月宮殿の狛ウサギ | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “月宮殿正面、玄関の両側に石で彫った兎が左右一対配置してある。この兎を彫刻するについて面白い挿話がある。一体、石材の彫刻物で動物はいろいろあるが兎はほとんど無いといってもよい。しかし、月宮殿には昔から物語にあるので、また霊界物語にも兎の宮とあるので入り口の両側に兎を彫って置くことにした。ところが石工のほうでも、他の動物は彫ったことがあるが兎は一度も彫ったことがなく、したがって、どうして彫るか判らないという。だが一応モデルをつくってみようということで作製した。

 随分苦心してつくったのであるが、何とも珍奇なもので兎とはみえず、耳の長いのが特徴だけの動物であった。そこで美術学校出の洋画家で動物を主に画く人に下絵を書いてもらい、当時、彫刻では名高い石工に依頼した。ところが九分九厘まで仕上げた時、手許が狂って兎の耳を飛ばしてしまった。とうとうその石工もさじを投げて兎はできぬと断って来た。そこで田口さんと、東京の各方面を探しまわって、まだ無名の青年だが、この方面では動物を扱う特異の存在であるので白羽の矢を立て交渉してみた。だが兎は一度も彫ったことはなく、考えたこともないと断った。

 純情で実に仕事熱心な青年で、生活に追われながらも一途に研究にとりくみ、そこには軽薄な欲望も持たぬ誠実な青年だったので、重ねて熱望した。そして写実風のものよりも装飾風のもの、ライオンよりも高麗犬様のもの、あるいはドイツ風のアーキペンコ式のものの何れかをという条件で製作してもらうことにした。ところが出来あがった兎は、あまりにもアーキペンコ式に傾き過ぎていたので、方針を変えて純写実風で毛並一刀彫にするよう再注文したが、これがまた欠陥であることが判った。一刀彫に重点を置いたところに間違いがあったことを覚り、ますます行き詰まってしまった。とうとう意を決して生きた兎を買い求め、このままモデルにして、青年は苦心の結果作りあげた。

 そのあと。本殿神坐の大理石に雲を彫り付け、その左右の天上下角に黒花崗にて、鳳凰の浮彫りしたものもこの青年の純真な熱意によるもので、一年後に院展に「春」と題した彫刻を出品し見事に入選した。新人選者五人の一人である。偶然か、神徳か、石工で入選したものは日本においてはこの青年が初めてであった。入選後、月宮殿の石段に坐して黙祷をささげていた青年の心の中に月宮殿のすがたが深く彫り込まれたことであろう。”

 

  (「おほもと」昭和46年11月号 大国以都雄『天恩郷建設の神秘(22)』より)

 

*救世主神スサノオ=神素盞嗚大神の最高神殿として建造された月宮殿が、狛犬ではなく狛兎とはユニークですが、これは『兎は月の眷属』だから、というのが理由のようです。残念ながらこの狛兎がはっきり写っている写真が見つからず、月宮殿自体も第二次大本事件で1500発ものダイナマイトで爆破されてしまいましたので、当然現物もありません。しかし、全国には狛兎のある神社がいくつかあり、それらのHPを見ると、やはりスサノオやオオクニヌシと関係があるようです。

 

*月宮殿は完全に破壊されてしまいましたが、出口王仁三郎聖師は第二次大本事件が起こる前、松江に行かれる前の晩に、祀られていた六つの御神体石を密かにすり替えられ、どこかに隠されたことをその時に居合わせた内崎照代氏が証言しておられます。出口聖師から「このことは20年間口外してはならぬ。言えばお前の命はなくなる」と口止めされ、昭和30年になって初めて口を開いた内崎氏の話を裏付けるように、その直後に六つの石のうちの一つが京都のある植木屋で発見されました。大国以都雄先生が直接出向いて確認された上で無事回収され、みろく殿に祀られることとなりましたが、他の御神体石については未だに行方がわかっていません。出口聖師はいったいそれらの御神体石をどこに隠されたのか、今に至るも謎のままです。

(破壊された月宮殿)

 

*ちなみに、ある道院・紅卍字会メンバーが、出口聖師に頼まれて密かに大本の御神体を大陸に運び、ココシリ山中に埋めたという話があります。しかし、出口和明先生がその人物のもとへ直接取材に行かれ、話を聞いたところ不審な点が多く、追求したらしどろもどろになってしまった、とかで、出口和明先生は「私は(彼の言う事は)まったく信じていません」と言っておられました。実は私自身もその人物と何度か会って話をしたことがありますが、予言をしてそれが外れたり、道院内で問題を起こしたりした人物でもあり、とても彼の言う事をそのまま鵜呑みにする気にはなれませんでした。ただ、確かにその人物が大陸に渡ったのは事実であり、彼が出口聖師から何かを預かっていたという可能性までは否定出来ません。とはいえ、もともと大本の至聖所である綾部本宮山に祀られることになっていた御神体石=「富士の霊石」は、事件中も奇跡的に破壊を免れ、戦後に出口王仁三郎聖師ご自身の手によって月山不二に鎮祭されて現在も祭典が行なわれているのであって、決して「大本の御神体」は失われてなどいませんし、亀岡天恩郷の月宮殿の跡地には、聖師は国魂石の残骸を積み上げられて月宮宝座を築かれ、頂上に天拝石を置かれました。私には、むしろこれこそが完成形であったように思えますし、行方不明となった御神体石のことは気がかりではありますが、それを探し出すことが我々に求められているわけではありません。聖師が何よりも求められていたのは『霊界物語の拝読』であって、聖師は事件中に「神殿は破壊されてもいい。まだ霊界物語が残っている」とも言われているのです。

 

*稲荷神社は狐、天満宮は牛など、犬以外の動物が狛となっている神社は他にもありますが、もしかしたらこれらは太古のトーテム信仰と関係があるのかもしれません。

 

・エドガー・ケイシー

 

“次のリーディングの例は注目に値する。ある男性はリーディングで、かつてムー大陸から移って来た一人であると告げられた。それは、『ムー大陸が間もなく崩壊することを知って、人々がその準備と避難を行っている時であった』

 この人物は、『ムー大陸から、現在のオレゴン州へ逃れてきた人々の一員であった。そして、そこで礼拝のための対象物を作り上げた。この生命的実体が発展させたものが、トーテムポールとか家族の系図とかいわれているものである』

 つまり、トーテムポールは、ムー大陸の直系の「子孫」を意味するものである。また、もう一つの興味ある指摘は、カリフォルニア州南部についてのものである。そこは、かつてレムリアの「王子シュー・ツー」が、見聞のために訪れた場所であった。そこには、自然によって形成された峡谷の島が発見されるだろう。

 『この島こそ、この生命的実体が住んでいた寺院の場所である』”

 

(マリー・エレン・カーター「エドガー・ケイシーの予言 アトランティスの教訓」たま出版より)

 

 

 

 

 

 

 


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