皆生温泉の八大龍神(鳥取県米子市)  | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

(国祖国常立尊が封印されていた間、国祖の手足となって活動された龍神)

 

 “皆生温泉のはじまりは、大正十年の秋になされている。天与の温泉を天下に拡く宣伝し病苦の人々を救わんとしてはじめられた。そのとき同志の人たちが温泉地に氏神さまのお宮を造り、無料の入浴場に信者を集め地帯発展につとめることとなった。しかし世話人の中には日蓮宗の信者が多かったため、氏神さま(地主大神)を祀ることをやめ、仏教のやり方で最上稲荷を祀ろうということになった。

 当時、ある僧侶は源泉に薬師堂を建て仏像を祀り、仏教の宣伝に努めていた。こうして、この地帯は次第に仏教化されていった。

 昭和二年のある夜明け前の頃、皆生に住まいされる白石松市氏に龍神が憑り、『吾は龍神なり、当海岸の薬師堂に吾を祀れよ、この由を薬師堂の僧侶に告げよ』と霊夢を見せた。

 白石氏は、あまりハッキリとした霊夢を見せられたため、夜の明けるのを待ち僧侶のもとに走ってこの由を告げた。

 僧侶は、かねてより祀りたく思っていたので祀らせてもらおうと、心よく反応してくれた。ところが、僧侶は口だけやさしく、いっこうに祀ろうとする節もなく時がすぎ、その間、『約束を守らぬ』と龍神は荒れまくり、源泉とともに薬師堂は度々浪にさらわれ海中に転落し、とうとう海底に没してしまった。そしてこの間に、僧侶は頓死してしまった。爾来皆生温泉は風雨大浪の大荒れが続き、しばしば災害を被ったという。

 そんな有様なので、白石氏は氏神様を祀ることに日夜苦心し、神習教の支教会や大社教会を設置したり、稲荷神社の中に別宮をつくろうと苦心したが、いずれも成功しなかった。神意に添わないと悟った白石氏は、先ず自分に神徳がそなわってないのだと反省し、日本中の神社仏閣、行場を巡り歩き修行をつむこととなった。

 神奈川県中郡大山雨降神社に参拝の折、東京の鬼倉重次郎という人と知り合い、その方と奥さんの静子さんが昭和十五年一月大社参拝の折、皆生の白石氏宅を訪ねられた。すると滞在して海岸で水行をつまれていた静子さんに龍神の神憑りがあり、『吾をはやく祀れよ』と催促があった。また白石氏の妻・カメさんにも、同夏『早く祀れ』との霊夢があいつづいた。この時、白石夫妻は、三年以内にお宮を建てますと約束してしまった。しかし、皆生の人たちに龍神を祀ることの大切さを力説して廻っても、それを理解してくれる人とてなく、かえって誤解されたりした。

 ずるずると四年の歳月が流れ、昭和十九年の夏、いよいよ龍神は厳しく遷宮をせまってきた。『一週間以内に祀らねば、長男の命をもらい一家を絶滅させる』という厳しい警告を発してきた。

 もはや一日の延期も赦されないのを悟り、白石夫妻は粗末ながら、形だけの石宮をつくり御霊迎えの儀式を行い、一週間の祈念後、九月十一日、大雨の降りしきる夜、目出度く源泉地内に遷宮を終えた。龍神がはじめて夢枕にたたれてより数えて二十五年目に当たる。地主の神大龍神として世に出てもらうことができたのである。

 その後、太平洋戦争が激しくなり、白石氏も皆生から松江北堀町の赤山近くに移転した。龍神のお宮が浪にさらわれ流れてはと、朝日館という旅館の小庭先に預けてきた。その後龍神の夢を見る人やら、お陰を頂く人が多くなり、参拝したいという人が増えていった。

 昭和二十年八月、戦争が終わり、翌年二月大本は「愛善苑」として発足(この後に白石氏は入信されている)。翌年、聖師さま二代教主おそろいで松江にお越しになった。このあと白石氏は亀岡へご夫妻に面会するために参拝されたが、聖師はご病気中で、二代さまから龍神の祀り方についてご指示があった。それは、なるべく簡素に龍神を祀り、愛善の道に言向けやわせてお祀りするようにとのことであった。

 昭和二十三年、湯浅仁斎宣伝使が松江に来られた折、いろいろ相談した結果、大本式の祀りで龍神を祀ることとなり、翌年二代さまの命で栄二先生が本部よりご神体を捧持され五月二十五日、自ら斎主となられて鎮座祭が行われた。また二十八日には皆生に祀られていた八大龍神の御神体が、栄二斎主によって綾部金竜海の御宮に鎮祭された。(白石氏記述より略記)

 平成二年の十一月二十六日、栄二先生には四十一年ぶりに皆生の八大龍神の斎主をされ、今後、この龍神のお世話を大切にし、皆生の方々や山陰地方の方々がお陰をいただかれるよう、考えてゆきたいとのお言葉があった。

 白石氏の龍神縁起書によると、この八大龍神は、邪神たちの手によって隠れ給いし大神の手足として活動されていた龍神で、大神が三千年の隠退から再現されるにしたがい、大神さまのため、みろくの世を樹立されるため、人々の病気やなやみを救うため、お手伝いされる龍神さまであるとしるされている。(伊藤明彦記)”

 

    (「愛善世界」1991年1月号 『皆生温泉八大龍神祭典と縁起について』)