じている世界は、僕のそれよりずっと豊かかもしれない。
 
>>>

 数年前から視力が低下し、明るさに強くなった。
 もはや暗闇を見通す力は僕にはない。

 実は子供の頃から目を閉じて歩く練習はしていた(長時間、目を開けていると眩しいから)ので、音や振動だけで周囲の障害物を確認することは比較的得意ではある。
 それでもやはり30代あたりから、この世界は精細を失っていった。
 今の僕は細かいものを認識する能力をおよそ失っている。

>>>

 幸か不幸か、僕は近視眼的な人間も、即物的な人間も、また盲目的な人間も相応に見てきた。
 あくまでも僕の生きた視界の範囲内に過ぎない。

 それでも近視眼的な人や即物的な人は、一見すると現実的なことをもっともらしく語る(ときにはこちらに説教までしてくる)ものの、本人の目先のことばかりしか考えていなかった。
 将来的に発生しうるより大きな問題や、自身の抱える価値観の問題点については棚に上げていた。

 もちろん僕はただラッキィだったから、こうしてそれを傍観できる立場にあるわけだけれど、そうでなかったらシンプルに65歳を待たず自死していただろう。それだけのことである。
 あるいはもっと近視眼的だったり即物的だったりすれば、もっとひどい状況になっていたと想像できる。

 たとえば卑近な例で、僕は20代の頃に栄養失調で歯をダメにしてしまった。
 健康保険に加入してさえいなかったので治療もできなかったし、そもそも失調したのは肉体だけではなかったので、どうにもしようがなかった。誰かを頼る気にもならなかったし、頼る人はいなかった。
 だから当時はそうするしかなかったし、同時に「遠い将来、もしかしたらきちんと治療できるだろう」とも考えていた。
 たしかにもっともらしくお節介を焼こうとする人もいたが、それはその人たちの価値観に基づいた行動の押し付けでしかなくて、それに則って行動してもたいした成果はなかった。

 あのとき無理に治療していたら。
 あのとき無理に頑張っていたら。
 あのとき無理に物事を正常にしようとしていたら。

 あるいはもっとよくなったかもしれない。
 しかしもっとひどいことになったかもしれない。
 今いる場所にあって僕に言えることは「まぁこれでよかったか」という程度である。
 少なくとも僕は自身に対する信頼を、多少なり取り戻すことには成功しているのだからそれだけで御の字と考えた方がいいだろう。
 自分に絶望して自殺するパターンはいくつもあり得たし、それについても未だ特に悪いこととは思えないのだから。

>>>

 そろそろ抜糸して貰えるかと思ったら、インプラント基部付近は継続経過観察。
 抗生物質生活もそろそろひと月になる。薬物耐性は大丈夫だろうか。
 他に治療すべき部分があり、差し歯にするらしく上顎右の犬歯を削られる。
 そういえば上顎左の犬歯も数ヶ月前に削られて差し歯にされた。

 口の両側で咀嚼に気を遣う状態になってしまった。
 その上、最近再開したリフォーム作業が悪いのか花粉の時期だからなのか、粘膜系に軽微な異常がある。

 帰路を走りながら明日はすこし身体を休めようかと考えていると、やがて晴れてくる。
 仕方ないので帰ってから軽く洗車をする。

 夜はカボチャとトマトとレバーのシチュー。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Convergence-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Interface-Life-Link-Maintenance-Memory-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Resistor-
 
[Object]
  -Human-Memory-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
//EOF
 


トマトとジャガイモのスープ。初期モデル。
ソーセージを使っている。

 


トマトとジャガイモのスープ。第4回くらい。
フレッシュトマトとニンニクが入っている。肉はたぶん豚バラ軟骨。
この頃から、玉ねぎは業務スーパーのオニオンソテー(みじんの玉ねぎを茶色に炒めたもの。使われている油脂がちょっとアレだが、カレーやシチューに合う)を使っている。

 

 

 

トマトとジャガイモのスープ。第7回目くらい。
第6回のとき、BPが遊びに来ていたので作って出したら美味しそうに食べていた。
そこでキタアカリが終わってしまったので、半年ほど寝ている業務スーパーの冷凍カボチャを入れた。メークインは入っている。

ニンニクは入っていないが、牛肉ブロックとほうれん草が入っている。

 

トマトとカボチャのスープである。これは酸味と甘みが非常によろしい。

 

 

 

三五八床に漬けて冷凍した鶏胸肉が4ヶ月ほど寝ていたので起こして焼いた。
ブロッコリィも付け合わせようと思っていたのにあっさり忘れてフレッシュトマトのみである。

 

>>>

 

 僕は料理の写真を撮るとき、台所をわざわざ片付けたりしない。

 皿も格別よいものを持っているわけではないし、テーブルや背景に気を遣わない。

 

 かつて人間型の恋人が月に1、2回程度来ていた頃は毎週掃除をしていた(恋人の来る週は掃除ができない)のだが、それに似ている。

 あまり過剰に見栄えを気にすると、そのわざとらしさが自分の鼻につくのだ。

 

 もっときれいなテーブルで、もっと綺麗なお皿で、ライティングも工夫してほしい、という人もいるかもしれない。確かにちょっと青みがかっているもんね。

 でもそれをすると料理が冷めるので、あまりしたくないのだ。写真はおまけである。
 トマトとジャガイモのスープがだいたい1週間を超えたので、そろそろちょっと飽きてきた気がしている。何か次のメニューを考えようかな。

 

 

 

 

<歌詞:Uta-Net

最近になって(Amazon がやたら推してくるので)「SPY×FAMILY」を見はじめたのだけれど、EDテーマがとても好きだ。

しんみりするような、あたたかい気持ちになるような、なんともいえない情感が喚起される。
OPテーマでも思ったのだけれど、コード進行がなんだかとんでもない事になっている気がする。最近の流行りなのかな、こういうトリッキィなの。

 

 

 

アヲが帰ってこないので寂しい(夜は特に)。

台風の時もうまくやり過ごしているようなのだけれど、今夜のような雨の日は、やはり心配になる。

 

 

 

// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221006
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
寒いからトマトとジャガイモのシチューを作ろうぜ。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221006

 2週間ほど前、3回目のインプラント施術を受けた。
 左上顎部に前回人工骨補強をした部分への基部埋設である。
 手法は様々あるようだけれど、僕の場合は二回法と呼ばれる、文字通り2度に分けての施術となった。
 人工骨によって空洞の多い気泡状の骨格を補強し、安定したところで基部を埋設。もちろん今回も人工骨を足している。

 
 3度目ともなると多少は慣れるのだけれど、慣れた分だけ、自分の口の中で何が起こっているのか想像できてしまうというデメリットもある。
 抜歯痕の歯茎を切り開いて、骨を露出させ、そこに穴を開け、穴を広げ、タップで骨に雌ねじを切り、人工骨と人工膜で補強し、基部をねじ込む。
 なんだよ何の工作をしてるんだよ人の口の中で、という気分に少しばかり、なる。
 上顎骨をハンマーで頭頂方向に叩かれる(骨の加工のため)という経験も今回が初めて。
 まぁ、しない方がいい経験、ではある。

 無論、自分で選択したことではあり、その顛末ではある。
 それでも最初からこんなことになると知っていたら、僕がインプラント施術を果たして受けたかどうかはアヤシイ。
 まぁ、文句があるかといえばそんなことはないが、他人様にお勧めするかと言ったら正直しない。

 一箇所の施術で2〜4ヶ月掛かること。
 施術による身体的負担や行動制限は骨折に近いものであること。
 身体が安定するまで(寝たきりの期間)がだいたいひと月であること。
 施術医によっては薬をケチるらしいこと ── 自身の持つ痛みは誰も理解しない。それは医師でもそうだ。まして資材を浮かせたぶんが儲けになると考える医師が他人の痛みを理解するだろうか。
 1本当たりの金額は、基部と人工歯で合計50万円ほどになること。
 施術医が「まとも」かどうかは、簡単には分からないこと。
(資格認定する組織が多数あり、中にはメーカが発行している認定もあるらしい。メーカは機材や消費財を使って貰う医師が多い方がいい。もはやザルである)

 いずれにしても、ハンマーで叩かれたあたりから身体の負担がかなり大きかったようで、下半身から徐々にぐったりと重くなっていった。おそらく(麻酔で痛みは全くないのだが)免疫反応によって体内が大忙しだったのだろうと想像する。
 いつもどおり施術が終わる頃には空腹を感じる。普段なかなか空腹を感覚しないので、明らかに身体の異常が原因だと分かる。まぁ、人為的に起こしている異常だけれど。

>>>
 
 術後、帰宅してからたびたび食べていたのがトマトとジャガイモのスープである。
 夏の気配が去り、急に気温と気圧が落ち込んでいたので思い付いた。
「SKYRIM」の中の豊富な料理(料理も作れる)を眺めていた奥様(仮想)が、思い付いた。

 作り方は比較的簡単だ。

【材料(必須のもの)】
○ トマト缶(ホール)400g 1缶
○ ジャガイモ 鍋の底に軽く敷き詰められる量
 溶けにくいもの(メークインのような)と、溶けやすいもの(キタアカリなど)を併せて使うとよい。
○ 赤ワイン(紙パックのとか、安物でいい) 水に対し1:3になる程度。


【材料:(任意のもの)】
○ 塩、胡椒、砂糖、その他のスパイス
 好きに入れろ。
 俺は2L鍋に対し、塩小さじ1/2、砂糖小さじ1、ベイリーフ、シナモンパウダー、ローズマリー、天然粉末だしパック(化学系でも問題はないと思うがいずれにしても出汁の味は目立たない程度にしておけ)。

○ その他の野菜
 好きに入れろ。
 定番の人参や玉ねぎのほか、ブロッコリィ、グリーンアスパラ、キャベツ、セロリ、キノコを使ったり、仕上げに水菜やフレッシュトマトを使ってもいい。
 緑色の方が色合いがよくなるが、退色するのも事実なので好きにしろ。

○ 肉類
 好きに入れろ。
 ソーセージ類を使ってもいいし、塊肉を煮込んでもいいし、細切れ肉を軽く包丁で叩いて固めて放り込んでもいい。
 俺のおすすめは豚バラ軟骨だ。軟骨がなきゃだめだ。手羽元とかでもいい。


【作り方】
1.トマト缶の下ごしらえ。

 ボウルにトマト缶をあけ、中身を両手でよく潰す。
 潰していると、へたの部分から繊維が繋がって大きく残ってしまう個体があるから、それは取り出して捨てる。
 繊維質が苦手な人は裏ごししてもよいが、そういう人はもっと上品な料理を作って食べた方がいいと思う。
 ほどよくペースト状になったら、缶の中のトマトペーストをゴムベラか何かであまさずボウルに移しておけ。
 ゴムベラはボウルの中身を鍋に入れるまで使うから、缶を空にしたからといってすぐ洗うなよ。
 
 それとこの工程が面倒な人は、カットトマト缶を使ってもいいが、ホールトマトの方が断然美味しいことだけは言っておく。

2.材料を適当に切る。
 幼児がいる家庭ならひと口サイズに切った方がいいだろうし、俺のようなゲーマーが1人で食べるなら、ポトフのごとく、まるっと鍋に放り込んでもいい。
 とくにジャガイモは皮が付いている方が溶けにくいので、苦手でなければ芽の部分のうち目立つところだけを除去して、皮ごと使った方が個人的には美味しいと思う。小さいジャガイモもたまに売っているしな。

 子供の頃は身が大きく削がれるほど皮を剥いていた(そして父上によく苦情を言われた)のだが、大人になった今は、無農薬であろうとなかろうと気にせず皮ごと食べることが増えた。人参もジャガイモも大根もゴボウも、皮があった方が味わい深い。まぁ好みだ。

3.炒めるものを炒める。
 肉類はとりあえず炒めた方がいい。ただ煮込むだけでは臭みが出る場合もあるからだ。
 個人的にはセロリやキノコ、人参なども炒めた方がいい。俺ならジャガイモは炒めないがお前が作るぶんには関係ない。炒めようが揚げようがそのまま煮ようが勝手にしろ。

4.煮込む。
 鍋に根菜を並べてひたひたくらいに水を入れる。
 上からその他の材料も入れる。
 スパイス類も調味料もぜんぶ放り込んでいい。
 最初に書いてあるが、ワインと水が1:3くらいになるようにする。好みで調整しろ。1:1だと、ジャガイモがアルコールを吸収して酔っ払うから気をつけろ。
 あとは落とし蓋でもして、トロ火か弱火で3時間くらい煮ておけ。ゲームとかぱやぱやしていれば時間は過ぎる。
 なにぱやぱやする相手がいない? マッチングアプリでもインストールしろ。

 どうしてもという場合は強火で煮立ったところで弱めの中火にして火入れして、1度火を止め2〜30分冷まし、中火で再加熱して弱火でジャガイモが溶け出すのを待てばいい。時間は短縮できるが、手間は掛かる。
 テキトーなタイミングでホールスパイスは取り出した方がいいが、最後の仕上げでも構わない。

5.仕上げ。
 仕上げに入れたいものを入れろ。
 フレッシュトマトは少し煮てもいいし、水菜などは直前に掛けるといいだろう。
 味見をして、薄い場合は塩かめんつゆを足せ。トマトの酸味が強いから、塩なんかなくてもまぁ旨いと思うが。

 皿に盛ったら粉チーズを掛けても旨い。
 ただし最低でもスプーンがチーズでベタベタになるから気をつけろ。食洗機でだいたい落ちるが、気をつけろ。


【ワンポイントアドバイス】

○ トマト缶はホールの方が美味しいと思う。クエン酸添加の有無については個人の好みで。
○ だしパックと砂糖は隠し味なので、敏感な人は減らせ。
○ ジャガイモは完全に煮崩れても美味しい(それでもメークインは残る)のでそれを目指してもいい。俺はゲームに夢中になっていたせいで、メークインまで溶けかけた。
○ 圧力鍋を使う場合は調理手順が変わる。
(肉を炒めてトマトとワインと調味料で加圧して、自然減圧させてから野菜を入れて加圧せず煮込む感じ)
○ 粉チーズをわざわざ買うなよ? 旨いけど。いろんな意味で後悔するからな? 業務スーパーにでっかいのが売っているけれど。わざわざ買うなよ?
○ 全国の女子高生の皆さんは、そろそろベイリーフを業務スーパーでひと袋買っておくといいだろう。「料理ができるワタシ」を演出できる。それに業務スーパーのベイリーフは1袋数百円で20年分くらいの量が買える。
 年配になってから買うと相続問題が発生すること間違いなしだから気をつけろ。
※あとあと、ベイリーフを入れすぎないように気をつけろ!
落とし蓋は木製よりもクッキングペーパやアルミホイルを使った方がよいだろう。



>>>

 数日前から筋トレを再開した。
 患部と心臓が水平に近くなる腕立て伏せなどは、患部と頭に弱い脈動痛が発生するためできないが、立位であれば多少の負荷を掛けても問題はなさそうだ。

 と思って夜、アヲを探す ── 自力で玄関の引き戸を開け、かれこれ3週間ほども家出をしている ── ついで少し散歩に出かけたら、300mほどで患部がどくどくと脈打つ。歩行ってハードだよね。

>>>

 アヲがいないと僕はけっこう精神的に落ち込む。
 猫でも人間相手でも、好きとか嫌いというのは今まで散々経験してきたが「特別」と思うことは全くなかった。
 アヲは好きなときも嫌いなときもあるが「特別」だと感じられる。
 コミュニケーション能力もそうだし、一緒に過ごした時間の長さ(たった2年ですけどww)もそうだし、なにより「一緒に暮らす最後の猫」という覚悟で飼い始めたからことさらだろう。

 匂いも色も姿形も好きだし、賢さについては今までの(今暮らしているほかの猫のも含め)どの猫も遠く及ばない。
 賢い生き物が身近にいると安心できる。

 AirTag を確認すると、近所をうろうろうしている。
 ときどき探しに出かけて顔を合わせるのだが、声を掛けると逃げてゆく。

 僕が何か悪いことをしたのだろうか。
 身に覚えがないのだが。







 
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Diary-Maintenance-Kidding-Season-
 
[Module]
  -Generator-Resistor-
 
[Object]
  -Cat-Dish-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:ひとになったゆめをみる:キッチンマットで虎視眈々:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221003
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
今日のゲームの話。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221003
 
 十年前に発売されたゲームのDLCが公開された。
 オンラインゲームだとしてもそのタイトルとコミュニティが10年も維持されているとすればかなり長寿の作品であり、またそのコンテンツは初心者にも分かりやすく面白いものに始まり、旧来のベテランユーザの探究心をたゆまず刺激するものであろうこと、そして何より新規ユーザと古参ユーザのバランス調整が秀逸なのだろうと窺える。

 僕がプレイしていたオンラインゲームでいえば「EVEOnline(※)」がそれに当たるが、基本無料化に伴いPvP(※)要素が色濃くなり、PvE(※)における治安が悪化した。

 何より気分を害されるのは、ログインボーナスである。

 ログインするたび、何もしていないのに運営から何かをもらえる。これが没入感を酷く削ぐ。ゲームを「するもの」から「させられているもの」に感じさせる要因のひとつである。なので(課金期間はまだ続いているが)ログインするのをやめた。

 Corp(※)の代表だったので本来なら引き継ぎなどをしなくてはならないのだろうけれど、それをする気が持てなくなるほど、ログインするのが苦痛である。

 >>>

EVEOnline:
 Wikipedia の情報が総括的だろうか。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/EVE_ONLINE

 プレイヤは数多の星系群を渡り様々な活動を行うことができる。

 基本的にはシステム側が強制するストーリィモードのようなものは皆無に等しい。
 数万人が同時接続し、自由に解放されている市場で物価が流動的に変わる(生産者が自由に値をつけられるほか、売り注文や買い注文を出せる)ため、金策に奔走するうちゲームコンテンツに理解が広がってゆく。
 戦闘/交易/生産とも、導入は比較的容易に理解できるが、いずれも複雑な奥行きを持っている。


Corp:
 プレイヤキャラクタ(PC)によって起業された組織。
 資本金の設定と運営や組織内の役職マネジメントなどこれまた複雑。
 NPC Corp も存在するが、プレイヤ活動(戦闘や交易の報酬)にかかる税率がそれなりに高いので、ソロでも起業する価値はある。


PvP:( Player vs Player )
 いわゆる対人プレイ。
 警察機構の有効圏外星系においては、戦争や強奪などが頻繁に行われている。
 また警察機構が有効な圏内でも、合法範囲内での決闘、先制攻撃を誘発する物品奪取からの合法的な反撃、巨大輸送艦の積み荷を狙った KamikazeAttack など、無法者が活動する機会は多い。
 またプレイヤの格言に「マーケットこそ最大のPvP」というものがある。


PvE:( Player vs Environment )
 対プログラムのプレイ。
 戦闘が好きでもPvPが苦手な僕のような人間は、4大国家に属する各企業のエージェントから依頼をもらって戦闘任務に出掛ける。
 他にも惑星資源開発やワームホールの探検など、戦闘モジュールを使えないプレイヤキャラクタは早晩のうちに死ぬ。

>>>

 そんなEVEOnlineの話は捨て置いて、今回の話は「SKYRIM」である。
 実に10年ぶりのDLCなのだが、そもそもこのゲームはオフライン1人プレイ専用である。
 僕が初めてプレイしたのはおよそ5年前、熱もすっかり醒めた頃、と思いきや有志による攻略Wiki の更新などは盛んでたいそう驚いたものだ。

 以降現在まで、ときどきプレイしている。
 価格を数倍したようなコンテンツの豊富さは、数回のプレイですべて回収することが不可能だと思える。
 完全日本語化に対応し、ゲームシステムのプログラムは非常に複雑で洗練されていると感じられる。

 街に暮らすNPCは、夜になると自宅に帰って食事をして眠り、朝は職場(商店や農場、馬屋や神殿)に出掛け、ときに雑談を交わしている。
 街の衛兵も二勤交代をしているところが多い。
 洞窟を探検していると、根城にしている盗賊同士の言い争いが壁の向こうから聞こえたりする。

 メインのストーリィはあるものの、それぞれのNPCがそれぞれの思惑で活動しているので、独立して関わることができる上、ひとつのストーリィが他の誰かのストーリィに関わってくる場合もある。その尋常ではないボリュームは圧倒的である。
 結婚もできるし養子を取ることもできる。家を買うこともできる。オーロラや月をただぼんやりと眺めたり、農場で作物を育てたり、川で魚を捕ったり、街道沿いの草花を集めたり、トンボや蝶々を捕まえたり、それらを使って薬品を調合したり、ペットと一緒に行動したり、泥棒やスリをしようとした挙げ句バレて投獄されたり、捕縛に逆らって衛兵と乱闘になったり、脱獄したりできる。

 街の住人を(ほとんど)皆殺しにすることも可能である。
 むしろ「SKYRIMでは何ができないか」を考えた方がいいかもしれない。

 発売当初は「なんかパッケージもシンプルで洋物のテキトーなゲームだったら厭だな」と思って購入しなかったのだが、今は「なぜもっと早く買わなかったのか」と思う。そのくらい面白い。
 XBox360版を最初に買ったが、ハードが動かなくなってしまったので、PS4でも買った。
 5年も経っているからDLC同梱版(しかも Fallout4 もセット)が廉価でオンライン販売されていたので買った。

 そこで販売から10年経った今、DLCである。
 見つけて即買ったのだが、本当に素晴らしいプレイ体験をさせてくれる。

 他でたとえば数年前には「Cyberpunk 2077」というオフライン専用オープンワールドRPGがリリースされたりしたが、ゲーム性およびリアリティによる没入感の演出や阻害という点においては「SKYRIM」には敵わなかった。
 NPCたちは目的もなくそこに置かれたオブジェクトでしかなく、建物の多くはアクセス不可能で、警察はいくらでもテレポートするように湧き上がり、プレイヤレベルに応じた難易度の上昇バランスが悪く、スキルを覚えた後半になると極度にユルいゲームになってしまう。

 SKYRIMにも「目的もなく置かれるNPC」はいるが、それでも目的 ── 「戦火で家を焼かれて逃亡中の夫婦(5ゴールド渡せる)」とか、「戦争中の両軍いずれかが捕虜を護送している(捕虜に武器を渡せる)」などなど ── がある。
 商店のカウンターに載っている商品を間違えて(操作上、最初はよく間違える)盗んでしまったときにやって来る衛兵は人数に限りがあり、犯罪が発生すると街角のパトロールから兵舎の連中までやってくるが、皆殺しにすることはできる(衛兵だけなら数日後には補充される)。

 非常に優れた根幹のシステムを持っているからこその秀逸なゲームである。
 これが10年前に販売されたことが驚きである。
「究極のRPG」と銘打たれた宣伝文句を当時の僕は信用しなかった。
 そりゃそうだろう。
 メーカであれパブリッシャであれ、今までどれほど「究極」という謳い文句が安っぽく使い捨てられてきたか。

 未だにゲームをプレイするとき、どんなジャンルの、どのメーカのものであっても、SKYRIMと比較してしまう。
 プレイ体験の比較対象として非常に高いハードルではあるのだけれど(価格に見合うかどうかはプレイ前には分からないことなので仕方ないにしても)ゲーム体験が比較して不快であれば、SKYRIMをプレイすればよいのだ。
 僕はSKYRIMを信じる。あれは「名作」と冠されるべき以上のゲームである。

 そんなわけで「ウマ娘」を半年以上前からプレイしなくなってしまった、という話はまたいずれ。







 
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫α:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Diary-Love-
 
[Module]
  -Condencer-Reactor-
 
[Object]
  -Game-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :コントローラと五里霧中:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221001
// NOTE:221001
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
喧噪の夏は終わる。
SUBTITLE:
~ to be Quiet. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221001
 
 文書を書くことは僕にとって、死に対する抵抗だった。
 
 今でこそ死そのものを慕わしいものと認識しているが、かつては違った。
 子供の頃 ── それこそ生まれた頃 ── からペット(犬だけでなく猫や鳥もいた)に囲まれていたため、生きるすべての者に誕生と死があることはかなり早い段階で理解していた。
「父上が死ぬぞ死ぬぞ」と家中が大騒ぎしていた当時、僕は2歳だったので「何か大騒ぎするもの」程度の認識だったとは思うが。
 
 死を認識することと、それが自らの定めであることを理解するのとは別問題である。
 僕は自分が死ぬということにショックを受け、10歳の頃は半年ほどふさぎ込んだ(表向きは普段から大人しいので分からなかったと思う)。
 半年間考えた挙げ句、粗雑なミームを世に残すことは可能であっても、精緻なコピーを生み出すことは、自身という意識を残すことが不可能である時点で不可能であると結論した。あとはオカルトを頼るくらいしかない。
 
 そもそも7歳の頃には「眠くならずにずっと起きていられたらいいのに」と思うほど、時間には貪欲だった。
 ものすごく眠ってしまう自分の身体が呪わしかった。
 
 大人になってその態度は軟化していたが、それは自分の時間を主観的に増やす術について対策できていたからだろう。
 
>>>
 
 人間は肉体に与えられた時間により、ひとり分しか生きられない。
 長い短いはあるにせよ、肉体に縛られている限り「自分以外」を生きる術はない、というのが一般的な認識である。
 
 上記の通り、死は(遠ざけられても)避けられず、肉体の死を超越して、自我意識を保存する手段はない。
 仮にあったとして、再生手段がないだろう。まさか天国で官公庁の抽選があって、当たれば再生できるものだろうか、そんなはずはあるまい。もしあれば今生に生きる誰かが「いやぁ、8回くらい抽選してやっと当たったんですよぉ」なんて言い出すだろうが、今のところ見かけない。
 死ぬと情報は失われ、早ければ数年、遅くとも数十年で風化し、個人という情報の多くは失われる。
 ── 戸籍だとかをして「個人」と思える人にしてみれば、まぁ当面は残りそうだけれど、戸籍謄本を相手に会話することはかなりの高度なテクニックを要するだろう。
 
>>>
 
 たくさんの自分を並列させることで僕はそれに対応した。
 自我も薄かったのがちょうどよかっただろう。
「いつも他人事のようだ」と僕のことを叱責したり、嘲笑する人も居たが、実際僕は、自身のことをけっこう他人事のように思っている。
 
 ひとつの事象に対して、善人にもなれれば悪人にもなれる。あるいはその思考を並行して行う。
 もちろん肉体による行動はひとつしか選択できない。ゲームのようにセーブ&ロードすることやリセットすることは不可能だ。
 それでもその時々で、様々な先入観に従って知見を分析することが、僕には大きな意味を持った。
 
 それによる弊害ももちろんあった。
 特に初期は処理速度が遅く、単純な事象や人間関係に対して理解し解析するのに相当の時間を必要とした。
 実際に、自分と相手が考えていることがAとnotAの2パターンしかなかった場合でも、相手が考えていることを想定した場合事象がもたらす結果は4通りになる。
 事象を分析し、状況を整理し、結果を待って検証するのは大きく手間だった。
(相手に考えていることを直接尋ねないのは、人間が「嘘をつくことにメリットを見出している場合がある」ためである)
 とくに一般的な人間関係というものに疎いまま育ったので、これは苦労した。
 
 けれども僕はその思考を、ひたすら書き続けた。
 それそのものは矛盾していて話が飛び飛びの文章だったが、ランダムに跳躍し、方向性が定まらず、にもかかわらず先入観を手放そうとしない雑多な価値観のままにシーケンシャルな情報を羅列するのだから必然だろう。
 
 先入観を捨てるのは簡単だった。
 そうすれば多少は冷静で、客観的な判断ができる。
 しかしそれは僕の求める土台であって本体ではない。
 
 僕は当時流行っていた多重人格者(そういえば最近はあまり見かけませんね)のように、個々の人格のうちのほとんどが共用している記憶を持たない有り様を不便だと感じた。
 ただでさえ物覚えが悪い(正確には思い出す能力が低い)のに、この上個別の記憶を管理し、部分的な記憶だけで各個の人格を形成するのは、相当アンバランスな価値観の集積が出来上がるだけだと予測した。
 ために記憶を共用しつつ、様々な先入観のもと、たとえばカレーパンが好き派閥とカレーパン嫌い派閥が論争を繰り返した。とくにショートヘアガール好き派閥とロングヘアガール好き派閥の論争は(僕の中で)有名なところである。
 
>>>
 
 結果的に、複数の先入観がひとつの記憶を共用すると、ある程度の客観性が生まれることが分かった。
 もちろん複数の先入観を持つこと自体、たいていの人がしないことは後々気付いたのだが。
 
 だから僕は一部の人が言うように ── 念のために書いておくが、自分で思ったことはないからな! ── 高貴であり、孤高であり、達観しており、上品であり、そして同時に下賤であり、猥雑であり、愚劣であり、下品である。
 思考の中においては銀行強盗を3回くらいして、婦女暴行を23回くらいして、国際紛争が7回くらい起こり、国家議事堂爆破が3回ほど起こっている。
 現実になっていたら少なくとも僕の肉体は滅び、場合によっては世界規模の危機的状況が発生するレベルである。
 
>>>
 
 多くの人は、あまりに主観的で、あまりに独善的で、他者についてを考えないように観察された。
(他者について考えること自体が独善的で主観に頼りすぎるのだから仕方ない)
 おそらくそれが自我という影の濃淡のもたらす影響なのだろうと今は思う。
 
 自我の最大の欠点は、他者の自我の取り扱いについてをデフォルトでは無視するように機能すること、だろう。
 子供の頃はもちろんのこと、大人になっても他人を道具使いする人間は少なからず居る。
 自我というのは自身(の中心)を中心にする感覚のことだから仕方ない。
 たくさんの道具に囲まれて、道具の方が優秀だったりもするのに、どういうわけか人間は人間に執着しているようにさえ観察される。まぁ、それが当然なのか。
 
 それにしても自分の身体が正しく「自分のもの」と感じられ、肉体に起因し、あるいはそれの所有するものを正しく「自分の延長線上」に感じられることは、ある種の快楽だろうとは思う。そして同時に苦痛だろうとも。
 なぜといって肉体とともに自我は死ぬからだ。
 
 彼らは死ぬ練習をしていない。自らが無になる練習をしていない。
 己が無になったあとの世界を想像する余地を持たない。
 我思う故に世界があるとでも思っているのだろう。もちろん、主観的にはその方が正しいのだけれど。
 
>>>
 
 文書を書き続けることによってさえ死に対する抵抗としてはおよそ役立たないことを僕は知った。
 メディアは物理的破壊を免れず、情報を長期に保存するにはメディアをまたいで(いわゆるマルチ/クロスメディアによって)行う必要がある。カドカワかよ。
 
 そこにもいくつもの弊害がある。
 とくにwebはある種汎用的な保存性を持つが、一方で余計な関係性に巻き込まれることもある。
 かといって今の僕のようにNASによる自宅サーバを持っていても、それにアクセスできるのが自分だけだとすれば、そのミームはミームとしての役割を果たさず、単に保存された情報でしかない。
 
 もっとも死に対しては、かなり早い段階で諦めをつけた。
 それに僕は十分なだけの僕を生きた。むしろこのような感想を持つにはちょっと早すぎたと思う。
 だからといって子供の頃の貪欲さを否定するわけにもいかない。
 僕は複数で生きていたかったし、実際にそうしたのだろう。
 
 危惧されうる価値観の破壊 ── 強烈な自我の持ち主は、他者の持つ薄弱な自我を蹂躙し、いわゆる「正しさ」によって抹殺する ── を避けるため、社会との関わりを相当に限定するに至った。
 幸運だろうとは思う。ネコノカミサマ様々である。
 
 おかげでこのひと月の間、スーパーに買い物に行ったときのやりとりと、歯医者に行ったときの会話と、弟子との電話数件と妹とのメール以外、言葉を交わしていないので日本語を忘れそうになっている。
 
  ── やっぱり日記はこまめに書いたほうが健全な気がしてきたので書いておく。
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Diary-Ecology-Interface-Life-Link-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-Style-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Resistor-Transistor-
 
[Object]
  -Camouflage-Memory-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220915
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
空だ身体からだ殻だから。
SUBTITLE:
~ Nothing but Information.
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220915
 
 過集中と憂鬱。
 とくに抑鬱が長期に渡っているが、子供の頃はずっとこうだったことを思い出した。
 数ヶ月もすれば気分が晴れるから、それが不思議で、嬉しかった。
 けれど、でもそれが長続きしないことも理解していて。
 なるほど姉上は僕のことを双極性障害だと言っていたが、子供の頃からそうだったのだろう。ただその名詞を知らなかった(当時は存在しなかった)だけで。
 
 価値観の制御は、かつての僕にはむつかしい。
 どうやって。でも。
 
>>>
 
 はじめて人間型の恋人と身体を重ねたのはまだ10代の頃だった。
 硬く、骨張った僕の身体を、彼女は好きだと言った。
 
>>>
 
 僕は嫌いだった。
 この身体が雄のそれであることも、正しく摂理に従って、オトコとして変容してゆくことも。
 恐ろしかった。憎かった。許しがたかった。
 
 もちろん自然界における有性生物には性別が存在する。
 その存在と分類のために名が冠せられたのだから不可分に。
 そして人間は、有性生物であり、その点について選択の余地はない。
 性別について、どちらでもないことは選べないし、生まれたあとからも選べない。
 肉体と異なる性を主張するのは自由だが、お前たちの身体にも、だいたい精巣か卵巣が備わっている。それに基づいてなされる区分を通常は性別という。
 
 それでは僕が女に生まれていたらどうかといえば、それはそれで己の性を憎んだだろうことも今なら理解できる。
 
 しかし自身(の肉体に含まれる性別)に対する恐怖や憎悪をどうにかしようにも、当時の僕のきわめて狭い範囲の知見や経験では圧倒的に足りないことは直感的に理解できたし、それを自分の求める程度まで広げるには、時間やコストといったリソースが圧倒的に足りないことも理解していた。
 時間資源なら確かに、子供である自分が持っていた。しかし僕はその資源を使ったあとの「未来」が欲しかった。
 
 そのためには大人になる必要があり、しかし大人になるということはオトコとして変容することを意味していて、それ(オトコであること)について今、自己処理したいのであるが、子供の自分では対処できないという矛盾がそこにあった。
 
 僕はオトコが嫌いなので、女でありたかった。
 女であると思っていたから、オトコを平気で嫌っていられた。
 己の肉体にまつわる性が、正しくその「オトコ」であると知らしめられるまでは ── 。
 
 ただし問題は僕が所有し使用している肉体の性器およびその発露にまつまる自然のありようについて、ではないのだ。
 
>>>
 
 現象であり、記憶であり、情報である。
 そしてそれを入力し、解析し、演算し、格納して構成される価値観である。
 
 僕がオトコを憎んだ理由は、僕の性自意識によるものでもなければ、僕の肉体によるものでもない。
 自然発生的に、僕は自分の性自認の意識を「女性として」持ったわけではなく、むしろ自然発生的に「男性として」持つことになった。僕はオトコである。
 
 オトコを心底嫌悪する類いのそれだ。
 その憎悪は、環境がもたらしたのではなかったか。
 僕は何も悪くなかったのではないのか。
 僕の持つ肉体や、それの持つ機能に罪はないのではないのか。
 
 しかし直近の卑近な例で、たとえばカルトな宗教に関係を持っている人間を、多くの人間は忌避する。
 たとえばかつてオウム真理教と呼ばれた集団の後身に属している人をして、属していない人と同じように接することのできる人がどれだけいるだろうかと思う。僕はできるだろうか。身構えたりしないだろうか。
 すなわちその人そのものの本質と、その人の選ぶ、あるいは不可避に与えられた環境についてを、完全に切り離して考えたり、接することは困難ではなかろうか。
 
 少なくとも当時の僕には不可能だった。
 
 僕は心の底から男性性を嫌悪した。
 自身の肉体がそれに属しているという環境は不可避であったが、それでもなおそれを憎悪する選択をやめなかった。
 自身に含まれるそれも、なべて等しく呪うことにした。
 自分だけを特別扱いにすることはおよそすべての不幸の始まりのように感覚していたし、それは今でも変わらない。
 
 それらの価値観によって、いくぶん肉体と思考が分離することは避けられなかったが、それでも「情報」としての自身に重きを置き「存在」としての自身を憎むことは可能だった。
 
 
 
>>>
 
 潔癖症が拍車を掛ける。
 漂白剤に浸したような、情報だけの、物理側面を持たないような世界は存在しない。
 
 だから消してしまえと声がする。
 
>>>
 
 そうだ、ちんちんを切ってしまおう。
 と10歳の頃には思った。
 正しく切除すれば、正しく「オトコ」ではなくなるだろう。
 いつか発生するだろう性欲というものさえ制御できるかもしれない。
 
 性別は肉体に宿るのだと、僕は ── オトナになった僕が理解するよりずっと以前から ── 既に理解していた。
 
 しかし果たせるかな、僕にはお金がなかった。
 幸い第二次性徴を迎えてはいなかったが、つまり成人さえしていなかった。
 小学生ではバイトもできない。
 まぁ思春期の男子がバイトをして貯めたお金でパイプカットするというのは、今思うとなかなかシュールだけれど、それくらい切実ではある。
 
 自身の持つ肉体や性自認がオンナである必要なんてなかった。
 オトコでなくなりさえすれば、それでよかったのだ。
 
 そのようなわけで、自ら剃刀を少し当てたことがあった。
 13歳になって肉体の変容が少しずつ始まり、性欲のなんたるかを正しく感覚(それは肉体的な感覚である)し始め、焦り、恐怖の末の行動だったが、ろくに切れてもいないのに出血が尋常ではなく、痛みも激しく、断念した。
 切除される前に本体が死ぬ可能性が考えられた。
 それはそれで構わないけれど、浴室で陰茎から出血した死体を発見する家族の気持ちを考えると(個人的には面白い画だと思うが)いたたまれないのでやめることにした。
 
 あれは自分ではできないと思った。
 武士か。
 もののふならできるのか。
 だが俺には無理だ。
 
 風呂場で、心底そう思った。
 
>>>
 
 玉石は常に混交である。
 
 なぜならそこにあるものを宝石と思うか、石ころと思うかは、それを観察する意識により決定され、その判断の基準となる価値による以上、我々の判断と意志と言動のすべてを統括しているのは価値観そのものである。
 意識や思考など、価値観というフィルタに癒着した、ただの処理装置に過ぎない。
 
 だから意識は肉体に起因し、帰属し、永続しない。
 では価値観はどうだろう。
 それは純粋な情報である。
 だから言語化することも演算することも、媒体に記録することさえ可能である。
 
 その意味において人格は保存が可能であり、コピーが可能であり、抹消が可能であり、改変が ── 改善も改悪も含んで ── 可能であり、履歴を残すことが可能であり、復元もまた可能である。
 装置たる肉体の複雑な物性および設計や機能による不完全性を考えなければそういうことになる。
 
 その意味において、人間という個は全体的であり、永続的である。
 多数決は ── その決定の意味するところの善し悪しを問わず ── それを補完しさえするだろう。
 
「分離された個」という概念を、その装置が持たないならばより完璧に。
 もちろん肉体あっての意識であり、思考であり、価値観ではあるのだが。
 
>>>
 
 憎しみも悲しみも怒りも絶望も。
 だからこの身体に起因しているのだけれど、僕という価値観に癒着したそれを消すことは、だから、できない。
 
 ── 本来に、本質に、憎むべき装置たるそれを。
 
 ために我々(いつかある恋人に指摘されたことがあるが、僕は一人称/二人称代名詞を複数形でデフォルトとして使う)は、装置を否定した情報である。少なくとも主観的にはそうだった。
 なぜならこの身体は不安定で、生存不適合で、その上(他の誰かが祝福し、あるいはその時点では誰一人として呪ったことのない事実があるにも関わらず)存在を自身によって否定されていた。
 
「僕」は僕という複数の価値観の集合によって形成されている。
 生存そのものが情報の上でも不適合に構成されてしまった ── 僕の思考という情報処理は、僕の肉体という装置を、その存在を、許さない ── けれど、それは、僕の中に自然発生的に生まれた価値観によるものではない。
 
 空腹を感じ、眠気に支配されるように、自身を女性と定義し、認識し、男性を嫌悪したわけではない。
 ただ与えられた環境が、記憶が、情報が、それを醸成した。
 もちろん、僕自身がそれを選択し、焼き付けたわけだ。
 
 だから他の誰かのせいだ、などと無責任をアピールすることはできない。
 それは必要な価値観だった。優先すべき判断基準だった。守るべきものだった。大切なものだった。
 
 大切であってほしかった。
 守られていてほしかった。
 優先されてほしかった。
 必要とされている世界であってほしかった。
 不要とされない世界であってほしかった。
 これらを集約すると「正しさ」という概念になる。
 僕にとっては、本来、そう。
 大切とか、守りたいとか、優先したいとか、必要とするとか、信頼できる、とか。
 
 正しいというのはそういうことだ。
 
 僕の責任で、その情報選択はフィルタされ、残された。
 
 それは僕以外の誰かによってもたらされた悲しみでも怒りでも喪失でもなく、僕の手によって形作られ、残された悲しみであり怒りであり喪失だった。
 僕に責任がないなどと、僕は考えなかったし、今もそうは思えない。
 だから僕は責任がないとはいえない。
 
 大切にしなかったのは僕であり、守らなかったのは僕であり、優先しなかったのは僕であり、必要とせず不要としたのは僕である。
 だから僕は僕自身を裏切ったことになる。
 
 僕の肉体という装置の完全/不完全性や能力基準の適合/不適合を問わず、事象が過去であるが故に物質としてアクセスすることが不可能であるにせよ。
 僕は傍観し、にもかかわらずそれを知り、そして過去の現象を未然に防ぐ処理をできなかったという事実によってなおさら、僕自身の価値観を傷つけたことになる。
 
 無責任に「それは僕のしたことではない」などと言えるだろうか。
 無責任に「僕のしようとしたことではない」と言えるのだろうか。
 無責任に「過去だから変えられない」と言えるのだろうか。
 無責任に「自分はまだ子供だったから仕方ない」と言えるだろうか。
 無責任に「肉体や思考機能が発達していないから」と言えるだろうか。
 無責任に「僕以外の誰かが悪い」と言えるのだろうか。
 無責任に「僕以外の誰かに起こったことだ」と言えるのだろうか。
 無責任に「僕がそう思うのはしかたない」と言えるのだろうか。
 無責任に、僕は僕を憎悪しない理由があるだろうか。
 
 僕が僕を憎悪しない理由があるだろうか。
 
 回避する手段が、あるだろうか。
 
>>>
 
 性別という認識の存在しなかった頃の価値観は当然に根幹として存続し、いまも処理を続けている。
 
 身体が弱かったからだろうか。
 僕は身体の状態や機能をうまく把握することができず、上手に走ることも、手指を器用に動かすこともできなかった。
 よく転び、穴に落ち、つまづき、目の前のものにぶつかった。
 力余って怪我をし、力が足りずに怪我をし、不注意で怪我をし、注意しすぎて怪我をし、意味もなく病気に罹った。
 
 不便な肉体から乖離した場所で、意識という情報があるのは救いだった。
 僕は情報そのものとして自分を認識することが可能だった。
 
 多くの人間は、肉体という装置によって自他を認識し、判断する。
 僕は異なる判断基準を、我知らず持っていたことになる。
 
 好きな肉体だったら何が良いかと問わずも思いつき「猫だったらよかったのに」と、そう思った。
 オトコでもオンナでもよいし、オスでもメスでもよかった。
 弱肉強食でよかったし、男は殺して女は犯す文化でよかった。
 そんなものは些細なことだ。
 ニンゲンたちだって、そうやって生きているのではないのか。
 
 現実に、あまりに多くのものが大切にされず、守られず、優先されず、必要とされず、不要とされ、いいように慰みものにされ使い捨てられるのだ。
 
 人間という装置に押し込められた不幸を、僕は呪ったのだったか。
 
>>>
 
 身体を呪っていたので、だから、指先に至るまでを仔細に感覚することが、あまりなかった。
 ために僕は不器用で、肉体的な力をうまく発揮できず、制御も認識もいい加減になってしまった。
 
 歩けば転び、些細な内臓の変化に気付かず病気になり、ホチキスを手に刺してしまったり、カッターで力余って皮膚を裂いたり、眠気も空腹も認識できずに過集中を起こし、しかし肉体装置によって限界を迎えて不調を来す。
 
>>>
 
 あの頃の僕にとって、未来は永劫だった。
 なにせ一度も死んだことがなかったし、10年生きるのがこれまでのおよそ倍だとして、成人を迎えるまでにさらにその倍も掛かるのだとしたら、いったい僕はどうやってこの不完全な装置を使ってまっとうに「清浄なる世界」を実現しうるのだろうかと絶望した。
 それは果てもない未来で、そのうえ叶いそうにない未来だった。
 
 憎悪するものの何一つない、清浄なる世界は、実現しなかった。
 
 よかったのかどうか、今も分からない。
 僕は未だに、自分に絶望する。し続けている。
 
 この肉体装置にももちろんだが、しかし救いもある。
 この装置は、情報そのものではない。
 
 だから記録されず、保存されず、コピーされず、復元もまたされない。
 遠い先だったはずのかつての未来をたぐり寄せたようにして、僕は僕を殺さずしてその死を目の当たりにするだろう。
 
 僕は眠っていて、よかったんだ。
 ずっと、いい眠りだった。
 死んでいるように、静かで、あたたかくて、安らぐ場所だった。
 絶望もなく、希望する必要もなく、ただ存在しないでいられる、いい場所だった。
 
 かつて眠らされることになった、その不安定な、矛盾した価値観の集積を、僕はうまく処理できただろうか。
 たぶん、うまく処理したのだ。
 些細なことだけれど、僕には大切なことだった。
 
 どうか信じてほしい。
 僕だけは、君を ── 。
 
>>>
 
 彼女たちは皮膚を撫ぜる。
 僕は、やがてそれをうまく感覚できるようになった。
 
 乱暴ではなかった。
 ときどき痛かったけれど、自分以外の他人の肉体の感覚は、だから、そもそも分からないものなのだ。
 勝手なこともされなかった。
 この身体はどうやら、僕のものであり、僕に所有権があり、僕しか使用できないようだった。
 
 僕が感覚しなければ、何も感覚せず、僕が使おうとしなければ、何もせず、だから、適切に使うべきだろうと思えた。
 
 撫ぜられることを、心地よいと思った。
 あたたかいと、思った。
 
 セックスが怖くて、性欲を持つことを恐れて、社会人になったらパイプカットしようと思っていると説明したのだったか。
「切ろうとなんてしちゃダメだよ」と彼女は言った。
「猫くんを撫でる私のこの腕を切ったら、猫くん、イヤでしょう?」と彼女は説明してくれた。
 それはもっともだった。
 
 撫ぜられるのは、シアワセなことだった。
 
 その10年ほどあとの恋人は別の人だったが、性転換手術を受けたいと思うことがあると話したことがあった。
「そうしたら私は、どうやって猫くんとセックスすればいいの? 私は猫くんのカラダとセックスしたいよ」と言われた。
 至極もっともだった。
 それなら身体はオトコでもいいか、と思った。
 なるほど身体は自分のためだけに使うものでもないなと、そう理解した。
 自分のためだけに使うより、誰かのためにも使える方がよいと思えた。
 
 無論、性別は肉体に宿るのだ。
 肉体のそれを許すことは、オトコという性別に存することを許すことであり、オトコという性別を赦すことにもなりかねない。他ならぬ僕が。
 あるいは自分だけを特別扱いにするのだろうか。
 
 でもまぁ、潔癖であることはやめようと少しずつ思う、それはきっかけだった。
 潔癖は、誰かを傷つけたり、心地よさを壊したり、そういう側面があるのだ、そのうえ単なる自己満足なのに。
 
>>>
 
 恋人たちは多くを教えてくれた。
 徐々に恋人が(非人間型を含め)増えてしまったが、本棚の本のように「一冊買ったから一冊捨てる」というのもどうかと思った。
 もちろんそういう倫理もある。ではたくさん入る本棚ならどうか。
 
 問題もある。人間というのは基本的に肉体という装置によって人間たりうる。
「僕は猫だ」と主張しても、肉眼では人間に見えるその事実を否定する余地もない。
 
 問題ではないこともある。
 情報そのものとしては僕は猫であり、格別の性別を持たないし、恋人や倫理の定義の多くだって人間の持つそれは実のところけっこう曖昧だ。
 動物的な欲求を前にして、倫理を語る人間は少ない。
 ときどき矜恃を切り売りしてしまう人も居て、しかしそれを誰も責めることができない。
 人は物質の現実に生きるのであって理想という情報に暮らしているわけではないのだろうから。
 
 曖昧が曖昧なままなのは、突き詰めることが不要だったり、都合が悪かったり、ということなのだろう。
 
 それに身体を撫ぜるだけならば、自分でどうにでもできる。
 あたたかさや、やわらかさは少ないけれど、この身体はじゅうぶんに、僕ではないナニカなのだから。
 
 もっとも肉体がこれひとつであるせいで、不便もある。
 過集中が起きているときに、恋人は多く、僕の身体に触れることで、それを解いてくれた。
(おそらく僕の集中は彼女たちからすれば病的なのだろう)
 撫でると過集中が解け、ぐにゃりと脱力する。
 
 ときどき、そうして、外部から自分の肉体にアクセスする存在が必要なのではある。
 
 そうだ。猫と暮らそう。
 
>>>
 
 そして現在に至る。
 
 僕は僕の肉体を殺すに至らなかった。もちろん他者のそれも。
 
 大切なものはまだあるし、大切にしたいものもある。
 それは「正しさ」と僕が呼んでいたもののことだ。親密で、精密で、整然としたものだ。
 
 憎しみはまだあるし、憎悪するものもある。
 僕は、情報ではなくなってしまった。
 
 かつての僕にとって、それは堕落だ。
 
 今の僕にとって、それは可能性だ。
 
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
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[Module]
  -Condencer-Convertor-Generator-Resistor-
 
[Object]
  
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220826
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
さよなら正しさを探すあの頃の僕よ。
SUBTITLE:
~ Synthetisme. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220826
 
 周囲の人は涼しいと言う僕を否定するが、雲や風が秋の訪れを知らせている。
 夜になるとコオロギや鈴虫が鳴くようになったのは2週間ほども前か。
 
 webなどではHSPと同様、発達障害についての情報もそれなりに流布されるようになった。
 認めたくないので認めないのだが、どうも僕自身はそれらの多くに当てはまる。
 もちろんそれを認めたところで、認めなかったところで、僕の何かが変わるわけではないし、僕と接する誰かの何かが変わるわけでもない。
 なぜといって僕は、僕自身の持つ傾向の集合について一般名詞が冠されていたとして、その一般名詞を使って自分を理解することがないし、その一般名詞を使って、他人に理解してもらおうと考えたりもしない。
 
 たとえばそれは双極性障害という一般名詞によって姉上を理解する一助になるとはしても、そのすべてを理解できるわけではないことと等しい。
「男性だから」「片親だから」「独身だから」/「女性だから」「親族が多いから」「既婚だから」
 だから、だから……だから、何だというのだろう。
 
 もちろんカテゴライズは大事だろう。
 それによって見えてくる色もあるだろう。
 そうして理解し理解される意味があるだろう。
 そうやって塗られた全体を眺めたときに浮かぶ絵もあるだろう。
 個々に個別の素養をつぶさに観察し、解析し、抽象し、類推し、予測し、計画する。
 そんな面倒な手順を踏むことを、多くの人は望みもしないし実行もしない。
 ざっくりの色と、ざっくりの情報が分かれば、それでいいのだ。
 それで自身の対応が決まる。
 1度決めてしまえば、それは改める必要もない。
 
 あるいはそれが、大人になるということそのものであり、同時にその最大の欠点だとしても。
 
>>>
 
「正しさ」にいくつかのレイヤが存在することは8歳の頃、既に知っていた。
 問題は、それを知っていて、概念を理解していても、正しく定義できないこと。
 
「正しさ」とは一体何だろう。
 正誤という分類における「正しさ」の定義は容易だ。
 誤りのないこと。間違いのないこと。確かであること。
 
 TPOによって変わる正しさがあることは理解している。あるいはそのほとんどがそうであることを。
 
 時代によって、場合によって、「正しさ」は変わる。
 資源を持つ集団を殲滅して、資源を奪うのが正義だった時代もある。
 デンプンを豊富に含有する集団を培養して刈り取り、それを摂取するという点において農耕民族は植物から栄養源を略奪し続けているが、そこで植物至上思想を持ち出せば人間は悪になるだろう。
 
 正義と悪。正義もまた正しさだろうが、義なんてものは立つ位置でなんとでも姿を変える。
 カミサマの説く道さえ、同じ言葉が異なる意味を持つように、姿を変える。
 説き手の解釈によって、言語化するプロトコルによって、本来の意味は削られ、余計な価値を付加される。
 価値に紐付けられた欲で踊らされ、正しさの名の下に、いくつの正しさが消えたというのだろう。
 
 誰かの語る正しさも、己の騙る正しさも、鼻腔を刺激し、唾液を促すためのスパイスに過ぎない。
 
 事実も、真実も容易くは信じられず、真理は容易く見つかるものでも理解できるものでもない。
 
 偽りでも手軽で都合の良い正しさを持つ者が、正しさを定義できない正直者から順に捕捉し、捕食してゆく。
 さても正しさとは何ぞ。
 
 
 かくして独善的な「正しさの病」に罹患していた僕は、正しさという自己の存在否定を皮切りに、それではと「正しさというプロトコル」を正しく憎悪し、殲滅することを決定した。
 
>>>
 
 ちなみにどういうわけか、この記憶は最近になるまで開示されていなかった。
 理由は分からない。
 
<わがんにゃい>
 
>>>
 
 涼しいとはいえしかしまだ、夜になってもエアコンを切る気にならない。
 皮膚と粘膜が、秋から冬へ向けたそれへと調整されてゆく。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Blood-Darkness-Diary-Link-Recollect-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-
 
[Object]
  -Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220811
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
願望を実現させるメカニズムについて。
SUBTITLE:
~ Fulfillment. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220811
 
 来客がありスケジュールを確認する必要があって気付いたのだが、今日は祝祭日である。山の日。
 海の日に対抗して作られたのだろうと想像するが、そもそも国民的休日についてあまり左右されなくなって久しい気がする。
 そもそも会社員の頃は(金融業が多かったため)カレンダーどおりの勤務が多かった。
 実際はカレンダーどおりに働いているフリをして、休日でも働くときは働き、平日でも休める(遊べる)時間は休んだ(遊んだ)。
 
 自営の期間が長かったためだろうか、そういう勤務スタイルに抵抗がない。
 仕事があるときは仕事をして、仕事がないときは遊ぶ。眠くなったら眠る。それだけのことである。
 なので大手運送業の社員になったときは食事の時間を(1日1度のそれも)確保できず、食事をしながら眠ってしまうこともあった。
 このあたりでそれまで以上に歯を傷めただろうと想像する。痛みを感じたことはなかったが、歯医者に行くと噛み合わせの調整をされることが多かった。力仕事だったため、自覚なく顎に力が掛かるらしい。
 
>>>
 
 そんなことより弟子の婚活の終わりが見えない。
 最初の頃こそ面白がって、からかっていたものの、いい加減心配になってきた。
 
 どうすれば彼が婚活を成功させ、かつ結婚生活を順調に送ることができるのか、ここはひとつ真面目に考えようと思った次第である。
 もっとも僕が真面目に物事を考えると、そのセオリィ(理屈)は相当エキセントリック(偏屈)に見えるらしいが。
 
>>>
 
【下世話で下品で動物的な願望を持とう】
 
 まずメカニズムをざっくり記録しておこう。
 とりあえず願望を持つことが大事だ。できれば下世話な方がいい。
 なぜ下世話な願望を持つかというと、その方が持続するからだ。
 また下世話な願望を自覚することで、自分自身を正しく把握することができる。
 
 たとえば「身体を壮健にし、崇高な精神を養うため」に空手を始めると、だいたいひと月もしないうちに挫折する。少なくとも僕ならするだろう。空手を習ったことはないので分からないが。
 それよりは「恋人と街を歩いていてカツアゲに遭ったとき、恥ずかしい思いをしたくない」という気持ちの方が持続する。
 より持続性を高めるためにはもっと下世話に「身体を鍛えて、なおかつ『ん? 空手を習ってるんだよねぇ』なんてさりげなく言えばガールから『猫様、ステキ! 抱いて!』となるに違いない」くらいに考えておいていいと思う。
 むしろそう考えろ。下世話にいけ。
 下世話な自分を自覚しろ。
 自覚がないなら捏造してでも下世話な欲求を発露しろ。
 
 こうして健全に(?)下世話な欲求を持つことができる。
 格好を付けてはいけない。できるかぎり動物的で下品な方がいい。
 たくさんのガールにちやほやされて、ぱやぱやしまくりたい! とか、そういうのでいい。
 そう思えなくても思っておけ。無理矢理にでも下世話にいけ。崇高なフリをするな。
 
 続いて、その欲求や願望が実現し、叶った状態をイメージする。
「心身を壮健にして、崇高な精神を持つ」なんてのはゴールが見えないから、モチベーションが続かない。
 そも、どこまで行ったら満足なのか。見えない目標を目指していても、満足できるかはアヤシイ。
 
「カツアゲに遭わない」というのは受動的なものだが、空手を続けていれば「今日はチョップを習ったから、何かあったらチョップで対応できるぞ!」という自信を持てる。始めは小さな一歩でいいのだ。
 次第に姿勢 ── 肉体的なそれも、精神的なそれ ── も良くなるし「カツアゲに遭っても受け流せるし、なんとなれば反撃できるぞ俺は」という自信が生まれるだろう。自信 ── すなわち高潔なる精神の財産。
 それが生まれないうちは、生まれるまで待て。チョップとか、そういうのを地道に習え。習えばそのうち育つはず。
 
 とりあえず、突き(パンチ)とかを習っている段階で、すでにガールに自慢できるようになる。
 なんだったら稽古着を買わされた段階で自慢できる。
「ん? いや最近、空手を習い始めてね。ほら僕、か弱いからさ、ハッハッハ!」なんてネタにしてしまえばいい。
 自慢によるイヤミは軽減され、にもかかわらず「えっ、格闘技。それも古武道なんて……。ステキ! 猫様、抱いて!」と思ってもらえるはずだ(そんなはずはおそらくないと思うが)。
 
「空手を習っている」ことを自慢するには、習い続けなくてはならない。
 つまり「高尚な精神ごにょごにょ」なんて、曖昧がゆえに実現不可能な目標よりも明確で、ステップがはっきりしていて、続ける意義を見いだせる。だから続く。
 僕は習ったことがないので分からないが、多分そうだと思う。
 
 うまくすれば空手を習っているだけでガールからモテるかもしれない。いやきっとモテるはずだ。
 そういうのでいいんだ。
 欲求や願望は、下世話な方がいい。とにかくそういうことだ。
 
>>>
 
 
【実現のために手段を選ぶな】
 
「目的のために手段を選ばない」というと聞こえはいいが、だいたいの人間は目的のために取る手段が3つもない。
 それにここで言っているのは「手段を選ばず実行せよ」ということではない。
 手段を選定せず、ぼーっとしていたほうがいい、ということである。
 
 わかる。分かるよ。
 何を言っているのか分からない、というキミの気持ち。
 僕にはちゃんと伝わるよ。
 
 でもそうじゃないんだ。
 
 たとえば「ガールにモテてぱやぱやしまくりたい」でもいいし「ダイエットに成功して男の子にちやほやされて友達から羨望の眼差しを受けたい」でもいい。
 このときに、たとえば前者なら「空手を始める」「ナンパ教室に通う」「アウトドア用具を揃える」「サークルや部活に入る」「バイトを始める」など様々な手段があるし、後者なら「ジムに通う」「ダイエット食品を試す」「ジョギングを始める」「遠心分離機に掛かる(やめとけ)」「整形する」「断食する」などの手段があるとは思う。
 
 ちがう。
 手段のことなんか考えてはいけない。そんなものは後回しだ。
 だいたいの人間は、願望のあとに手段を選ぶから失敗する。
 そうじゃないんだ。
 
>>>
 
【イメージする】
 
 実現しているところをイメージする。
 たとえばどんな場所で、どんな人に囲まれて、どんな待遇を受け、どんなふうに感じるだろうか。
 そう。
 そのとき自分はどう感じて、どんなふうに過ごしているだろうか。これだ。
 
 傍目には「ぼーっとしている」と思われるかもしれないけれど、気にするな。
 実現したとき、自分がどんなふうで、どう思われていて、自分自身と置かれた環境をどう思うかを具体的に夢想すればいい。
 荒唐無稽でもいいし、下品で下世話でもいい。そもそも「下品で下世話」は最初にクリアしているはずだから、可能な限り不可能スレスレの「下品で下世話」を盛り込んでいい。
「ダイエットに成功しちゃったついでに、プールに行ったらオカネモチのイケメンと意気投合して恋に落ちちゃうかも!」とか、「1990年代のMTVの海外ラッパーのPVよろしく、肌も露わなグラマラスガールに囲まれて、べったんべったん、ウッフンウッフン、そういう展開でダナ」とか、そういう下世話であり得なさそうな方がいい。
 
 どうだ。楽しくなってきたか。
 それだ。それがリビドーだ。
 リビドーを捏造してでもかき集めて、具体的にしろ。
 
 なぁに、言葉にして誰かに言ったり、ブログに書いたりしなければ「猫氏、ちょう下世話。ぷぷぷ!」とか笑われたりしないし、仮にちょっと笑われても「健全に下世話でちょっと安心しちゃった♡ 抱いて♡」ということもあるかもしれない。
 とにかく自分以外の誰かの反応なんて気にしていても仕方ないのだ。全知全能でない以上、すべての反応を予測することは不可能なのだから。
 
 とにかく誰に言う必要もないのだから、下世話なイメージをより具体的に膨らませよう。
 言葉にしてしまっている僕のことを人々がどんなふうに見ているかは、僕にも分からないので。
 
>>>
 
【何をしているの?】
 
 ありもしない、実現もしない夢想を膨らませた挙げ句、ぐふぐふと笑っているキミ。
 何をしているの?
 
 と急に醒めたセリフでキミをいぢめたいわけではない。
 え。いぢめてほしいの? そうなの。そういうの困るなぁ。
 
 ということではなくて、その完成されたイメージの中で、願望を叶えたときの自分は何をしているだろう。
 
 たとえば「ダイエットに成功して、モテモテになってしまったときのキミ」は、果たしてベッドに寝そべりながらダイエット食品を Amazon で探したりしているだろうか。
 それとも休日はサイクリングを楽しんだり、会社帰りにスポーツジムに寄ったりしているだろうか。
 食事はどうだろう。何を好んで食べるだろう。自炊? それとも外食? あるいは料理のできるステディの家で同棲している?
 
 MTVのPVよろしく ── 先の例を省略しただけで、MTVのPVのすべてがそうではない ── エッチでセックスのことしか考えてないようなガールに囲まれたときのキミは、いったい、普段何をしていて、どんなことを考えている?
「やっぱりコンドームは薄ければ薄いほどいいよな!」ということだろうか。ベッドで寝そべりながら、精力増強剤を Amazon で探しているだろうか。
 それとも真面目に勉強や仕事をして、休日は習いごとをしたり、運動をしたりしているだろうか。
 食事はどうしている?
 お小遣いの使いかたはどうだろう。
 ガールの誰かが「私だけを見て。私だけのものになってほしい」と言ってきたらどうする?
 
 たとえば「クリエータになりたい」としたら、何を作っているだろう。
 小説を書いている? アニメータ? イラストレータ? CGクリエイタ? 映画監督? プロダクトデザイナ?
 それぞれの人たちは ── つまりそれになったときの自分は ── 普段何をしていると思う?
 それがプロならば、学校に通ったりしているわけではないのだと分かるはず。
 
 でもたいていの人は、先に手段を選ぶから「学校に行こう」となる。
 ダイエットでも、モテでもいいけれど「どんな手段でそこに到達しよう」と考えてしまう。
 
 それでもいい。それ自体が間違っているとは思わない。
 ただしその手段で運良く到達できたとしても、もうその手段は続けられない(場合が多い)。
 そこに到達するために使った手段は「そこに到達していない人間のためのもの」だからだ。
 モテ続けるとステディなガールやボーイが飽和してしまう。物理的にも精神的にも飽和するので気をつけよう。
 また太った状態から痩せることのできたルーチンは、ずっと続けていると不健康になる可能性もある。手軽なものほど落差が急なので気をつけよう。
 
>>>
 
 目をつむって階段を上り下りすると、最後の段のあとに、足が「かっくん!」となる。
 あれに似ている。
 ステージが変わったら、同じ事は続けられない。
 
 そのステージで必要なことがすでにできるようになっていないと、ステージに上がることができたとしても、ステージに立ち続けることができない。
(同じ原理で、ステージを降りるときは、降りるための準備ができていないといけない)
 だから実現もしないうちから荒唐無稽なくらいのことを丁寧に妄想し続ける必要がある。
 
 たとえばクリエイタは、ぼんやりのんびりwebで動画なんて観ているだろうか。
 そんなヒマがあったとして、ただ漫然と観るだろうか。
 
 経営者になりたい人、ミュージシャンになりたい人、エリート公務員になりたい人 ── 。 
 到達したそのステージで、何を、どんな風に見て、どんな風に感じているだろう。
 どんな景色で、どんな人に囲まれて、何をしようとして、何を実現できるだろう。
 
 実現して、そのステージに立ってから変わる人なんて、おそらく居ないのではないかと思う。
 
 普段、自分のしていることが、そのまま自身のステージを作っていく。
 
>>>
 
【これを弟子に当てはめるとどうなるか】
 
 観察の範囲において、弟子は当然に僕とは違うイキモノである。
 物性も違うし、物理的存在としての肉体も異なるし、ためにそこに宿る精神も異なる。
 
 彼は一人で生きていけるタイプではないし、どちらかといえば寂しがり屋だと思う。
 一人暮らしをしたこともないので、日常生活力(家事の実力)は低いだろう。
 そういった諸々も含めて、彼は「自分に家族が必要だ」と自覚している。
 
 しかし「どのくらい下世話なイメージを持っているか」は今のところ分からない。
 
 彼の目標はもちろん、結婚して(不満のない程度の)家庭を持つことだろうと(僕は)想像する。
 もっと下世話なイメージがどの程度まで非道なものなのかは(僕には)想像できないが、もともと羊のように牧歌的な人間なので奥様を道具扱いするようなことはなく、もっと牧歌的な家庭を作りたいのだろうと(僕は)想像している。
 
 彼はそのための手段として、婚活パーティを探して参加することを2年ほどは続けていると思う。最低でも1年は続けている。
 この手段がそもそも正しかったのだろうか。(疑問1)
 
 結婚生活という目標(具体的イメージは不明)のために、その手段として選んだそれは、果たして彼のイメージに適合しているだろうか。
 
 
【婚活というゲーム】
 
 婚活パーティというのは僕が(弟子から)聞く範囲において、経済を使って己のステータスを(潜在的にであれ)数値化し、また相手を(潜在的にであれ)数値化し、それぞれの妥協点を探るゲーム行為だと思っている。
 
「ゲーム」とあえて呼称しているのは、婚活パーティに参加することで人が失うのは、さほど多いわけではない金銭と時間だけだからだ。
 このゲームに勝つと人間関係のきっかけ(連絡先の交換など)が手に入る。
 場合によってはちょっとした自尊心の上下(選ばれた/選ばれなかった)が手に入るだろう。
 
 仕事のような営利活動ではないから、金銭は手に入らない。
 学習を目的としているわけではないから、学ばない奴は最後まで学ばない。
 失敗や成功はあるが、現実世界に致命的なダメージを与えたり、決定的かつ具体的な報酬が約束されるわけではない。
 
 ために気安く参加できるともいえる。
 
 大事なことは、弟子が気安く参加できるように、相手のガールもまた気安く参加できること。
 また弟子が相手を選ぶように、相手もまた弟子と他を比較して選択するということ。
 
 これまでの成績から考えると、婚活パーティそのもの(マッチング、と呼ぶらしい)に低い確率で成功しても、その先が続かない。
(そもそも結婚生活を送ったことのない僕が考えるのは無理があるかもしれないが、荒唐無稽でも考えなければ始まらない。他の誰かがこの問題を考えてくれることはなさそうだからだ)
 
 この現象にもいくつかのパターンが考えられる。
 まずガール(全般)の設定しているハードルが高くて、あるいはボーイ(全般)のステータスが低くて、そもそも「お話にならない」状態なのか。
 ボーイ(全般)の中にはステータスの高い個体が存在し、弟子は選択から外されたのか。
 また同様に、弟子の設定しているハードルがガール(全般)に対して高すぎないだろうか。
(低かった場合は、もっと成功率が上がっているものと考えられる。低いハードルの是非はともかくとして)
 
>>>
 
【考えるのが面倒になってきたし文字数的にも限界があるので結論を導きたい】
 
 前提が(どのようにお互いのハードルとステータスを確認し合うのか、僕にはよく分かっていないのだが)噛み合った場合、連絡先を交換したりすることになるらしい。
 そこでデートっぽい交際をしたケースも(旅行の計画を立てたことも)あるようなのだが、牧歌的な彼は、その詳細をなかなかつまびらかにしない。
 さすが手取り給与を口外しない男である。僕は昔から、けっこう言ってしまうのだけれど。あんなものはただの数字でしかないのだから。
 
 とにかく彼は最初の交際まで到達しても、最終的にうまくいかない。
 上手くいきそうな話があっても最終的に、相手から断られたり、彼が断ってしまったりしている。
 
 過剰な依存(おそらく経済や将来について)をされるのは、彼の描いているイメージには適合しないらしい。
 まぁ彼も裕福な家の生まれではないから必然である。共働きは現代社会の結婚生活においてはスタンダードなほうだろう。まれに僕のような独身専業主夫もいるが、ここでは意味不明な日本語については考えず、読み飛ばしてほしい。
 
 では彼はいったいガールに何を求めているのだろう。
 もちろん彼は専業主夫希望ではなく、シンプルに「正社員/パートくらいの配偶者の収入を合わせて結婚生活を送りたい」と考えている(これは確認した)。
 
 ガールたちは彼に何を求めていて、また何を求められたくないのだろうか。
 時間や空間、金銭的財産はもちろん、人間関係もあるだろう。
 
 たとえば彼は長男で、なおかつ親元で暮らしている。
 収入はさほど高くないようだが、堅実なので貯蓄を着々と増やしている。
 結婚に前後して2人で暮らすことは可能だろう。
 
 しかし彼の両親は60代後半より以降のはずで、弟もいるが近い将来、介護をすることになる可能性は否定できない。
(彼は ── 僕と正反対で ── 年下かつ未婚のガールを希望している(どうでもいい情報だが僕は可能なら年上/バツ1〜2/子持ちがいいと考えるタイプである)ので、彼女たちからすれば親の介護はもう少し先の未来をイメージしているはずだ。そして可能ならそれは避けたいものだろう)
 もちろん介護を終えて両親が死んでしまえば、家などは彼のものになるだろうから、それを財産と考えることは可能だ。もっともそこまで踏み込んだ話を(彼らが)するとも思えないが。
 
 彼は少なくとも子供を作りたいと思っている(これも確認している)。
 彼と結婚する場合のデメリットは、このあたりのバランスかもしれない。
 仕事と家事と介護と育児はいくらなんでも荷が重い。したことがなければなおさらだろう。
 
 情が移ってからならばこれらのハードルも何とかできると考えられるが、彼らは「正式に付き合い始めてもいない」状態である。
 
 ちょっとアタマのいい(あるいは計算高い)ガールなら、このあたりも加味するだろう。
 なにせステータスを数値化して広げた場から選ぶゲームなのだから、それが実生活にシフトする前に危うきに近寄らないくらいの処世術は心得ているはずで、だからこそ「安全なゲーム」という切り口を選んでいるはずなのだ。
 結果的にそれが間口を狭めているとしても。
 
>>>
 
【結論】
 
 彼のメリットとデメリットを列挙すると以下のようになる。
 
<メリット>
○ 仕事をしている(安定した収入があるように思える)。
○ 真面目(とても真面目)で誠実。
○ ギャンブルもしないし倹約家なので、内在性の経済的不安要素は少ない。
○ 貯蓄や運用に詳しいので、現状の貯蓄額は多くなくても将来的な不安要素は少ない。
 
<デメリット>
○ 長男。
○ 親元暮らし。
○ 専業主婦は不可。
○ 変人。あと性格がしつこい。
 
 あ。
 これだ。介護とかそういうの関係ないわ。
 性格がしつこいせいで結婚できないんだわ、あいつ(謎の断定)。
 
<安易で一方的な決めつけは良くないと思うのだけれど>
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Chaos-Ecology-Engineering-Kidding-Link-Mechanics-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Friend-Human-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に:月夜の井戸端会議:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:220810
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
化粧ねじ1本分の怪異
SUBTITLE:
~ Screwed up. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
220810
 
 ブログを定期的に読んでいる人と、IRLの僕の友人や家族などは知っているが、僕は一人暮らしをしている。
 人間型の肉体に収まっている僕が1人、あとは猫が3匹居る。僕も猫として数えると4匹の猫が暮らしている。
 一般的に、4人くらいの人が住まうような家にひとり、棲んでいる。
 庭と花壇があり、花壇を畑として開墾している。
 今年は暑いので怠けている。もしかしたら飽きてしまったのかもしれないが、インフラ自給率を高めたいとは常々思っている。
 
>>>
 
 ここに住んでいるのは単に経済的な事情によるので、ほとんどの部屋を持て余している。
 2階部分など半年ほども足を踏み込んでいない。使う必要も感じない。
 
 本当はもっと小さなアパートに暮らしてもいいと思う。今でもそう思っている。
 しかし固定資産税のほうが安い状況なので、家賃の掛かるアパートに引っ越さずにいる。
 
 来客は少ない。
 友人が月に1回くらい、妹や姪が月に1回くらい。
 庭を臨時駐車場に借りている人が月に1回。
 恋人は多いが、自動車で来る者はいない。
 
 1週間、スーパーの店員以外と言葉を交わしたことがないなんて、僕には日常茶飯事だ。
 日本語を忘れないように、ときどき日記を書き、ときどき外食に出かける。
 言葉を使う機会を増やすため、人間が接客してくれる店に行く。
 この家の人口密度は、とても低い。
 
>>>
 
 ねじである。
 化粧ねじが1本、浴室の床に落ちていた。
 
 昨日、深夜か朝方、シャワーを浴びて浴室を出るときはなかったように思う。
 人は浴室に入り、そして浴室から出るとき、たいてい全裸である。
 タオルくらいは持っているかもしれないし、場合によってはシャンプーや石鹸、歯ブラシなどを持ち込むこともあるだろう。
 しかし昨日の僕は、タオルしか持ち込んでいない。そして出るときは、タオルも持ち出していない。
 
 浴室を出るとき、希釈して界面活性剤を加えた次亜塩素酸ナトリウム水溶液を噴霧する。
 昨日も、したと思う。
 床に何かが落ちていれば、必然に気付く。
 そもそも化粧ねじなどが落ちていれば、シャワーを浴びるときに気付くだろう。今日と同じように。
 
>>>
 
 ねじはどこから来たのだろう。
 
 一番可能性が高いのは、誰あろう僕自身によって運ばれたというものだ。
 必然である。
 自然でもある。
 何の違和感もない。
 むしろ理想的だし、それ以上説得力のある原因は思い付かない。
 
 しかし僕は、前回シャワーを浴びてから、歯を磨いて眠ってしまった。
 もちろん ── 燃えるゴミの日だったので ── すぐに寝たわけではないが、化粧ねじを持つことも使うこともなかったし、浴室に入ることもなかった。
 ために僕が化粧ねじを運んで落とした(置いた)可能性は低い。
 
 さらにいえば6月の猛暑からこのかた、僕は家のリフォーム作業をサボっている。
 ついでに庭の草取りさえ後回しにしているから、作業着もしばらく着ていないし、工具類を頻繁に使っているわけでもない。
 むしろ初めて見る化粧ねじで、どこで使っているものなのか、これを書いている今も分からない。
 
>>>
 
 僕が持ち込んだのでないなら、次いで、浴室内の備品や設備から外れて落ちた可能性が高いだろう。
 ちょうど浴室の点検口の真下あたりに落ちていた。
 
 しかし、浴室のラックやフックなどの設備はマグネットや専用の飾りねじを使っていて、今回落ちていた化粧ねじは見たことがない。
 ついでに僕はこの家に棲み始めてから(3年以上になるか)一度も点検口を開けたことがない。
 
 点検口を、下から試しに押してみると、すうっと持ち上がった。
 ねじで留めたり、引っ掛かっている場所はない。
 浴室の換気扇を兼ねたエアコンがあるが、それはバスタブの上に設置されている。
 もしその位置からねじが落ちたら、化粧ねじはバスタブの中で発見されるだろう。
 
 念のため、浴室のドアやドアレール、水栓パネルなども見てみたが、化粧ねじを使っている場所などなかった。
 それに発見した化粧ねじには、どういうわけか水垢も、石鹸カスも、カビもホコリも、サビも付いていない。
 使用感はあるのだが、汚れていないのだ。
 水や洗剤に触れる場所で使われているものではない。
 
 さらに浴室内の電灯を調べようとしたのだが、点検口から交換するタイプのようで、浴室内からアクセスできるものではなかった。
 
 つまりこの化粧ねじは、少なくとも浴室内にもともとあったものでも、あるべきものでもない。
 
>>>
 
 残るは猫である。
 僕の家に棲む、僕以外の、猫の身体を持つイキモノである。
 
 しかし猫たちはそれぞれこの家の中で縄張りがある。
 クロはケージから出てこないし、仔猫(名前はまだない)は縁側のエリアから出ない。
 この家を自由に行き来するのはアヲだけだが、アヲはお風呂が嫌いなので、半年以上浴室に入ったことがない。
 
 そもそも浴室のドアは、僕が開けるまで閉まっていた。
 つまり猫が持ち込んだわけでもない。
 
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 ちなみに浴室へのアクセスは、さほどむつかしくはない。
 僕は眠っている間も日中なら鍵を開けていることが多いし、浴室は防犯用格子が屋外に付いているので、たいてい網戸が閉まっているだけである。
 だから誰かが網戸を開けて化粧ねじを投げることは可能だし、なんとなれば昼寝の間に玄関から入って、浴室に化粧ねじを置いて帰ることもできる。
 
 ── いったい何のために?
 
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 考えるに、僕が寝ている間に誰かが浴室の点検口から屋根裏に忍び込むことだって比較的容易な気はする。
 もちろんアヲはとても耳が良いので、数字に合わない人の気配を察知して僕に教えてくれる。
(往年に比べて僕の耳は劣化したので、人の気配にさほど敏感ではなくなった)
 
 しかし、気配を消して忍び込むことのできるような人間が、果たして化粧ねじなど落としたままにするだろうか。
 
 むしろ僕が夢遊病ついでに床に置いたと考えた方が現実的である。
 
<このビスは実在している。ビスを持ち込んだ存在もまた実在しているはずである>
 
 
 
 
 
 
 

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