99.教師の勉強不足
昨今、大人のアマチュアのピアノを弾く方が増え、ネットを通してお互いが知り合い、サークル活動も頻繁になっているようです。そのような中、アマチュアのピアノ弾きである私の友人が、あるオフ会に参加して演奏、他の参加者たちの演奏も聴いて思ったことです。参加者のほとんどは、皆、その日に向けて、一生懸命練習を積み、それぞれがそれぞれに習っている先生のレッスンをきちんと受けているだろう演奏ばかりで、聴いていて気持ちの良いものだったそうです。ただ、その友人が思ったことなのですが、残念ながら、どの演奏も、違う曲なのに、同じ曲のような印象を持ってしまったそうです。参加者全員が、ピアノが好きで、習っている先生に対しても心から信頼を寄せ、本当にピアノライフを楽しんでいるだけに、ある意味で非常に残念なことです。こうなると、教える側である、教師の責任というものが考えられます。なぜ?同じ曲のような演奏になってしまうのでしょうか?それは、まず第1に、教師の側の勉強不足に他ならないのです。具体的には、作曲家や作品の個性というものを認識し、その特徴を具体的に弾き分けることが必要であり、そのスキルを具体的な方法で指導できる教師が少ないといえます。例えば、J.S.バッハとスカルラッティ、ハイドンとモーツァルト、シューベルトやショパン、シューマン、リスト、ドビュッシーとラヴェル、チャイコフスキーやスクリャービン、ラフマニノフというように、それぞれの時代、また同じ時代でも個性が違い、抽象的な色合いはもちろんのこと、具体的な音色の選択、そのための技術的な方法が異なることを指導できる教師が、この日本中に一体何人存在するのでしょうか?これは、アマチュアの愛好家に限ったことではなく、専門的に勉強している学生、そして多くのピアニストと呼ばれるプロにおいても同じ次元に感じてしまうのは私だけでしょうか?ピアノ教師の皆さん、そのような指導を本当にできますか?これは、日本に限った事ではありません。巨匠と呼ばれるようなピアニストの中にも、これが出来ていない、このことに興味すらない、もしくは自分はできていると思っているのかもしれませんが、できているピアニストから見るとできていないという現状があるのです。人間は、自分のことは、音が聴こえている、弾きわけができていると思いがちですが、それは、大きな慢心であり、自分自身をきちんと見つめることが出来なくてはいけませんし、できていないなら、できるようになるために努力をするべきだと思うのです。私自身、もうできたと思ってしまったら、そこで成長は止まってしまいます。ですから、もしかしたら違うかもしれないという気持ちを維持しながら、ひたすら勉強なのです。もちろん、10年前に比べたら、現在の方が音が聴こえますし、弾きわけもも少しはできるようになったと思います。でも、後10年たった時に、今現在の私を振り返ったとしたら、多分、あの頃はまだまだわかっていなかったと思う自分でありたいと思います。クリックお願いします!にほんブログ村