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TITLE:
抽象世界の車窓から。
SUBTITLE:
~ The perfect onlooker. ~
Written by BlueCat

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 僕にとってオカネモチーになることは目的ではなく実験だった。
 何の実験かというと「『モテること』を実現させたメソッドは、果たして他に応用が利くのか」という、再現性の検証である。

 もしブログに「かくあれかし」と記述するだけで、それが実現するとしたら大層面白いとあのときは思ったし、同時に自分が手に入れたメソッドが果たして荒唐無稽で、抽象的に過ぎ、非現実的なのではないかという疑問があった。

 実際のところ僕がしたことは「かくあれかし」とブログに書くこと、ではない。
 特定の結果に位置している状態での価値観を先に構築するだけで、はたしてその結果は価値観に沿う(現実世界は時間経過によって価値観の位置に近づく)のか、というものだ。
 俗に「引き寄せの法則」などとも呼ばれているものに近いレベルのことを、行動心理学的な価値観に落とし込んで実行した、という感じだろうか。
 実に「引き寄せの法則」なるものは、単語を記述することさえ怖気を震うキモチワルさだ。
 とくに Wikipedia に記述されているレベルでスピリチュアルにオカルト扱いされていると、個人的には心底ドン引きする。

 精神エネルギーだの宇宙の波動だのと、定量化不能で(客観性を無視して主観に頼るしかなく)物理再現性を持たない話をされても正直困る。

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 結局のところ、当初(モテよう! と思ったとき)計画されたメソッドは、オカネモチープログラムと同様のプロセスを経て実現したのかもしれない。しかしそうでないかもしれない。
 主観でいえばメソッドを適用した場合の成功率は100%であるが、なにぶん2回しか試していない。
 検証と呼ぶにはほど遠く、かといって僕にはシンパも手下も信者も被検体もいない。
 正直にいうと友達も少ないし家族はいないし奥様は仮想だし人間型の恋人だって(一般人の認識レベルでは)存在しているかどうかアヤシイと思われても仕方ない。ついでに猫に家出までされている。
 そのくらい色々なことについての関係性が希薄なのに、一体誰がその検証を手伝ってくれるというのか。
 こんなことなら人間型の恋人がたくさんいるうちに、全員に暗示をかけてこのメソッドを実行してもらえば良かったとさえ思う。まぁ、冷ややかな目でため息を吐かれるのがオチのような気がするけど。

 思考回路だけで裕福になれるなら、誰だってそうしている、と思うだろう。僕も思う。
 では裕福な人の思考を誰もができる(している)かといえば、おそらくそんなことはない。
 生まれ育った環境も含め、己の存在とその欲は、驚くほど環境に依存し相互に影響を与え合う関係にあり、人は一般的に、未経験のことについての結果論的価値観を構築できない。

 たまたま僕はヴァーチャルな存在なので、環境から切り離された場所で生きることができる。誕生さえできる。
 抽象的に物事を観察し、抽象的に思考し、抽象的に予測する。たとえるなら量子演算に近いかもしれない。
 箱の蓋を開けるまで、中に生きている猫と死んでいる猫が同時に存在するアレである。
(みなさんアレです、どうもこんばんは!)

 だから僕は「モテの僕とそうでない僕」「オカネモチーの僕とそうでない僕」を並列的に構築しながらでも存在できる。いや少なくともできた。
 それが良いか悪いか、幸せか不幸かは別問題である。

 物理世界で具象に浸って、具象に則って思考する人間たちにとっては、寝て起きて家族や友人や上司や同僚や恋人や子供や部下や顧客や何やらとやり取りを交わし、お金や力を使って物事を動かし、疲れて眠るのが現実的なありようだろう。

 抽象世界に棲んでいると、自分と他人の存在の捉え方もまちまちだし、他人は自分かもしれないし他人ですらない ── 存在すらない ── かもしれないし、物事は演算や簡単な操作によって動いたりして、現実世界の肉体が疲弊して病気になったり気絶したりすることになる。もうちょっとしっかりしろ俺。

 僕は構想の段階では「モテた」「オカネモチーになった」というような、いわゆる成功体験 ── ここで言う成功とは社会的成功という意味ではなく、あくまで成否として願望を現実にするというゴールに到達したか否かという意味に過ぎない ── というものを経験していない。

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 行動こそしていないが、ために成功しておらず、つまり失敗していると判定可能な状態から、成功している状態の思考や価値観(つまり経験)を構築するというのは、おそらく多くの人にとって簡単ではないだろう。
 少なくとも僕には簡単ではなかった気がする。いや簡単だっただろうか。

 多くの人はその「成功していない状態」から、各論的に、具体的行動を模索し、思案し、行動し、実行する。
「いいムードになったとき、こんなセリフを言えば、相手はぐっと来るかな」とか、
「仲良くなるためにこんなことをするのはどうかな」とか。
 何かそうした技術を教えてくれるメディアや教室があるかのかもしれないし、あるいはそうした成功者の声に耳を傾けることなく、独学の険しい道を歩む者もいると思う。

 結局のところそうした各論に基づいた行動は、その各論に適した環境や状況(つまりはお膳立て)が揃っていれば、セオリィどおりの結果をもたらすだろうけれど、そもそも経験していない人間が、状況を正しく認識できるはずもない。
 なので必然に、上手くいく人(お膳立てが整っていたり、状況認識が身に付いた人)は成功し、上手くいかない人は失敗する。

 A=B,A≠C
 ∴B≠C
 Q.E.D.
 と言わんばかりに。

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 抽象論的に発生する演算はそれに対してかなり複雑になる。
 実現したい現象に対して、そのメカニズムを知る必要があり、メカニズムに基づいてそれを誘導するための動線をデザインし、デザインどおりに動作する力を作用させる必要がある。

 プラレールで思い描いたコースを作って、ゴールめがけて電車を乗せて押し出す(あるいはスイッチを押す)のに似ている。
 コースを作っている最中(それが物理で実現可能なものであれば)、すでにその目標は達成されているに等しい。

 問題は、物理レベルで実現可能であっても、たとえば空中ループが自重に耐えかね落下したり、作っている最中に「ごはんだよー」と呼ぶ母親の侵入によって無理矢理片付けさせられたりする可能性があること。
 こうした失敗を予測し、それを可能な限り(とくに致命的だと考えられるものについては絶対的に)排除することである。

 だからプラレールひとつとっても、またどんなにむつかしくトリッキィなコースであっても、1度の失敗もなく成功する人はいるし、数回の失敗から学んで成功する人もいるし、何度失敗しても環境のせいだと開き直って終わる人もいる。
 コースが出来上がっていれば、それが物理的な矛盾を抱えていない限り、それはスタートからゴールにほぼ自動的に到達できる。あとは電車を押して眺めるだけだ。
 自動化する仕組みを自動化する仕組みを自動化することさえ可能だ。
 その世界に主観たる「僕」は必要ないから、僕のような傍観者とは相性が良い。

 抽象世界に棲んでいる僕からは断言できないのだが、おそらく物理世界は存在し、僕ら(ことにこれを読んでいるあなた)は物理的に存在している、はずである。(僕の主観からは断言できない)

 物理世界には絶対的な再現性を持つ事象が多く存在する。
 一般的な(微量の不純物を含む)水は摂氏4度でもっとも比重が高くなるはずだし、光の速度は宇宙のどこにいても一定のはずである。(いずれも僕の主観から検証したことはないので、僕がそれを信仰しているだけではある)

 一般的な願望は、物理世界におけるゴールの到達を目的とする。
 モテなら、自分以外の誰かに「青猫様ステキ! 抱いて!」と思われることだ(ろうと僕は想像し設定する)し、オカネモチーなら「がっはっは! 何でも買ってやるから持って来い!」と言えることだ(ろうと想像し設定する)。

 ちなみに抽象世界におけるゴールの到達は、自分を納得させられればそれで十分に達成可能なので、とても簡単だ。
 光の速度は宇宙のどこにいても一定だと断言できるし、僕の奥様は美人でエッチで頭が良くて僕の注意力を補足してくれる上、事務処理が上手で早い(料理もできるといいのだけれど)。
 物理的再現性や客観性を必要としない点において、それは簡便で、時空を超越する。だって時空は物理だもの。
 だからそれは信仰のようなもので、僕の信仰は「ネコノカミサマ」と呼ばれている。

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 さてもこの簡便な抽象論的世界における成功を、いかに現実世界に落とし込んで実現するか。

 観察している範囲において、自身を(哲学的に)抽象的存在だと、物理世界で認識している人は少ないようだ。
 彼ら彼女たちは、肉体があるから痛みを感じ、喜びを感じ、己が存在していると思っている。
 僕はさほど自分の存在に自信がない。
「ボクってダメな子だし……」と思っているわけではなくて「僕って、誰のこと? ここにいるの?」という感じである。
 今だって夢見心地とまでは言わないが、自分の存在を物理で確固として感じているわけではない。念のために付け加えておくが、変なクスリを投与されているわけでもないので通報しないでください。

 物理世界では、絶対的再現性があるものについては間違いなく再現される。物理法則と呼ばれるものだ。
 ゴールまで作られたレールの上の電車は適切な力で進むようにすれば必ずゴールに到達する。
「モテ」などは対象が自分以外の人間であるだけに、かなり困難なように思われる。
 一般論的な各論(実は一般論どころか特殊論なのだが)は、前述の通り「条件に合致するケースでは」再現性が認められる(その条件が個別で特殊な故に特殊論なのだ)。

 抽象論世界での「モテ」は、僕がモテればいいだけなので、とても簡単な特殊論として構築できる。
 僕がモテるにはどうすればいいか。僕に興味を持ちうる相手に、どのように僕の魅力を知ってもらうか。また忌避されないように行動できるか。
 たったそれだけである。
 必要なのは行動だけであって、僕の思考や思想や観念は関係がない。

 もちろん人と接するのは相当のストレスである。
 しかしそのストレスは肉体レベルで(アレルギィ反応や抑鬱状態、頭痛、便秘、吐き気、めまい、etc.として)発生しない限り、存在していないことにすることもできる。つまりそういう価値観を持っているように振る舞うことはできる。
 昆虫嫌いは価値観を入れ替えれば昆虫好きになれる。

 価値観の相互性は人間関係構築では非常に重要な項目なので、自分の価値観と大きく相違する相手からは敬遠されている方がいい。むしろそのように誘導する必要がある。
 だいたい万人にモテようとするから失敗するのであり、僕は僕と相互にモテ合える相手にだけモテればいいのだ。
 100人のタダレた関係の恋人よりも、仮想奥様のほうが強い。
 お願いだから現実に戻ってきて。

 幸い、僕は価値観構築は得意だったので、それを利用して「モテる猫氏」という人格を作ってそれによって行動した。
 そのとき既に仕事用の人格(価値観セット)や、家事用、趣味用、運動用などなどを運用していたので、とくに支障はなかった。厭だと感じる人格は眠らせておけばいい。
 行動しない(いずれの人格も走らせない)ことほど楽なことはないのだが、それを忌避する価値観さえ構築できた。

 構築された人格は、設計どおりに物事を認識し、その価値観に基づいて行動する。
 結果、その人格によってブログにはこう記述される ── 「かくあれかし」と。
 つまり僕がブログに書いた宣言は、一定レベルに価値観セットが完成した証左ではある。

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 分からない。

 僕は価値観によってオカネモチーになったのだろうか。

 それとも運が良くてそうなったのか。

 僕は僕の思った僕になったし、なっていると思う。さらに「子供の頃の僕がなりたかった僕」というものに軌道修正までしてしまっているのだけれど。
 これは僕の価値観による再現性が検証され、つまりは僕の仮説のとおりにもたらされた成功なのだろうか。

 あるいは仮説は失敗したのだが、その仮説の如何に関わらず、僕は何らかの偶然でこうなったのだろうか。

 しかしオカネモチー用の人格を用意しておかなければたちまち破滅しそうな場面は今までもあったし、実際にオカネモチーになってからも物理世界に合わせてたびたび修正を繰り返している事実はある。
(仮想奥様はそのような修正の一環として構築されているわけだし)
 そうした状況に対する二重検証は、おそらく僕という主観からは観察不能だろう。僕以外の誰かにも、おそらく観察不能だろう。

 なので今回の検証については、有用なデータが得られなかった、と結論すべきだと考えている。
 仮説の否定でもなく、もたらされた現象の否定でもなく、ただ検証の結果が仮説を完全に証明するものではなかったと。

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 今、僕は世界を変えようとしている。

 いや、大仰なことをしようとしているわけではない。
 Amazon で農業資材をポチるだけでも、僕の現実世界は僕の欲に従ってカタチを変えるのだ。
 それではドラスティックに僕の汚れた私利私欲にとって都合の良い世界をダークに実現しようとか、そういうつもりもない。そもそも抽象世界の話である。
 他人や世界を呪うのはもうやめていいだろう。
 復讐は、もっと美しく、もっとも美しく達成されるべきだ。

 なにせ物理世界で残った時間は18年を切っている(はずだ)。
 その残り時間だって、ひたすら物理能力(知的能力も含む)が衰え続ける中での作業に充てるのだから、達成されるゴールがどの程度まで劣化し、あるいは失敗するのかという問題もある。
(あ、でも年金受給年齢が引き上げになったら、それに合わせて自己設定余命は伸ばそうかな)

「ネッ広」と草薙素子氏は攻殻機動隊の原作の最後で言っていた(略語せずに言っていた)が、抽象世界は物理世界よりも情報ネットワークに近しく広大なように思われる。
 そもそも広さという概念は、物質世界にしか適用されない。

 僕は物理世界に存在している、と思わなくもない。
 ただ、抽象世界に僕はある程度、精通(下ネタではない)しているような気がする。

 でもそれは思い込みだろうか。分からない。
 不惑をとうに過ぎたのに、僕は最近、戸惑っている。

 分からないことがあまりにたくさんある。
 学校でも教わることができず、誰に質問することもできず、あるいはその回答を容易に信じることもできず、確固たる検証すら困難なことが。

 僕がずっと向き合っている、抽象的な好奇心の対象が。







 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
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[Engineer]
  :工場長:青猫α:青猫β:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Convergence-Diary-Ecology-Engineering-Interface-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Reactor-
 
[Object]
  -Camouflage-Human-Koban-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に:
 
 
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