因幡といふ國の霊的因縁 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “大正八年、聖師様が鳥取分所においでの節

 『因幡(いなば)といふ國は言霊学の上から云って、日の大神と月の大神、又、艮(うしとら)と坤(ひつじさる)の二柱の神並び現はすと云ふ意義がある。イは天地とか日月とかの意義があり、ナは天地、縦横揃うとか、又神の義がある。ハは開くである』

と仰せになった事を記憶しております。

 又、イは天地揃うて二であり、ナは十(たり)で十である。ハは天地開くで之も二である。即ちイナバは二十二の数であります。

 此の因幡國の中心、鳥取市の唄として昔から『因州因幡』の俗謡があります。此の唄の意味は『因州因幡の鳥取の、鹿野街道の真ん中で、三人の女(むすめ)が出遭ひ、一人は十六、一人は十七、一人は十八で、その三人の女が初めて殿御と寝る時の気持ちはかくかく』と云ふのであって、一見猥らしく聞ゆる點もありますが、此の唄の奥には謎があります。

 則ち三女神の岩戸開きであって、三女神は瑞御霊(みづのみたま)、神素盞嗚尊様です。その神素盞嗚尊様が、みろく神、大救世主として出現されると云ふ内義がこもるのであります。

 全国的に此の『因州因幡』の俗謡は広まって居りますが、又全国的に、

 『お月さん幾つ、十三七つ、そりゃまだ若いな』

の俗謡があります。之は『暗黒無明の末世に、円満具足の月の大神、月光菩薩の大救世主が下生して世を救われるが、そのお方はかくかくの證しを持っているお方だ』と云ふ謎を含んで居るのでありまして、地方によって「十三一つ」と唱へる所がありますが、因幡の西部では「十三九つ」と申します。

 

 十三と九を加ふれば二十二であります。

 瑞御霊(みづのみたま)、神素盞嗚大神様が五十六億七千万年(此の真意義を釈けば今日にあたります)の時廻り来て五六七(みろく)神政成就のため、兜率天より応身弥勒として下生されたのが出口王仁三郎聖師なる事は各方面の事実と研究によって證しせらるるのでありますが、王仁は二十二人であります。王と云ふ字は二の中に十であり、仁は人偏に二であります。二十二則ち王仁と云ふ名を持って大救世主は出現なさると云ふ謎のある俗謡が、二十二に因みある因幡地方に伝はって居ると云ふことは実に面白いではありませんか。”

 

 

 “……此の御玉の降った里は以前は海隠村と称へて居ましたが、大正三年頃、大正村と改称されました。『従来の世は一切が逆様で大の字逆さまの世の中である。之を本さまに正す』と大本神諭に示されて居ますが、大の字逆様の世を本さまに正さるべき神様に関係のある顕國(うつしくに)御玉が降った里が大正と命ぜられた事は偶然ではないやうです。

 玉を拾った地の数丁西に野見宿禰を祀った円形の小丘があって圓山(まるやま)と称えられ、樹木鬱蒼として茂り、昔から神秘的奇談が云ひ伝へられて居ります。其の圓山の東面の下が大正支部であり、国道を境へて稍東が玉の拾はれた地則ち宮東、神シタンと称へる田地であって、隣して「千早面」と云ふ地があります。数丁西には「ジャオ」と云ふがありますが、蛇尾か蛇王か漢字は判りませぬ。大正支部の東北に鶴田と云ふ地面があります。

 大正村より二里の地、松上山に國常立大神を祀る松上神社があります。昔は山の頂上にあって、その海上を通る船がはげしき神威に照らされて、通過する事が出来ないので今の下の方に御移ししたのです。又昔は堂塔伽藍盛大なものでありました。

 又大正村より東一里に小泉式部が歌に詠み込んだ稲葉山があり、其所に瑞御霊の御分霊なる武内宿禰を祀った国幣中社宇倍神社があります。三百六十余歳の御時、肉体そのまま昇天され、御履の痕を止められた遺跡もあります。

 又、大正村より西北一里の海岸に賀露港があって、賀露明神の主神は木花咲耶姫であります。先年、出雲大社に神代以来の浄火を受けに開祖様御一行が参られた時、賀露に御泊まりになり、朝、聖師様が二代様のお腹に日輪入り玉うと夢見られて御受胎になったのが木花咲耶姫の御霊性なる三代直日様であります。

東北二里の地岩美郡福部村栗谷に、坂谷権現を祀る霊山があります。先年、大本の板倉寛太郎宣伝使が来られた時、其の山を見て美しい霊光が豊かにたてるを怪しんで聞かれた山であります。古来此の山に就いて高熊山にあると同じ様な伝説があります。

 『朝日さし夕日照らす此の山に白椿の根に小判千両いけ置いた』

 満山磊々たる大石の落ちむとするを大椿の根がからむで居りますが皆赤椿であります。無邪気な子供が或る時、白椿をその山から見たので、村人が直ちに上って求めたが遂に白椿は見られませんでした。

 山の頂上に近き所に大岩を受けたる石の側面に古来読み難き文字が刻せられて居り、大岩の下に祠があって嘗てある石工は大蛇を見て怖れ下って病むだ事があります。

 神代文字にも似たる石面の刻字を研究のために東京から其の道の学者が出張して見ましたが遂に不明に終りました。

 その文字の写しを先年、聖師様に見て頂きましたら、

 『従来の世は倒れて新しき神代になる、みろく出現』

の意義を御示しになりました。

 以上は御玉の降下した因幡地方の事跡で、何か関係もあらうかと茲に附記しました。”

 

(「神の國」昭和6年11月号 平木稜威美『顕國御玉 下』より)

 

(因幡国一之宮 宇倍神社)

 

*今年はウサギ年ということで、大国主命の「因幡の白ウサギ」の伝説のある鳥取の白兎神社が話題になっているようです。出口王仁三郎聖師は、この伝説について、白兎というのは隠岐の島から渡ってきた民族の首長の名、鰐とは海賊の一団のことで、その海賊達を欺いたので怒りを買い、一切を略奪されて泣き悲しんでいたのだ、と説かれていますが(「玉鏡」)、白兎神社ばかりでなく、因幡には出雲や伯耆と同じように霊的に因縁のある場所が数多くあり、「霊界物語」に登場する宝玉「顕国魂(うつしくにのたま)」が出現したのも因幡の地においてでした。さすがに一之宮である宇倍神社は全国的に有名ですが、文中にありますように他にも松上山中の松上神社や、野見宿禰を祀る圓山(大野見宿弥命神社のある所のようです)や賀露神社なども重要な場所ですし、比婆山と同じく霊光を発していたという坂谷神社の磐座はパワースポットとしても知られているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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