ジェシー・ノーマンの歌うシューマンのリーダークライスop.39を聴き終えてしみじみ思ったことがあります。




私はこの曲集を別の歌手で何度も聴いて親しんできましたが、彼女の歌うこの曲集は、今まで私が知っていたとは思えないほど新鮮でした。それはなぜかと申しますと、ピアノパートを含め、表現の繊細さと大胆さに圧倒されたからです。




ここには「表現する技術」が確実に存在するのです。



もちろん、それ以前にどう表現したいか?という事細かな表象が前提にあるわけですが。




そこで我が国のピアノ事情に置き換えて考えてみますと、実際のレッスンにおいて、「表現する技術」にこだわったレッスンが行われているのでしょうか?




私の日本での学生時代を含め、昨今の日本の学生の演奏を聴いていますと、そのような教育、「表現する技術」にこだわり、そして追求されているレッスンは行われていないのではないかという危惧を持ってしまいます。




具体的に「表現する技術」のスキルを持った教師の存在は少ないでしょうし、学生の側も「表現する技術」って何?そもそも何を持って「表現」といえるのかさえも気が付いていないのが現状ではないでしょうか。




頭の中に浮かぶ技術的な観点といえば、残念ながら、如何に間違えずに、難しいパッセージを弾き切るということが最大の目標である「技術」ではなく、私流に申し上げれば、それは「技巧」です。




一流の国際コンクールレヴェルになりますと、何を表現したいかを持っているのは当たり前で、その上に「表現する技術」を持っていて、その演奏は「技巧」というレヴェルで人を圧倒させるのをはるかに超えて、人を感動の域にまで到達させるのです。




たまたま、ジェシー・ノーマンの歌声でそのような事を思ったわけですが、「表現する技術」、そしてその前提となる何を表現するか?という表象、そしてそれ以前に本当に基本的な「発声」の訓練があるから可能な世界です。




我が国のピアノ界の現状を考えたときに、このいちばん基礎の部分の「発声」からして、徹底された訓練をしていないと感じます。




その点、ロシアにおいては、小さな子供のころから、やさしい曲で何を表現したいのか?どう表現するべきか?理想の響きが出るようになるまで、しつこく発声練習に当たるタッチの訓練から徹底して行われています。やさしく小さな曲であっても、そこには、それなりに意味のある世界が書かれているのです。そして、その曲の意味、キャラクターに沿った表現を要求されます。




我が国の教育の実情、それは、少しでも早い年齢で、少しでも難しい曲をとりあえず文句のつけようのない演奏をさせることに主眼を置いているのとは異なります。




発声を含め基礎の意味から演奏においての目標まで、教師はもちろんのこと、親や生徒も意識の改革が必要に思います。




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