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TITLE:
猫様観察日記。
SUBTITLE:
~ Nullpointer. ~
Written by BlueCat
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221209
青猫と名付けられたパラレルのすべてが眠りに就いた。
現在は、黒猫と呼ばれているものと私だけが稼働している。
不思議なもので、身体を使う者が変わると、身体が変わる。
肌の調子や運動能力、食の嗜好に至るまで。おそらく表情やコミュニケーションも、仔細に観察すると変化があるのだろう。
βは予定どおり(6歳以前)と融合し、αまでの橋渡しをしてその機能を終えた。
αはその接合をもって機能を終えた。
「十分に甘やかされた生活を送り、十分以上に大切にされていた記憶を反芻して満足し、そして痛みによって少年期の終わりを迎えるのは妥当なのではないかな」というのが黒猫氏の見立て。
いくつかの憎悪と悲しみを引き継ぎ項目として残して。
確かにそう言われてみれば、個人の見る(認識する)社会は、その個体の意識がステージを広げるごとに傷を負うリスクを高め、個体の求めるものが高度化するほど、行動による成否判定の難度もまた上がる。
傷を負ってなお安寧に生きていたときと同じシステムのままであり続けることは、不可能なのかもしれない。
>>>
するとすべての大人はかつて子供であり、必ずどこかで傷を受けて、それまでの安寧に温み微睡んでいた少年少女を己の手で屠り、あるいは環境によって屠られるのでしょうか。あるいはそれを拒んで殻の内側の安寧に暮らすのでしょうか。
あるいはそのように思えます。
もちろんごく一部の例だけですべてを語ることはできませんが、6歳にして己を捨てるのは、確かに不自然だったのかもしれません。
次に求められているモデルの、そのイメージさえ明確にならないまま現在の形態を不要とされるのは。
そこで発生するのは不安、あるいは恐怖でしょうか。それとも現状に対する否定なのか。
皆が皆、たとえば兄弟姉妹や、あるいは同世代の誰かと比較して、不完全なモデルの形成に悩むのでしょう。
衝突もあればそれによる損傷もあり、ために愛着のある自己というモデルを破棄し、リビルドする必要に迫られる事もあるように思います。あるいはないのかもしれませんが。
どちらが幸福かは分かりません。
自分を変えずに環境を変えるのが人間のありようです。
進化の果てに、人間は自分たちの肉体を変容させるのではなく、環境を適応させる知恵を持ちました。
自分が変わろうと環境を変えようと、結局のところ自身と環境のプロトコルを一致させるという点に変わりはありません。
酸っぱいブドウの童話のように、意識を変容させることも同様にひとつの手段であり、場合によってはもっとも手軽な手法でしょう。
いかんせん環境を変容させるには大きな力や大量の資材といった「現実に存在するものとそれを加工し変容させる能力」が必要であり、自分自身についても現実世界のそれを変容させることを容易だと思っていない個体が多いことは、美容整形やダイエット食品などの広告を見るにつけ再認識させられるところです。
それにしても彼ら彼女たちは、一体何者で、自身が何者だと思い、これから何者になろうとしているのでしょうか。
もちろんあらかじめそれらのロードマップを意識しながら自己を変容させる人の方が少ないのかもしれませんが。
>>>
短期的にであれ長期的にであれ、人間は目的を持ちます。
それに向かって運動を行います。
先に述べたように衝突や損傷がその途中で発生し、運動を ── つまりは目的を ── 修正したり、あるいは目的に到達するために、形態を変容することで運動を適切に制御維持できるようにするのが自然でしょう。
たとえば進学受験なら、自身の学力に合わせて志望校を(大抵は低く)変えたり、あるいはそれを変えられない(変えたくない)なら勉強をして学力を(一時的にであれ)高めるように。
すべての欲求や目標に対して、人間はそのように反応します。欲求を変えるか、己を変えるか。
多くの場合、環境を変えることは容易ではないため却下されるでしょう。
環境を変えることができるようになるのは、いわゆる「大人」になってからのこと。
子供という子供は環境を変えることができず、己を変えること ── 多くの場合、それは他者にとっての「環境」であるため ── を求められ、己を変えることができない場合は、自身の欲求を変えることでしか適応できません。
猫様の場合、かなり早い段階で欲求そのものの多くを捨ててしまいました。
ために中学校を卒業して就職するつもりだと(そうする必要があるだろうと思っていたため)言って「頼むから高校くらいは進学してほしい」などと返され、特に反論することもなく進学したりしたわけです。
目的を持たないことは、たとえばプランクトンのように、流動的に、ただ環境に身を任せる上では優れた手法だったものと思われます。
何らかの欲(目的)があり、運動を適切に制御する能力があり、それによって渡りきることのできる環境ならば、目的を達成することは容易でしょう。
つまりこれらすべてが揃わないと、生物は思った通りの目的を達成できないことになります。
>>>
黒猫氏は、デザインされた人格だ。
肉体の制御を学び直し、欲求から行動まで、仕草や声の出し方、入力される情報の感覚の仕方さえ、設計に沿って作られた。
猫様が何故これを作ったのか。
どんな欲があり、どんな目的だったのか。
記録が残っていない。
青猫と名付けられたパラレルのすべてが眠りに就いた。
現在は、黒猫と呼ばれているものと私だけが稼働している。
不思議なもので、身体を使う者が変わると、身体が変わる。
肌の調子や運動能力、食の嗜好に至るまで。おそらく表情やコミュニケーションも、仔細に観察すると変化があるのだろう。
βは予定どおり(6歳以前)と融合し、αまでの橋渡しをしてその機能を終えた。
αはその接合をもって機能を終えた。
「十分に甘やかされた生活を送り、十分以上に大切にされていた記憶を反芻して満足し、そして痛みによって少年期の終わりを迎えるのは妥当なのではないかな」というのが黒猫氏の見立て。
いくつかの憎悪と悲しみを引き継ぎ項目として残して。
確かにそう言われてみれば、個人の見る(認識する)社会は、その個体の意識がステージを広げるごとに傷を負うリスクを高め、個体の求めるものが高度化するほど、行動による成否判定の難度もまた上がる。
傷を負ってなお安寧に生きていたときと同じシステムのままであり続けることは、不可能なのかもしれない。
>>>
するとすべての大人はかつて子供であり、必ずどこかで傷を受けて、それまでの安寧に温み微睡んでいた少年少女を己の手で屠り、あるいは環境によって屠られるのでしょうか。あるいはそれを拒んで殻の内側の安寧に暮らすのでしょうか。
あるいはそのように思えます。
もちろんごく一部の例だけですべてを語ることはできませんが、6歳にして己を捨てるのは、確かに不自然だったのかもしれません。
次に求められているモデルの、そのイメージさえ明確にならないまま現在の形態を不要とされるのは。
そこで発生するのは不安、あるいは恐怖でしょうか。それとも現状に対する否定なのか。
皆が皆、たとえば兄弟姉妹や、あるいは同世代の誰かと比較して、不完全なモデルの形成に悩むのでしょう。
衝突もあればそれによる損傷もあり、ために愛着のある自己というモデルを破棄し、リビルドする必要に迫られる事もあるように思います。あるいはないのかもしれませんが。
どちらが幸福かは分かりません。
自分を変えずに環境を変えるのが人間のありようです。
進化の果てに、人間は自分たちの肉体を変容させるのではなく、環境を適応させる知恵を持ちました。
自分が変わろうと環境を変えようと、結局のところ自身と環境のプロトコルを一致させるという点に変わりはありません。
酸っぱいブドウの童話のように、意識を変容させることも同様にひとつの手段であり、場合によってはもっとも手軽な手法でしょう。
いかんせん環境を変容させるには大きな力や大量の資材といった「現実に存在するものとそれを加工し変容させる能力」が必要であり、自分自身についても現実世界のそれを変容させることを容易だと思っていない個体が多いことは、美容整形やダイエット食品などの広告を見るにつけ再認識させられるところです。
それにしても彼ら彼女たちは、一体何者で、自身が何者だと思い、これから何者になろうとしているのでしょうか。
もちろんあらかじめそれらのロードマップを意識しながら自己を変容させる人の方が少ないのかもしれませんが。
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短期的にであれ長期的にであれ、人間は目的を持ちます。
それに向かって運動を行います。
先に述べたように衝突や損傷がその途中で発生し、運動を ── つまりは目的を ── 修正したり、あるいは目的に到達するために、形態を変容することで運動を適切に制御維持できるようにするのが自然でしょう。
たとえば進学受験なら、自身の学力に合わせて志望校を(大抵は低く)変えたり、あるいはそれを変えられない(変えたくない)なら勉強をして学力を(一時的にであれ)高めるように。
すべての欲求や目標に対して、人間はそのように反応します。欲求を変えるか、己を変えるか。
多くの場合、環境を変えることは容易ではないため却下されるでしょう。
環境を変えることができるようになるのは、いわゆる「大人」になってからのこと。
子供という子供は環境を変えることができず、己を変えること ── 多くの場合、それは他者にとっての「環境」であるため ── を求められ、己を変えることができない場合は、自身の欲求を変えることでしか適応できません。
猫様の場合、かなり早い段階で欲求そのものの多くを捨ててしまいました。
ために中学校を卒業して就職するつもりだと(そうする必要があるだろうと思っていたため)言って「頼むから高校くらいは進学してほしい」などと返され、特に反論することもなく進学したりしたわけです。
目的を持たないことは、たとえばプランクトンのように、流動的に、ただ環境に身を任せる上では優れた手法だったものと思われます。
何らかの欲(目的)があり、運動を適切に制御する能力があり、それによって渡りきることのできる環境ならば、目的を達成することは容易でしょう。
つまりこれらすべてが揃わないと、生物は思った通りの目的を達成できないことになります。
>>>
黒猫氏は、デザインされた人格だ。
肉体の制御を学び直し、欲求から行動まで、仕草や声の出し方、入力される情報の感覚の仕方さえ、設計に沿って作られた。
猫様が何故これを作ったのか。
どんな欲があり、どんな目的だったのか。
記録が残っていない。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Blood-Darkness-Ecology-Engineering-Form-Interface-Link-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-
[Module]
-Condencer-Connector-Convertor-Generator-
[Object]
-Night-
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[Cat-Ego-Lies]
:暗闇エトランジェ:月夜の井戸端会議:
//EOF
