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 神道家であり高度なシャーマンである著者が書いている 日本霊界風土記シリーズは、学者が書くような退屈でつまらないものではない。宗教的知見に乏しい人にとっては、一風変わった内容に思える個所があるだろうけれど、日本人が日本神霊界について何も知らないというのは、実在する日本神霊界側の存在にとっても淋しいことなのだと思っている。だから日本人なら、全ての人々に読んでほしい。

 

 

【言霊解】
 「言霊解」 というのはその文字を見た瞬間、言葉を聞いた瞬間にパッと神様から教えられるものなのです。
 神霊界というのはそういう存在で、いちいち 「それはどういう意味ですか。なぜですか」 などと言わない。文字を見、姿を見、景色を見た瞬間に意味するものをパッとキャッチする。一瞬のうちに十、二十、三十の情報や、咀嚼するものをパッとキャッチするというか、自然に流れ込んでくる。つまり直覚力です。直覚力というのは直、パッとわかるのであって、いちいち頭で考えたり、論理でわかるものではありません。
 見た瞬間、聞いた瞬間に意味するものを理解する。これが正しい言霊解なのであって、言霊学ばかり勉強していても言霊を使いこなせるようにはなりません。(p.26-27)
 霊性豊かな日本人の高度な理解力は、言霊を解する直覚力によっている。
   《参照》   『本当の愛とはなにか?』 深見東州 (たちばな出版)
              【智恵証覚に秀でた日本人】

 

 

【熱田神宮の祭神】
 熱田神宮の祭神は熱田大神と呼ばれるが、これは、三種の神器、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)とする天照大御神のことと考えてよい。(p.15)
 詳細には、天照大御神の荒魂であると書かれている。
 

 

【熱田神宮に祭られている剣】
 皇室に伝えられている三種の神器には、鏡、勾玉と並んで剣があるけれど、この剣を祀っているのが熱田神宮であり、この剣には、 「十束剣」「天之尾羽張」「厳之尾羽張」「天叢雲剣」「草薙剣」 といくつもの名称がある。名称が異なると働きは変わるけれど、神霊的には同じものである。

 

 

【天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
 素盞嗚尊(すさのおのみこと)の手によって、八岐大蛇(やまたのおろち)の体内から取り出された剣であり、この剣は、素盞嗚尊によって高天原の天照大神に献上され、天叢雲剣と命名された。

 

 

【草薙剣(くさなぎのつるぎ)
 景行天皇の御世に、日本武尊が東征するが、伊勢神宮の参拝した時、叔母である倭姫が神剣を授けた。日本武尊は、駿河国で敵に襲われ、周辺の野に火をつけられて危機に陥った。そこで、神剣で草をなで切り、火を逆に返して難を逃れ、ついに戦いに勝つことができたのである。これにちなんで、神剣は草薙神剣と呼ばれるようになった。(p.16-17)
 草薙剣ないし日本武尊に関するものは下記。
   《参照》   『古事記夜話』 中村武彦 (たちばな出版)
             【草薙剣(くさなぎのつるぎ)の神威】
   《参照》   『千年の四季』 友常貴仁 (三五館) <前編>
             【関東を “あずま” という由来】
   《参照》   『人と神と悟り』 日垣の庭宮主 (星雲社)
             【蘇我入鹿は仏教徒ではない】

 

 

【十束剣(とつかのつるぎ)
 火之迦具土(ほのかぐつち)をお産みになってから伊邪那美大神がお亡くなりになった。そして、伊邪那岐大神が 「ああ、たった一人の子どもを産んだために、大事なお前を死なせてしまうことになるとは思わなかった。息子とはいえ、許せん」 と言って、伊邪那岐大神は火之迦具土神様を刀で斬った。その刀を 「十束剣」 といいますが、伊邪那岐大神様は、十束剣で火之迦具土神様をズバッと斬って殺したのです。
 ・・・(中略)・・・ この十束剣のことを別名 「天之尾羽張(あめのおわばり)」 というわけです。あるいは 「厳之尾羽(いづのおわばり)」 ともいいます。名前が変わると働きも変わってきますが、天之尾羽張、厳之尾羽張から出てきた地名が、尾張です。
 それが雛型となって、あとで日本武尊(やまとたける)の段になってきたとき、熱田神宮に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、つまり草薙剣(くさなぎのつるぎ)を置き、ここにおりまする火之迦具土神様をバシッと抑える、ということになるのです。(p.45-46)
 火之迦具土神は、戦争の意味なのだという。
 熱田神宮の草薙剣は、火之迦具土神(戦争)を押さえているということになる。
 火之迦具土神をやっつけた 「十束剣」=「天之尾羽張」=「厳之尾羽張」 が尾張という地名の由来になったのだけれど、この剣が熱田神宮に祭られているのではない。
 十束剣の天之尾羽張と厳之尾羽張はどこにあるかというと、神戸の■■■に納まっております。(p.56)

 

 

【文明を司る智恵の神】
 『古事記』 をよく読んでみますと、伊邪那美大神が火之迦具土神を産んだことによってホトを焼き、患い床についているときに苦しんで、もどし吐かれたものの中からも、金山毘古(かなやまびこ)と金山毘売(かなやまびめ)という神様が生まれています。
 その金山毘古と金山毘売は、この近くにある南宮大社(岐阜県)の主祭神です。(p.49)
 火之迦具土神(戦争)と共に伊邪那美大神から生まれ出た金山毘古と金山毘売は、文明を司る智恵の神様なのだという。
 現実界でいうなら、戦争用の兵器開発によって科学技術(智恵)が大いに進んだことを意味している。
 金山毘古と金山毘売なんていう名前は、一般的に余り知られていない。でも下記の役小角に関する話しなら知っている人が多いだろう。
 ここ(金峯山)に役小角が道場を開きまして、蔵王権現が出てきた。 ・・・(中略)・・・ 金峯山の金とは何かというと金山毘古、金山毘売なのでありまして、 ・・・(中略)・・・ 金峯山の主祭神は何かというと、金山毘古と金山毘売です。(p.50-51)
 であるにせよ、仏教(密教)系、修験道系の人々は、金峯山の本尊は 「蔵王権現」 といっているだけである。著者のような神道系のシャーマンさんは、より高い次元界から見ているからこの様なことが分かるのだろう。

 

 

【草薙剣の働き】
 「剣」 自体は 「意志」 を表わすけれど、
 草薙の草とは、汚いもの、みっともないもの、見苦しいもの、心の中にクサクサするもの。そういうものすべてをバシッと切って超えていく自分をつくってくださるのです。(p.67)
 弱い心、弱い自分を熱田の剣の意徳がガーッと祓っていく。熱田の剣は草薙剣です。 ・・・(中略)・・・ この剣の意徳によって強い意志を持て、ということです。(p.125)

 と同時に、「己の心のたけをうつして省みる」 ことができるようになるための意志の徳。そういうことがやれる意志力というものが溢れ出てくるほどに与えよう、とおしゃっているわけです。
 一ヶ月に一回、それが無理なら年に二回、最低でも三年に一回くれば、それだけの功徳を与えるというわけです。(p.126)
 人は普通に日常生活をおくっているだけで、汚れや弱さに狎れ、自省する志も希薄になってしまいがちである。
 熱田の神は、己の汚れや弱さを祓う意志、自省し続ける意志を与えてくれる、と書かれている。

 

 

【魂の英雄】
 人間は、苦しみが多ければ多いほど、困難が大きければ大きいほど、神様からいただく喜びも大きく、奇跡も大きいわけですが、そういう人生は嫌だ、面倒くさいと思ったら、もう、神の世界とは永遠にお付き合いできません。御魂がそのレベルだったんだ、ということでしょう。日本武尊の足跡が教えるのは、それです。
 大きな困難に直面したときに、熱田の神が、そして草薙剣がピカピカーッと光ります。剣を大いに使いこなすようになるには、当然のことながら苦しみも大きく、困難も大きい。それを考えたら私たちは、先の見えない人生、曲がりくねった迷路のような人生を、この熱田の神、そして草薙剣を灯明にしながら、一生懸命突っ走っていく人生観をあえて選び、喜びとしなければいけない。そういうふうな魂の英雄でなければいけない。英雄にして初めて剣が使いこなせるのです。(p.68)
 “魂の英雄” が手にしてこそ “草薙剣” は、本来の威徳をそなえた “神剣” になる。

 

 

【絶対的な幸せ】
 この世的な安らぎの中に生きている人間は、どこか恐怖で、どこか不安で、どこか焦りがあって、どこか虚しいんですけれども、神さまの道に生き、本当の神様を体験し、困難をいくども超えた経験のある人間は、いつも心安らかで、心の深いところに絶対的な幸せがあります。
 神とともにいる安らぎ、神とともに生きる喜び、幸せ。これが本当の、そして究極の安心立命であり、本当の信仰の妙諦であります。(p.70)

 

<了>