《前編》 より
 

 

【タカヒマラにおけるイザナギとイザナミ】
「タカヒマラはオリオンとプレアデスの力の干渉作用により生まれている高次元の定常波のようなものです。・・・(中略)・・・。素粒子から銀河に至るまで、あなたがたに観測されるすべての現象世界は、このタカヒマラにおける共鳴波動として存在させられているものと考えてください」
「つまり・・・宇宙の創造原理の鋳型のようなものということですか」
「そうですね、そのようなものです」(p.68)
 13の螺旋を持つDNAのような波形図の下部にプレアデス、上部にオリオン、その中央にシリウスの描かれた図が掲載されている。プレアデスは「性質:反映の力」を、オリオンは「定質:進化の力」を有する。
「イザナギとはタカヒマラに生みだされた13次元を持つ定常波を相殺していく働きを持つもので、イザナミは新たな定常波を作り出していく働きを持っているということです」
「なるほど・・・・、13の凪でイザナギ・・・13の波でイザナミ・・・というわけですね」
「全く、そのとおりです」 (p.73)
 イザナギ(13凪)は「進化の力」を有するオリオン、イザナミ(13波)は「反映の力」を有するプレアデスということになる。
 わたしは最初、この2つの天体の名称に星間戦争でも行っている銀河系の二大勢力のようなイメージをだぶらせていたが、それも全くお門違いのようだった。オコツトの説明から察するに、それらは宇宙全体を脈動させている陰と陽の根本的なエネルギーの発振源のようなものらしい。(p.73-74)

 

 

【ウロボロスの蛇】
(プレアデスとオリオン)はタカヒマラにおける最下位と最上位という関係にも関わらず、わたしたちが単に空間と呼ぶモノの中で互いに重なり合っていると言うのだ。これはちょうど古代人たちの宇宙観に登場する「ウロボロスの蛇」と呼ばれる自分の尻尾を噛むヘビが言わんとする構造に似ている。(p.167)
 最下位(13)と最上位(1)が重なっているから、12分割の円構造が示されているのだけれど、12と1が組み合わさった13は、神秘学の中にたびたび出てくる。13に関してこの本にいろいろ書かれていることは、下記リンクの記述内容にも附合している。
   《参照》   『2012年への13のステップ』 ジュード・カリヴァン (徳間書店)
             【13番目の星座】

 西欧において13は一般的に不吉な数と認識されているけれど、聖なる秘数ゆえの意図的な情報操作である。
   《参照》   『秘密結社の1ドル札』 デイヴィッド・オーヴァソン (学研)
              【13】
              【「13」は忌数ではない】

 

 

【西暦2013年】
「太陽の燃焼が減衰していくということです。定質が完全にシリウスの領域に入れば、それは起こりはじめます」
「それはいつごろですか」
「西暦2013年です」
「・・・・」
 西暦2013年から太陽が輝きを失い始める・・・。そんな馬鹿な。(p.85)
 この記述は、人間の意識進化が始まった場合を前提にした会話である。
 太陽系自体の創成は、人間の意識進化と対応しているのだから、人類が意識進化を達成して、半霊半物質化に向かっているのなら、太陽が輝きを失っても何ら問題はない。悲惨なのは人類が意識の進化を達成できていない状態で、太陽系が最終構成に向かってしまう場合である。その場合の最悪は、近年出版されているアセンション系書物によると2060年途絶というタイムラインに乗ってしまうことらしい。

 

 

【意識進化とは・・・】
「あなたは宇宙創造という言葉を聞くと、すぐに物質的なイメージで宇宙を生みだすことを考えてしまいます。しかし、あなたがたが物質・エネルギーと呼ぶものと、あなたがた自身の意識とは、ある巧妙な空間的構造の中で一体となって動かされているのです。あなたは先ほど思考が何のために人間に与えられたのかと言っておられましたが、精神作用の中で思考に与えられた働きは、思考自体がこの構造を見つけ出すことにほかなりません。思考はこの構造に変化を与え、新しい構造へと組み換えていく力を持っているのです。・・・(中略)・・・。思考こそ本源的な愛にたどり着く唯一の力だと言ってもよいでしょう。思考によって認識を変え、認識を変えることによって今度は感覚を変える・・・、そして、感覚の変化はあなたがたの感情さえも凌駕し、人間の意識全体を全く別のものへと変容させていくのです。意識進化とはそういうものです」 (p.160-161)
 思考を重要視するこの見解は、左脳偏重という感じで、いまひとつ頷けない感じがする。しかし、これに続いて書かれている思考と愛の対比を読んで、「なるほど・・・確かに」という感じである。

 

 

【思考と愛:力と方向】
「人間の意識進化には力と方向が必要です。しかし、進化のための力は残念ながらあなたがたが愛と呼ぶ情緒の中には存在していません。情緒に動かされている愛とは意識進化の方向性のようなものです。あなたがたが歴史の中で愛の重要性を何度となく唱えながらも、それが有効に機能してこなかったのは、意識が方向性だけでは進化を行うことができないからです。そこにはその方向性へと進んでいく力が必要です。進化のための力とは、実はあなたがたが思考と呼ぶ精神作用の中にあります。愛をかたちあるものとして見出すこと、それが本当の宇宙的思考というものであり、人間に与えられた役割の本質なのです」 (p.161-162)
 左脳と右脳、知性と情緒、思考と愛、科学と宗教、それぞれに役割の違うものだから、片方だけでは何ごとも成就しないということだろう。
 ここで語られている思考とは、人間型ゲシュタルト(人間型認識のあり方)に基づいた単なる思考ではなく、人間型ゲシュタルトから変換人型ゲシュタルトへと解放されて行くための思考である。
 単なる人間型ゲシュタルトにもとづいた思考なら、過去の哲学者たちや思想家たちが人類進化に関わって何ら成果をあげ得なかったという無意味な実績がゴロゴロある。

 

 

【人間型ゲシュタルトが生むもの】
 人間型ゲシュタルトが自我を生み出しており、人間の意識の方向性の反転によって、自我は働きを失うでしょう。    ――― シリウス・ファイル:19900211 (p.169)
 意識の方向性が反転しないなら、「自我」は健在なままこれと対をなす「他者」が認識されるので、ワンネスの認識には至らない。
 人類が自我を強めた原因、それは3次元空間認識にある。

 

 

【3次元空間認識の陥穽】
 このことは、わたしたちが他者を認識している意識状態と、対象の向こう側に空間の奥行きを作り出している意識状態とが、実は全く同一の意味合いを持つということを示唆しているのだ。空間に奥行きを持たせているこの意識こそ、オコツトが人間型ゲシュタルトと呼ぶ力なのである。(p.215)
 絵画における遠近法は、人が見ている「対象の向こう側」に定点を置いて、そこから放射状に延びた線上に対象物を描くことで完成する。「空間に奥行きを作り出す」遠近法は、人間型ゲシュタルトを確定させた技法ということになる。
 実際、空間に対する3次元的な奥行き感覚が強くなってきたのは近代に入ってからである。ルネッサンス後期に入ると、ダ・ヴィンチが絵画の奥行きというものを強く意識し始めた。近代以前の人間たちは時代を遡れば遡るほどこの空間を2次元の面的世界のように見ていたのではないだろうか。それは、古代エジプトの壁画に描かれた人物描写などからも多少は推測される。一般には3次元空間認識の獲得は人類の知的進歩だと言われるが、このように人間の内面と外面というような空間概念が生じてくると、一概にはそうとも言えなくなってくるのだ。(p.215)
 誰だって、子どもの頃は、何を描いても平面的な絵しか描けなかったはずである。大人になるに従って、そのような絵は稚拙なものと思うようになってしまうけれど、それはまさに人間型ゲシュタルトが刷り込まれた結果ゆえのことなのだろう。人間の意識は、大人になるにつれて進化ではなく退化させられている。実際のところ人間の成長とは、脳科学的には様々な脳力を次第に制限してゆく過程と言えるのである。
 ところで呪術師さんたちは単純な平面幾何学図形を用いている。わざわざ立体的な図形を描いたりしない。おそらくダビデの星といわれる図形(六茫星)の大本は、上下逆にした正三角形を二つ重ねたものではなく、上下逆にしたピラミッドを二つ重ねたもの(マカバ)なのだろう。しかし、平面に投影された六茫星図形で十分効果があるどころか、三次元的な構造がわかるように斜めの方向から見た図形に描いてしまったら効果がなくなってしまうのではないだろうか。正三角形や二等辺三角形だからこそ持つ形霊(かただま)が失われてしまうからである。

 

 

【空間認識としての次元】
 このように考えると空間認識としての次元的高まりは進化の本質ではないと言えるかもしれない。物質をはらむ3次元空間は物質過程の生命形態を表出する最後の次元で、4次元以降は非物質過程の生命形態しかありえないと考えてしまえば、むしろ分かりやすいように思う。つまり、“3次元空間“と言う時に我々がもつ”空間“のイメージを引きずった”4次元空間“という認識概念は無意味なのである。(チャンちゃんは頭悪いから、そのように勝手に線引きしてしまった。はるか昔からそう思っている。それが正しいか否かはどうでもいい。理解しやすいなら、そう考えて行けるところまで先に進んだ方がいいのである)