『 【宇宙の創造主:マスター】との対話① 』 の内容に重複するけれど、さらに深く具体的かつ詳細に記述されている。古代史に関しては、支配者の文献を基にしているだけの学者さんたちの記述をいくら読んでも、益することは少ない。著者さんのような霊能者さんの方が、より本質的な事実に迫れるはずである。なぜなら古代は、現代とは違って、神力(神霊能力)こそがメインの時代だったからである。「天皇家に関わっていた巫女さんたちの血統」という視点で見れば、日本古代史はかなりスッキリかつ筋の通ったものに見えてくる。2020年10月初版。

 

 

【秦氏】

 秦氏は3つの時代に分かれて日本へやってきました。もととなった民族も、それぞれ中国系(第1弾)新羅系(第2弾)百済系(第3弾)に分かれます。(p.67)

 第1弾は、紀元前221年に中国を統一した秦から、始皇帝に命じられてやって来た人々で、多くの技術を日本にもたらし弥生文化の発展に寄与したとある。

 いずれの秦氏も、そのルーツは中東ないし中央アジア方面にあるのだけれど、スンナリ権力移譲がなされたのではないから、勝者側のご随意な記述によって、日本古代史は謎多きものになってしまっている。

 なかでも天皇家に深く関わっているのが新羅系の秦氏です。(p.68)

  《参照》 『ついに来たプラズマ・アセンションの時』 池田整治 (ヒカルランド) 《後編》

           【ムー ⇒ 縄文・大和 ⇒ シュメール ⇒ 新羅 ⇒ 日本】

  《参照》 『縄文八咫烏直系! 吉備太秦と世界のロイヤルファミリーはこう動く』 板垣英憲 (ヒカルランド)

           【夏⇒(秦⇒高句麗⇒新羅経由)⇒出雲⇒備中】

  《参照》 『古代天皇家と日本正史』 中丸薫 (徳間書店)

 

 

【天皇家】

 天皇家の先祖は渡来系民族でしたが、彼らは土着の民族を束ね、多くの部族や豪族から支えられ、神として崇められるほどの強い権力者となりました。

 記紀によれば、天皇家の血筋は神代までさかのぼります。・・・(中略)・・・。天照大神の第5代目の子孫として登場するのが、初代・神武天皇です。生まれ育った九州で啓示を受けたのち、神武東征によって橿原の地(奈良県)にお宮を建立。『日本書紀』の記述によれば西暦紀元前660年、初代天皇に即位します。(p.73-74)

   《参照》 橿原神宮

   《参照》 『天皇とユダヤとキリストそしてプレアデス・メシアメジャー』

            【紀元祭】

 こうして日本の天皇制がスタートし、いまも天皇は天照大神の正統な血をひく一族として現代まで続いているのです。

天皇は、神道の最高神官として日本を守るお役目があります。・・・(中略)・・・。

 戦後になり、神道にまつわる祭祀は「天皇家の私的行為」と位置付けられましたが、天皇が祈り続けている理由は、国家統一の際の「神(宇宙創造主・マスター)との契約」を守るためなのです。 (p.74)

   《参照》 『 【宇宙の創造主:マスター】との対話① 』 天無神人 (ヒカルランド) 《後編》

           【日本は、表の父系天皇、裏の母系巫女による統一国家】

 

 

【天照大神のルーツ】

 ところで、天照大神とは「人」でしょうか? 「神」でしょうか?

 この疑問に対してはっきりいえることは、「人」ではありません。天照大神とは、エジプトの太陽神信仰・ラー族を起源とする神の概念です。古代エジプト時代に霊力を持った女性たちが日本まで運んできました。

 約6000年前、地球の西側からはじまったエジプト文明では、太陽を拝む信仰体系が起こりました。そして、長い年月をかけて民族が東へ移動する中で、最終目的地として日本へ到着。渡来系の巫女たちによって日本の先住民に太陽信仰が伝えられ、いつしか「天照大神」という呼び名に変わったのです。(p.79)

 エジプトの太陽神信仰・ラー族をルーツとし、沖縄を経由して日本海側から入った人々は、下記リンクでは「鏡族」となっている。

   《参照》  『 【宇宙の創造主:マスター】との対話① 』 天無神人 (ヒカルランド) 《後編》

            【巫女たちのルーツと「命の繋がりの神の概念」】

            【神巫女たち】

「鏡」と「太陽神(日神)」の言霊による相関関係は、下記リンクに。

   《参照》  『愛・日本語と太陽神のきずな』 立神正行 (たま出版) 《前編》

            【かがみ】

 本書内では、ハトシェプスト王女について何も記述されていないのだけれど、外せないので勝手に書いておきます。ハトシェプスト王女は、古代エジプト第18王朝の第5代ファラオ(在位:紀元前1500年頃)だけれど、ハトシェプスト王女も日本に来ている。

(下掲は、エジプトのテーベ(現:ルクソール)にあるハトシェプスト王女葬祭殿)

 ハトシェプストの意味は「最も高貴なる女性」。即位名のマアトカラーは「真実とラー神の魂」の意。

   《参照》  『宇宙人の魂をもつ人々』 スコット・マンデルカー (徳間書店) 《後編》

           【ラー文書】

           【ラー文書からの引用】

 21世紀に入った現在は、ラー一族が日本に託しておいた創造主との契約が、幾星霜を経て、いよいよ完遂されるべき時。今、この時代を生きている日本人が、地球の命運のすべてを握っている。

   《参照》  『アセンションプロ集団「ラー一族」』 ラリア (ヒカルランド)

 

 

【三輪山に結集】

 当時の日本はどの共同体でも、必ずといってよいほど一国の親分と神力のある巫女が組んで、宗教的祭祀を中心とした神権政治を行っていました。そのため、渡来してきた巫女たちは日本列島の広範囲に散らばっていました。

 あるとき、宇宙の創造主より「三輪山(奈良県)で集まるように」との啓示が全国の巫女におりました。巫女たちの意識は一定の周波数というネットワークで結ばれていて、テレパシー通信で連絡を取り合うことができたのです。

 いまでこそ大神神社のご神体として入山規制がかかるほどの神聖な三輪山ですが、当時はだれにも知られていない山でした。まだ移動手段もない時代でしたが、天からの啓示にもとづき、三輪山に同じタイミングで全国から巫女たちが結集したのです。

 当然ながら、諏訪族・阿波(安房)族の巫女も三輪山へ向かったのでしょう。日本中にいる巫女を一カ所に集めた宇宙の創造主は、西から運んできた太陽神をこの地につなげるという「大いなる目的」を果たすよう、巫女たちに改めて確認させたと思われます。

 建国前の古代日本が、このような女性の神力によって支えられていたという事実は、現代人にはまったく知られていないのです。(p.92)

 こういう話は、年齢のいった世代より、若い世代の方がスンナリ理解するだろう。

 上記の書き出しは、建国前、即ち、紀元前660年以前に行われたこと。このブログ内を“三輪山”で検索すれば、たくさんヒットするけれど、ほとんどが建国の頃ないしそれ以降の内容。

 しかし、下記リンクだけは違う。

   《参照》  『古代大和まほろばプロジェクト』 森嶋直樹 (文芸社) 《後編》

           【三輪山シリウス論】

 

 

【月読宮・月夜見宮】

 しばらくして、天照大神を祀る社は現在の伊勢の地に移されました。月読命の社も伊勢へ移すはずでしたが、出雲との繋がりが強い月読命を「祟り神」として恐れた神職たちにより、月読命の社は内宮・外宮の外に置かれ、月読宮・月夜見宮として祀られることになりました。

 私が元伊勢を参ると、月読命はいつも「わが思いが人に伝わらない」と嘆いていらっしゃいます。伊勢神宮の参拝者で、月読宮へ行かずに帰る人がたくさんいますが、月読命という闇を守る存在がいるからこそ、天照大神の力が守られていることに、どうぞ思いをはせてください。(p.101-102)

 天照大神は表(陽)、月読命は裏(陰)。陰陽で一つ。

   《参照》  『 【宇宙の創造主:マスター】との対話① 』 天無神人 (ヒカルランド) 《前編》

            【「陽の祈り」と「陰の祈り」】

 チャンちゃんは、伊勢神宮 には何度も足を運びながら、月読宮へは2009年末に詣でて以来、行っていないので、反省しきりである。

 

 

【日本民族のルーツ】

 もともと日本人には中国や朝鮮だけではなく、インド、ヨーロッパ、中近東などから渡来したさまざまな民族の血が複雑に混ざり合っています。つまり、日本人という固有民族は存在しないのです。

 日本列島に古くから住み着いていた先住民と、その後に世界中からやってきた渡来系民族との掛け合わせが日本人のルーツです。天照大神から続く万世一系の血筋といわれる天皇家でさえ、その例外ではありません。

 しかし、そういった事実が表に出てしまうと、天皇家を国家の象徴として崇める「日本人の精神性」が保てなくなるかもしれません。日本人には、政治・経済・文化という側面よりも、日本神道という宗教をベースにした精神性を重んじる国民性があるからです。(p.129)

 チャンちゃんは、日本人のルーツはここに記述されている通りだと思うし、そのことが表に出たとしても、「日本人の精神性」が保てなくなるとは思わない。なぜなら、「日本人の精神性」を担保しているのは、「東経135度を中心とした日本列島の位置」と「日本語」のはずだから。

 それに、渡来人たちとて彼らのルーツをさらに辿れば、日本だったりするのである。

   《参照》  『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》

           【 日本 ⇒ シュメール ⇒ 日本 】

           【経度0度と経度135度の文明的特徴】

 両親が全くの外国人であっても、日本で生まれ、日本で日本語のみで育っていたら、その子の精神性は完全に日本人である。逆もまた真。

   《参照》  『プレアデス・メシアメジャーとエドガー・ケイシーの未来リーディング』 白鳥哲・小川雅弘・村中愛

            【言葉とDNA】

 日本語の音韻構造は、水際立って個性的である。スピリチュアルな視点を持つ人々は、日本語の重要性を繰り返し指摘している。このブログ内にも、日本語に関する引用はテンコ盛りある。ありすぎて、その都度リンクしきれないので、別出しで下記リンクを作っておいた。

   《参照》  “日本語”に関する引用一覧 

 

 

【「祟り緩和策」の裏にある真実】

 一般的に知られている史実では、戦いに勝った側の名前しか残りません。ところが、負けた側の歴史をすべて消してしまうと、その者たちの念がかかります。子々孫々まで祟られないように、意味を変えて、その名前を歴史や神話に記すことがあるのです。(p.131)

 だもんで、百済系の天武天皇の時に編纂された『記紀』の内容を字面どうり読んでもいかんともしがたい。伊勢神宮も天武天皇の時に皇祖神を祭る国家奉祭の神宮として確立している。下記リンクから3つ辿れば、その経緯は分かるだろう。

   《参照》  『空海は古代ユダヤの錬金術師だった』 月海黄樹 (徳間書店) 《前編》

           【天武による圧政と歴史の改竄】

 伊勢神宮や熱田神宮のある伊勢も熱田も、渡会氏という先住民が支配していた土地で、そこは新羅系の神力が宿る土地だったのだという。本来の天皇家は新羅系である。

  《参照》  『古代天皇家と日本正史』 中丸薫 (徳間書店) 《中編》

          【日本と新羅の交流】

 そのことから、三種の神器が祀られて以降も、長いあいだ天皇の伊勢神宮参拝は行われてきませんでした。明治天皇が在位中にはじめて参拝してからは継承されています。(p.132)

 

 

【日本武尊と宮簀媛命】

 東国出征から戻った日本武尊は、尾張の国の宮簀媛命と結婚して婿入りします。二人は現在の熱田神宮がある場所で暮らしました。

 私の神事によれば、当時の地主だった渡会氏のはからいで、この地に新居と土地が提供されたのです。敷地内にはお屋敷のほか、宮簀媛命は巫女だったので、彼女の祈りの場として小さなお宮が建てられました。これが熱田神宮の前身といわれます。(p.138-139)

 しかしながら、新羅系から百済系へ天皇家の体制が大きく変わるタイミングで、熱田のお宮に三種の神器の一つである草薙剣を祀ることになったので、先住民の血統であった宮簀媛命は、敷地内に暮らすことができなくなってしまったのだという。渡会氏も宮簀媛命も、土地と民、そして日本武尊を守ることを第一に考え、争うことなく引き下がることを受け入れた。だのに、日本武尊は、元豪族の仲間に伊吹山まで呼び出され、闇討ちにあって命を落としてしまったのである。

 私が熱田神宮ではじめて神事を行った際に、日本武尊の御魂があらわれ、「この剣を妻の宮簀媛に渡してほしい」と頼んでこられました。細かな装飾が施されたその剣は、エネルギー体でしたが、とてもリアルで立派な品でした。私はその剣を受け取り、宮簀媛命が祀られている愛知県の氷上姉子神社へさっそくお届けに参りました。・・・(中略)・・・。宮簀媛命の御魂も、剣という愛の結晶を受け取って喜んでおられました。(p.140)

 チャンちゃんが、2016年に「民草和気(くさなぎ)の道」を巡って 氷上姉子神社 に参拝した時は、ここまで詳細を知っていたのではなかったから、今さらではあるけれど持統天皇の配慮がよく分かる。

   《参照》  『「超古代」の黙示録』 後藤まさし (たま出版) 《前編》

             【持統天皇による「民草和気の道」】

 日本武尊は、白鳥座の御魂をもつ純白の人。単に権力を志向するような魂ではない。

   《参照》  『「超古代」の黙示録』 後藤まさし (たま出版) 《前編》

            【「天津神」と「国津神」そして、大神霊理気「大正腑・天神」】

 下記リンクにも、日本武尊のことが記述されている。

   《参照》  『人と神と悟り』 日垣の庭宮主 星雲社

           【蘇我入鹿は仏教徒ではない】

 宮簀媛命も争いを避けるためにこそ引き下がったのに、純白の魂たちを無残に遇する百済系輩の卑劣な奸計。2020年の今は、どんな卑劣な行為であれ全て受け入れ、全てを許してゆくべき時なので、この史実を一時悲しんでも憤りはしないけれど、「くだらん奴ら」の元は「百済の奴ら」なのではないのかと思ったりする。

 

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