《前編》 より
 

 

【創造力の本質】
 “暗記させると創造力が駄目になる” とか、“テストなんて意味がない” というのはまったくの間違いだと思います。
 創造力というのは知識の組み合わせを変えることです。十分な知識がなければ創造力などつくはずがありません。創造力と思いつきを混同してはいけないのです。(p.105)
 知識が脳の中に場所を確保してないことには創造力など発揮できない、無から有は生まれない、と言っている。ある程度本を読んでいる人は、経験を通じてこの見解が正しいとわかるけれど、本を読まない人は、薄っぺらな思いつきを過大評価しているだけだろう。まあ、たまに、異次元からインスピレーションを受け取ったり、前世で学んだことが表に出てくる天才肌の人がいるのは確かだけれど、創造力を思いつきと誤認する論者は、学ぶことの意味を認知していないから罪が大きいのである。
 学ぶことをせず、愚かなまま死んだら、また次の人生では愚かからスタートするだけである。自分の欲望を満たすためだけに生きているなら学びに価値を見出さないだろう。人は欲望を満たすために人生という経験の場に生まれてくるのではない。

 

 

【テレビという魔物】
 “漠然と観ているだけ” にもかかわらず、テレビの前に座っている時間は、確実に失われてしまっています。要するにこの間の時間は、あなたから奪われているのも同然でしょう。(p.149)
 本当に観たいもの、観る価値のある番組なんて、それこそ週に一つか二つというのが実際のところではないでしょうか。だったら、その番組だけを厳選して観るようにすればいいでしょう。(p.150)
   《参照》   『人生は「引き算」でうまくいく』 人生戦略会議 (WAVE出版)
             【テレビを引き算する】

 

 

【書くためには読む】
 「書くことに自信がない」という人もいるでしょうが、それは「書く」だけでなく、「読む」ことも足りないのだと思います。私自身だって、何もしないでスラスラと本が書けるなどということはまったくありません。書きたいから多くの本を読み、それが自分で書く能力にもつながっているのです。(p.156)
   《参照》  『段取り力』 齋藤孝 (筑摩書房)
           【書くのが苦手という人のために】

 ウンチだって食べないことには出てこない。
 入力と出力は定常的に維持されてこそ成長が保障される。片方だけはありえない。
   《参照》  『脳を活かす仕事術』 茂木健一郎 (PHP) 《前編》
           【「脳を活かす仕事術」の神髄】
 書いていくことで自分の仕事における可能性や問題点などに気づき、それによって思考を整理・発展させていくことができます。(p.159)
 チャンちゃんのこの読書記録も、時々読み返してみると、書き残しているからこそ思考が整理・発展しているのが結果的に分かる。それは、多作な著者の本に関しても同様である。初版日の時系列順に読んでみれば、内容が進化していることは、普通にわかることである。
 出版するのでなくても、書き残しておいた方がいいだろう。書き残していなかったら、少しくらい自分の頭の中に残っているかもしれないけれど、忘れた分においては何もないのとまるで同じである。少しくらい読む量が減っても、書き残しておいた方がいいのは確実である。

 

 

【日本に期待されていること】
 二百六十年余りも平和が続いた江戸時代になると、庶民文化のレベルが非常に高くなります。歌舞伎であったり、浄瑠璃であったり、相撲であったりなどです、そのような文化は、年がら年中戦争に明け暮れたヨーロッパには芽生えようもない。ヨーロッパの人たちが日本の近世を評価したのも、ある意味では、当然のことだったのでしょう。
 平和だからこそ生まれる文化や思想をもっている。これは平和の時代をなかなか体験できない文明から見れば、ある種の憧れになります。海外から見られる日本のポジションや期待されることは、この部分にあります。
 問題はそのことを、多くの日本人がわかっているかどうかです。(p.201)
 世界中の要人と会って話してきた著者が語ってくれていることを、真摯に受け止めよう。
 たとえば、日本も憲法を改正し、軍事的により強力になって、欧米諸国と同じような国になろうという意見があります。いわゆる、 “普通の国” になるべきだという議論ですが、「普通でない」ことをもっと大切にすべきなのではないでしょうか。歴史的、文化的に見て、これこそが日本のアイデンティティなのですから。(p.201)
 そう、不戦を順守しなかったら日本の存在意義はない。ゼロである。
   《参照》   『普通の国になりましょう』 C・ダグラス・ラミス  大月書店
 しかしながら、世界の現実には裏と表があって、戦後日本に平和憲法を提示したアメリカが、「(核を)持たず、造らず、持ちこまず」をうたっていた日本に、核兵器工場を作ってウラン弾をつくらせていたりもするのである。
   《参照》   『3・11人工地震でなぜ日本は狙われたか〔3〕』 泉パウロ・高山長房 (ヒカルランド) 《中編》
             【福島原発破壊の理由】

 この耐えがたい放心してしまいそうな現実を、どう解釈すべきなのか、自分で整理してみてください。

 

 

【日本人が文化の違いに鈍感になってしまう理由】
 実は世界中を見ても、これだけ世界中の翻訳本が多く出ている国はほとんどありません。フランス語の本だったらフランス語で読むという風に、大抵はその国の言葉で原書を読むことがほとんどなわけです。どんな言葉も一対一のイコール関係にはないのですから、そうでないと正確な理解はできません。
 しかしながら日本ではすべて “日本語” にして、大勢の人に読ませてしまいます。そうすると普及性は高くなるのですが、理解は必ず “日本式” になります。こういうことが当たり前と思っている日本人は、世界的に見たらかなり非常識。文化の違いに対して、きわめて鈍感になってしまっているのです。(p.209)
 日本語に翻訳された段階ですでに、日本語という日本文化に変容させられてしまっているから、文化の違いを正確に捉えることができていない、と言っている。
 「翻訳文化大国・日本の功罪」に関しては、下記の著作でも語られている。
   《参照》   『日本人はなぜ国際人になれないのか』 榊原英資 (東洋経済新報社) 《前編》
             【翻訳語を持たないアジア諸国との比較で見える翻訳文化の蹉跌】
                ~ 【翻訳の壁】

 

 

【外国人から期待されていること】
 実は海外の社交の場に行って、何より外国人から期待されているのは、「日本のこと」を話せることなのです。ところが「禅って、どういうものなの?」と聞かれても、何も答えられない人が国際的な仕事をしている人材の中にも大勢います。それでは何のために日本人として海外に出ているのか、わからないではありませんか。(p.212-213)
 かつては、世界的な古典や音楽に関する教養が、大きなウエイトをもっていたけれど、現在はインターネットの発達で、話題が変わってきていると、下記の著作には書かれている。
   《参照》   『「知の衰退」からいかに脱出するか?』 大前研一 (光文社) 《後編》
             【これからの時代の教養とは?】

 今や、世界市民としての考え方が問われるような時代になっているらしい。確かに、地球の維持は、国益よりも地球益の視点で考えることができる人々の増加にかかっている。ならば、日本のことを語るにしても、日本文化が地球益に関わってどのような価値を持つのかを語れなくてはならないのだろう。
 宇宙時代に突入してゆく世界は、同時に超古代史に関するベールもまた剥がされてゆくことになる。故に、『竹内文書』 とか 『秀真伝』 などに関する知識も、遠からず役立つはずである。

 

 

 
<了>