出雲、須我神社 (日本初之宮) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・出雲、須我神社 (日本初之宮)

 

 “八岐大蛇を退治した須佐之男命は櫛名田姫をめとり、新婚のための御宮を出雲の国に求め歩かれた。まもなく大山の尾根をつたって、ついに須賀という地に宮を造られる。今の大原郡大東町須賀で、八雲山やその東麓の熊野大社辺、南西麓の須我神社辺が神都だったようだ。この須我神社には当然、須佐之男命と櫛名田姫が合祀されてある。王仁師もこの宮を参詣された。

 

  須賀の宮神前(みまえ)にたちて神社(かむやしろ)のあまり小さきに涙こぼるる

 

 宮跡であり、まだ須佐之男命が祀ってあるにしてはあまりに小造りではないかと嘆かれたのだろう。なお須我神社は古くは八雲山上に鎮座していたといわれる。

 王仁師によれば、須佐之男命と櫛名田姫は八雲山に須賀の宮として宮居をおかれ、まつりごとの拠点とされたという。しかし、ここでは不便なので須賀宮を奥の院として西出雲に新たな拠点をつくられたということだ。

 櫛名田姫の神霊がかかる大本二代教主は、しきりに出雲へ巡教されたが、ご晩年の昭和二十五年五月八日、松江でその心情を吐露されている。

 「出雲は櫛名田姫の旧跡地で、それでこんなに出雲がわしには気分が良いのではないかと思う」

 ご自身の記憶によれば二十数回も出雲へ来られたそうだ。

 さて、小生はいよいよ背後の須賀の宮の中心地であり、また八雲神歌の発祥の地とされる八雲山に登ることになった。(藤代和成)”

 

       (「人類愛善新聞」昭和53年4月号 『神代の淵源を求めて④』より)