イメージ 1

《前編》 より

 

【「八咫の原理」を象徴するヲ】
 『秀真伝』では「ヲ」という文字は、文字の中でもっとも重要なものであり、それに類する言葉のみにしか使われない。たとえば「治(をさ)む」「男(を)」「祖(をや)」「緒(を)」などである。・・・(中略)・・・。「ヲ」は天界に鎮座するアメミヲヤノ神を中心に、それを取り巻くトホカミエヒタメの八神の計九神と対応し、宇宙の「八咫の原理」を象徴する文字なのである。 (p.133)
 秀真文字の「ヲ」は、点を中心に正方形2つを45度ずらして重ねたような記号であらわされるのだけれど、PCの文字コードにそんなのはないから、秀真文字(ヲシデ)の構造図を上掲写真に取り込んでおいた。
 秀真文字を見ればわかるように、「五行思想」や「三才思想」の淵源は、中国から来たのではなく日本にもとからあったのである。
 なお、この本に「八咫の原理」の詳細はかかれていない。著者の別著 『宇宙原理ホツマ』 に書かれている。

 

 

【日本の国旗の源流】
 和歌山県の熊野那智大社の「扇祭り」を、読者はご存知だろうか。
 なんと扇神輿には32本の「日扇」が飾りつけられ、さらに驚くべきは、神輿の最下段に「烏扇」の葉と花を飾りつけられているのである。その日の丸形も「日扇」は「ヒオウギ(烏扇)」や、「檜扇」と通じるものだろう。日本の国旗の源流がここにある。(p.157)
 「八咫の原理」に関係する「八咫烏」も熊野と関わっている。
 昨年、日本サッカー協会のマークに用いられている「八咫烏」の理由を説明した番組を見ていたら、サッカーを初めてやった日本人が熊野の人だったから、などと説明していたけれど、そんな浅薄な理由であるわけがない。

 

 

【徐福が探していた霊薬】
 「和方」という言葉がある。これは中国の漢方に対して、わが国固有の処方のことをいう。「和方」の書として代表的なものは、武内宿禰の伝とされる『神遺方』である。・・・(中略)・・・。しかし、これ以上本質的な日本固有の医道を知ろうとすれば、やはり『秀真伝』にたよるしかないだろう。(p.168)
 アマテル神は、食事の法をはじめ、医術全般を定めた神と考えられる。西王母は日本にたびたび来朝し、トヨケ神(東王父)によく仕え、アマテル神からは食事の法を学んだが、西国の人間は肉ばかり食べていると嘆いたことが ・・・(中略)・・・ 原文に見えることからも分かる。
 日本には古来、アマテル神がよく食した「千代見草」という薬草あったとされ、極度に苦い草だが、食べると長寿を得られると『秀真伝』にある。
 秦の始皇帝に仕えた徐福が、不老不死の“霊薬”を求めて、富士山に来たことが『宮下文書』に書かれているが、この“霊薬”とは『秀真伝』の、富士山に生えるという「千代見草」のことにほかならない。(p.169)
 富士山が出てきたついでに書いておけば、
 『秀真伝』にはニニキネノ尊が富士山周辺に8つの峰、8つの湖を作るという国土整備を行ったことが記されている。これらも「八咫の原理」に関係している。

 

 

【『秀真伝』からみる「騎馬民族征服説」】
 4世紀から7世紀ごろの古墳から多くの馬具が出土し、中に「騎馬民族」である東北中国の胡族の馬具と類似するものがあるため、「騎馬民族」が大陸から渡って、武力により日本を征服したという「騎馬民族征服説」を生んだ。しかしこれは、大陸との交流を意味するものであって、はるばる海をこえて「騎馬民族」がやってきたのではない。
 日本は超古代より、中国以上に乗馬の盛んな国だったことが、『秀真伝』よりわかる。(p.177)
 駒ケ岳という名の山が日本各地にあるけれど、古代の名馬の産地だったのだろう。

 

 

【ソサノヲとヤマトタケ(素盞嗚尊と日本武尊)】
 『秀真伝』特有の「霊的視点」にもとずいたお話をしよう。(p.224)
 ヤマトタケノ尊は、息吹山の神にたたられて神上がりしてしまったけれど、その後、父である景行天皇の夢に顕れて、歌を詠んだという。
 わが光る 原見つ錦 熱田神 元つ縞衣(島端)に 織れる(居れる)か 氷川

「私の着ている原見山(富士)の錦は、美しく光っている。いまもとの縞文様の着物を着て、もといた島(高天の原)の端に帰ろうと思う。私は熱さを養(た)す“熱田神”であるが、もとの姿は、氷のように冷たい氷川(斐伊川)の“氷川神(ソサノヲ)”である」
 このタマトタケノ尊の歌は、はじめの「わかひかる」を逆さまにして、末尾に「るかひかわ」とつけた「折数え歌」という特殊な歌だった。景行天皇はこの告げにより、息子ヤマトタケノ尊が、ソサノヲノ尊の生まれ変わりであったことを、はじめて知ったのである。
 ここに日本固有の、肯定的で美しい転生観が示されている。 ・・・(中略)・・・ 。
 さらに興味深いのは、読者もご存知のように、ソサノウノ尊が、オロチの尾から得た「叢雲の剣(別名草薙剣)」が、のちに、ソサノヲノ尊の転生であるヤマトタケノ尊が東征する際、ヤマト姫から授けられたということだ。じつにふしぎな“縁”である。(p.225)
   《参照》   『日本霊界風土記 熱田』 深見東州 (たちばな出版)

             【熱田神宮に祭られている剣】

             【天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)】
             【草薙剣(くさなぎのつるぎ)】

 

 

<了>