聖母の警告 (教会に這入り込んだ悪魔) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・秋田の聖母マリア (聖体奉仕会のシスター笹川に与えられたメッセージ)

 

 “‥‥‥悪魔の働きが教会の中にまで入り込み、カルジナル(枢機卿)はカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。私を敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者で一杯になり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることが、私の悲しみです。‥‥‥”(1973年10月13日)

 

       (安田貞治「秋田の聖母マリア」(聖体奉仕会)より)

 

*秋田のカトリック在俗修道会、聖体奉仕会での聖母マリアの出現、聖母像が涙を流した現象については、まだカトリック教会によって公式に認められてはおらず、教会の見解も統一されてはいません。しかし、秋田を管轄する新潟教区の伊藤庄治郎司教(当時)は、この出現を肯定する声明を発表しています(仙台の司教は否定されましたが)。また、2013年10月12日~13日に、「信仰年」特別行事として教皇庁の主催で開催された「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」では、フランスのルルドやブラジルのアパレーシダなど世界10ヶ所の聖母マリアの巡礼地を衛星中継で結び、ロザリオの祈りのリレーが行われましたが、その10ヶ所の一つとして、この秋田の聖体奉仕会が選ばれています。

 

 “教会の新しい教父としてルドルフ・ブルトマンを選んだ神学者が数多くいるようです。ブルトマンは他にもいる教父たちのなかで「わたしたちは電気や無線を使い、あるいは病気のときには現代医薬に頼り、同時に新約聖書が表す霊的世界や奇跡を信じることはできない」(『新約聖書と神話論』[新教出版社、1990])と書きました。技術的進歩を神のみ言葉が旧式だと立証する前提とすることは、考える能力がないことを示しています。多くの聖書研究家や神学者たちは自分たちが、そうした指図に従っていないなら「時代に沿っていない」と信じています。先にご紹介した書物の中で、レーマンはカトリックの神学者についての興味深い統計を一例として引用しています。それは、彼らの三分の二は悪魔に関する伝統的な教えを―― 一つの説として ――受け入れていますが、実際の司牧レベルでは否定しているというのです。すなわち、彼等は形式上、教会に反対したいとは考えませんが、実際には教会の教えを受け入れてはいません。興味深いのは別の統計の資料です。カトリックの神学者たちは悪魔憑きと祓魔式について実に浅はかな知識を披露しました。これは初めからずっとわたしが主張し続けていることです。教理省はこの状態にはっきり気づいており、その問題委に関して専門家たちの研究を依頼しています。その結果はオッセルバトーレ・ロマーノ誌(一九八五年六月二十六日)のイタリア版に「Fede Cristiana e demonologia(キリスト者の信仰と悪魔学)」という題名で発表されました。この記事は、のちに聖座の公文書(エンキリディオン・ヴァティカヌムvol.5,no.38)の一部となりました。その部分を引用することにいたしましょう。主な目的は、信徒と、それよりももっと誤った考えを持ち、「神の子が現れたのは、悪魔のわざを破るためである」(Ⅰヨハネ三章八節)にもかかわらず、自分たちの研究や教えにおいてサタンの存在に触れるのを避ける神学者たちを教育することです。悪魔の存在を除き去ることで、わたしたちは罪のあがないを消滅させます。悪魔を信じない人は福音を信じていないのです。”(P255~P256)

 

 “ドメニコ・ペチェニーノ神父記「正確な年は記憶していません。ある朝、教皇レオ13世がミサを捧げられ、いつもどおり感謝の祭儀に出席されていました。すると突然、出席者は教皇が頭を上げられ、身動きも瞬きもされずに司式者の頭上にある何かを凝視しておられるのに気がつきました。教皇の表情には恐怖と畏怖が混ざり合っており、顔色と顔つきが急激に変化したのです。ただならぬ重大な何かが教皇に起こっていました。

 やっと正気を取り戻されたかのように教皇は軽く、しかししっかりと手を打って立ち上がられ、ご自分の執務室へ向かわれました。心配した随行員たちが気遣って、ささやきを交わしながら教皇のあとに続きました。

 『教皇様、ご気分でも悪いのでいらっしゃいますか?なにかお入り用なものはございませんか?』『なにも要らない、何も』と教皇は答えられました。三十分ほどしてから、教皇は礼部省(現・列聖省および典礼秘跡省)の書記官をお呼びになると一枚の紙を手渡され、それを印刷して世界中の裁治権者たちに送るように求められました。その紙はなんだったのでしょうか?それこそ各ミサの終わりに必ず人々とともに称える祈りだったのです。聖マリアへの願いと、天軍の総帥への熱烈な祈りで、サタンを地獄へ送り返してください、と神に嘆願するものでした。

 教皇レオ十三世は、それらの祈りのあいだはひざまずくように指示されました。そのとき報道された記事は一九四七年三月三十日、ラ・セッティマーナ・デル・クレロ紙に掲載されましたが、その情報の出所は伏せられていました。しかし、その祈りが、一八八六年に特別な状況の中で、実際に裁治権者たちに送られたことは立証できます。信頼できる証人であるナサリ・ロッカ枢機卿が一九四六年、ボローニャの教区に宛てた四旬節の司牧書簡の中で記しています。『教皇レオ十三世ご自身が書かれた「霊魂を損なわんとて、この世を徘徊するサタンおよびその他の悪魔」という祈りの文には、聖下の私設書記官モンシニョール・リナルド・アンジェリによって幾度もくり返された歴史的説明があります。レオ十三世は、本当にまぼろしの中で永遠の都市ローマに集まって来ようとしていた悪魔をごらんになったのです。教皇様が全教会に唱えるように願われた祈りは、その体験の成果でした。聖下は強く、力に満ちた声でその祈りを唱えられました。わたしたちはバチカンのバジリカの中で幾度となくそれを聞きました。レオ十三世はまた、個人的にローマ典礼儀式書(一九五四年版II C, III, P863)に含まれている悪魔祓いを書かれました。聖下は司教や司祭たちに彼らの教区および、小教区でこれらの悪魔祓いをしばしば読むように薦められました。教皇様ご自身が一日中、よくそれを唱えておられたものでした』」”(P53~P55)

 

      (ガブリエル・アモース「エクソシストは語る」エンデルレ書店より)

 

*これは以前にも書きましたが、教皇レオ十三世がご覧になった幻とは、キリストとサタンが会話している光景で、その内容は以下のようなものであったと伝えられています。

 

  サタン 「私は全世界とお前の教会を自由にすることができる」

  キリスト「あなたにそれができるのですか?」

  サタン 「できる。しかしそれにはもっと多くの時間と力が必要だ」

  キリスト「どのくらい?」

  サタン 「75年から100年」

  キリスト「時間も力も与えましょう」

 

 この幻を視て戦慄されたレオ十三世が、教会の守護者、大天使ミカエルへ保護を求める為に作られたのが「大天使ミカエルへの祈り」です。

 

「大天使聖ミカエルへの祈り」  

  大天使聖ミカエルよ。

  戦いにおいて私たちを守り、

  悪魔の凶悪なはかりごとに勝たせてください。

  神が悪魔に命じてくださいますよう、

  伏してお願いします。

  ああ、天軍の総帥よ。

  霊魂をそこなおうとして、

  この世をさまようサタンと他の悪霊たちを、

  神のおん力によって

  地獄に閉じ込めてください。

  アーメン。 

              (デルコル神父訳)

 

*あるカトリック司祭の方から聞いたのですが、日本のカトリック神学校(神学部)では、聖書の非神話化を主張するブルトマン神学が主流であり、多くの神父がその影響を受けてしまっている、ということでした。聖母マリアへの崇敬は軽視され、ロザリオの祈りなどは迷信と見なされ、聖堂でロザリオを称える者はつまみ出された、とも聞きました。しかし、そのブルトマン自身は最晩年にキリストへの信仰を失ったと言われています。そうすると、今や教会全体で大棄教への道を突き進んでいるとしか思えません。残念ながら、教会内にはまだ明るみになっていない数多くの不祥事が存在し、聖職者たちの堕落(カトリックに限りませんが)の原因として、やはり闇で蠢いているもの、悪魔たちの存在があるような気がします。ただ、聖ドン・ボスコや聖グリニョン・ド・モンフォールなどの聖人の方々、ガラバンダルやメジュゴリエにおける聖母マリアのメッセージによれば、世の終わりに聖母が介入し、最期には教会が勝利する、ということなのですが。

 

・ローマ教皇 パウロ六世

 

 “七二年十一月十五日、水曜の朝の謁見で、教皇は数千の公衆に向かって言い放った。

「今日、教会にとって最も必要なことは何か?どうか単純化だと、迷信だ、非現実的だとあきれないでほしい。我々の答えは、最も必要とされていることの一つは、個々の人間や共同体、また社会や事件に影響を及ぼしうる悪魔からの防衛である」

 教皇のメッセージは、マスコミに激しくひんしゅくを買った。中世への回帰だ、時代錯誤だ、これで他宗教との歩み寄りも無駄になると揶揄されながら、教皇は、聖書が説く光と闇の闘争史としての世界観をふたたび強調した。この世は悪にまみれていると。パウロ六世は、その後、「ヴァティカンの内部にも悪魔の黒い雲が漂ってきた」と思いつめたような発言を残し、その五年後に世を去った。七八年の春、教皇は、赤い旅団に誘拐された首相アルド・モーロの解放を呼びかけたが、その甲斐もむなしく、首相は遺体で発見される。その失意のうちに、教皇は生涯を閉じた。パウロ六世の不吉な発言を思い起こさせるように、次の教皇ヨハネ・パウロ一世は、在位から三十三日で、突然にその死が報告される。死因は、心筋梗塞と発表されたが、そこにヴァティカン絡みの金融汚職殺人事件との関連による暗殺説が囁かれた。

 そして、ハムレット的とよばれた生真面目な教皇パウロ六世は、エクソシストたちの間では、預言者的教皇として積極的に評価されていた。

 私は、カンディド神父の僧坊にあった『ローマ典礼儀式書』の中に、栞代わりに挿み込まれていた一枚のクリスマスカードのことを思い出した。震える手で挨拶の言葉が綴られたカードの署名は、教皇パウロ六世のものだった。”

 

             (島村菜津「エクソシストとの対話(小学館)より」

 

 

・出口王仁三郎聖師の遺言『錦の土産』より

 

 “‥‥‥伊都能賣(いづのめ)の御魂、霊国の天人なる大八洲彦命(おおやしまひこのみこと)の精霊を充たし、瑞月(=王仁三郎)の体に来たりて口述発表したる『霊界物語』は世界経綸上の一大神書なれば、教祖の伝達になれる『神諭』と共に最も貴重なれば、本書の拝読は如何なる妨害現れ来るとも不屈不撓の精神を以て断行すべし。例え二代三代の言と雖も、この事のみは廃すべからず。邪神界殊に八十八派の兇徒界の妖霊は一応尤もらしき言辞を弄し月の西山に入りたる際(出口聖師の死後)、得たり賢しと聖地へ侵入し来たり、先ず第一に二代、三代の身魂を誑惑せんと雄猛び襲い来るべし。然して、自己の霊系の暴露するを恐れて教祖の血統を楯に、数多の信徒を魔道へ誘わんとするは火を見るよりも明白なる事実なり、注意すべし。‥‥‥”

 

 

・霊界物語拝読による世界の浄化

 

 “聖師さまは「霊界物語を読まなければいけない。これを読めば神風おのずから起こって、大本は発展するし、世界も清まってくる」とはっきりお示しになっている(以下略)”

 

   (「おほもと」昭和36年12月号 桜井八洲雄『霊界物語拝読の真意義』より)

 

*カトリックでは、教会内に入り込んだ悪魔に対抗するため、聖母マリアへの信心(ロザリオの祈りなど)や大天使ミカエルへの祈りなどが勧められています。大本・愛善苑についても、出口王仁三郎聖師は自分の死後、悪魔が聖地に侵入してくることを予言されています。そして霊界物語の拝読こそが、それを防ぐ唯一の手段です。ですが、ただ読めばよいというものでもありません。物語は神劇の脚本でもあり、また目に見えない霊たちに聞かせるものでもあるということですので、一斉拝読のように同じ場所で複数の人間がそれぞれ異なる箇所を同時に読むといったスタイルでは、もはや騒々しいだけでしかなく、私には霊界物語に対する冒涜としか思えません。