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 民主党の政策ブレーンである著者の本。 昨年の2008年6月初版。
 国際社会の中で日本を際立たせるために、日本をいかにすればいいのか、政治的および文化的視点で考察している。文化的な考察においては、松岡正剛の 『誰も知らない世界と日本のまちがい』 と山折哲雄の 『日本文明とは何か』 の2書から示唆を得たと、はしがきに書かれている。

 

 著者と縁の深い環境大臣になった小沢さんの著書が、ブログにあった。
   《参照》   『未来のために語ろう』 小沢鋭仁・成毛真 PHP

 

 

【ポピュリズムの危険性】
 技術や知識をめぐる競争がますます激烈になる中で、専門分野に深く通じたプロフェッショナルをさまざまな分野で生んでいかなければ、国も企業も次第に存立基盤を失い、没落していかざるをえないでしょう、しかし、ポピュリズム化した政治は、全く逆の方向に社会を向けてしまいます。(p.28)
 ポピュリズムとは人民主義のこと。技術や政治にはプロフェッショナルの技能が必要なのに、アマチュア程度の技能の人がその職についてしまうことの危険性を語っている。
 4年前の総選挙で小泉首相人気で自民党が大勝したけれど、著者は、小泉の志した郵政改革は今日においてはその意味を喪失していると以前から述べていた。しかし、政治のアマチュアである大衆人民は、アメリカの走狗となっているメディアにカモられていた。今回の総選挙で揺り戻したけれど、これとてポピュリズムの危険性を脱したということにはならない。
 政治家や官僚のモラルやら知力やらの低さも大いに問題なのだけれど・・・・。

 

 

【ポスト近代産業資本主義は日本の時代】
 日本人はほとんど気がついていていないのですが、実は、日本の伝統や文化は、ポスト近代産業資本主義的な側面をもっているのです。つまり21世紀は日本の時代になる可能性があるということなのです。
 しかし、残念なことに多くの日本人はこのことに気づいてはいないばかりでなく、混迷の中で次第に日本的なものを失ってきているのです。(p.33)
 主要先進国において近代産業資本主義が終焉を迎えつつある現在は、平和と安定が保たれていた江戸時代や平安時代の日本あり方を見直し、そこに戻って日本を再発進させ、その意志を世界に発信すべきだ、という論旨のようである。
 故に、「司馬史観」 を否定せざるをえない。
 これ(明治維新)は二重の意味で、江戸時代の日本の否定でした。それは遠心的な分権国家から急進的な統一国家への変身であったとともに、平和国家から軍事国家への転換でした。
 欧米による植民地化を避けるために止むを得ない選択であったとはいえ、ここで第二次世界大戦の敗戦に至る選択をしたことだけは、はっきりと認識しておかなくてはならないでしょう。
 司馬遼太郎の本は大変面白く、したがって大ヒットしましたが、その結果。著者本人の意図はともかく、 「司馬史観」 といったものが作られていきました。それは明治が善で昭和が悪だというものです。そうした司馬遼太郎史観はおもしろい一つの視点ではあっても、歴史的事実からは否定せざるを得ないものでしょう。 (p.141-142)
 チャンちゃんは好んで複数の著作を読むけれど、司馬遼太郎の著作内容に疑問を持つ人々は少なくない。
   《参照》   『蜥蜴』 戸渡阿見 たちばな出版
              【前書き】
 上記のリンクを辿れば、副島隆彦さんの著作に辿りつける。そこに記述されているけれど、明治以降の日本は、米英の日本支配争いに巻き込まれ、アメリカ支配が確定し今日まで継続されてきたという事実は知っておいた方がいい。そんなアメリカ支配層の描いている未来は、2年後にオバマを失脚させ、2011年に第三次世界大戦を開始するというシナリオである。
   《参照》   『暴走する国家 恐慌化する世界』 副島隆彦・佐藤優 日本文芸社 《上》
              【副島さんの情報源】
 吉田・池田・宮澤等が占領下、あるいは、その直後だったにもかかわらず、アメリカの圧力に強く抵抗して平和戦略をつくっていったことを思い起こしてほしいものです。 (p.168)
 宮澤は21世紀の日本は何を目指したらいいかと聞かれ、軍事大国にならないことと経済援助を大事にしていくことがポイントだと述べていますが、まさに日本外交のこれからの大きな軸の一つは経済援助でしょう。(p.202)
 ところが、現在の諸外国への経済援助は省庁ごとにバラバラ(!)なのだという。

 

 

【援助主体の統合】
 現在、援助に関する業務は外務省、財務省、経済産業省、および内閣府の4つの省庁に分かれていますが、これを援助省に統合するのです。(p.202)
 自民党の支配時代は、中国は竹下で、北朝鮮と台湾は金丸なので、他の政治家は口出しできなかったということを、他の著作で読んだことがある。政治家個人の利権と各省庁の利権に分断されていたのでは、国家戦略としての有効な援助など期待できようもない。
 健康保険問題も、関係団体と自民党の癒着が激しいので、自民党政権中は改革不能であると、著者は別の著作の中に書いていた。
 であるなら、民主党政権の内に、自民党時代の腐った慣行は徹底的にぶち壊し改革すべきである。

 

 

【インド僧の名前】
 東大寺の大仏開眼法要を取り仕切ったのは、インドの僧菩提僊那(せんな)で、彼は日本にその後も住み、仏教の宣布に貢献しています。(p.85)
 こういったことの日印の交流に関する史実は大切。著者は、インド企業の社外取締役でもある。
 名前 「僊」 の下部は、正しくは 「巳」 ではなく 「厄」 の内側の部分になっている。
   《参照》   『温かなこころ』 中村元 春秋社
             【ヴァーラドヴァージャ:奈良の大仏の開眼供養をしたバラモン僧】

 

 

【ボルドーワイン】
 この時期(百年戦争)は、ワインで有名なボルドー地方もイギリス領でした。フランスワインの中でも、特にボルドー地方のワインがイギリス的だといわれるのはこの地方がかつてイギリス領だったことにもよっているのでしょう。
 ・・・中略・・・。 ブルゴーニュワインがシャルドメとかピノノワールという単一のブドウで作られているのに対し、ボルドーワインは数種類のぶどうがブレンドされていてワインの腰が強く、海を越えて輸出するのに向いています。(p.108)
 国際的に活躍している人々は、日本文化のみならず、こういった諸外国の知識を必要不可欠な教養として持っている。
   《参照》   『鉄道地図から読みとく秘密の世界史』 宮崎正勝 青春出版社
              【パリでは飲まれていなかったボルドーワイン】

 

 

【和のシステム】
 政治の世界でも次第に権威と権力が分離し、・・・中略・・・。また権威を担いでいる権力の側も極めて分権的で、・・・中略・・・。権力が分権的であっただけではなく、実は、権力と富が分離されていたことが日本の 「和のシステム」 の際立った特徴です。 (p.61)
 権威と権力の分離については、
   《参照》   日本文化講座 ⑤ 【 言霊・天皇 】
 権力と富の分離については、下記の 「制度的エリート」 がそれである。

 

 

【制度的エリート】
 ヨーロッパでも、インドや中国、韓国でも、エリート層は必ず土地をもっていました。広大なエステートの上に立って、その経済力を基盤として権力を行使したのです。
 ところが、日本のエリート層を形成した武士達は、土地を持たずに権力をふるった、世界でも例がないユニークなケースです。・・・中略・・・。
 中根(千枝)はこの特色あるエリートのあり方を、制度的エリートのシステムと呼んでいます。経済的実力を伴わない、政治的に作られたエリートというわけです。(p.53)
 江戸時代の武士階級のあり方が、今日の日本にも残っている。
 共産党幹部の子弟と自称していた中国人の青年に 「武士は食わねど高楊枝」 という言葉で日本の治安維持側の心得を説明したことがあった。武士は食べていなくても、高楊枝で歯の間を擦ってあたかも食べたかのようにふるまっていたという意味で、まさに日本の 「制度的エリート」 の誇りを表現したものとして伝えたのであるけれど、その中国人青年は、まったくもってバカバカしいという表情で、嘲笑気味に首を横に振っていたのを思い出す。
 かように、日本の、 “権威・権力・富“ を分有する制度は、国際的には極めて稀なのである。

 

 

【日本を知らない日本人ではこまる】
 日本を知らない日本人をこんなに多数作りだしてしまってはどうにもなりません。さまざまなチャンネルでの日本についての教育の強化が是非必要です。(p.221-222)
 まったくである。日本人として生きていながらそのような教育など何もないから、ほとんどの日本人は日本について多くを知らないはずである。チャンちゃんとて、外国人と接することがなければ、日本を知るための図書を読むことはなかっただろう。
   《参照》   『「反日」に狂う中国 「友好」とおもねる日本』 金文学 祥伝社 《後編》
               【ブタ鳥】

 国際化とは、アメリカ化することではなく、世界各国の固有な文化がそれぞれに花開くことである。
 普通の日本人が思っている以上に、外国人は日本にそして日本固有の文化に興味を持っている。そして、ビジネスなどを通じて海外に在住する日本人の人口は既に100万人近くになっている。世界中のどの国々よりも、日本人は日本を語れなくてはならないのである。それは現代という時代の要請であり日本人の役割である。
 世界が必要としているのは、アメリカでも中国でもなく日本なのである。それは量や規模や力ではなく、品質・品格・徳性において日本が最も優れているからである。 
             【やまと心】
             【「考える力」は、異質な世界の人との出会いから】
 
 
  榊原英資・著の読書記録
 
<了>