《前編》 より

 

【巫女たちのルーツと「命の繋がりの神の概念」】

 日本に入ってきた巫女は卑弥呼が初めてではなく、卑弥呼よりも古い時代に日本に文明を伝えた巫女たちがいて、彼女たちの船は今から6000年前、ヨーロッパから南の諸島を経由して、沖縄経由で最初にやってきていたのです。

 日本国内では3つのルートに分かれて、沖縄・九州・四国・関東の千葉に入ってきた安房族の方々、日本海側に入ってきた鏡族の方々、淡路島に入った方々が、日本に「命の繋がりの神の概念」を運んだ最初の大巫女たちです。(p.92-93)

 大巫女たちが日本に運んだのは“命の繋がりの神の概念”とあるけれど、これを読んで思い出したのが、ケルトにおけるティール・ナ・ノーグの思想と、ギリシャにおいてディオニッソスが支配していたゾーエとビオスの思想。

   《参照》  『ディングルの入江』 藤原新也 集英社
            【ティール・ナ・ノーグ】

   《参照》  『ピーター・パンはセックス・シンボルだった』 松田義幸 (クレスト)《前編》
            【生と死を司るディオニソス】

 この巫女たちの目的はすべて同じで、太陽神信仰を伝えたのではなく、「命の繋がりとしての神の概念」を納める地を探すために日本に入ったのです。

 その目的は、日本、そして地球が「大愛の星・希望の星」になるための国づくりのためであり、その思いを実現するために天皇家と契りを結んだのです。

 詳しくは後述しますが、ようするに、大巫女たちが天皇家に入ったことで、天照大神を中心とする祭祀王としての天皇が誕生したということです。(p.93)

 大巫女たちは、“命の繋がりの神の概念”を納める場所として、何故、日本を選んだのだろう?

 ケルトもギリシャも、地球風水である『ガイアの法則』で見ると“分離極性の強い地域”。故に、そこでは“命の繋がりの神の概念”が陽の目を見ることなどないことは分かっていた。“命の繋がりの神の概念”を残すには、東経135度に位置する“融合極性最大の地”、日本でなければならなかったのだろう。

   《参照》  『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》

            【経度0度と経度135度の文明的特徴】

 日本を外から見たことがない人は実感しないだろうけれど、日本ほど、争いを厭い、“和”を尊び、それを実現させている国はない。

   《参照》  『Descention ~自らを下げる~』 中里尚雄 ぶんがく社
            【愛しき日本の姫君達☆】

 しかしながら、大巫女たちが秘めていたその使命は、時の権力者たちの力を前にして、場合によっては、望まぬ運命に自らを委ねることを意味してもいた。神力を降ろすことができる大巫女さんたちは、身をもって「イケニエの法則」に殉ずることで、日本に“命の繋がりの神の概念”を残していたのである。

   《参照》   『22を超えてゆけ』 辻麻里子 (ナチュラルスピリット)

             【137と「イケニエの法則」】

 

 

【やこう玉】

 白川神社では、一族だけに伝えられる隠された事実を知らされました。

 宮古島から琉球王朝へ献上された有名な千代金丸の宝刀は有名ですが、白川一族だけに極秘に伝えられた「やこう玉」こそ、天皇家のルーツを示す証しとして琉球王朝へ献上されていたのです。(p.110-111)

 ここで言っている白川宮とは、宮古島から沖縄本島へ大切なものを繋ぐために来られた与那覇豊見親(よなはとうみやー)が奉られている場所のこと。グーグルマップでは「与那覇勢頭豊見親逗留旧跡碑」と表示されている。

 宮古島や沖縄は、かつてどのような所だったのか、下記リンクに若干記述されている。

  《参照》 『なぜ日本中枢の超パワーは「天皇」なのか』 中丸薫・ベン・アミー・シロニー 《後編》

          【沖縄海域】

  《参照》 『今こそ世界は《本物JAPAN》の光臨を待っている!』 河合勝 (ヒカルランド) 《後編》

          【沖縄】

 

 

【卑弥呼】

 彼女は中国の田舎で生まれた女性で、天童であり優れた霊能を持っていたことから、時の王(後漢の光武帝)の命によって倭国を中国の配下に置くために派遣され、多くの兵隊を伴って九州から日本に入ってきた集団であることが分かっていました。

 そしてそれと同時に、卑弥呼は、宇宙大本の神に繋がっていた他の神の大巫女たちと同じように、「この東の果の地に大元の天と繋がる場所を見つけなさい」という啓示を受け、その場所を探すために九州の邪馬台国から出雲まで移動していたのです。(p.113)

 卑弥呼は大巫女の典型だけれど、日本各地に伝説が残っている楊貴妃も同じだろう。権力者たちは美貌のみで妃を選んでいたのではない。美貌より大切なのは神に通ずる巫女としての霊能力だった。秀でた霊能力あればこそ楊貴妃は玄宗皇帝の寵愛を受けていたのである。

 現代を生きているノー天気なチャンちゃんも、若い時に巫女のようなパートナーを得ていたら、こんな間抜けな人生にはならなかった。チャンチャン。(「くだらんことを書くな!・・」だと)

 

 

【神巫女たち】

 神巫女である卑弥呼の霊的子孫として、朝廷が大切にしてきた神巫女一族が倭姫です。

 つまり、神巫女は卑弥呼を中心とする邪馬台国の巫女たちだけでなく、宗像三女神、倭姫、月夜見尊、月読命などの名で呼ばれた女性たちは全て霊的につながっていて、かつては「鏡族」と呼ばれていました。

 鏡族である神巫女たちは、出雲の物部一族に力を貸した陰の存在であると同時に、その出自は、「ヒの元を運ぶ」という大神の託宣を受けて世界中から日本へ神の意志を運んだ巫女たちの総称でもあるのです。(p.119)

 九州の邪馬台国から山陰の出雲へ、出雲から伊勢へと権力の移行があろうと、神巫女(大巫女)たちの霊的なつながりは、決して途絶えてはいない。

 

 

【日本は、表の父系天皇、裏の母系巫女による統一国家】

 つまり、日本は人間の権力支配で造られた国家ではなく、巫女たちが仕えた天の意志・神力によって造られた国。表は男の戦いの歴史であっても、裏で支えていたのは天と繋がった女性たちの聖なる祈り。彼女たちの思いはどんな書物にも記されることなく、また語ることさえ許されなかったのです。

 「邪馬台国の卑弥呼がなぜ日本の歴史に残されていないのか?」という謎も、卑弥呼は天皇の一族の中に入って守りの側になったからであり、いわば力関係では一番強かった天皇家がどうしてもかなわない神力集団である卑弥呼と手を結んだのです。

 すなわち、これが表の父系天皇、裏の母系巫女による国家統一です。

 ですから、日本という国は、「人と神が契約をした国」ともいえるのです。(p.135)

   《参照》  『一万年の天皇』 上田篤 (文芸春秋)

            【ヒメ・ヒコ制】

            【ヒメ・ヒコ制の前】

 この有り方は、一般庶民にも及ぶ日本文化そのものになっている。

   《参照》  『日本人て、なんですか?』 呉善花・竹田恒泰 (李白社) 《中編》

            【「かかあ天下」のもとでの「亭主関白」】

 

 

【神役目を妨げるもの】

 外宮のある神様の場所で、隣の女性の涙を借り、神様はこう伝えてきました。

「この状況がわかりますか? いつもたくさんの人が私に願い事をしてきます。私はその一つ一つを聞き遂げることをずっと続けているのですよ」と。

 この言葉の裏には、本来、天に与えられている大きな神役目が、人間の勝手な欲望や願い事によって働けなくなってしまっている現状を嘆き、憂う気持ちがにじみ出ています。

 同じ人間として、お詫びの言葉もありません。(p.121)

 まったく。

 私事の願いばかりしている人間たちは、神たちの本来の役目を妨げ、龍をも飛べなくさせている。

   《参照》  『富士神界の龍神からの緊急初メッセージ』 アマノコトネ (ヒカルランド) 《後編》

            【龍との約束】

 

 

【神魂神社(かもすじんじゃ)

 ある方に「出雲大社とこの神魂神社は一対ですよ」と聞かされて足を運びましたが、この場所のあまりのエネルギーの強さに驚きました。ここは全ての神の魂を守る神社として、社殿の歴史が国宝に認定されています。さらに近づくとその青白い光は大きくはっきりと姿を見せます。(p.115)

 神魂神社は、出雲国の意宇六社のうちの一つとして尊ばれている。御祭神はイザナミの大神。

 「意宇」は「おう」と読み、古代出雲の政治文化の中心地のこと。

 意宇六社は、下記の六社。

 熊野大社(社紋は、亀甲に [大] 文字)

 揖夜神社、八重垣神社(いずれも社紋は、二重亀甲に剣花菱)

 六所神社、神魂神社、眞名井神社(いずれも社紋は、二重亀甲に[有]文字。 [有]の文字は、「十」と「月」の組み合わせで、十月の神無月は、出雲にとっては神有月であることが由来であると、六所神社の神官さんのFacebook  《「代宮家」で検索》 に記述されている。

 

 

【社紋にある亀甲について】

 六所神社の神官さんのお話しとして記述されている内容。

 家紋の有を囲む六角形の意味は「六」の力によって「八」の上に位置して守るという意味。「六の力で守る」という紋がついている社は限られていて、神魂神社、眞名井神社(社臼山という神奈山)六所神社(総社)、もう一つは、出雲大社だけ。(p.147-148)

 こう書かれているけれど、意宇六社の社紋は6つとも亀甲が用いられている。因みの出雲大社の社紋も「二重亀甲に剣花菱」で、かつては「二重亀甲に[有]文字」だったらしい。

※自然神や龍を信仰する古神道の民族だという意味。「八」の意味は八方位の方位版を使う中国系の民族の力を「六」の力で抑え守るという意味で、「六」の力を使う民族とは六次元、つまり、自然界を宇宙の神力で動かせる民族だという意味。(p.148)

 「六」といえば、三角形を上下に重ね合わせたダビデの星を想起するのが普通。であるなら古代ユダヤの血流にある民族。

 

 

【出雲国一之宮 熊野大社】

 和歌山県にある熊野大社と出雲の熊野大社の関係は、「宇宙神繋がり」だということも、あとになってわかりました。

 火の儀式をする鑚火殿では、ここの神様と対話しました。

 火が大切にされるのは、「火」が「霊」と同一にみなされているからで、その神聖な「火」の発祥地でもある熊野大社は、別名「日本火出初社(ひのもとひでぞめのやしろ)と言われています。・・・(中略)・・・。

 天より降りし「ヒ=日・陽・霊」の力を降ろした巫女、イザナミを左側に祀り、その力からファイヤーの「火」をもらっているという意味です。

神の元は天の「ヒ」なので、太陽の「陽」の意味もありますが、イザナギとイザナミの神話は高い次元の意味で、「火」と「水」が融合して「カミ」になるという意味。(p.151-152)

 このときに、イザナミがこう教えてくれたのです。

 「自分の力は、天(宇宙)にある『12柱』から降りている。この12柱の力から降りた神が、イザナミ。そして、12柱の中心にあるのがスサノオの力」であると。

 これがイザナミの正体です。・・・(中略)・・・。

 そして、天から降ろされたスサノオの力が、出雲の地に分霊になって祀られているのだと思います。・・・(中略)・・・。これは日本神話で伝えられている人格神的な意味とは全く違う高い次元の話です。(p.153)

 これを読んで、スサノウは、「陰陽を統べる作用に能う」の「統作能」だろうと思ったりする。即ち「結びの神」。そして、下記のリンク内容にも符合している。

   《参照》  『2013:人類が神を見る日』 半田広宣 (徳間書店) 《中編》

            【タカヒマラにおけるイザナギとイザナミ】

            【ウロボロスの蛇】

 

 

【賣布神社】

 現在の賣布(めふ)神社は、宍道湖の東側にあるけれど、元は西側にあったらしい。

 出雲国・賣布神社に祀られている速秋津比売神は、実は九州にあった邪馬台国の卑弥呼一族の重要な神巫女だったということです。

 これは、卑弥呼を代表とする強力な巫女集団が、他の多くの民族に祈り巫女を出すことで全滅をまぬがれていたことを意味します。

 このため、出雲の宍道湖の周りには、卑弥呼一族の強力な神巫女たちが宍道湖を水鏡として太陽神を映す祈りをしながら生活していました。

 ところが、最終的には、数百名の巫女が宍道湖に沈められることになったのです。

 この点について、順を追って詳しく説明しましょう。(p.168-169)

 このあと、邪馬台国の誕生から始まる一連の記述が続いているけれど、本書の核心部分なので、これ以上は書き出さない。知りたい人だけが読めばいいことでもあるし。

 

 

【地球創生の覚悟を問う】

 本稿の終わりにあたって、改めて地球創生の覚悟を問われる、マスターからのメッセージをお伝えしておきたいと思います。・・・(中略)・・・。

 その内容は、2023年に・・・(後略)・・・。(p.221)

 これについても、知りたい人が読めばいいことなので書き出しません。

 ただ、マスターと地球内部の神々は、人間にこの宇宙を託していいかどうか、2023年という決断の時期に向けて協議中だということです。現段階ではレッド・ランプでしょう。

 魂が眠ってしまっていないなら、ただちに起きてください。

 そして、意志を明確に示してください

 

<了>

 

  アマミカムイ(天無神人・吉岡学)著の読書記録

     『白龍の神導き』

     『 【宇宙の創造主:マスター】との対話① 』

     『日本の神々と天皇家のルーツ』