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 97年から99年まで、財務官を努めた「ミスター円」こと榊原さんの著作。2005年5月の著作。


【東アジア通貨危機とAMF構想】
 著者が財務官を務めていたころ、投機マネーに狙い撃ちされ、タイを中心に東アジアを襲った通貨危機に際して、著者はAMF (Asia Money Found) を構想していた。しかし、
 結局、アメリカの反対と積極的な政治工作によって、香港のIMF・世界銀行総会を前にして、私たちはAMFの構想を断念せざるを得なくなったのでした。・・・(中略)・・・。
 なお、挫折はしましたが、アジアに資金援助のための国際機関をおくというAMF構想は、「アジア共通通貨」への布石として極めて重要な波紋をとくに東南アジアの国々に投げかけました。  (p.112-113)
 このAMF構想に関して、当時の中国の財務官の地位が中国国内であまり高くなかったこともあり、中国政府への説明も十分ではなかった、と書かれている。

 

 

【AMF構想に変わる宮沢構想】
 東アジア通貨危機にやや遅れて、ロシア通貨危機が起き、これに誘発されブラジルやアルゼンチンでも通貨危機が発生した。日本はアメリカに妥協してブラジル支援をしたけれど、その条件として提示したのが、AMF構想に変わる宮沢構想だった。当時の宮沢喜一大蔵大臣の名前に由来している。
 宮沢構想とは、日本が自国の外貨準備を基に、通貨危機に陥ったアジア諸国の経済回復のため、・・・(中略)・・・、各国の要請に応じて低金利のローンで貸し付けるという、日本単独の資金支援スキームです。  (p.119)
 日本自身も長銀・日債銀問題に端を発した金融システム危機の最中にあり、非常に苦しい中でアジアに資金を提供したわけです。
 IMFとは異なり、きびしいアドバイスや制約はつけずに融資したこともあって、通貨危機に苦しむ韓国やタイ、マレーシアなどからは大変に歓迎されました。  (p.120)
 担当財務官(著者)がこう書いているように、日本が身を削ってアジア諸国に援助していたのに、当時、日本に滞在していた一般の韓国人の中には、そんなことなど何も知らずに相も変わらず、「日本は謝罪していない、賠償していない」 などとのたまう連中がいたので、私自身、心底、業を煮やして、『日韓政治経済 (戦後の、日本から韓国への援助のかずかず)』 を書いて渡したものだった。

 

 

【世界勢力図の中で】
 一刻も早く手がけなければならない課題があります。
 それこそが年金改革と社会保障制度改革による財政改革ということになります。
 しかし、それが2020年までに達成されなければ、日本はいったん財政破綻する形で、アジアの中での影響力を低下させていくことでしょう。
 そうした中で死中に活をもとめる方法が、アジアの経済統合の中心となりつつある中国・インドと手を組んで、アメリカ、ヨーロッパに続く第三の経済圏を形成することです。
 そうすれば、移民の形で人も増え、製造業も販路がひろがり、アジア全体としての活発な経済活動が、日本を潤していくことにもなるでしょう。   (p.175)
 日本には、政府財政というアキレス腱があり、これを補えるのは広大なアジア諸国の市場である。アジア諸国は日本の高度な技術力を欲している。アジアは相互に協調することが、唯一 WIN-WIN の結果をもたらす前提である。協調しなければ、どの国も個々に苦しむだけだろう。

 

 

【日本---中国、ドイツ---東欧】
 日本が中国市場の成長とともに中国に対する見方を変えてきたように、市場としての東欧が成長すればドイツも考えが変わり、隣人とともに成長し繁栄していこうという態度になってゆくでしょう。  (p.182)

 

 

【ドル体制の中で円を維持するか、アジア共通通貨に入るか】
 域内貿易がこれだけ大きくなってくると、決済に使われる通貨もドルである必然性はなくなってきます。 (p.184)
 私はおそらく中国指導部としても、ドル・ペッグではなくアジア共通通貨という方向が望ましいということを考えていると思います。 (p.199)
 日本の人口は減る。今後50年にわたって減り続ける。このことは動かしようもない事実です。したがって日本が豊かになろうとするならば、繁栄するアジア経済に深く関わっていくことしか道がないというのが私の考えです。
 そのときに、アジア共通通貨に日本が入るか、それとも今のままドル体制の中の一通貨として円を維持するのかは日本にとって重要な岐路だと思います。   (p.209)
 著者は、日本の江戸時代以前は宋銭を用いていたのだから、過去の歴史の中で、日中共通通貨は実現していた、と書いてもいる。
 
 
<了>