// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:221028
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
相貌失認は進行するのか。
SUBTITLE:
~ Flat faces. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
221028

 相貌失認というのは「人間の顔をうまく認識できない」という障害のことである。
 人間の脳には、人間の顔を認識する機能に特化した領域があると言われている。
 3つの点や丸が配されていると、それだけで人間はそこに「顔」を見ることができる。
「∵」もその一例で、顔文字の多くは数字や記号を含む文字を用いて人間の表情を(ボディランゲージのこともあるが)表現している。
 見える人には「;)」も「-_-」も顔に見えるだろう。
 僕も読み方(見方)を学習しているので、これらの記号を顔だと認識し、その認識を発展させて人間の顔をイメージできる。

 この脳部位の機能障害が相貌失認の主な要因だろうと言われている。
 僕の場合は極めて軽度のもの(だと思う)であり、日常生活や職務で支障を来したことはない(はず)。
 街でばったり家族や友人に会っても、だいたい判別できていると思うし、よほど疲れているのでもない限り、誰かと会話していて表情が「読めない」状態になることは少ないと思う(いずれも主観による)。

 しかし疲れている場合や、長時間(数分程度なので、ちょっとした会話の時はけっこう起こるが)同じ人の顔を見続けていると、その人の顔全体の情報が崩れてゆく。
 福笑い(古き良きお正月の雅やかな遊びのひとつ)で、顔の個々のパーツを、ずるずると外や下に動かしてゆくと、ある程度の段階からそれが顔には見えなくなってくる。
 それに似ている。

 個々のパーツが何であるかは理解しているのに、それらが全体で顔や、その表情を作っていることが理解できなくなってしまう。
 実際にその人の顔のパーツは動いていないのだが、個別に認識を続けているうちに、全体を認識できなくなってくる。
 パーツに集中したことが原因なのだろう、ゲシュタルト崩壊して個々のパーツが浮いてしまい、全体性を失うのだ。
 やがて表情が読めないだけにとどまらず「人間の顔って、こういうものだっけ?」という認識レベルに到達する。
 こうなると「人間の顔」というものの定義が不明になってしまって、顔文字もただの記号にしか見えなくなる。

 自分の顔を眺めていても同様の現象が起こるので、僕は自身の顔認識力が低いのだと思っている。他の人にどの程度同様の現象が起こるかは分からない。

>>>

 もちろん初対面の人の顔相に対してなら、認識が崩れようが、表情が読めなかろうがとくに問題はない。
 しかし親しい人と話をしている最中に、顔が崩れる(物理ではなく僕の認識の上で顔の意味が崩壊してしまう)と、会話の情報を読み取れなくなることもある。
 この人は怒っているのか、楽しんでいるのか、これからびっくりさせようとしているのか、それとも穏やかな気持ちで語っているのか、分からなくなってしまう。
 同じ言葉、同じ内容の会話であっても、顔相から会話の流れを予測し、自身の反応を決定する機会は思ったよりはるかに多い(少なくとも僕は)。

 親しい相手ほど、より近い距離で、より長い時間、目を合わせて会話することになるのだが、途中で話の内容や相手の意図が読み取れなくなり、場合によっては感覚が混乱して会話どころではなくなってしまったりする。
(「人間」ってなんだっけ? という認識崩壊が起こり始めることさえある)

 実はこれを防いでくれるのが眼鏡である。
 僕が掛けるのではなく、対象が眼鏡を掛けていると、僕は相貌失認をほとんど起こさなくなる。

 僕が眼鏡を掛けている人間を外見嗜好として比較的好ましく思うのは、この「顔相認識の崩れ」が、眼鏡という無機物によってほとんど起こらなくなるからだと思っている。(実際、まず起こったことがない)

 もちろん他にも方法がある。
 たとえばごく親しい間柄なら、僕はじっと目を合わせて他のパーツに意識を向けないようにすることがある。
 全体や、特定点以外のパーツを同時に把握しようとするからかえって意味を失うこともあるらしく、特定パーツにフォーカスしていると、全体がブレて崩れてしまう一連の流れを抑えることができる(いらぬ集中力を必要とするが)。

 パーツそのものではなく「動き」にフォーカスする事で、表情を読みながら、パーツの相対情報を読まない、という手法もある。もはや相貌失認ではない人には理解不能かもしれないが。

>>>

 最近、気付いていることがある。
 相貌失認が、徐々に酷くなっている気がするのだ。
 これってそもそも進行するようなものだったろうか。
(あれだな、総合認知障害が進行しているんだろうな。認知症なんだよきっと)

 そもそも、今の僕は自身を含めても、他人の顔を見る機会が極端に少ない。
 TVもWebの動画もさほど見ないから、人の顔なんてまったく見ない日がひと月続いても不思議はないし、ざらにありそうだ。
 買い物くらいには出かけるが、まさかレジの係の人をまじまじ見つめるわけにも行くまい。
 結果、人間のカオというパターン認識が、あまり必要ではなくなってしまう。

 声音と気配(動作によって発生する音)や匂い、視覚的な部分では体格や服装にまつわるイメージで、だいたいそれが誰であるかは分かるので、問題はまったくないのだが、顔面の意味を失っている「人間と呼ばれるオブジェ」がこの社会を構成しているように肉眼からは観察されることがある。

 今のところ生身の人間に対しては「ちょっと認識崩壊が早くなったかな?」くらいで済んでいるが、アニメを見ていたり、一般的なアニメっぽいキャラクタのイラストなどを見ていると、それが「人間の顔を記号として表している」ことまでは理解できるのだが、人間の顔として理解するのが比較的困難に感じることが多い。
 ひどいときはただの記号に見える。
「口を開けて、あははーと言っているから、笑っているな」とか「数値的バランスなどから察するに、これは美男子を描いているな」とか。

>>>

 対象の認識というのは、僕の場合、それに対する距離感にも影響を与える。
 きっと誰もがそうだろうと思う。

 イキモノの多くは同族を同族として認識する。
 人間も同族に対してみだりに攻撃的になることは少なく、一定の協調性を示したり、好感を示すことだって少なくはないはずだ。
 しかし外観(形状だけでなく、動きや生態を含む)に対する単純な嫌悪感だけで殺される虫は多いし、外観(同じく形状だけではない)に好感を持っているだけで多くの動物が愛玩されている。

 同様のメカニズムで、人の顔に対する認識崩壊が起こっている間、ある種の不快感や不安、ときに恐怖を感じることがある。
 相手の「人間」という認識が、少しずれてしまうから、同時に自身に対する「人間」という認識も崩れてしまう。
 自分自身に対する確固たる認識が(そもそもあまりないと思っているが)崩れてしまうと、人間というものや社会というもの、コミュニティの一員として接している状況にさえある種のゲシュタルト崩壊を感じてしまう。
 自分が自分でないような、つい一瞬前まで感じていた親しみが突然、意味不明で不気味なルールに思えるような。
 何もかもが疎遠で、理解不能で、自分とはまったく関係ない領域で起こっているような。

 極端なときは、人間の身体にさえそれを感じてしまうことがある。
 そうそう人間の裸体を眺める機会はないと思う(少なくとも僕はない)のだが、たとえば恋人と身体を重ねるときなどにこれが起こると、さきほどまで性的に興奮していたはずが、急激に不安な感覚に陥ることになる。
 自身の皮膚感覚まで深い違和感に飲み込まれてしまって、身体を丸めて不気味な感覚のすべてを遮断したくなるのだ。

 もちろん目を閉じて呼吸を整えれば何とかやり過ごせるし、顔の時と同じように自身の認識方法を操作することでゲシュタルト崩壊を防ぐこともできるようになった。
 少なくともそうできていた時期があった(正直、今は分からない)。

 そのとき行っていたのは、顔の時と同様、とにかくたくさんの裸体を眺めてそれに慣れることだった。
 とくに数値的バランスが計りやすい、比較的「美しい」と分類される傾向の、ポルノグラフィと言われてもおかしくない画像(動画を見ているとどういうわけかゲシュタルト崩壊を起こしやすい)をいくつも見るのだ。
 僕の「極端ではないルッキズム」は、おそらくこの「数値的に把握しやすいこと」に起因している。
(それでも、アニメキャラなどは各パーツの動きによる変化が数値演算しにくい傾向にある ── 横顔のキャラクタの口がこちらを向いているなんてざらにある ── ので、混乱しやすいのだろうか)

 中央値に近い、ばらつきの少ないデータを蓄積することで、顔も「顔という記号の傾向はこういうもの」と認識精度を上げることができた。毎日顔を合わせる人々の顔は当然に違うものだが、共通している項目だってたくさんある。
 その顔のパーツの差違やパーツそのものに集中してしまえば必然に、全体の総和としての意味を失ってしまう。
 だからたくさん見ることで、それの平均値を覚えるともなく学習しておくのだ。
 身体についても同様に、共通の項目を情報として蓄積することで、個別の違和感をなくすように努力していた。

 なぜといって身体を重ねている最中に男性が勃起不全を起こすと、過剰に不安を覚える女性もいるからだ。
 気持ちは分からないではない。
 僕も、行為の最中に恋人が眠ってしまったことがあり、そんなことでも少しショックを受けたことがある(それらが同じものとは思っていないが)。
 少なくとも、そういうこと(恋人を無用に傷つけること)を未然に防ぐには学習して「人間は(少なくとも僕の恋人は)違和を覚える必要のない対象である」と感覚を馴らしておく必要があった。
 忘れず、記憶し続けておく必要があった。

>>>

 ほとんど誰にも接触しないことが可能になったので、そうした予備学習を必要としなくなったのは事実だ。

 僕は親や姉妹の顔さえ、目を閉じて思い浮かべることはできないくらい、相貌に対する認識や記憶力が低い。
 自分の顔や身体さえろくに記憶していない(できない)。
 ついつい自身についてを「人間」と書かず「イキモノ」と書いてしまうのは、そのせいもあるのだろう。
 僕自身さえ、僕には近くて遠い存在なのだ。

 ただ、少し危惧もある。

 自分も含め、同族たるはずの人間に対して違和を感じ続けるのは、先の理屈に従えば、やはりない方がいい。
 たかだか視覚による認識の問題でしかないのだけれど、それでも「あれもこれもそれも同類などではない」などと、身近な他人や自分自身にさえ違和を感じ、不安や恐怖の芽のような感情を持つのは、危険とまでは言わないけれど、避けるべき、あるいはせめてソフトランディングさせるべき問題のようにも感じる。

 相貌失認が、相貌失認だけであればよいし、それが進行したところでさしたる問題を今は感じていない。
 けれども人間や、社会に対して、極端に異質で異様なものだと感じるようになってしまえば、それは危険な状態だと判断できる。
 いくら元が社会不適合だからといって、そこまでの状態を許容することはしない方が良いだろう。

 仕方ない。毎日自分の顔くらい眺めてやるか。







 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫β:黒猫:赤猫:
 
[InterMethod]
  -Blood-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Interface-Link-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Connector-Reactor-
 
[Object]
  -Camouflage-Human-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:
 
//EOF