• 08 Oct
    • 762.ベートーヴェンかあ

      ある生徒が言った。ベートーヴェンは大変ですね。私は嬉しくなった。ベートーヴェンを弾くことの難しさを真に感じたであろうことに。若い学生にありがちなのは、古典よりも華やかなロマン派や近代の作品に傾倒しがちなこと。確かにそこにはある種の人を引き付ける魔力が存在している。いかにもヴィルトォーゾな魅力を存分に発揮できる作品が山ほど連なっている。若者が惹かれてしまうのも致し方がないだろう。でも、やっぱりバロックや古典の作品の宇宙には到底及ばないと個人的には思う。とりわけ、私はモーツァルトとベートーヴェンに惹かれている。その生徒の将来が楽しみだ。にほんブログ村

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  • 29 Sep
    • 761.人の歌声のように

      昨日、ふと思った。ピアノの音は美しい。でも、私の琴線に触れる音は、ピアノの音として美しいのとは違う。もし本当にピアノが歌いだすと、ピアノの音の美しさを超えると思う。他のロシア人とは別次元のタチアナ・二コラーエワやグレゴリー・ソコロフの音のように。それはまるで人の歌声のよう。または、肉声が語り掛けてくるよう。色が違う。表情が違う。音の密度が違う。音の持つパワー、エネルギーが違う。そして、誰しもが聴いてほしい、体験してほしい音。録音からは決して聴こえない、生だから伝わる特別な空気の振動。真にとうとい。にほんブログ村

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  • 24 Sep
    • 760.生徒に先立たれる

      今、昨夜8時31分に生徒が亡くなったと連絡がはいる。栃木県から具合が悪くなる半年前まで毎週一生懸命レッスンに通ってきていた。本当にまじめで一生懸命だった。ピアノのことを愛していた。ソコロフのタッチを学びたいとメールのやり取りで切望していたが、ついにその夢は果たせなかった。最後の最後までピアノに夢をかけていた。まだ40歳という若さ。悲しい。にほんブログ村

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  • 18 Sep
    • 759.真の練習

      今、2人の生徒のレッスンをした。1人はシューベルトのアムプロムプチュop.90もう1人はシューマンのクライスレリアーナ。2人とも、若いピアニストとしてリサイタルに向けて練習している。その2人の演奏を聴いていて感じたこと。どのようなタッチで弾けば、そのパッセージがミスなく再現でき、どのようなタッチで弾けば、ピアノの音色が変わるかを既に知っている。しかし、シューベルトやシューマンが書いた楽譜と向き合いきれていない。私に言わせればそれは音符という記号。それぞれの持つ固有のセンテンスの長さやリズムなどが、音符という記号を読んで正しく演奏しただけ。大切なのは、音符という記号では書ききれなかった、作曲家の心からの魂の叫びを感じること。もしかすると、記譜されている音符とは違う瞬間もあるかもしれない。作曲家が書き残した記号を頼りに、無限の可能性を追い求め、もがき苦しまなければ芸術とはいえない。真の美の追求。何かの奇跡が起こる瞬間を生み出さなければならない。苦悩の日々、葛藤の日々、模索の日々。既に持っている、感覚や技術を総動員して、様々な美の瞬間を探し求めること。それが真の練習だともいえる。正しいだけ、美しいだけの優等生で表面的な演奏はいらない。にほんブログ村

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  • 13 Sep
    • 758.ぶっ壊れていていい

      完璧な演奏を目指す。そう願いピアニストは毎日何時間も練習に時間を費やす。確かに大切なことかもしれない。でも、本番で間違わないための練習なんて本当に意味あるのだろうか?一体それで何が作り上げられるというのだろう?試験やコンクールで弾かなければいけない若い世代のピアニストには通じないだろうが、本当に大切なことって、そんなところには存在しない。それより、そんな練習を繰り返していたら、本当に大切なことを見失ってしまうだろう。指をさらうより、音楽を見つめる、作品と対峙することにエネルギーを費やすべきだ。そして、演奏には生命が宿っていなければならない。いかにもおとといから同じことをやっていますという演奏は、いくら完璧でも魅力に乏しい。少々傷があったくらいで、魅力が失われてしまうほどの内容、メッセージ性の薄い、完璧な演奏なんていらない。安全な広い道を歩いているより、崖っぷちすれすれを歩いている演奏のほうが本気で魅力に溢れている。血の通った人間じゃなきゃできない、温かい愛に溢れた演奏、その音楽の本質を根底からえぐる演奏、究極の美を表現している演奏、宇宙を感じさせる壮大な演奏に心惹かれる。そんな奇跡の演奏に傷があったとして、少々ぶっ壊れていてもどうでもいいこと。芸術って、そんなものじゃないかな。にほんブログ村

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  • 12 Sep
    • 757.本当に美しい響き

      ピアノの音は美しい。少なくとも私はそう感じる。愛をもって、ある種の工夫を凝らして紡ぎだされた音は美しい。それは音というより、響きという言葉が似つかわしい。ピアノにはメーカーにより基本の路線が違う美しさがある。ただ弾いただけでも美しい楽器はあるしそうでないものもある。でも、いくら優秀に作られた美しい音の出る楽器を弾いてもそれは物理的に美しいだけ。それは何の意思もない空虚な美しさ。表面的な美に過ぎない。知性がない。香がない。色がない。愛がない。時には鍵盤は叩きつけられ楽器が悲鳴を上げている。そこには美はない。真の美しさを出すには演奏者がものをいう。演奏者の経験と技術と研鑽の末初めて美しい音の出る楽器からその楽器の持っている本当の美しい響きが出る。本当の美しい楽器の音というよりは響きを知ったものは一生その虜になってしまうだろう。ピアノというのはそういうものだ。媚薬のようであり、厳しさもあり甘さも兼ね備えた悪魔にも天使にもなれる魅力に満ちている。そこには演奏者の愛がなければならない。演奏者はそこに気が付きそれを求めまるで絵画を描いてゆくのがごとく作品を描いていくことだと思う。それが「弾く」ということだ。にほんブログ村

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  • 11 Sep
  • 10 Sep
    • 755.究極の芸術の本質

      ちょっとヤバい話。私の仕事はピアノ教師。しかし、最近熱望していることがある。演奏活動はしていないが、ピアノ教師と言うよりも芸術家でありたいということ。発端は宇宙。宇宙の存在を見つめ、想像を膨らませていったときに、時代も地域も超え、人種も宗教も国籍も超え、我々は地球という星に共存している地球人であって、細かいことなどどうでもいいと思うに至った。音楽もしかり。時代や国籍、地域によりその演奏スタイルは変えるべきと言うのが王道。国際コンクールの場においても、作曲家によって弾き分けることを要求される。確かに修業時代においては必要なこと。白洲正子氏も語っていたが能の世界でも、形を知ることに始まり、それを極めなければ自由にはなれないという。私は日常において修業時代の学生を主に相手をしているわけだから、形を教えるのはいたしかたがない。でも正直、私にとっては今の私の芸術的感覚にのっとったならば、形を重んじることさえ、くだらなくさえ思えてきてしまう境地に至った。なぜなら、音楽も含めすべての物事を宇宙として捉えているからだ。極めた芸術と言うのはもっと普遍的で宇宙的だと感じる。ベートーヴェンとショパンを弾き分けることは大切だが、究極的には同じ人間の魂の叫びに変わりはなく、時空を超えたところに本質がある。例えば、人間の本質の1つにロマンがある。ロマン派以外の作曲家の心にロマンはないのだろうか?答えは否。そんな境地が今の本音だが、それでも今日も私は形を教え続けるのだろう。にほんブログ村

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  • 08 Sep
  • 07 Sep
    • 753.究極の美

      日本画家、斉藤和氏の言葉にいつも美しい絵を描きたいと思っている。言葉も必要としなくて涙がこぼれてくるような絵。紙も絵具も描写も意図もそれぞれが黙ったままで溶け合って。胸に来ました。私も1音でもいいから、そんな音を出したい。容易いことではないけれど、理屈なんかじゃなく、得も言われぬ感情がわいてくるような究極の美を追求したい。にほんブログ村

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    • 752.あなどれない

      大野ピアノメソッド、大人のための教室の生徒さんたちは、皆、趣味でピアノを弾いている。要するに私の弟子たちに習っているわけだが、私の教えが講師である生徒たちに反映され、メソッドの生徒さんたちにも伝承されている。メソッドに習いに来る方々は、ただ楽しくピアノを弾いければよいというわけではなく本気でうまくなりたいという人が集まってくる。そんなわけだから、私の教えているピアニズムが講師を通してそっくりそのままと言っては過言かもしれないが、びっくりされるような演奏をされるようになった方も少なくない。趣味で弾いている方でも、ソコロフのような音が出ているのだから驚きに値する。その辺の音大生やプロよりすごい響きで弾いているのである!それはなぜなら、耳が厳しいから。耳が厳しくないと、理想の音には近づけない。しつこいようだが、その辺の音大生より耳が厳しく、聴こえている。プロも趣味も関係ないとつくづく思う。にほんブログ村

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  • 05 Sep
    • 751.自分の音に飽きた

      ある生徒の話。前回、この曲に飽きたと言って帰っていった。今日、また同じ曲を持ってきた。どうしてなのか尋ねてみると前回、帰り道で思ったことは曲に飽きたのではなく、この曲を弾いている自分の音に飽きたということに気が付いたとのこと。なかなかおもしろいと思った。そもそも自分の音が嫌で私の門をたたいたのだという。そして自分の音に飽きたという。そのようなことを感じる感性に驚いた。自分の出している音にここまでこだわっている演奏者が、はたしてどれだけいるのだろうか?先が楽しみだ。にほんブログ村

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  • 27 Aug
    • 750.守りに入らない人生

      音楽だけの話ではないが、人生、守りに入らないことは大切だと思う。守りに入った瞬間にその人の成長が止まる。音楽家の中にも残念ながら守りに入ってしまっていると感じる人はいる。ヨッフェ先生を見ていると、60歳を過ぎても守りに入っていない攻めの人生を送っていると感じることができ、先生のお人柄もあってか微笑ましい。最新の録音である、ショパンとスクリャービンのプレリュード全曲をミックスして演奏するなど、いったい誰が思いつくだろうか?私は50歳を過ぎて、無意識のうちに「もう50だから」と言うようになってしまった自分がいる。「もう」ではなく「まだ」と思うべきだろう。テクニックだって、音楽だって、もうわかっていると思うのではなく、もっと改良できるかもしれないと思い続けることは大切だと思う。ヨッフェ先生を思い浮かべたときに、そのパワー、エネルギーに満ち溢れたポジティヴな生き方に心から魅力を感じる。とはいっても人生紆余曲折、様々な状態に自分の身は置かれ、時としてくじけそうになったり、守りに入ってしまったりするときもあると思うが、そんな時はヨッフェ先生の顔を思い浮かべることにしよう。にほんブログ村

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  • 26 Aug
    • 749.宇宙を感じる

      この世に存在するものすべては宇宙につながる。よってこの世に存在するものにはそれぞれに宇宙がある。音楽もまたしかり。どのような宇宙を感じ、表現するのか?その作品のあるべき宇宙はどんな宇宙なのか?そして、1音の中にもそれぞれ宇宙が存在する。どのような宇宙の1音を出すべきか?非常に根源的なことに目を向けなくてはならない。演奏と言うものは要するに、そういうことなのだ。生徒の1人が、最近宇宙そのものに興味があると言ってきた。大いに結構。宇宙に関することを知るのは良いことだ。私も最近コーヒーや紅茶の宇宙を知りたくていくつか本を購入した。それぞれの宇宙に興味を持つことは何か、その人の音楽に繋がるかもしれない。にほんブログ村

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    • 748.様々なレガート

      レガートと言っても大きく分けて2種類あると思う。1つはフィンガーレガート。もう1つはダンパーペダルの使用による響きのレガート。その響きのレガートの中にも、ショパンのレガートとシューマンのレガートは違うことを昨日のレッスンで感じた。その生徒が弾くシューマンは、まるでショパンのようなレガートだったのだ。わかりやすく言うならば、シューマンがフランス語でしゃべっているようなレガートだった。そのレガートはショパンにふさわしいレガートであり、シューマンの作品を弾くにあたって、そこに違和感を感じた。要するにレガートすぎるのだ。もっとドイツ語の響きのようなレガートが似つかわしい。これにはタッチそのものを変えなくてはその表現はできない。にほんブログ村

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    • 747.変わる音楽

      最近ソコロフのタッチで生徒に弾かせているのだが、それで気が付いたこと。まずはなんといっても音楽が変わる。なぜならば、タッチを変えたことにより、1音1音に本当の意味で生命が宿るようになる。悪い表現だが、そうでないタッチの音が1音でも混ざると、非常にそれが目立ってしまい、その音は、まるで死んでいる音のように聴こえるからまた不思議。ということはソコロフのようなタッチで弾いていない音で弾いている一般的な演奏の音楽自体が、私には生命感のない死んでしまっている音楽のように感じられることになった。そして、1音1音が非常にクリアーになるためだろうが、音楽がある意味で古典的に聞こえてくる感覚を覚える。確かにソコロフの演奏を聴いても、私個人の見解だが古典的な印象を受けていたのが、なるほどタッチが変わると、その音楽も変わることを実感する。にほんブログ村

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  • 16 Aug
    • 746.空気を含ませる

      最近、大切にしていることは音に空気を含ませるということ。これはあくまでもイメージなのだが、以前の記事でも述べた通り手を鍵盤にしがみついて弾かないという発想からくる。鍵盤のふたを上げた鍵盤のふたの淵のあたりの高さに、基本的に両手があるようにイメージする。実際にその高さから弾く場合もあるが実際はそうではないことが多い。指、手のひら、前腕の下の筋肉の下に響きの層があることを意識する。したがって、鳥の翼のような手首のスナップが含まれた落下運動が生じる。間違ってはいけないのは腕を脱力して手を落下させるのではなく、前腕の下の筋肉で支え、コントロールすることが重要。そういう意味での落下をさせると音の中に、まるで空気の層が含まれたような豊かに膨らんだ響きが出てくるから不思議だ。例えるならば、メレンゲとかホイップクリームのように空気を含ませると柔らかくなり膨らむのと同じよう。声楽家のように朗々と音が歌ってくれるのである。やはりこれも、グレゴリー・ソコロフやアンドレイ・ガヴリーロフが行っているタッチ。にほんブログ村

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  • 11 Aug
    • 745.横と縦のベクトル

      1つのフレーズを弾くとき。そのフレーズが長ければ長いほど、また速ければ速いほど、横のベクトルだけで弾いていく感覚になる。しかし、これでは手が固まってしまい、1つ1つの音の響きを殺すことになる。そこでひじの後ろ側を緩める、または、肘の後ろ側から体の前方へ腕自体を押し出すイメージを持つ。すなわち縦のベクトルを存在させることにより、1音1音は歌いだす。にほんブログ村

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    • 744.自由落下

      これは一般的には推奨されていないこと。なぜなら、よほど指の支えがしっかりしていないとうまく音が響かないからだと思う。だから、これを行ってもよいのはある程度の上級者、すなわち指の支えがしっかりしている人だけが行えること。なぜ私が推奨するのかは、そのほうが響きが豊かになるから。したがって、鍵盤に指が吸い付いているのではなく基本的に、空中に手を引き上げたところに手のひらが存在し、極端な話、弾くときだけ自由落下で鍵盤に下せばよいというイメージで弾いたほうが、手のひらの下に空間ができ、おのずと響きの空間も生まれ響きが豊かになると思う。手のひらと鍵盤の間にも音はしっかり響いているのでそれを殺さないように弾くイメージを持つのが大切なことの1つだと思う。ちなみに、グレゴリー・ソコロフは自由落下を多用していると思う。にほんブログ村

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  • 10 Aug
    • 743.石の上にも四年

      今、ラフマニノフの2番のコンチェルトをレッスンした。生徒さんは、「石の上にも三年」とはいうが、私のレッスンを受け始めて4年目というピアノ教師の方。私と同世代とは言っては失礼かもしれないが、何せ1つの身体で主婦業もあり、ピアノの先生でもあり、おまけに受験生の母でもある。そんな状況でも、月に2,3回はレッスンを受けに来て下さる。そのような方だから進歩も目覚ましい。ラフマニノフの黄金の輝きを放った演奏だった。今日のレッスンで、私は確実にその方に私のピアニズムが継承されていることを実感した。私の生徒の中には、私と同年代以上のピアノ教師をしていて主婦をしている方も多いが、皆さん全員が彼女のように私のピアニズムを継承してくれていないのは残念に思う。本当にごく一部の方だと言わざるを得ない。まぁ、仕方がないのかもしれないが、せっかく勉強をしているのだから、中途半端にやってほしくないと近頃つくづく思う。いくつになっても奏法や響きは変えることができるということの証だと思う。にほんブログ村

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プロフィール

大野眞嗣

血液型:
AB型
お住まいの地域:
東京都
自己紹介:
1965年(昭和40年)東京生まれ。 桐朋学園大学及びモーツァルテウム音楽院(オーストリア)にて学...

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