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 記紀だけをもとにしていたのでは、古代日本の真実は解らない。日本文化のルーツを知りたければ、この『秀真伝』や『竹内文書』などを参考にしないことにははじまらないだろう。
 書店を回っても読みたい本が見当たらない時、どうしても既読本の書架から取り出してしまう。18年ぶりの再読。93年8月初版。

 

 

【『秀真伝』の特徴】
 『秀真伝』は全編五七調で書かれているのには、深い意味がある。それは五・七という調子が「天の節」であり、宇宙の振動に共鳴すると考えられていたのである。また、五・七・五・七・七の三十一文字は、古代太陽暦の一ヶ月の日数を意味している。 ・・・(中略)・・・ 。
 『秀真伝』は、歌に始まり歌に終わるといえるくらい歌を重んじている。正当なものほど、その表現が美しく清らかなものだ。『秀真伝』の歌を中心とした表現は、美しくなごやかで、なにかなつかしいひびきにあふれている。(p.23)
 これらの歌は、大陸からの漢字文化が流入する以前のことだから、純然たる大和言葉(訓読み)の世界である。

 

 

【「アメミヲヤノ神」と「ヤハウェー」】
 『秀真伝』の「創世伝承」は、まことに豊富な内容をもっている。 ・・・(中略)・・・ 特に注目されるのは、「アメミヲヤノ神」の存在と「初に一息」の記述であろう。 ・・・(中略)・・・ 。
 「アメミヲヤノ神」には、『聖書』の「ヤハウェー」と、きわめて似ているところがある。それは神が「言霊」の力によって、宇宙の万物を生み出したという点である。(p.44)

 

 

【超古代暦「鈴木暦」と「キアエ暦」】
 「鈴木暦」はあまりにも数値が膨大なので、どのように解釈していいかとまどってしまう。ところが、この「鈴木暦」を補佐する形で「キアエ暦」という暦がある。これはオモイカネノ命が制作したとされ、「東西中南北(キツヲサネ)」と「アミヤシナウ」「トホカミエヒタメ」のうちの兄(エ)・弟(ト)の言霊神を組み合わせたもので、「干支」と同じ六十進法である。
 「干支」の字に「エト」という訓をあてるが、すでに日本では固有の暦を「エト」とよんでおり、それに中国の「干支」が入ってきて、どちらも六十進法だったので、「干支(エト)」となったのである。「干支」はどう考えても「エト」とは訓(よ)めない。「エト」という大和言葉がはじめから存在していたのだ。(p.61)
 「日本文化は、すべて中国から来たもの」と思い込んでいる大方の無教養さに一撃を加える解りやすい一例として書き出しておいた。
 鈴木暦は現在失われているけれど、関連する記述が、下記の【伊勢神宮、五十鈴川の由来】にある。

 

 

【近江】
 『日本書紀』の「国生み神話」に見える、「淡路の洲(しま)を持って胞(え)とす」という記述は誤伝である。イザナキ・イザナミノ尊が、国の再建のために「胞衣(えな:国生みのための母体)」としたのは近江である。日本列島を人体にたとえると、近江は日本の “子宮” にあたるのだ。
 『秀真伝』に「和して アワを 胞衣として」とあり、「アワ歌」から国作りをはじめたので、その土地を「アワの国」と名づけたことがわかる。「近江」は「アワ海」の転訛である。(p.84)
 ここでいう近江とは琵琶湖のこと。琵琶湖を子宮とすれば淡路島はオチンチン。生むのは子宮である。
 豊葦原の中つ国(なかつくに)も近江のこと。アワ歌の関しては下記。
   《参照》   『言霊アワ歌の力』 石田英湾 (群馬マクロビオティックセンター)

 記紀にはウケヒを行った「天の安河」のくだりがあるけれど、これも実は「近江の野洲川」のことである。

 

 

【三大祭祀拠点と大元祖国】

 ところで以前二神は、「壺(拠点)は葦原(近江) 千五百秋」として、近江に下向することを命じられた。「壺」とは、天界ともっとも交流しやすい祭祀拠点のことで、(1)近江、(2)富士、(3)宮城の三箇所あり、それが中国神仙思想で「瀛壺」「蓬壺」「方壺」として伝えられているのだ。
「胞衣」は「子宮」にあり「子宮」は「子壺」ともいう。「子ツボ」は宇宙の「ウツボ(空)」と一体なのである。(p.84)

 『宮下文書』関係の『神皇紀』にも「蓬莱・方丈・瀛洲の三神山は、世界の大元祖国である」と徐福が述べたことが書かれている。「大元祖国」とは、まさしく徐福がめざした、日本のことだったのである。(p.203)

 

 

【伊勢の語源】
 『秀真伝』には、伊勢神宮の起源に関する伝承がとても多いうえ、伊勢神宮がなぜ重要な場所なのかわかってくるのだ。 ・・・(中略)・・・ 。ほんとうの語源は、アマテル神が伊雑の宮で、夫婦の道である「イセの道」を説いたので、その一帯を「イセの国」とよんだことにはじまるのだ。
 「イセ」とは「イモ(妹)・ヲセ(男背)」の略である、愛しあう男女をあらわす「妹背(いもせ)」もこの略である。そのアマテル神の「イセの教え」が、風のように吹きわたり民に浸透したので、「神風の伊勢の国」とよぶようになったのだ。(p.120)

 

 

【伊勢神宮、五十鈴川の由来】
 アマテル神は晩年、セオリツ姫ともに、伊雑の宮より五十鈴川に宮を移す。そしてここで、天界の“サゴクシロノ宮”に帰る道を悟るのである。その原理は「八咫(やた)の原理」にもとづくものだ。『記』に「サククシロ・イスズノ宮」とあったのは、このことである。「サゴクシロの宮」とは、「高天の腹」の外にあって、四十九(よそこ)の言霊神が鎮座するとされている。
 ある日、超古代暦に使用する50本目の「鈴木」(天の真栄木)が植えもしないのに、庭に自生した。そこでアマテル神は、いよいよ神上がることを悟る。そしてその「鈴木」にちなみ、宮のそばの川を「五十鈴川」と名づけたのである。だが「鈴木暦」は、50本目が「折鈴(さくすず:枯れること)」となったのを最後に絶えてしまう。(p.121)
 通常は「高天原」と表記されるけれど、ここではあえて「高天の腹」と書かれている。「高天の腹」とは、天界と現界を結ぶ「天の御柱」が立っている神奈備山のこと。ピラミッドは「高天の腹」であり、発祥地は日本である。
 『古事記』や『日本書紀』だけ読んでいたのではそういうことは解らない。『秀真伝』や『竹内文献』に接すれば、世界史に関わる様々な符号が合致するのが分かるようになっている。
   《参照》   『失われたメシアの神殿「ピラミッド」の謎』 飛鳥昭雄・三神たける (学研) 《後編》

              【日本とエジプト(中東)との深い関係】

 

 

【道(ミチ)の言霊解義】
 「ミチ」という言葉の音義を考えてみましょう。「ミ」は尊敬をあらわす接頭語で、「御」の意。「チ」は「血」「霊」「乳」「父」の意である。「血」は、肉体を維持する源。「霊」は万物を維持する源。「乳」は乳児を維持する源。「父」は一家を維持する源である。
 したがって、わが国の「ミチ」と言う言葉は、それ自体に、存在するものの「根源」「本質」という意味が、内在しているといえよう。 (p.125)
 いろんな秘儀を使いこなす深見東州先生の『強運』という著作に、「ハルチ、ウムチ、ツヅチ」というパワーコールが掲載されていたのを覚えているけれど、ロサンゼルス・オリンピックの体操競技で金メダルを取った具志堅選手が、競技の前にこのパワーコールを唱えていたという地方新聞の記事を昨年の夏たまたま読んだ。字義を知って唱えれば、ホントに力が漲ってくるだろう。
 もともと、民俗信仰の根本は「祖霊崇拝」にあるが、それは、どの国においても“血統(プラッド・ライン)”ということを前提にして行われる。
 古代の人々はそこに遠い祖先につらなる一本の“線”を思い浮かべたはずだ。それは、観念としての先祖への「道」であり、神々への「道」でもある。(p.125)