巨旦(こたん)将来と蘇民(そみん)将来 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・巨旦(こたん)将来と蘇民(そみん)将来

 

 “備後風土記や八坂旧記や浄瑠璃の日本振袖始め等によれば巨旦将来は悪神で、蘇民将来は善神とされているが、出口聖師によれば「蘇民将来はマッソンの眷属なり」とあって後者を悪神とし、前者巨旦将来を「艮の金神なり」とし、善神と記している。京都の八坂神社をはじめ名古屋の洲﨑神社、その他各地の有名無名の神社および寺院に蘇民将来を祭り、いろいろのお札、お守り、玩具等が出されている。太平洋戦争前は伊勢の宇治山田市あたりでは一軒残らず「蘇民将来子孫門」のお札を門口に貼っていたものである。綾部の藩主九鬼家は蘇民将来の子孫と伝えられ、歴代「鬼門封じ」のお札として「蘇民将来子孫門急々如律令」のお札を出していたことは江戸名所図絵などにも出て有名な話です。

 昭和十七年十一月十八日、はじめて聖師さまにお目にかかったとき、談たまたま蘇民将来の話におよんだとき、聖師さまは次のように言われた。「一般記録の上では兄の巨旦将来、弟の蘇民将来と二人兄弟とされているが、実は三人兄弟で、正しい名称は巨旦将来(こたこん)、富民将来(とみこん)、蘇民将来(そみこん)と言ったのや」ということだった。このときに「むかし日本には大和朝、出雲朝のほかに、もう一つの朝があって、三朝あったのや、それで鳥取県に三朝(みささ)という地名が残してあるのや。みささは、みささぎ(御陵)の意味じゃ」とも教えていただいた。

 そのころ筆者は全国九州から青森県の果てに至るまで数十カ所の蘇民将来を祭る神社寺院を尋ねてたくさんの蘇民神楽(そみんかぐら)や蘇民由来書やお札、お守り、蘇民玩具の土鈴や割礼器具等の萬集に夢中になっていた。昭和十九年に亀岡に居を移してからのことでした、自分のことを申し上げては失礼ですが、ある日、今の出口栄二先生のお母さん(故家口いく様)に連れられ、蘇民将来の資料を大トランクにいっぱい持って、農園に聖師さまをお尋ねしました。家口さんから聖師さまに「うちの三浦が、こんな仕様もないものばかり集めてくるものだから愛子(よしこ)のゼンソクがひどくなって困ります。これをどう処置したらよいものでしょうか」とお伺いしたところが、聖師さまは「それはのちに大事なものだから逸散しないように掛軸のようなものにお札やお守りはとっておきなさい……」とおっしゃり、二代さまがおそばで「それを拝むんじゃないんだぜ」とご注意くだされた。また現森本部長のお父様の森良仁先生が居合わせて「家口さん、もしそんなに気になるようでしたら、私がお預かりしましょうか」と言ってくださいましたが、聖師さまから「大事なもの」と言われたのでそのまま持ち帰り今も保管しているわけですが、家口様としては焼いてしまった方が良いというお考えだったようでした。”

 

      (「おほもと」昭和49年3月号 三浦一郎『大本の特異性(五)』より)