「この神は人民の建てたお宮には入らぬ」 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・開祖さまがおっしゃったこと

 

 “次に私がまたもや綾部へ参詣いたしました年は、明治三十三年五月でござりました。この時は、聖師さまもおられました。

 私は先だって参詣の時、帰りに一時間で福知山まで行きましたと申し上げ喜びましたら、この時に聖師さまは、あなたは京都の方ですか、とお尋ねになり、あなたは一時間に三里ほか道がゆけませぬか、と申されましたゆえ、実は下駄をはきました、着物を腰にもかけずに歩いておりましたと申し上げましたら、足元さえ仕度が出来上りたら一時間に五里が神様の御用の一人前じゃ、と申されましてございます。

 この時に、出口家宅に居合わせた方様が、夕方私に、あなたは京都のお方ですか。実は私は京都の名所へ一度も行きた事もござりませぬゆえ、後、京都の名所案内いたし下されたいと申されましたゆえに、よろしゅうござります。早々帰京しますゆえお供いたしますと申し上げたら、さにあらず、ただいま、ここでご案内と申し、神床の裏にて京都名所をば一時に見られました方があります。

 この時に、開祖さんは、田中さん、あなたでも神様に一心におなりなされたら、このくらいの事はできますぜ。人間は万物の霊長と申しますじゃないか。このくらいの事ができませんで、何で万物の霊長と申されますか。犬猫でも、鳥でも三日先の事くらい知らしましょう。霊長なれば、なんの三年先のことくらいわかるのが、あたりまえでしょう、不思議な事はござりません。大神様に一心におなりなされて、こんどの世界の大望、世の立替え立て直しのご用の一人におなりなさりませと申されましてござります。

 この大本は、よその教会のように人様にお話ししたり、お説教のようなことは少しもないところでござりますでな、大本の大神様、艮の金神さまは世の立替え立て直しをされる神様である大神様ゆえに、十人並みの「ねぎ」や「みこ」ぐらいにかかるような小さい神様ではありません。また、教会ぐらいに祭られるような小さい神様ではありませんから、決して何教会とも教会ともいうて普請や建物を何程立派に立てても、必ず神様はおはいりにはなりません。必ず必ず教会は立てては下さるなよと、くどう申されましてござります。少しでも教会というたら、何辺でも潰してしもう、神がこわすのでござりますぞえ、と申されましてござります。

 この時に善吉は大神様、艮の金神さまは教会でなしに、どうしてこの大神様、艮の金神さまのお宮様をどなたがお建てになるのでござりますかとお尋ねいたしましたら、開祖さまは、世界へあっぱれ表に現われてから、立替え立て直しも済みてから、世界中から大勢がご相談の上に、天朝からお建てになるのでござりますと申されました。

 それやさかいに、今の人民の建てたるお宮にはおはいりにはならんのでござりますゆえに、今の内に役員さんは日々の行いをよくして、家内中揃うて大神様に一日も早く世の中に出ていただいて、世の立替え立て直ししてもろて、世の中世界中が一つになりて一つの王さまで世界中を治めていただくように、役員さんは毎日朝晩に一心に艮の金神さまへ、お願いするのがこの大本の教えでござります。この世界中は神様のものばかり、何一つとしてわがものはござりません。みんな神様のものばかりゆえ、一つとして少しも粗末には出来ませんゆえ、みな神様から預からしてもろうておるのじゃゆえに大切にせねばなりません。みな天地の神様のものと思うたら粗末なことは少しも出来ますまいがな。何一つでも自分が作ろうと思うても、雨や土やがなかりたら出来ますまい。何ほど学問がありたとて「智慧」や「学」では出来はいたしませんぞよ。みな神様のお陰ということを世界中の人民が、わかる時節がまいりますから、その時に神さまにすがりておる人民と、すがらずにおる人民とを立て分ける時節がまいりますから、一日も早く神心になりて、よき道をとおりなされ。

 今の世の中は、人が人を食うような世の中になるから、その時によき道をば通りて、人様からあの人は何と不思議な人じゃというふうな、よき行いをして世の中へうつしてくだされと申されました。また、世の中の人から見れば阿呆とか馬鹿とかいう人も、また気違いじゃという人もできますゆえ、その時にこばりておる人が神様の役員です。大本には一人も信者はいりません。みんな役員でござります。信者は天理、金光さきばしりでござります。この大本には役員ばかりですから、みんなその心得おりてくださらぬと、あとで大きな取り違いが出来ますぞえと駄目押しして下さりましてござります。(以下略)”

 

 (「おほもと」昭和35年5月号 田中善吉(遺稿)『心おぼえ(2) 開祖さまから直々のお話』より)

 

*出口ナオ開祖によると、大神様の神殿について、「少しでも教会というたら、何辺でも潰してしもう、神がこわすのでござります」「今の人民の建てたるお宮にはおはいりにはならん」ということなのですが、確かに大正時代に綾部の本宮山上に完成した神殿は、第一次大本事件で破壊され、昭和になって再建しようとして、ようやく基礎工事が終わったときに、今度は第二次大本事件が勃発し、その十字型の土台は跡形もなく破壊されてしまいました。そして戦後、出口王仁三郎聖師はもはや本宮山神殿を再建しようとはせず、破壊された後の瓦礫を積み上げて土で覆って小山にし、頂上に富士の霊石を鎮祭し「月山不二」を築かれ、新発足した愛善苑の至聖所と定められました。さらに、「これからは神殿はいらぬ」とも言われ、以後の本宮山神殿の建設を否定されています。

 

*「霊界物語」の口述は、大正10年10月18日から始まりましたが、第一巻の「序」には、『大正十年十月廿日 午後一時』と、日付のみならず時刻までもが記されています。実は、この『大正十年十月廿日 午後一時』とは、第一次大本事件で政府より神殿破壊命令が下されたことにより、実際に本宮山神殿の取り壊し作業が開始された、まさにその時刻でした。ようするに、霊界物語の口述は、大神様の神殿が破壊されるのと並行して始められたことになります。側近の大国以都雄先生が、「何もこのようなときになさらなくても」と申し上げると、聖師が「わしはもう、次の建設に取り掛からねばならん」と答えられたことが伝えられています。聖書の中で、イエス・キリストは自身をエルサレム神殿にたとえて、「この神殿が打ち壊されても三日で建て直す」と自分の十字架上の死と復活を預言されましたが、インマヌエル・スウェーデンボルグはその著作の中で、「みことば(福音書)の中に、主イエス・キリストは内在される」と述べており、さらに将来異邦人たちのもとに主が創建される新しい教会、新しい聖典についても預言しており、その新教会の「みことば」、真理の教義が印刷・出版されることで主の再臨が成立すると語っています。第二次大本事件ですべての神殿が破壊されたときに出口聖師が言われた言葉、「神殿は破壊されてもいい、まだ霊界物語が残っている」、あるいは「霊界物語には、わしの霊がすべて入っている」、「霊界物語は弥勒胎蔵経である」などの言葉から考えると、私には、霊界物語こそが、形を変えた本宮山神殿であり、救世主の再臨を成就するもののような気がしてなりません。

 

〔長生殿(本宮山神殿)完成予想図(第二次大本事件により建造中止)〕

*現在の綾部梅松苑にある長生殿は場所も形も異なります。