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 宗教家の書く本は、全体的に分かったようで分からないアヤフヤな記述が多いものであるが、この本は違っている。結論が明確だし、現実的な記述になっている。
 世界の5大宗教を視野に入れた語りが出来るのは、著者が神道家ゆえのことであろう。複数の神道家と仏教家の書籍を読み比べてみれば、芸術性の高さと視野の広さで神道家の方が抜きん出ている。おのずと立っている位置が違うのだから当然のことなのであるが。
 なお、この著者の場合は、高度な内容を分かりやすい表現で語りながら、ギャグを随所に混入させるため、余りにも初歩的なレベルに達していない読者であるならば、読んでいて混乱する可能性がないとはいえない。


【愛とはなにか】
 「愛」とは、「愛の情であり」、「愛の念である」。では「愛念」とはなにか、「愛念とはセリフ」である。 (p.19)

 「愛念とはセリフである」とはふざけた結論に思われるかもしれないが、これはふざけた結論ではない。心理学では、「悲しいから涙を流すのではない。涙を流すから悲しいのだ」という解釈がある。私には、ニワトリが先か卵が先かのような問題に思えるのであるが、つまりは、これと同じであろう。「悲しみ」を「愛」に、「涙」を「セリフ(愛念)」に置き換えればよいのである。「愛があるからセリフ(愛念)が生まれるのではない。セリフ(愛念)を語るから愛になるのだ」ということである。


【顕幽一致の言霊】
 そして、セリフとは言霊である。音声となって口で語られる言霊と、胸の奥からでてくる想いの言霊。顕幽一致の言霊こそが本当の愛念である。 (p.21)

 口頭では美しい言葉を並べ、心中は逆であるとか打算だけというのであればこれは偽善である。このような、偽善者や露骨な悪意に接してしまうと、人を愛せなくなり人や社会に対して不信感を抱いてしまいやすくなる。子供の頃から愛することができない人は、両親の愛情に恵まれて育てられなかった人々であろう。
 しかし、それでも、人を愛そうとしなければ、自分自身が愛に包まれた幸せを感じることは出来ない。念の世界は、さながらクラインの壺の様に、自ら発した「今の心(念)」が宇宙の果てを経巡って自分自身に返ってくる。それは宇宙の法則である。一般的に因果応報として知られている。怨めば怨まれ、愛せば愛される。


【神を喜ばす】
 神界における愛は、波動。霊界における愛は、愛念。現実界における愛は、人を喜ばす行為。
 神と一つになろうとするならば、瞑想だけでは不充分である。神を行ずること。神の意思を行ずること。現実界における行為を伴ってこそ本当の神人合一となる。
 神人合一の神法の一つ。
 「神は広大無辺にして清涼なり、すべて愛をもって帰一するを真心となす」 (p.50)



【智恵証覚に秀でた日本人】
 10月は「神無月」といって全国の神々が出雲に結集して会議をします。あまりこまごまとした発言などはいたしません。和歌を詠むだけ。たった和歌1首を聞いただけで、その奥に内包している意味が全部理解できる。まさに一を聞いて十を知るわけです。そういう能力を「智恵証覚」といいます。
 その智恵証覚を持つ人間は、レベルが高いわけです。一言発した瞬間に、パッと全体を把握する能力を備えている人が、本当の意味で高次元な人で、それに対し、緻密な論理を積み重ねていかなければ理解できないというのは、たいしたことありません。綿密であるかもしれないが、次元は低い。
 その点、東洋人というか日本人は、全体的にレベルが高いといっていいでしょう。といいますのも、和歌や俳句という文化を持っているからなのです。 (p.58)



【清涼を尊ばれる日本の神々】
 愛を考える場合、どうしても自分なりの愛に固執してしまう傾向がありますが、大きくて清々しい愛、これが本当の愛です。 (p.85)
 世界の5大宗教の中では、イスラム教だけが、「清真の教え」と言いまして清らかで真実なものを尊びます。キリスト教にはない要素です。
 日本神道は、イスラム教の精神を一歩進める形で、清らかな心というのを大切にしています。清々しい神様にお目にかかれるという、最高の奥まで貫き通した日本神霊界の構造。それに合わせた日本神道の祭式であるわけです。 (p.88)



【神界、霊界、現実界、いずれにも偏らない「中」の精神】
 「中」とは、右によらず左に寄らずということではありません。中は「あたる」とも読み、つまり「ツボにはまる」という意味です。強いときは強く、弱いときは弱く、何もしないときは何もしない、これ
「中」なり。 (p.112)



【霊界、仙界、神界】
 愛があれば、あたたかな霊界に行けます。しかしそこに清涼さはありません。
 仙界には、清涼さはありますが、暖かさはまったくありません。そして苦しみもないから、精進努力することがありません。その上の神界を目指す向上心はなくなってしまいます。
 神界には、清々しさと暖かさの両方があります。 (p.136)



【愛念はひたすら人に向けよ】
 人の幸せを祈っていれば執着は生じませんが、事柄を祈ると執着になります。だから、決して事柄や結果を期待して祈ってはいけません。
 執着心は霊界で黒雲となり、祈り自体が遮られて正神界に届かなくなります。 (p.148)



【正神界、邪神界、動物界】
 愛で動くのが正神界、金品で動くのが邪神界、欲心で動くのが狸や狐の動物界。
祈る本人が、清涼から離れ欲望と執着心に満ちて、天照大神様を祈ったら、狸が化けた天照大神がでてきます。 (p.155)



【教誡神通力】
 人間としてあくまでも努力をし、努力をした上にもさらに努力をし、どこまでもどこまでも人間的な努力をする時に徐々に出てくる直観力。この教誡神通力こそが正しい神通力だと。 (p.156)

 

 

  《参照》  深見東州・著の読書記録

 

<了>