言霊と和歌の徳 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・言霊と和歌の徳   

 

 「三千世界の立直しをして、元の昔に返すぞよ」ということが筆先にあるが、元の昔とは、神代にするということである。神代にするということは、第一に言霊を純粋に、正しくするということである。世が乱れて来たもとのいっさいは、みな言霊の乱れ、にごりからである。

 ヨハネ伝、第一章に「初めに道(ことば)あり、コトバは神とともにあり、コトバは即ち神なり、万物これによりて造らる。造られたるものに一としてこれによらで造られしはなし」とあるように、いっさいの大本は言霊である。

 神代には、言霊は今のように混濁していなかった。日本の言霊がこんなに乱れてきたのは、漢字が渡来してからである。

 神代には、すべて物事いっさいが、簡単に言い表されていた。後世では、意志を伝えるに手紙などを用いるようになったが、神代では、いっさいが三十一文字の歌によった。和歌によっていっさいの意志表示が出来ていたのである。

 それがだんだんと、漢字、漢音が使われるようにしたがって、日本の純粋の言葉が失われるようになった。それとともに、ますます世が乱れてきたのである。それが今日にまでおよんで、日本の言葉をいっそう混乱させてしまった。

 君にあらざるものを君と称し、僕にあらざるものを僕と呼び、上下の区別も混同し、麗艶巧妙な言葉を盛んに使って、自分の意志にあらざることでも、言葉をもっていつわり、人は神の子神の宮、神を敬するごとく人を敬し、人を敬するごとく自己を敬すべきものなるを、相手方を呼ぶに、賢父、賢妻、賢息といい、自分の方を、愚父、愚妻、愚息といい、ついには自分の子供を豚児というような言葉が生まれるようになったのである。

 そこで、それらを改めて、正しい言葉を使うように変えなくてはほんとうの「正しい世の中」にはならないのである。

 まず言葉を正さなければ、ミロクの世は来ないのである。言葉を純粋に、正しくするために、世を立直すためには、いずれも、和歌を詠むようにならなければならない。

 大神様にお願い事をするにしても、和歌を詠んでお願いするようにしなければならない。

 和歌というものは、和歌の徳によって天地神人を感動せしめ、鬼神をも哭かしむることが出来るのである。昔から例えば、源実朝が和歌を詠んで雨を霽(は)らしたこと、小野小町が歌によって雨を降らせたこと、また俳人宝井其角が「夕立や田をみめくりの神ならば」の一句によって雨を降らせた、ということも伝えられている。それに対して蜀山人が、「歌よみは下手こそよけれ天地(あめつち)の動き出してはたまるものかは」といっているように、一首の歌でさえ、天地を動かしめることが出来るものでる。

 大本の神業が今後発展してくれば、和歌により、神と人との交流交通を計り、そのみ心を和めなければならないのである。始めから和歌を作れといっても無理な人々には、大衆の親しみやすい冠句、沓句をやらせて、そのうちに和歌の境地に入ることが出来るように指導せねばならぬ。またそこまで進めなければならないのである。

 明光社は、そういう主旨によって生まれてき、作られたのであった。

 また、近頃、「作歌」ということをよくいうが、和歌は作るべきものではなく、詠むべきものである。ほんとうに自分の心に感じたこと、また目を通して心に映って来るままのことを、そのまま三十一文字の中に詠ましてもらうのである。

 考えて作った歌の中には、生きた歌は少ない。神人を感動せしめるような歌は、なんの技巧も加えない、腹の底からあふれ出るものでなければならない。

 これからの大本の人は、皆和歌を詠めるように精進しなければならぬ。和歌はすべて、善言美詞(みやび)の言霊によって森羅万象を美化し、人間社会ことごとくを美化せしむる。その徳を養わねばならぬ。

 

      (「おほもと」昭和53年9月号 出口王仁三郎『言霊と和歌の徳』)