「宍道湖は『真珠湖』なり」 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “‥‥‥もう一つは、土井靖都先生の「型の大本」のお話で、第二次大本事件が第二次世界大戦となって実現するなど、有史以来聞いたこともなく、これはエライ所へ来たものだ、こんな所に世界を動かす原点があろうとはと驚嘆した。また、いかに型が出る所とはいえ、時代がそれを受け入れなかったとき、それ相当の犠牲を覚悟しなければならないと思うと、そら恐ろしくもあり、しばし呆然自失の状態で、講座が終わっても暫し言葉も出なかった。

 そうした私を土井靖都先生は、しばらく無言のままジッと見ておられたが、やがて辺りに人がいなくなったのを見はからい、「さっきから気にかかっていたが、あんた何処から来たのか」と尋ねられた。「島根から来ました」と申し上げると、「島根の何処か」と重ねて聞かれたので、手元に地図もなく、また確かな住所を言っても分からないと思った私は、「島根には宍道湖という湖があります。その宍道湖から中国山地に向かって二十キロくらい入った所から参りました」と答えると、しばし目を閉じて考えておられた先生は、「では、日本全体として見た場合、宍道湖のほとりから来ましたと言っても差し支えないな」と前置きして「それならあなたに言っておきたいことがある。今は『宍道湖』と言うけれど、それは『真珠湖』が正しい。このことは私が聖師さまから直接うかがった事である。それをあなたに伝えておく」との言葉を残して土井先生は出て行かれた。それ以来、真珠湖という言葉が妙に心にやきついて離れなかった私は、その証がぜひとも知りたいものだと考えていた。

 そして十数年後の昭和四十年代の或る冬の朝、その理由を知る事となった。その日何気なくテレビを見ていると、宍道湖の湖岸に巾二メートルくらい、長さ数キロにわたって、野球のボールくらいの大きさの凍った雪の玉がびっしりと打ち寄せられていた。そして朝の光を受けた雪の玉が本物の真珠そっくりの鈍い銀色に輝いているのが映し出されていた。その時のニュースの解説では、宍道湖の水温と気温、湿度、風力等が、ある一定の割合で揃った時、降った霰が融けないで核となり、水面を転がって行くうちに、波のシブキがそれにまとわりついて、更に凍りながら大きくなって打ち寄せたものではないかという説明であった。そしてこの様な現象が現われるのは、日本中に数ある湖の中でも宍道湖だけであり、それも百数十年に一度くらいしか起こらないという事であった。

 諺にも名は体を顕すとか、今まで真珠湖という名に秘められていた働きが、やがて時を得て表面に現われた時、このような現象を生み出したものとすれば、聖言の言語学的意義も、これに似たものではないだろうかと思うようになった。これが聖言の霊的意義に関心を持つ最初のきっかけとなった。ちなみに第二次大本事件は、真珠湖のほとりにある島根別院から起こり、第二次世界大戦も真珠湾攻撃から始まり、ピッタリと符合する。そして当時この現象を知るに及んで思い出すのは、「天地の真象を観察して真神の体を思考すべし」との聖言であった。”

 

       (「愛善世界」№.199 吉川幸『聖言の霊的意義をたずねて』より)

 

*残念ながら、「真珠湖」の名称は、島根県民の方でもまったく御存じないようです。百数十年に一度しか起こらない現象なら無理もありませんが、言霊の力が現実の世界に作用するものであるなら、多くの方が宍道湖のことを真珠湖と口にすることで、つまり言霊を宣り直すことによって、この神秘的な現象を誘発することはできないでしょうか。

 

*明治34年の「出雲出修」のとき、出口ナオ開祖は、汽船で宍道湖を渡られる際に、「この辺りは神様が仕組みをしておられる」と語られています。「神代にかえす御用をする因縁の人」とは誰なのか、興味のあるところです。

 

 “‥‥‥さて一行は美保神社参拝の後、中海、宍道湖上は平田まで汽船に乗る。宍道湖上では神様が開祖の梅の杖を握ってグウッと回され「この辺りから因縁の人が出て、神代にかえす御用をするようになる」と言われた。平田からは徒歩で出雲大社へ。‥‥‥”(「人類愛善新聞」昭和53年9月号 『神代の淵源を求めて⑨』より)

 

*「霊界物語」では、『天祥地瑞』第81巻に、「真珠湖」が登場します。紫微天界の伊佐子の島にある塩水湖で、人魚が住むとされています。