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 タイトルの『愛』には “ことたま” とルビがふられている。すなわち ”やまとことば” に関する著作である。著作内に「愛」という漢字は一度も記述されてはいない。1996年12月初版。14年ぶりの再読。
 交通事故による臨死体験を機として霊学(原始宗教学、神道)を研究し始めたという著者。高木善之さんも同じような経緯で著作を著すようになったと記憶している。あっち(死後)の世界を克明に体験した人々は、現在の世界が遠からず行き詰まることを知るようになるらしい。それゆえ、その解決策を著し人々に気づきを喚起しているのだろう。

 

 

【 “まがごと“ 】
 “まがごと” とは、神道で用いられている『大祓い祝詞(おおばらいのりと)』等に出てくる言葉で、軍事を柱として賄われてゐる大陸産の現世界経済の中枢。「のりと」については、《後編》の中で記述している。
 戦争 → 武器弾薬人名の消費 → 破壊 → 再建設が上げる莫大なマネー。けだしその根源には、人間差別と貧富是認の観念がある。(それは誰の観念か!)
 これを根底からただし得る力、それは人類の夢である。その夢の力を人は(も)っている。
 その力をふところにしつつも永く奮はざりし我々の怠惰はいづれ責められるべきものであろう。それは稀に残された宝なれども。(p.19-20)

 

 

【かがみ】
 「かがみ」とは日神(かがみ)という事。二日三日の日(か)。このように訓読みの字は大いに役立ちます。面白いでしょう。太陽は「かがみ」なのです。日常品である鏡という物の源は光を放つお日さま、太陽です。その通り、光なくしてはすべての物の形は見えません。
 その日の「素」の神は、古伝へに「いざなぎのおほかみ」という音の調べで伝はってゐます。さらに今の日の神の御名は「あまてらすおほみかみ」という音で「こと」立てします。(p.44)
 タイトルに関連する “ことたま” 解釈の事例。
 「ことたま(言霊)」による解釈は、あくまでも音が先であって、漢字の字義は後天的なものとして理解する。 “やまとことば” で音が同じものは、関連する意味合いを持っている。例えば、上記の他に 鑑 など。
 漢字漢語を重用した「理解」という仕方では、具体的ではあるがその一元性に閉じてしまうという欠点があるのです。漢字伝来以来それの便利にかまけてそれの副作用に未だよく気づいてゐないのが現代日本人の精神文化ではないでしょうか。(p.55)
 『古事記』の本当の意味は、漢字の字義を辿っても分からないようになっている。どこまでも “音” の展開から知らねばならない。
  《参照》  『日本人が知らない「人類支配者」の正体』太田龍・船井幸雄(ビジネス社)
          【古事記に秘められたもの】
 よく言はれる日本人のアレンジ上手、和式の再構成、根回し型合議、ものごとを言いきらない態度(言挙げせず)さらにふくみやあそびといった間をもたせるファジーといった性格の原因には「やまとことば」のもたらしている効果が大いにあります。(p.55-56)
  《参照》  日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <後編>

 

 

【ことば】
 源語則ち「ひのもとのことば → やまとことば、ことば」といふものは、或る具体的な物事を指すときは、ことば(語)として機能しますがその中に常に「こと」としての抽象、象徴を基に表して居ます。(p.48)
 つまり「こと(意味の抽象)」 → 「ことば(意味の具象)」。
 「こと」の表現体が「ことば」。
 「ば」は「は」を同時に言い重ねた音。「ば → 場」 「は → 端、葉」とすれば理解しやすい。
 「こと → ことば」は、“物事の内容の一端ないし枝葉が、その場に現れる“ という理。

 

 

【大】
 ひとつを一大(ひとつ)と字すのも面白いものでこれは古くから使われている表記なのです。一大 → 天 → 太 → 大一 の順ひはいま伊勢神宮や妙見神社などのお祭りに見いだすことができます。そこには一(かみ)と人(ひと)との和合つまり 「まつり」 が暗号化されています。大を人と見るところに既に一という神を、人に宿るもともとの形とする考え方が示されている。大=一人。大人(成人) (p.72)
 一を神とする考え方は、易経的な解釈で説明できる。一は全体であり全てをあらわしている。即ち神。
  《参照》  『地球と人類を救うマクロビオティック』久司道夫(文芸社)
           【命の原理に基づいた数学】

 

 

【和】
 我々の祖は奈良時代、あまなふという語に「和」という文字を当てています。しかし和の字義は軍門で媾和する義。 ・・・(中略)・・・ 。
「あまなふ」は遍といふ文字で記す方が妥当であるように思われますが奈良時代の学者はむしろ和の字をもって示し、それによってもたらされる結びを和に観たのです。和らぐことこそ全完成(あまなひ)。 ・・・(中略)・・・。
 地球上のあらゆる敵対関係が和平し平和が完うするためには全人類、全民族の「あまなひ」への志しが要であるという知(さと)しです。それは互いの歴史文化をよく知り学び認め改め合ひ尊ぶこと、決して闘争しないという真心を貫くことです。(p.87-88)
 古代日本をあらわすのに「大和」という漢字が充てられた理由が、上記の組み合わせで説明できる。即ち「神宿る人々が互いに和(あまな)ふ」ということになる。
 ただし、“やまと” という音からのみ “ことたま” として解釈した場合はそうはならない。p.182 以降に記述されているけれど、長くなるから書き出すのはシンドイ。
 日本という漢字が充てられたのは、国旗に象徴されるように「霊(ひ)の元」⇒「日の本」の “ことたま” からだろう。

 

 

【十】
 十が数概念としては10を示します。しかるに、十という字の義は、地方の八方位と中央を合わせ、九位を得てそれで完全というものです。「十」の形は、実質九位の和合ということなのです。つまり「たり」に近い。その意は「十全」ということ。則ち「九つ」。(p.112-113)
 神道の基本である 「あめのかずうた」 の説明の中で記述されているものだけれど、気学の認識にも通ずる。
 現在の世界で使われているアラビア数字も1~9を用いているけれど、10では十の意味を語れない。