尼子一族(古代出雲王朝の末裔) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・尼子一族 (古代出雲王朝の末裔)

 

 “昭和三年に月宮殿が完成してしばらくした頃、月宮殿の建設責任者であった大国以都雄氏は、聖師様から山陰地方の特派宣伝使に任命されています。そして、聖師様から『尼子は実は天子(あまご)と書く。素戔嗚尊につながる霊系の子孫であって神縁が深いから、中国山地の尼子氏の残党の子孫に神教を伝えよ。』との命を受けて宣教され、……(以下略)”

 

    (「神の国」2016年3月号 村山浩樹『素尊山と地恩郷について』より)

 

 

・戦国の大国主「尼子経久」

 

 “日本の歴史上で、大国主以降に現れた出雲の人といえば、天穂日命の後裔といわれる菅原道真(平安京の出雲氏)、それから源義経の家来武蔵坊弁慶があり、そして今ここで紹介するのは「古代大国主の王国」の復興をめざした尼子経久である。

 ここでは広島県出身で戦国武将の研究家、神川武利氏の書かれた、尼子経久の伝記小説を引用させていただこう。

 

「竜の夢 尼子経久」(神川武利著)より

 流浪の身から一代にして陰陽十一ヵ国の太守となった尼子経久は戦国大名のトップバッターである。もっと高く評価され、注目を集めてもよいのではないかという思いを強く持っていた。

 出雲大社の地を拠点にした経久は、出雲神話にもとづく古代大国主神の、広大無辺の心をおのれの立志のよりどころとし、領民のための政治を進めるため、尼子の勢力範囲を拡げていった。

 応仁の乱によって室町幕府の権威が失墜し、旧秩序が制度疲労して世が乱れる中、経久は租税を収奪するだけの幕府に対し、叛骨の夢を賭け、大陸交易に一獲千金をねらうが泡崩壊、挫折し、追放流浪の身となる。城を追われて土工、鉱夫に落ちぶれ、底辺の民の生きる辛苦を身をもって体験し、民の目で世を見たとき、将軍、守護の本当の正体が見えた。民の苦をよそに栄華にふけり、収奪のみで民を救う意志も能力もない。経久は怒りに燃えるとともに、「大国主神の志を継ぎ民の楽土をわが手でつくる」と決意する。

 正月元旦の鳥追いの祝に乗じて、女漁りに狂う城主塩治掃部助を奇襲して冨田城を奪回する。

 僅か百五十人で、堅塁富田の城を奪取した物語は、日本御三大城盗り物語の一つに数えられる出来事であった。

 これまで戦国時代の幕を開いた「仕掛け人」は北条早雲だというのが定説のようになっていた。ところが早雲が足利茶々丸を伊豆の御所に襲った時に先立ち、五年も早く経久は、富田城を奪取し戦国の切り取りを開始しているのである。戦国の風雲を最初に巻き起こしたのは、ほかならぬこの経久である。

 これより、経久は、古代出雲朝の版図再現を目指し、巨竜となって山陰の雲を払っていく。

 中国山地は古代より砂鉄精錬の産地であった。八俣大蛇の神話は製鉄の現場を現わしたものであった。経久は砂鉄製鉄を戦略産業として興し、大蛇を竜に変えて強国をつくりあげ、智と威を武器にして血を流さずして近隣を次第に制圧していく。

 尼子経久は仁恕の心厚く、度量の大きい人物であった。無欲恬淡、形容のできない程スケールの大きい人物であった。

 尼子経久は近江源氏佐々木一族である。”

 

           (「神の国出雲」第2号 出雲古代史研究会より)