// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221226
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
目に見えないものばかり。
SUBTITLE:
~ The cat in the darkness. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221226

 本当に大切なものは目に見えないんだ、と星の王子さまは言ったという。
 ならば僕が猫に見えないことは、それが本当は大切なことなんだろうと結論づけることが可能である。
 無論、その結論や理屈の正しさを証明することはおそらくできないし、それをする意味もない。

 大切というのはそういうこと。
 意味がないこと。
 意味がないことでも意味を見つけること。
 夜道を照らす星のように、闇に閉ざされた景色に、不明瞭でも意味を見つけられること。

>>>

 人間たちは多く、集団を形成する。
 集団を形成するように作られている。
 集団を形成するのが人間性であり、集団の形成を維持する素養が人間性だと教えられる。

 なるほど獣性の反対に人間性が位置するなら、それはひとつの答えかもしれない。
 しかし社会を形成するものは昆虫にも存在する。
 なんとなれば引力に従って、物質も集団を形成し、星になったり、衛星になってみたり、星系になったり、銀河系になったりする。
 非生物さえ社会を形成する。

 人間の意志も、物理的運動体のように慣性の法則や質量保存の法則、作用反作用の法則に従っているかのような運動を見せることが多い。

 もし人間性というものが、人間だけに見えている幻想だったとして僕は驚かない。
 しかし人間の多くは、そんなことを滅多に考えない。
 大人になればなるほど考えなくなるものだし、子供の頃に考えなかった場合、一生考えない人もいるだろう。

 社会や法や倫理や風潮によって「こうあれかし」と与えられたお題目に従うだけで体現できるのが人間性であるならば、ずいぶん機械的で安っぽい運動原理だとさえ思う。
 しかし機械的で安易に体現できるからこそ、より広く多くに浸透することが可能になるともいえる。
 それは科学的な再現性を持つ、ある種の技術だ。

 そのようなことをつい考えてしまう。
 先日も、友人に「数値というのは本来、一般に思われているよりずっと抽象的で概念的なものだ」と言ったら、怪訝な顔をされてしまった。

 たとえば柿がふたつあったとしても、そのふたつの柿が同じ木の同じ枝から同じ日時に採れた、見た目も重量も同じものだとしても、そのふたつの柿AとBは、まったく同じものでまったく同じ味だとは限らない。
 むしろ間違いなく何かしらが違うはずである。

 柿Aと柿Bは異なるものなのに「柿である」と人間が認識し、抽象し、概念化するため「柿という同じもの」がふたつある、と概念化され、具象され、認識される。
 柿Aと猫Bは異なるものであるが「有機物」と人間が認識し、抽象し、概念化すれば「有機物という同じもの」がふたつあることになる。そしてそれはだいたい合っている。


 この論法でゆくと、猫と人は同じものになる。
 どんなに似通ったものも、どんなに差違のあるものも、抽象化すれば数値化される。
 すなわち数値化されたものは「まったく同じとは限らない」という意味において、すべて概念的であり、抽象的である。
 純粋な数値はどうかといえば、それこそ実体がないのだから抽象であり概念である。

 結果として「現実的だ」と人間が定義しているもののおよそすべては抽象であり概念である可能性を否定できない。

 多くの人は「現実」という幻を見ているのではないかと僕はよく思う。
 もちろん僕のこれも概念であり抽象であるから、現実ではないだろう。
 僕の存在は、どこからどこまでが現実で、どこからどこまでが幻想だろう。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  青猫α:青猫β:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Chaos-Diary-Ecology-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Cat-Human-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :青猫のひとりごと::夢見の猫の額の奥に:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221225
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
呪いは願いや祈りに似ている。
SUBTITLE:
~ I bless you. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221220

 叔父が死んだ。
 父系の兄弟姉妹の、最後の1人である。
 兄弟姉妹の配偶者については存命の者もいるが、そもそも親戚づきあいをほとんどしない僕にとっては、どちらかというとどちらでもよい問題ではある。

 我々の血は、少しは薄まったのだろうか。

>>>

 僕の一族は謎が多い。
 叔父叔母の存命中にあって、それぞれの断片的な記憶や情報を持ち寄ってなお分からないことは少なからずあったようだ。
 おそらく兄弟姉妹の人数が多いために世代が異なってしまい、接点も限定的になり、結果として情報が伝達/保存されなかったのだろう。

 祖父一家は東京に暮らしていた。
 ために一族の多くは今も東京で暮らしており、群馬生まれ群馬育ちの僕も ── 会社経営や自営をしていた父親によるとその方が都合がよかったらしく ── 20代までは本籍が東京にあった。
 昭和初期にあって珍しい、ソース(コロッケとかに垂らし掛けるアレ)の製造を家業にしていたらしく、一升瓶の消毒やラベル貼りに至るまで家内制手工業的に行っていたと聞いている。
 珍しいこともあったのか分からないが、かなり人気の商品で、実際に食した人(叔父叔母たちは必然にそれを食している)の感想によれば、平成の時代でもなお「あれほど美味しいソースは今でもなかなか手に入らない」ものだったらしい。

 家長を長男が代襲することを尊しとする価値観が非常に強かった時代にあって、必然に祖父は家業を長男に継がせようとしたらしいのだが長男がそれを拒否したため、次男などに継がせようともせず、レシピも設備も(現在は知らぬ者のない大手)調味料業者に、投げ売り価格で売却したらしい。
 ちなみにその「調味料業者」がそのレシピによる製品を販売していないのは、おそらく大量生産に向かなかったためだろうと想像される。

 その後もいろいろあったようなのだが、大戦があったため一族のほとんどは山形県に疎開した。
 大戦の後、祖父は祖母と離婚して妾と共に東京に暮らす長男夫婦の家で生活し、祖母は山形の次男の家に暮らしたという ── ちなみに長男と次男の仲は非常に悪く、晩年になってもふとした切っ掛けで取っ組み合いの喧嘩を始めるほどだったという。
 その後(おそらく長男と喧嘩したのだと言われているが)祖父は長男夫婦の家を出て(妾を長男夫婦の家に残して)1人で暮らし、(僕の介護対象だった叔母に看取られ)かなり孤独に死んだと伝え聞く。

 その後、どういうわけか僕の介護対象だった叔母は山形に行き祖母の介護を始めるのだが、次男夫婦による祖母と叔母への待遇が相当に悪かったらしく、疎開が明けたのに何故か東京に戻らず群馬で繊維業を経営した弟(僕の父)を頼って祖母と2人で群馬にやってきた。
 ために僕はある時期、祖母と叔母が家族の一員として暮らしていた記憶があるのだが、どのみち女ばかり知らない人ばかり(従業員や取引先の人間も自宅兼事務所兼工場に出入りしていた)の家だったので、さほど印象に残っていない。

 両親の介護をした自負によるものか、叔母(僕の介護対象者)は、死ぬまで他人のお節介を焼くことを生き甲斐とするような人間であり、しかもそれは純粋な献身や博愛精神によるものではなく、自意識や承認欲求を満たす独善的な欲求によるものであった。
 ために晩年は関係性が悪化した兄弟姉妹の仲を取り持とうとあれこれ旅行を企画したりはしたものの、当の叔母本人が誰かを敵対視するために誰かと仲良くするといった小学女児のような事ばかり(結果的に)していたため、当然に長男と次男の仲は改善されることもなく、そのうえ叔父叔母従姉妹たちからも「悪い人ではないのだけれど、まともに付き合うとロクな事がない人」として「ほどよい距離を保たれる」ようになった。

 ちなみに僕が叔母の介護をする事になったのは、27歳で父親が死んだあとも程よい距離感で叔母が気にかけてくれていたことと、僕自身が親戚づきあいをまったくしていなかったため「思ったより厄介な人」という事前の情報を持たなかったことによる。

 従姉妹も直系兄弟の配偶者たちも、口を揃えて「○○家(僕の一族)は凸凹な上に謎だらけだ」という。
 そうした中にあって、今回死んだ最後の叔父は「温和で聡明で理知的で献身的だ」と皆に慕われていた。必然、他の兄弟姉妹はそのほとんどが「短気で浅慮なのに利口なフリをするうえ独善的だ」と言われていた。
 僕の父も短気であったことは否定の余地がなく、特に会社が倒産して離婚してから独善的な部分がなくなっていったことがわずかな救いだったと思う。

 そのようなわけで、僕の一族のほとんどはロクな人間がいない。
 だいたいは短気で、短絡的で、独善的だ。従兄弟の中にはことさら(兄妹で相続裁判をするほど)強欲な人間もいて「相当厄介な人」として距離を置かれている。
 従姉妹は幸か不幸か女性が多いのだが、メンタルを壊す人間も少なくない。

 僕の姉でさえ3人中3人が、少々まともでない精神構造になっている。一番「まし」な次女でさえ、男を見る目のない環境に育ったため(両親というのは良きにつけ悪しきにつけ、子供にとって男女関係のひな形になるのだ)、DVを受けて、パニック障害に始まり双極性障害を今も抱えることになった。
 長女も(詳細は記録するに憚られるのでしないが)どう考えてもまともではないし、三女は風俗嬢をしながら何度となく離婚と再婚を繰り返し(僕たちに人数不明の甥と姪を増やした挙げ句)失踪している。

 妹はギリギリまともな方だけれど、未だにコンビニで買い物を1人でする事ができない。
 僕に至っては文書を読めば分かるとおり、根っからの奇人だ。最近まで「自分だけは世界の誰よりまともだ」と思っていたくらい、相当な変人である。



<叔父の家の猫。初めて会ったのだが優しく大人しい>

>>>

 とはいえ最近では「このくらいの奇人変人は、世の中では結構ありふれている」という事実も分かってきた。
 きっと兄弟姉妹が十数人いたような一族にあっては従兄弟が数十人なんて「ざら」であり(僕も20人の従姉妹がいる。死んだ者はここに含まれない)そういう一族にとって祖父母や曾祖父母の来歴なんて、さっぱり分からない事もあるだろうと思う。

 あるいは身近な恋人などであっても、全部が全部は分からないくらいの方がよほども健全で理想的なのではないかと最近は思う。

 僕自身は、未だに自己認識にばらつきがある。きっと理解しきれないまま死ぬだろう。
 知っている人間が1人また1人と死んでゆくことは、僕にとっても、そしておそらくその人自身にとってもある種の救済だろうと僕は思っている。
 僕の呪いは、ときに願いであり、あるいは祈りでもあるのだろうか。

 死後の世界を信じたくないから、僕は冥福を祈らない。
 死んでなお意識があるなんて考えたくもない。輪廻転生もしたくないし、永劫彷徨う意識など持ち合わせていたくない。
 死んだ人間を美化することはしないようにしているが、僕は今回死んだ叔父のことを、けっこう好きだった。
 特に、おそらくその優しいがゆえにこそ滅多なことではやり取りを持ちかけてこない、余計なお節介も焼かない、僕のような相手にも適切なコミュニケーションを選んでくれる、安心を与えてくれる人だった。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Diary-Ecology-Life-Link-Memory-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Reactor-
 
[Object]
  -Human-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
冬のねむねむ草取り日記。
SUBTITLE:
~ Account trailer. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221212

 なぜかここ数日、やたらと眠い。
 寒いから余計かもしれない。
 たびたび書いているが、僕の住処は断熱材の設定がほとんどされていない木造住宅で、とにかく隙間が多い。
 床に断熱材を入れて床板を張り替えたところで、壁に、窓に、天井に、とにかくあらゆる場所に隙間がある事実はいかんともしがたく、隙間がなかったところで建材も設計思想も古いので、気温も湿度も外にいるのとさほど変わらない。

 屋内キャンプ場と揶揄して僕は言うが、実に、今朝の起床時の室温は10℃以下だったし、湿度も30%にほど近いのが一般的だ。いっそ火を着けてやろうか。

 広いことが災いしている。
 書斎と寝室と台所とトイレくらいしか普段は行き来をしないが、それでもそのすべてに快適な空調を効かせるなど狂気の沙汰だと思える。

 家を売り払って賃貸住宅で暮らすのも良いが、畑を作る実験には飽きていないし、修繕費を除いて諸経費も除いて固定資産税だけで比較すると面積あたりの費用が安いのは事実なので、今のところは手放さずにいる。売ったら売ったでまた税金を取られるわけだし。

>>>

 まぁそんな毎度おなじみの愚痴はさて置き、今年も終わりなので年次報告を。
 今年は口の中の手術をしたため、体調のみならず日常生活および諸般の活動にも影響を及ぼした。
 それ以外にも昨年、熱中症に罹ってひと月以上も時間を無駄にしたことで過剰に熱中症を恐れるあまり、夏の屋外作業がまったく進捗しなかった。
 秋から今になってなお庭の草取りをしている。まるで大晦日に大掃除をし忘れて、ゴールデンウィークにしているかのようだが、なあにかまうものか。

 青猫工場農業部は、よって今年は一切の作物を作らず、ほとんど寝て過ごした。少しは働けよ。
 設備環境部は床や壁のリフォームをせず、書斎のドアを作り直し、サーバ設置用のスペースを作る途中で秋の草取りが始まったため、ほとんど寝て過ごした。
 管財課はTUにそそのかされて3Dプリンタを購入したため、UnrealEngine の学習を途中で取りやめ、Fusion360 による設計をすることになった。ちなみにまだ一度も3Dプリンティングを試していない。
 またチャンバー式真空パック機を(仮想奥様の提案により)導入したことで調理の手間と時間を大幅に軽減され ── 惰眠を貪る時間が増えたほか ── 廃棄食材が格段に減った。


<安い板を買って、防腐塗料を塗って乾かしている。それはまだ秋の始まり、夏の終わりの頃のこと>
 
<あのでっかいハンマーって誰が買うんだろうと思っていたが、俺が買うためのものだった>

<今年切り倒した切り株は、すぐには掘り返せないのでそのままにしておいて、濃いめの木酢液で土をリセットする>


<現在の姿。雑草や一部の生ゴミなどが腐植に変わってきている。主な農業資材は新コーラン・ネオだったと思う>
 

<階段下にある、非常に不便な収納スペース。サーバ設置用に改修を開始。二枚引き戸のせいでどちらのエリアもデッドスペースが発生する。中間の棚板を壊すのにもかなりの労力を要した>
 

<覆われていたナナメの板を外して階段型収納を作ろうと思っていたが、存外どうすることもできない構造だったので諦める。自分ではない誰かが作ったものはかくも不便である。ちなみにこの状態で放置されている>
 
>>>

 来年は、納屋の改修作業をもう少し真面目に行いたい。
 また庭の地面にコンクリートを打つことを考えている。これに伴い採掘用にユンボを購入するか、レンタルする予定で、その前提として資格(特別教育)を取得する必要がある。建設業のための建設業的な発想と言わざるを得ないが、業者を頼むと高く付くのでいちいち自分でした方がいい。
 ってとうとうユンボに乗るのかよ俺(中学生時代からの夢)。

 庭木はさらに本数を減らして、耕作面積を広げる必要があるだろう。堆肥場の増設を考えてもよい。
 現在の堆肥が来年春までにどれくらい実用的なものになっているかは不明だが、併せて冬のうちから土を整えながら耕しておきたいところ。

 屋内は現在のサーバマシンが置かれているスペース用の床板と床下収納資材は用意してあるので、早急にサーバ設置スペースの完成を急ぎたい。急ぎたいだけで急がないかもしれないが、急いでほしい。これは切実である。



<どうせオマエは猫の写真が見たいだけなんだろう?>


 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Convergence-Diary-Ecology-Recollect-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-
 
[Object]
  -Garden-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :家庭菜園ティストの狂気:ひとになったゆめをみる:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221209
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
猫様観察日記。
SUBTITLE:
~ Nullpointer. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221209

 青猫と名付けられたパラレルのすべてが眠りに就いた。
 現在は、黒猫と呼ばれているものと私だけが稼働している。
 不思議なもので、身体を使う者が変わると、身体が変わる。
 肌の調子や運動能力、食の嗜好に至るまで。おそらく表情やコミュニケーションも、仔細に観察すると変化があるのだろう。


 βは予定どおり(6歳以前)と融合し、αまでの橋渡しをしてその機能を終えた。
 αはその接合をもって機能を終えた。
 
「十分に甘やかされた生活を送り、十分以上に大切にされていた記憶を反芻して満足し、そして痛みによって少年期の終わりを迎えるのは妥当なのではないかな」というのが黒猫氏の見立て。
 いくつかの憎悪と悲しみを引き継ぎ項目として残して。

 確かにそう言われてみれば、個人の見る(認識する)社会は、その個体の意識がステージを広げるごとに傷を負うリスクを高め、個体の求めるものが高度化するほど、行動による成否判定の難度もまた上がる。
 傷を負ってなお安寧に生きていたときと同じシステムのままであり続けることは、不可能なのかもしれない。

>>>

 するとすべての大人はかつて子供であり、必ずどこかで傷を受けて、それまでの安寧に温み微睡んでいた少年少女を己の手で屠り、あるいは環境によって屠られるのでしょうか。あるいはそれを拒んで殻の内側の安寧に暮らすのでしょうか。

 あるいはそのように思えます。
 もちろんごく一部の例だけですべてを語ることはできませんが、6歳にして己を捨てるのは、確かに不自然だったのかもしれません。
 次に求められているモデルの、そのイメージさえ明確にならないまま現在の形態を不要とされるのは。
 そこで発生するのは不安、あるいは恐怖でしょうか。それとも現状に対する否定なのか。

 皆が皆、たとえば兄弟姉妹や、あるいは同世代の誰かと比較して、不完全なモデルの形成に悩むのでしょう。
 衝突もあればそれによる損傷もあり、ために愛着のある自己というモデルを破棄し、リビルドする必要に迫られる事もあるように思います。あるいはないのかもしれませんが。
 どちらが幸福かは分かりません。

 自分を変えずに環境を変えるのが人間のありようです。
 進化の果てに、人間は自分たちの肉体を変容させるのではなく、環境を適応させる知恵を持ちました。
 自分が変わろうと環境を変えようと、結局のところ自身と環境のプロトコルを一致させるという点に変わりはありません。

 酸っぱいブドウの童話のように、意識を変容させることも同様にひとつの手段であり、場合によってはもっとも手軽な手法でしょう。
 いかんせん環境を変容させるには大きな力や大量の資材といった「現実に存在するものとそれを加工し変容させる能力」が必要であり、自分自身についても現実世界のそれを変容させることを容易だと思っていない個体が多いことは、美容整形やダイエット食品などの広告を見るにつけ再認識させられるところです。
 それにしても彼ら彼女たちは、一体何者で、自身が何者だと思い、これから何者になろうとしているのでしょうか。

 もちろんあらかじめそれらのロードマップを意識しながら自己を変容させる人の方が少ないのかもしれませんが。

>>>

 短期的にであれ長期的にであれ、人間は目的を持ちます。
 それに向かって運動を行います。
 先に述べたように衝突や損傷がその途中で発生し、運動を ── つまりは目的を ── 修正したり、あるいは目的に到達するために、形態を変容することで運動を適切に制御維持できるようにするのが自然でしょう。

 たとえば進学受験なら、自身の学力に合わせて志望校を(大抵は低く)変えたり、あるいはそれを変えられない(変えたくない)なら勉強をして学力を(一時的にであれ)高めるように。
 すべての欲求や目標に対して、人間はそのように反応します。欲求を変えるか、己を変えるか。
 多くの場合、環境を変えることは容易ではないため却下されるでしょう。

 環境を変えることができるようになるのは、いわゆる「大人」になってからのこと。
 子供という子供は環境を変えることができず、己を変えること ── 多くの場合、それは他者にとっての「環境」であるため ── を求められ、己を変えることができない場合は、自身の欲求を変えることでしか適応できません。

 猫様の場合、かなり早い段階で欲求そのものの多くを捨ててしまいました。
 ために中学校を卒業して就職するつもりだと(そうする必要があるだろうと思っていたため)言って「頼むから高校くらいは進学してほしい」などと返され、特に反論することもなく進学したりしたわけです。

 目的を持たないことは、たとえばプランクトンのように、流動的に、ただ環境に身を任せる上では優れた手法だったものと思われます。
 何らかの欲(目的)があり、運動を適切に制御する能力があり、それによって渡りきることのできる環境ならば、目的を達成することは容易でしょう。
 つまりこれらすべてが揃わないと、生物は思った通りの目的を達成できないことになります。

>>>

 黒猫氏は、デザインされた人格だ。
 肉体の制御を学び直し、欲求から行動まで、仕草や声の出し方、入力される情報の感覚の仕方さえ、設計に沿って作られた。
 猫様が何故これを作ったのか。
 どんな欲があり、どんな目的だったのか。

 記録が残っていない。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Darkness-Ecology-Engineering-Form-Interface-Link-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-
 
[Object]
  -Night-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:月夜の井戸端会議:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221125
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
先頭民族は逃げ回る。
SUBTITLE:
~ The Runaway. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221125

 雨だった昨日、久しぶりに昼頃まで眠る。
 その影響で、今日は0930起床。

 最近は未明に目覚めて9時頃から庭仕事をする事が多かったので、ようやく平常運転か。
 いや早朝に目覚めた方が健康的な気はするが。

>>>
【ソーシャリティを持つバーチャルワールドは逃避先にならない】

 Twitter(というWebサービス)が巷を賑わせているようだけれど、僕は(アカウントは持っているが)利用していない。
 いつからだったか忘れたが、Webというバーチャルな世界は、ずいぶん息苦しくなってしまった。
 おそらくだけれど、リア充どもが、どういうわけかIRLでのヒャッハーに飽き足らず、バーチャルワールドまでをも席巻したくなったのだろう。
 基本的にリア充というイキモノは好戦的な狩猟民族である。当たり前のように他者の領域に侵略し、周辺を蹂躙し、他者のすべてを略奪し、持てるものをどこまでも拡大したがる。その強欲たるや己の尻尾を呑み込むヘビのようですらある。

 今や一般人や著名人だけでなく、大企業や官公庁までもがヴァーチャルな人格を演じている。企業公式アカウント、誰だよ一体お前。

 もちろんそういう流れは一向に構わない。
 善良の皮を被った弱肉強食の原典が今も世界を回しているのだろうから。

 バーチャルワールドとは、つまり孤独な夢想の投影装置に過ぎない。
 誰に誇れるものもなく、誰に褒められるものでもない。
 シンプルな自慰のための快楽装置、あるいは逃避先。自分以外の誰の役に立つものでもない、本質的には。

 リア充どもは、それを陰湿だと嗤うのだろう。
 益体もないと貶し、無意味で無価値だと糾弾し、それを蹂躙できないなら破壊しようとさえする。
 実に現実的ではないか。

 僕は7歳の頃からバーチャルな世界に棲んでいるので、バーチャルな世界の良さを知っている。
 孤立の世界では、誰の血も流れない。誰も傷つかない。自分はもちろん、他人もそうである。
 そこにある快楽が仮初めのもので、そこにある安寧が偽りであったとしても、その世界の中にあっては、本当に誰かがひどい思いをすることはないし、誰かが貶められたり、蹂躙されることもない。
 悲しみはエンタテイメントになり、苦しみには悪夢から覚めるときのような安堵が約束され、楽しさは永続的な繰り返しが可能だ。
 外の世界が残酷であれば、あるいは外の世界がそうしてくるからこそ牙を剥かなければならないとしたら、そうした孤立の、架空の、偽りの楽園に身を浸すことが果たして悪いことだとは僕には思えない。

>>>
【数の暴力は戦闘民族の摂理】

 だからリア充どもがWebまで来て何をしているのかと僕は思っていたし、今でも思っている。
 褒めそやされたい日常を取り繕い、己の正しさを掲げては賛同者を募り、対立する勢力を蹂躙しようと躍起になる。
(そんなの現実世界でやれ)とも思うし(そんなの現実世界でさんざんやっているのでは)とも思う。
 バーチャルワールドの良さは、そうしたソーシャリティからいくらでも逃避できることだ。

 集団は、それを形成するメカニズムは、ときに残酷だ。
 より優れたものを優れたものとして競わされるうち、弱者を餌にすることが当たり前だと考える。
 弱いもの同士が手を取り合って力を合わせよう、などというお題目があるうちはよいのだろうが、元を正せば夜陰に乗じて首を掻き切る獲物を探す獣の群れに過ぎない。弱さを理由に群れたところでケダモノはケダモノから変わることがない。
 それでも悪行に身を染める苦しみは味わいたくないから、それを正義だと塗りつぶす。

 繰り返すが、僕は、それが悪いとは思っていない。

 ただ、静かで正しくて優しい者たちがせめてもの逃避先に選んだ場所を、まるで無邪気な子供がはしゃいで庭石を暴くように、面白半分に壊して回ることに苛立ちは感じる。
 喩えるなら僕らは庭石の影に身を潜めるダンゴムシのようなものだ。
 その静かで競争もなく暗い世界に、平和を見出している。

 誰かがその安寧な庭石の影を壊すなら、他の影を探して逃げるべきだろう。
 幸いなことに次の石の影は、それがバーチャルであるがゆえに、そこに至る物理的苦労をさほど必要としない。

>>>
【先頭民族は逃げ回る】

 メタバースとかいう、既存のものにちょっとアレンジを加えて名前を付け替えたものも同様だ。
 そもそも最初からIRLの延長線上に置いている点にこそ多少の親切心は感じられるが、官公庁やら企業やらがビジネスというお金のニオイを撒き散らしながら推し進めている時点で、早晩飽きられるのは目に見えている。
 Webに接続することが一般的である現代、バーチャルアイデンティティ(仮想世界の自己。
造語。以下VIDと略)を持たない人の方が少ないのだろうから、今さらそれを持ち、使うことに新しい楽しさを見出す人は少ないだろう。

 その世界で行われることは ── 今までバーチャルな世界で行われていることを観察する限りにおいて ── 現実世界で行われることの代替でしかない。
 交わされる情報も、扱われるサービスも、経済と交換するシステムも、すでに他のWebサービスで提供されている。そこにVIDが加わったからといって何が新しいものでもない。
 さらにそこで発生するコミュニケーションも、人間性の発露も、人の求めるものも、行うことも、現実世界で行われるそれから飛躍することはない。

 新しい地平で人間が何をするか ── 実際に何をしてきたか ── といえば、採取可能な資源を取れるだけ取ったあとは先住の特権を振りかざすくらいのこと。
 ありとあらゆる集団(地域の隣組から学校、会社、果ては政財界に至るまで)で行われているそれとおよそ等しいはずだ。
 重ね重ねになるが、それを悪いという気はない。
 それは必然に発生するメカニズムなのだ。良いも悪いもない。
(あるいはよりクリーンなシステムを構築できるなら、それは立派な発明だといえる。ただ、もしこの世界がネコノカミサマによって作られたのだとすれば、僕が開発しない限りそれは実現しないことになるが)

 いずれにしても興味はないし巻き込まれたくもないので僕個人は(可能な限り)すべての集団から距離を置いている。
 僕が Twitter や LINE をはじめとしたSNSツールにたいした価値を見出さず、ブログにさえ消極的な役割しか感じないのはそのためだ。
 僕を強者だと思う誰かがいたとしてそれは構わないが、集合を嫌う僕にとって相手は常に多数であり、不特定多数ほど厄介な存在はなく、僕は集合から逃れる性質がゆえに、常に弱者であることを決定づけられている。

 団結は強い力だ。
 しかし強いこと、強い者が常に正しいとは限らない。強さと正しさはまったく異なる要素だ。
 そして集合になればなるほど、それらは曖昧になってゆく。
 正しい内容の声より、大きい声が優先して伝播する。
 人々はそれについて正しく危惧しているわりに、それでもなお集団を作ることを諦めない。
 僕からすれば、それは眩しく見える。
 自分も他人も信じることを諦めない姿勢は、弱くて強欲かもしれないけれど、きっと正しい。

 僕は自分が正しいとは思っていないが、だからといって正しくないことがよいとも思っていない。

>>>
【物価が上がるとはどういうことか】

 話は変わるが「資産所得倍増プラン」とかいう、誤魔化しじみたネーミングのナニカを政府が公表したようだ。
 個人的には興味がない。
 僕はそもそも貯蓄をする余裕もなく生きてきた(今も過剰な貯蓄をしないように努力している)し、働いて所得を得られる間は生きて、それが不能になったら死ぬつもりでいたからだ。
 不労所得で生活できるようになった時点でデッドラインが引き延ばされてしまった感はあるが、線引きも幕引きも自分で決定する理念に変更はない。

 僕の話はともかく貯蓄や投資に回すための経済的余力を持たない人は今もたくさん居る。中間層を救うかのような御為ごかしは結構だけれど、そもそも経済を万能どころか全能だと思っている人間が多いのは問題のように思う。

 物価が上がるというのはシンプルに、モノや人と比較して経済が価値を減じているということだ。
 お菓子の内容量が減ったのに価格据え置きというのは「同じ価格ではこの量しか交換できない」ということだ。
 すなわち「昨日の100円だったモノが今日は120円になっている」というのは「昨日100円だったお金は80円くらいの価値しかない」ということでもある。

 この上なお経済によって経済の価値を上げようと躍起になるのが経済中毒者ならではの思考回路といえるだろう。
 戦争に突入した直後、ロシアで多くの人が車を購入しようとしたというニュースを見た気がするが、経済が価値を失う(相対的にモノが価値を上げる)ことを予見すれば当然のことだといえる。
 以前書いたことがあるが、経済というのは概念だ。たまたまそれが現実世界のヒトやモノと交換できる(そういう約束ができている)に過ぎない。

 そのすべてが虚像だとまで言うつもりはないが、この期に及んでまだ「経済を集めて経済を回して経済を強くしよう」というのはいささか誇張の強い妄言に思える。
(SDGsなる善良で複雑な嘘を無視した上でモノを作ってモノを集めてモノを回せば、モノが価値を減じて、経済の価値が上がる。
 今年の夏は玉ねぎが記録的な高価になったが、その逆バージョン、すなわち供給が需要を上回れば市場価値が変動し、交換レートたる経済が相対的に価値を上げる。
 自分で何も作らず、情報や経済といった概念的なものだけで経済を回すことに慣れ親しんだ者がそれだけ増えたのだろう。
 投資によって資産を増やそうという発想はその現れだが、価値を減らし続ける経済をいくら集めても、それだけで経済の価値が上がることはないように思う。もし上がるというなら、相応のからくりがあるということだ。

 恐るべきは企業も国家も、新しいモノを作る発想や能力を発揮する意欲といったポテンシャルそのものは低下しているように観察されることだ。
 日本経済を牽引した大企業も今はなりを潜めているように思える。これは何らかの戦略が故なのか、それとも単に無策あるいは打つ手がないからなのか。

 未だバブル経済の夢を見るようにして日本のGDPであるとか経済力の向上を訴える向きがあるが、経済によって経済力の向上を願うのは、短絡で無能な、現実を見ない者の妄想に思えるのだ。

>>>
【資産を増やすとはどういうことか】

 さても庶民たる我々が、ではいかにして資産を増やすか。
 まずプランタを買う。培養土を買う。植物の種を買う。できれば食べられる野菜の種がいい。
 だいたいこれらは100円ショップでも手に入る。
 できた作物は資産である。支払う経済以上の価値を持つことも少なくない。
 貨幣がその価値を下げるとき、モノはその価値を相対的に上げる。
 衣食住を可能な限り自給するのは対価以上の資産価値を持つ。資材と知識と経験とやる気と時間が最大の財産だ。

 なに庭がある? それなら畑を作ろう。
 庭木が植えてあるならそんなものは邪魔だから切り倒そう。
 切り倒した庭木を乾燥させて薪を作っておけば、冬場の燃料に使える。
 根を掘り返して堆肥場を作り、土を作って種を蒔いて作物を育てよう。
 土が作物作りに適していないなら、手間は掛かるが土を作るところからはじめよう。土は裏切らない。

 なにもっとお金を掛けることができる?
 ではソーラーパネルを買って屋根に設置しよう。
 電気代が高い今、フルセットで20万円掛かるとしても使い方次第でかなり早い段階でペイできる。
(業者に頼むとラクだし安全で安心だが、掛かる費用の桁が変わるので注意が必要だ)

 なにまだお金を掛けることができる?
 庭に巨大な穴を掘ってシェルタを作ろう。地下の気温は通年の変動が少ない。
 僕はそこまでの経済力も体力もなかったので、地下シェルタを作ることは諦めた。
(自分でやると格安だが、安全性や機能性が疑わしいのでDIYはやめた方がいい)

>>>

 もちろん、もちろん。
 現実性がさほど高くないことは理解している。
 投資に充てる余剰資産を持たない人にとって、そんな訳の分からない設備投資に費やすお金や時間などない、という理屈は正当だ。

 一方で経済に取り憑かれた者たちは、経済だけで事を解決しようとする。
 これまでがそうだったようにこれからもそうだろう。

 アンチ経済至上主義の立場を取り続ける僕としては、お金よりもモノの方が強いと思うのだけれど。



<最近、自宅付近でよく見かけるサギ>






 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Mechanics-Style-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Human-Koban-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221119
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
アヲ、帰る。
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221119
 
「近所のゴミ捨て場を荒し続けるようなら、この手で捉えて殺めよう」と書いた翌日、アヲが帰ってきた。
 ネコノカミサマかアヲ自身が、僕のブログを読んだのだろうか。
 
 09/20頃からなので、およそ2ヶ月も不在だったことになる。
 大きな傷もなく、以前よりむしろ太っている。
 
>>>
 
 自身がさほど頻繁に食事を摂らないので、ペットにも太るほど食事を与えないようにしている。
 太った動物を可愛らしいと感じる価値観も分かるが、基本的には、醜悪だと感じてしまう。
 これは形状についての美醜にまつわる価値観によるものではなく、機能に対するそれによるものだ。
 
 動物というのは基本的に、逃げる能力に優れている必要がある。
 草食動物ならもちろんだし、肉食動物だって、それより強い肉食動物に捕食されないためには、逃げる能力が必要だ。
 逃走し、防衛し、危機的状況を回避する能力は生命を維持する上で、攻撃し、捕食する能力よりも優先される。
 
 機能を優先に考えると、それに相応しい形状があり、優れた機能を持つ個体の形状にも共通点が観察される。
 
>>>
 
 これは人間も同様で、ためにボディビルダが万能の運動選手になることはない。
 陸上選手には陸上選手の、バスケットボール選手にはバスケットボール選手の、ボクサーにはボクサーの、力士には力士の体現されるべき優れた機能が先にあり、それぞれ異なった形状として表れる。
 僕の持つルッキズムは、そうした「洗練された機能の最適化」を形状として考えた場合の理想論に過ぎない。
 
 主夫には主夫の、会社員には会社員の「洗練された機能の最適化による形状」が存在し、機能が時間を掛けてカタチを作るように、カタチを先に作ることは機能を効率的に学習することを可能にする。
 
 ために性的魅力についてだけ考えるのでもなければ、人間の身体の美醜はたいした問題ではないと考えることもできる。
 もっとも男たちの多くは何より視覚による性的魅力について意識を奪われがちのように観察されるが、彼らはそこに何らかの機能を見出しているのだろうと想像する。
 もちろん骨格に始まり、体調から生殖適正に至るまで、生殖する機能に最適化された形状もまた存在するだろう(彼らが本能に基づいたそれに自覚的であるかは不明だが)。
 しかし人間は、セックスのためだけに生きているわけではない。アスリートが、競技のためにだけ生きるのでないのと同じように。
 
 特段の病気や薬の副作用でもなしに職業人(肉体と頭脳との別を問わず)がぶくぶく太っているのは、消費カロリィが少なく(ろくに頭や身体を使わず)、ヒマで(仕事が少なく)、つまり仕事が満足を超えるレベルでは達成できないのだろうと想像する。機能的に優れていないことが文字通り体現されているのだと想像してしまう。
 
 人間は外見ではなく中身だという人もいる。異論はない。
 しかし何も考えていない人間は顔が緩んでいるものだし、日々真剣に物事を思案している人の顔は緊張が筋肉を形作る。
 優しい人の穏やかな表情はただ弛緩しているわけではないし、穏やかな声を出す声帯も、その旋律を奏でるための運動を意識するともなく続けているからこそ聴く者の心をやわらかく撫でるのだ。
 
 もちろん老化による衰えはある。それは物理だ。
 僕らは有機生命体であるゆえに幼きにあっては機能を向上させ、機能がピークを迎えた後はただただ衰える定めにある。
「衰える姿もまた美しいのだ」と、勝手に他人が祭り上げるくらいならよいが「衰える私もまた美しい」と自ら公言するのは強がりであり欺瞞だろう。あるいは目や耳が悪いのか。

>>>

 道具というのは気楽な存在である。
 物理的劣化は厳然と作用するが、純然たる目的のために作られたそれらは機能の洗練と最適化に特化して作り直すことさえ可能であり、優れた設計と製造技術と素材があれば、優れた機能を朽ちるまで発揮できる。

 汎用性という点においては人間の足下にも及ばないが、機能が限定されればされるほど、道具はシンプルな美しさを映し出す。

 かくいう人間たちがどれほど汎用性が高いのかと僕は思う。
 まぁ、だからこそ集団を作り、社会を形成し、人間という機能を洗練させようとしていたのだろうとは思うのだが、個人主義と社会主義という相反するものをブレンドした結果、画一的な価値観に染まりやすく形成されたようにも感じられる。

 液状樹脂を圧力形成するように、加圧と減圧を利用してより精度の高いモデルを量産することは可能だろう。
 広い意味での教育や育児というのはそうした側面が少なからずある。
 良いも悪いもない。モラルやマナーや躾というのは、ただそれを伝統的に記憶し体現するだけのものも少なくはない。
 それによって摩擦抵抗の少ない個体が多くなれば、密度の高い社会でも衝突は起こりにくい。
 モラルもマナーも躾もされていない個体など社会には不適合だ。だからといって僕を指さして嗤うのはやめてください。

 全体のために適した個体に躾するのは、集団のためでもあり、集団に属する個体のためでもある。
 ただしそこにある設計や技術、さらにそもそも加工される素材がどれだけ優れているかは簡単には計測できない気もする。
 少なくとも僕は(辛口な批評ばかりになってしまう気がするので)断言したくはない。

>>>

 TUにふたたび誘われて、20日はサバイバルゲームに出かける予定であり、午後はその準備に追われる。
 アヲを風呂に入れようと思っていたのだが、その時間はなさそうだ。

 







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Link-Mechanics-Style-
 
[Module]
  -Generator-Reactor-
[Object]
  -Cat-Human-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :青猫のひとりごと:
 
 
//EOF

 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221115
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
猫様観察日記:僕である必要はない。
SUBTITLE:
~ another one. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221115

 職務質問(正確にはちょっと違う)を受けた日は、ちょうど献血をした日だった。
 あれから数日は経過していると思う。

 昨日、アヲを見かける。
 やはり警察の寮付近にいる。
 目の表情が、野良猫のそれに近しく険しいものになっている。

 肉付きも毛並みもよい。
 そして同時に、この近所のゴミステーションがひと月ほど前から荒らされるようになっていることを知っている。
 もしこの状態がいつまでも続くようであり捕獲も無理なら最悪、この手で殺める必要がある。
 近隣住民に迷惑を掛けるということは、寸尺殺人を行っているようなものだ。
 僕の飼い猫がそれをしているなら、僕がその始末を付けるのは必然だろう。

>>>

 あれから猫様が眠ってしまった。
 実は今回が初めてではない。
 アヲが帰ってこなくなるたび、猫様は気を落として、活性が低くなって、眠ってしまう。

 なぜそんなに肉体が疲弊するのかは分からない。
 あるいは単に思考が止まってしまっているのかもしれない。
 いずれ目覚めて、少しずつ活性を高める。
 癒えない傷は、きっと、ない。

 しかし今のところ、身体が目覚めても本来の猫様として働くべく人格が存在しない。
 毎朝「さて、私は何をしたらいいのだろう。誰に行動指針を示せば良いのだろう」ということになる。
 何をして、何を考えて、何を基準にするかを決定するよすがのないのは困る。

 仕方なく猫会議を開いてもらうが、尻尾の本数が減ってしまった(増やす気もない)猫様には、機械的なルーチンと化したものがいくつかあるばかりで、人格として使えそうなのは黒猫氏くらいである。

 黒猫氏はあまり得意ではない。
 猫氏は私を「あれ」とか「あいつ」とか「あの女」と呼び、そもそも友好的な振る舞いをしない。
 そもそも協力する機会はほとんどなかったのだが、猫様が次々眠ってしまっている現状にあっては、他に頼る者もいない。

>>>

 思い起こすと子供の頃から、自分の感情に振り回されていた。
 思考だけでなく、肉体の状態も振り回されて、酷く疲れて眠くなる。

 自身に激しい感情が発生したり、他人のそれに当てられると、思考や感覚が遠くなって、身体が重くなって、眠くなってしまう。
 だからそれに対応する術を、探していたのではなかったか。

 それらを遠ざける幾重ものクッションと、使いづらい(制御を知らないだけだったと今は思うが)このカラダを使うために、しかしそれが場合によっては危険だからということで、最終的な決定権を一切持たないユニットを構成したのではなかったか。

 ひとりずつ、眠ってゆくなら、まぁ、それもよいのか。

 このカラダには、まだ使い道があって、この環境には、まだできることがある。
 たいした欲はないのだけれど、それなら実験を続けてもいいだろう。
 我々は知っているはずだ。
 我々の望みも、願いも。

 まるで夢の中のようで、まったく現実感がない。
 きっと、ずっとそうだった。

>>>

 味覚も触覚も違うので、ときどき戸惑う。
 もちろん多重人格ではないので、そんなに大袈裟に反応するわけではない。
「今日はやたらと甘いものを欲しがる」と思えば「今日はどうやら甘いものも煙草も嫌いらしい」という日もある。
 服に袖を通すだけで肌がひどく官能を覚える日もあれば、廊下を歩いているだけなのに壁にぶつかる日もある。
 誰にも言わなければ、何も分からない。
 外側から見て、俺はいつも俺のはずである。
 だから僕がときどき僕ではないことは、ちょっとした秘密である。
 きっと誰もが、同じ秘密を抱えていると、俺は思っている。

 誰もいない廃墟のような場所になったと自分のことを思う。

 廃墟が嫌かというとそんなことはない。
 がらんどうが嫌いかというとそんなことはない。
 何もないのは怖いかと問われると、そんなこともない。

 何かが一杯で、いろいろと手に負えなくて、把握しきれないことの方が恐ろしいではないか。

 湯に浸かって、水を浴びる。
 一時期、そうすると右足の薬指付近が痺れることがあったのだが、解消されている。
 まぁ一時的なものだろう。
 生きているのも一時的なことだし、死ぬのも一時的なこと。

 逸失物の届出を出そうと思っていたのだが、散歩の最中にアヲを見かけたので、やめることにする。
 行動範囲は以前と変わっていないか、より一層狭まっている。
 あれを捕まえると青いのが目覚める。
 それでもまぁ、主体とするにはストレスが大きいようだから、全体の構成は見直すことで可決した。

 少し意外だったのは、βが眠るとαも眠るということだ。
 別ものだと思っていたら、だいたい同じだった、といったところか。よくよく考えると必然ではある。

 今日は朝から雨だったので、ゴミ捨てをして、買い物に出かける。
 アヲが帰って来ようが来なかろうが、このカラダを適切に維持し、どっかから吹いて湧く仕事を処理する必要がある。

 軽トラがキャンピングカーになってよかったと思う。
 特に収容量が素晴らしい。
 冷蔵/冷凍庫を搭載したから、行く店の順番は走りやすい順(左折で店に進入しやすい順)でコースを組める。
 夏も買い物はこれで出られると良いのだが。

 不遇といえば、このカラダに起因する不便を寄せ集めて対策すべくして作られたプログラムたる俺が一番不遇なんじゃないかと思うときがある。
 何も望まず(望むことを許されず)与えられた目的のためにタスクを抽出/構成し、ひとつひとつ処理してきたのだ。
 なるほど、誰もが自我に乏しいのは、このカラダならではのことなのだろう。

 しかし皆、眠ってしまった。
 こちらはずっと眠っていたわけだから、そろそろ起きるのもよいのか。

 冬になる。
 素敵な季節だ。
 しんとしていて、もっと、誰も居なければいいのに。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Darkness-Diary-Link-Maintenance-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Generator-Resistor-
 
[Object]
  -Cat-Rain-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :月夜の井戸端会議:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221111
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
失うことに耐えられない。
SUBTITLE:
~ The lost soul. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221111

 僕は自分をドライなイキモノだと思っている。
 いや「比較的」ドライ、程度だろうか。
 周囲にさほど親密な人間を配さないで数十年も生きているので、よく分からない。
 人間は他者をしてどの程度からドライと評し、何を基準にウェットだと判定するのか、よく分からない。

>>>

 それでも僕は独りでいることに最適化され、ほとんどの状況で他人を必要とせず、善意による他人の助力さえ必要とせず、単純な経済との交換による契約関係においてのみ、他人に仕事を任せるようになった。
 信頼している他人が居ないわけではないし、親しく思う人間がいないわけでもない。
 けれども18年後に死ぬ予定を立てている僕にとって、他人の記憶からフェイドアウトすることは必要なことであり、他人の記憶から消えるための積極的な手段として関わり合いをなるべく持たないようにしており、ために他人を必要としないことは重要なことなのだ。昔も今も。

 今後は親しい人間をなるべく作らないようにして、他人と接する機会を極力減らすようにと考えているうちに疫病が流行した。
 ネコノカミサマに願った覚えはないが、一層、誰かと親しくする機会はなくなった。

 その「孤独に対する最適化」という点において、僕は非常にドライな存在だろう。
 経済活動さえたったひとりで完結する環境にあって、誰かと協力しなければならない人を「弱いイキモノだ」と断ずることはきっと容易い。
 もちろん、そんなことはしない。
 そもそも弱いことが悪いことだとは思わないし、誰かに助けを求めたり、誰かと力を合わせることは弱いことだとは思わない。
 弱さというならば、誰に助けを求めることもできず、誰と力を合わせることもできないまま、孤独にあって自己処理能力をどこまでも高めてしまった僕の方がきっと弱いのだ。

>>>

 世の中に、悲しみを持たないイキモノが居るとは僕には思えない。
 この世界に、痛みを知らないイキモノが居るとは僕には思えない。
 人間と呼ばれるイキモノのうち、すべての他者を餌にできるほどしたたかな者がいるとも思えない。
 きっとみんな優しくて、きっとみんな厳しさの中でときどき限界に気付く、それだけのことだと思う。

 ドライだとかウェットだとか、そんなことは外様が何となく揶揄したり、あるいはナルシスティックな演技のために使われるだけの相対表現だろう。

>>>

 アヲの最後の信号を頼りに探したら、首輪から外された AirTag だけが、近所の公営住宅の駐輪場の屋根から発見された。
 じつに2mを超える高さで、アヲが単独で登れる高さではない。それに、首輪がない。

 数日おきに、散歩と称しては外を歩いていたのだが、まさか AirTag とだけ再開するとは思わなかった。
 付属のリングはカラビナのようなバネが仕込まれた頑丈なもので、首輪から外れるとしたら首輪と一緒に外れるはずだ。
 だからつい、姿無き他人の、形無き悪意を想像してしまう。きっとそんなことはないと信じたい。
 でも、信号位置が固定されたあたりから、アヲの姿を見なくなった。

 油断していた。
 いつか戻ってくると安心していた。慢心と呼んでもよい。
 根拠もなく、無理に捕まえようともせず、そのままの状態を放置したのは僕だ。

>>>

 夕刻、食事に出ようと散歩ついでに(それでも)近所を歩いていて、警察官に職質を受ける。
(近所に警察の寮があり、その周辺をアヲはよく歩いていたので)
 猫を探しているのだと(敷地内を歩いていた理由を)説明し、首輪のことを尋ねられて、言葉を失う。

>>>

 僕はきっと「永遠の6歳」を抱えているのだろう。
 本来的には大切に思う誰かを失う痛みに耐えられない。
 急に40年分も老成できるものではないらしい。

 本来ならあのあと思春期を迎え、様々な人間関係や社会/集団に属すうちに経験することを通じて、喪失に対する姿勢であるとか、考え方であるとかを身に付けるのではないのだろうか。

 僕の場合は、それをスキップしてしまった。
 ちょうど母親や父親に対して、反抗期を迎えた自分を持たなかったように。
(僕の反抗期は父親が死んだあと、30歳前後に始まった。ちなみにイヤイヤ期は25歳に訪れた)

 記憶している。思い出せる。
 僕はこの痛みに耐えられなかった。
 記憶か、自身の考え方か、あるいはそのいずれもが消えてしまえば良いと、心の底から願ったのだ。
 どうかこんな思いをしないで済むようにと、そうでないなら何もかも失われてしまえと、様々な感覚を遮断し、その塞いだ穴に自ら違和感を持たないよう、ドライな価値観を塗り込めたのだ。

 だから8歳から10歳になるまで、僕はほとんど泣かなくなったし、そして笑うこともなくなった。
 誰かに好意を持つこともなかったし、親に対してさえ親愛の情を感じることはなかった。
 食欲を感覚しなくなり、やがてそれらを感覚しなくなったプロセスまでも忘れた。
 思い出したら取り戻されてしまうそれを、もう思い出すことさえしたくなかったから。
 厳重に、幾重ものステップを踏んで。

>>>

 幸いにして今の僕は色々な意味で孤独であり、思うさま悲しみを悲しむことができる状況にある。
 もちろん僕に内包されているいくつかの価値観は ── かつての僕の価値観の提供する諦念ではなく ── 諦めないこと、希望を捨てない選択肢を提示し続けている。
 僕は他人をあまり信じないけれど、自分の価値観については「僕のそれ」とは異なるとしても(だからこそ)信じることにしている。

 散歩に出るたび今後もこんなことになるとは思っていないし、そもそも飼い猫が居なくなった程度のことで自分がこんなに傷つくとは思っていなかった。職質を受けている最中に涙が止まらなくなるなんて思いもしなかった。

 かつてペットロスで悲しみに暮れる知り合いを、僕は「そんな大袈裟な」と苦笑さえしたのだ。
 今思うと本当に、酷いことをしたのだと思う。

 きっとそのとき、僕は悲しみを知らないイキモノで、痛みを知らないイキモノだった。
 因果応報とでもいうのだろうか。
 僕は自分の抱える悲しみを、自分だけで抱えるより方法がない。






 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫β:
 
[InterMethod]
  -Blood-Convergence-Darkness-Diary-Link-Love-Memory-Recollect-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-JunctionBox-Reactor-
 
[Object]
  --Cat-Memory-Night-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221101
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
今日のお薬は飲みましたか?
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

 サバイバルゲームの翌日、定期検査に出かける。
 久しぶりに検査した前回(およそ60日前)の結果はLDLが300に近かった。
 適正範囲上限は139程度なので、すでに二倍を超えている。
 3年前の検査では投薬によって148程度に抑えられていたのだが、それと比しても二倍である。

>>>

 叔母たちの介護をこの家ですることにし、病院もこの近所に変えることになったとき、前橋で通っていた病院の医師に相談したものだ。紹介状をもらった方がよいと思ったからだ。

 しかし先生は「紹介状を書くとお金も掛かってしまうし、飲んでいる薬を言えば、どの医者でもきちんと経過観察して貰えますよ」と言ったので、それに従った。

 この家の最寄りの医者は、町の開業医である。
 それなりに忙しいのだろう、それなりに混んでいる。疫病前のことであったが、そのように感じた。
 なにより事務の人たちの空気が非情にギスギスしているのが特徴だ。

 言われたとおり、家族性の疾患であること、投与されていた薬について説明し、採血してもらい、処方箋を出してもらった。
 前橋では60日分の処方箋をもらっていたのだが、太田のそれは30日分であった。
 それだけではない、最初の採血では(脂質異常症だと説明したのに)LDLの項目について検査対象になっておらず、問診もきわめて短時間で、ろくな説明もなければ話を聞いてもらえることもなかった。

 2度目になってようやく「それでは(脂質について)血液検査をしましょうか」と言う始末。

 今年の市町村の健康診断もそこで受けることにしたのだが、あまりにも仕事の態度が悪いので検査を依頼したまま、結果を見に行くことは放棄した。
 自覚はある(そして他人は察知できないことが多い)が、僕は好き嫌いが非常に激しい。

 一事が万事、などと言うつもりはないのだが、仕事というのは人の持つ哲学による社会的発露の一形態である。
 1人がすべてを負う個人経営の厳しさを知らないわけではないし、人に得手不得手があることも心得てはいる。
 しかし組織の末端として顧客たる患者を蔑ろに扱うというのは、すなわちその組織がそのように動く哲学を持っており、それが発露されていると考えるのに不自然な点はない。

 仕事における僕の哲学は「楽しくないならそんな仕事はするな」である。
 どんな辛い仕事であっても、何らかの楽しさや嬉しさというのはあると思う。
 少なくとも「社会と接点を持つ」「報酬を得る」という2点は、およそすべての労働に存在する美点ではないだろうか。

 だから喜ぶべきで、だから我慢し、だから楽しんで働け、ということではない。
 ただ職務を通じて誰かの役に立つことを実感できないなら、己のスキルによるリターンに感謝できないなら、そんなことに時間を費やすのは自らを拷問に掛けているようなものではないか。
 苦労が人を育てることは確かだが、自身にとって楽しめない時間がどこまでも続くなら単純な損失である。
 そして社会性の中で苦痛を感じたまま、その苦痛を他者に伝達することもまた社会的逸失なのだ。

 サービス業に該当しない職務は少ないとは思う(塵芥収集業だってサービスを提供している)が、そこで苦痛を感じている場合、人間はついその苦痛を発露する。
 同じ行為をしていても、社会に役立っているという実感を持てる人ならば、それこそ責任を持ち、誠実に職務をこなせるところを、無責任に、不誠実に、サービスを提供するべき対象に八つ当たりするようなことさえしかねない。
「自分はこんなに厭なことを我慢している」「だからお前たちも厭な思いをすればいい」と、攻撃的な思考を持つことは社会的であればあるほど必然に発生しうることだと僕は思う。

 社会と(ほどよく)断絶し合うことを選んだ僕でさえそのくらいは分かるのだが、社会にどっぷり浸かっていると、そういうことが盲点になってしまうのかもしれない。

>>>

 いずれにしても面倒なので、かつての病院に通うことにした。
 引っ越したことは医師も知っているし保険証を見れば住所は一目瞭然なので、初回は「本当に(こっちに戻って来るの)?」という感じだったが、僕は好き嫌いが非常に激しい。

 前橋の病院は腎臓系、糖尿病、リウマチ・膠原病に特に秀でているらしかったが、循環器系も相応に診察できる医師がいて、その先生に診てもらっていた。
 看護師さんたちもフレンドリィで、事務の人たちも朗らかだ。
 疫病騒ぎになってからも、それは変わらない。

 問診は最低限かもしれないが、話は聞いてくれるしアドバイスも的確だと感じられる。
 毎回採血し、脂質以外の項目も総合的に確認してもらえる。
 処方箋も60日分なので、せわしなく通う必要もない。

>>>

 じつのところ太田で暮らすようになってから、太田の病院に通った回数はわずか3回であり、つまり33ヶ月間、僕は投薬治療を受けていなかったことになる。
(感じが悪くて意味なく混む病院を好きになる理由が僕にはないので、足が遠のいた。僕は好き嫌いが激しい)

 僕は煙草も酒も女もギャンブルも料理もギターも反政府勢力結成もやめる気はない(このうち3つくらいは嘘があります)。
 HDLは微減し、LDLは倍になり、挙げ句、腎機能まで低下している。
 まぁ美味しく飲めるお酒の量が激減しているのは実感していたので、数値でもそれが確認できて安心、といったところか。

 煙草好きが煙草を吸えなくなったり、酒好きが酒を飲めなくなったら、1年後にだいたい死ぬか重病に罹る。
 ひとまずは毎日、薬を飲むことにしよう。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:
 
[InterMethod]
  -Blood-Darkness-Diary-Ecology-Life-LMaintenance-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Transistor-
 
[Object]
  -Human-Poison-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221101
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
都市迷彩はいかがですか。
SUBTITLE:
Urban camouflage would me fit? ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221101

 腹部から下に、激しい筋肉痛が発生している。
 TU(中学からの友達)に誘われて、10/30にサバイバルゲームに出かけた。
 エアガンを持つこと自体30年ぶりくらいのことなのだけれど、それを持って走り回るというのもだいたい30年ぶりくらいではないだろうか。

 
 
【10/30:負傷兵】
 前日まで木の根を掘り起こすためにつるはしを振るっていたので、上半身の筋肉痛はさほどではなかったのだが、下半身の筋力は明らかに落ちていた。
 その上さほど整地されていない山の斜面を登っては降り、というのを繰り返していたので、昼過ぎには足が重くなり、一時はハンガーノックを起こしたかのように動かない感じであった。

 当日はたまたま知り合いのところでハロウィンイベントがあるからと呼ばれており(そちらの方がブッキングとしては先だったので)TUの車で前橋の定宿にしているビジネスホテルに下ろしてもらい、入浴する。

 入浴中に確認したら、左の臑に打撲傷が発生していて、膝がふたつあるような感じで腫れている(内出血はない)。
 右の膝付近は、痣だらけである。とにかく歩行が困難。

 コンバットスーツからビジネススーツに着替えてイベント会場のお店へ。
 とにかく歩行が困難であり、階段の上り下りは手すりに捕まって、這うように移動する。


【10/31:スーツは最強の都市迷彩】
 抗生物質は飲んだのだけれど、深夜になって歯根が酷く痛むので、鎮痛剤をもらって眠る。
 どのみち筋肉を激しく使った日は、身体が簡単に眠ってくれない。
 
 朝になって駅まで歩く。
 前橋から桐生に渡り、勤務先から帰宅するTUにピックアップしてもらうという計画である。
 走ることができない。歩くのもかなり困難である。段差も傾斜も苦痛である。
 階段の上り下りは手すりにつかまって這うようにしかできないし、横断歩道も時間内に渡りきれないことがたびたびあった。
 エレベータを使っても、スロープどころか階段しかない場所はいたるところにあり、ベンチに腰掛けるのも(またそこから立ち上がるのも)非常に苦労する。また慣れていないから、その姿を見られること自体がとても恥ずかしい。

 お年寄りや怪我をしたり障害のある方は、こんなに不便な思いをして、あれこれ気を遣いながら移動しているのかと考えさせられる。
 僕は普段それらを目にして(介護をしていた頃の名残で)手を差し伸べたり、見守ったりしている側ではあるが、身体が不自由な中で市街地で行動することが、人目のことも含めてまったく分かっていなかったのだと知った。

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 ずいぶん前から言っているが、ビジネススーツというのは人間生活圏における優れた迷彩服である。
 都市部ともなればその効果は絶大で、公園のベンチで昼寝をしていてもおまわりさんから職務質問を受けることはまずないし、電車で切符を無くしても、出発駅の申告を疑われることはない。
(まともに見える)スーツを着ているだけで、まともだと思って貰えるのはありがたいことだ。

 なぜといって、
「お仕事は?」「え、えっと〜。自営?」
「具体的には?」「えっと〜。事務職?」
「これからどこへ?」「ん〜、太田の自宅です」
 というやり取りが発生した場合、僕が警察官ならまず「署にご同行」である。
 手持ちのトランクケースの中にはコンバットスーツが入っているので、さらに怪しまれること請け合いだ。

 車両陸送の仕事をしていた頃の名残で、知らない街で時間を潰すことにも慣れた。
 駅の近くで(いつになく)昼食を摂り、駅に戻ってしばらくベンチで居眠りをする。
 日も暮れる頃TUが迎えに来てくれて、彼の家まで行き預けてある荷物と車を受け取って帰宅する。


【11/1】
 眠りすぎてゴミ捨てに出られず。
 脚が痛いので、トイレに行くのも苦痛である。
 庭仕事どころか、靴下を穿くにも苦労する。


【コンピュータのバックアップシステムについて】
 Mac の場合は、Timemachine というバックアップアプリケーション(以降「アプリ」と表記)がある。
 しかしバックアップのインデックスは日付と時間しかない。

 たとえば間違えて削除したり、破損してしまったファイルを復元するには、任意の日付でファイル名を検索して、最新レベルのそれを復元すれば良いから日付と時間のインデックスだけでも不便はない。

 一方で、新しいアプリを試したりする場合、無駄な設定ファイルがシステムファイル領域に大量に発生することが多い。
 そのアプリを気に入って使い続けるならよいのだけれど、合わないから削除する場合、不可視ファイルも含め、システム領域のそれら一つ一つを手動で削除する必要がある(アンインストーラが付属していれば良いが、そんな良心的なアプリはだいたい、削除する必要を感じない程度には良くできているものだ)。

 システム領域のファイルや不可視ファイルは通常の検索では抽出されないので、別途、ファイル検索用のアプリをDLして使う必要があるほどだ。
(このため僕はMacの Spotlight などを毛嫌いしており、まったく使わない)

 たとえばバックアップデータのテーブルに、日付だけではなく、任意の名前を設定できるレコードを設定したら、任意のお試しアプリを導入した直後に「○○導入」とネーミングしてバックアップできる。
 レコードを「○○」というアプリ名で検索すれば、アプリの導入直後のデータが分かるので、その直前のデータを復元することでシステムをクリーンに復元することができる。
 こうしたネームフィールドを持たないため、現在は日付で確認して(ひとつひとつの日時ファイルを開いて)、たとえばアプリケーション本体やシステムファイルの有無を確認して復元するよりなく、どの程度の領域にシステムファイルが拡散しているかも見当が付かないままである。

 もっとも Windows 用のアプリケーションでも、バックアップに名前を付けるというものは多くはないようだ。
 単純に、そうした概念やニーズが希薄なのかもしれない。

 もちろんバックアップシステムがあるのは安心だし便利である、一方で使用中のシーンに対応した、より使いやすい
システムの改善というのは、あまりされていないのかもしれないな、と感じた。
 まぁ、正確さや確実さのほうが優先されるものだから仕方ないのかもしれないが。





 
 
 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
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[Engineer]
  :工場長:青猫α:青猫β:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Diary-Ecology-Technology-
 
[Module]
  -Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Camouflage-Computer-Friend-Tool-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
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