イメージ 1

 東大法学部卒で、自らを “政策立案のエンジニア(p.167)” と語っている政治家(小沢)さんと、日本にWindows を普及させたマイクロソフト社長(成毛)の語り合い。
 この書籍は1996年初版で、情報化社会がこれから急速に進んでゆく、という前提で話されている。初版当時、著者のお二人は42歳程度である。


【ほんとうによく勉強した】
 榊原英資さんと野口悠紀雄さんのお二人がプライベートで作っていた虎ノ門の研究室へ、僕はアルバイトに行くことになった。丁稚奉公というところだな。
 その研究室でアルバイトする一方で、試験を受け、(榊原英資さんが、当時、助教授をつとめていた)埼玉大学の政策科学研究科に入った。ここはたんに政治学を研究しているところではなかったから、とても面白かった。要はね、政策オリエンテッドというか、政策を作るための学問的ベースとしての経済学、政治学、あるいはコンピュータ・サイエンスを勉強して、科学的・合理的に政策づくりをしていこうとしていた所だ。すっかり刺激されてね、僕はこの埼玉大学政策科学科の三期生として滅茶苦茶に勉強したよ。・・・(中略)・・・。
 そんな環境の中で、先生たちが夜中の12時くらいまで勉強しているわけだから、大学院生の僕らもほんとうによく勉強した。悪戦苦闘といったほうが良いかもしれないな。・・・(中略)・・・。この3年間があるから今の僕があるのだと思う。 (p.79)
 官僚といえば “天下り” という言葉が連想されて、とてもイメージが悪いけれど、霞ヶ関不夜城と言われるように、夜を徹して政策立案のために研究している優秀な官僚達も少なからずいる。小沢さんは、そんな官僚たちに太刀打ちできるだけの知力を備えた政治家の存在が重要だと語っている。
 アメリカの言いなりに政策を実行するだけなら、知力など全然いらない。アメリカに迎合するための変節的知力なら最悪である。日本をあるべき方向に導くために、アメリカの豪腕をねじ伏せねじ返すための知力なら、是非あってほしいと思う。
 特にこれからは、日本の技術と資金が世界を救済してゆくために最も重要なペア・カードとなってゆくのだから。

 

 

【情報革命の時代の支配層】
 すでに語ったことだけれど、情報革命が進行中であることは、絶対に間違いない。とするとね、この情報革命の行く末にはどんな経済変化が巻き起こり、あるいはどんな価値観を生むのだろうかという、もう少し長いスパンの文明論的議論もあるわけだ。
 素晴しいソフト技術を、大量にしかも安く供給した企業が経済の中心になるのだろうか? たとえばマイクロソフト。しかし、これは少し違うんじゃないかと思う。農業革命の時に穀物の種子や種苗を保有する人が覇者だったかというと、決してそうではないのと同じにね。あるいは、産業革命の時に労働力を集めた人、技術を保有した人が支配層になったのではなく、資本を集めた人こそが支配層になったのと同じようにね。
 ・・・(中略)・・・。
 だから、情報革命が爛熟してきたとき、支配層になるのはうちのような会社じゃないと思うんだ。じつは農業革命の時の土地、あるいは産業革命の時の資本が、情報革命の時代の何にあたるのか? それはビル・ゲイツを含めてまだ誰も分からないことなのかもしれない。
 ・・・(中略)・・・。
 考えてみると、資本主義の制度もしっかりしているように見えて、案外バーッと変質してしまうかもしれないよ。(p.114-116)
 これを語っている成毛さんは、電子マネーのことを意識しつつ語っていたらしい。情報化時代が生み出したツールによって増大した投機マネーこそが、資本主義の悪しき側面を肥大させ、そして足元をすくっているのが、今の世界経済の有様そのものだ。だから、情報化時代が、資本主義の制度を変質させるのに一役買っているのは確かだけれど、その先の様相は・・・というと・・・・。
 日本は、諸外国から比べれば、異質なものを排除せずに共存させている不思議な国である。異質なもの、新奇なものを徐々に受け入れ徐々に溶かし込んでしまう。情報革命という急展開する新たな革命の波も、日本文化という緩衝装置を経て、穏やかに吸収され、社会の中に最適化されてゆくことだろう。
 日本という国家は、いかなる革命の時代であっても支配層を必要としない。世界の支配層が日本を支配しようとしても、かつてそれが達成されたことはない。世界の諸国が、傲慢を棄てて賢明を選択するのであるならば、日本から学び、日本と共存することを選べばいいのである。
 
<了>