Hiroshiのブログ -226ページ目

Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

<数値目標>

https://www.youtube.com/watch?v=xer8C_poG98&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=10

HSK4 #8~#10 背了四十分钟单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=aJke-QqO7y4&list=PLEyBXc_M00ItujIjOo1F66c6MRBmHBqUH&index=2

武井&典典ちゃんねる1~2 十二分钟。

 

https://www.youtube.com/watch?v=bePbZrxcaIo&list=PLZI8vVTxzS7k7jbSknCDOssrgqGpd3BCS&index=14

誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,38min~1h18min 听写一个小时。

 

https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk

【完全版1~1200】HSK5,1h22min~1h29min,0.75速度,x2,背了半小时单词。

一共两个小时二十二分钟

 

运动;爬上散步 3.6km,6108步,7楼。(计划)

 

 

 

 

不该做什么

図書館の新刊案内の棚にあった本、『脳が老化している人に見えている世界』。借りる気は無かったがパラパラと読んでみたら、気になることが沢山書かれていた(汗) だって私、対象の70過ぎの爺さんですから(涙)

 

やってはいけないこと(别做什么, 不该做什么でいいのかな?)に注目。


1つ、「同窓会は卒業しよう」との提言。先日、小学校の同窓会に出たばかり(汗)

 

それ以外は意外と合格。何かで学んだわけではないが経験的に選択した結果。


例えば「小さいことでも達成感のある毎日を」 私の場合は数値目標かな? 

但し、ストレスにはならない範囲でとのこと。また、休日を設けること。

 

凄い、いい線いっているではないか!!

 

 

 

 

 

<もう1つの不该做什么

ランチどき、NHKのニュースで「中間貯蔵施設の立地可能性調査“受け入れ“を山口・上関町が表明のニュースを聞く。

https://news.yahoo.co.jp/articles/927dcd19466f182c17f32c98234962fc6e43c4ef

 

国土地理院のデーターベースによれば、地震関連の災害記念碑が候補地の上関町から20キロ以内にある事は知られているのだろうか?

 

地震列島の日本の何処に放射能廃棄物保管庫を作っても、放射能が低レベルになるまでに160回から1600回の大地震に襲われる可能性が計算されている。


 

 

 

 

<スイス・アーミーナイフ>

ちーさんのところで「使い方が分からない」話があった。

 

 

それで思い出したのが、スイス・アーミーナイフ。学生の時から持っているので何十年ものだが、少しも古い感じがしない。私のは小型で5種類のナイフが揃っているやつだが。非常に便利。但し、最近は全く使っていない。旅行の時持って行くだけ。但し、飛行機に乗る時は手荷物だとダメなので「預かり」の旅行ケースに入れる必要がある。

 

 

最近はその1つの「缶切り」の使い方が分からない世代がいるみたい(笑)今は皆、プルトップだからね〜

 

 

 

 

『中国歴代西域紀行選』3

『西域水道記』

清代中期の徐松によるもの。優秀な学者だが、考试に関わるとされる罪で新疆伊犂に流罪にされた時、伊犂将軍が彼の地理学に精通しているのを聞き、書かせたもの。p74

 

それによれば、玉門関の東に細長い湖、哈拉泊の記載がある。これもGoogle mapには見当たらない。玉門関の北西には小さな羊水海子があるが位置と大きさが合わない。p79  これも乾燥化で失われたのか? ロプノール以外にもありそうだ。

 

他は大して興味をそそられず。

 

 

『莎车行記』

清代中期、現在のヤルカンドへ大臣補佐として行った倭仁の記録。p117 はっきりと書いてないが、騎馬あるいは馬車で行ったよう。それは「馬車を替え」とか p122 「駅馬が不便で1日泊まる」という記載で判る。p140

 

当時、当たり前のことは記載されないという原則通り。但し、毎日の移動距離は詳しくかかれている。大体40〜80里内外。当時の「里」が現在のどのくらいになるか調べてみたが500m程度か?

https://ja.wikipedia.org/wiki/里

 

ならば、20〜40キロ。20キロなら山岳部時代、山道でも1日の移動距離だったが40キロは難しい。これもそれ程、興味をそそられなかった。

 

 

『衛蔵道場勝迹志』

これはチベット仏教の巡礼ガイドブックとしていい。p155

 

これも大して興味をそそられなかったが、1つだけ注目したのは「胞衣」を奉納した宝塔の記載があること。p191

 

実は地元の宇美八幡も応神天皇の胞衣を収める「奥の院」がある。またこれはイタリアのベナンダンティーの世界でも「特別な能力を持つ人」の胞衣につての記載がある。これは偶々偶然なのか、それとも?

 

 

以上3点はそれ程面白くなかったが、次の寧海紀行が面白かった。これについては次回。乞うご期待! ←誰も期待してない?(汗)

<数値目標>

https://www.youtube.com/watch?v=svq8CaeWyqU&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=8

HSK3~4 #6~#8 背了四十一分钟单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=H2mSlGPQi2s

https://www.youtube.com/watch?v=LdL-RIDAX3Q

武井&典典ちゃんねる十三分钟。b4 Corona

 

https://www.youtube.com/watch?v=bePbZrxcaIo&list=PLZI8vVTxzS7k7jbSknCDOssrgqGpd3BCS&index=14

誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,听写一个小时。

 

https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk

【完全版1~1200】HSK5,1h15min~1h22min,0.75速度,x2,背了半小时单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=DTj_eiPK6mw

毎日中国語のかね,1~33,九分钟

 

https://www.youtube.com/watch?v=ACDyz2GfF6U&list=PL9C3D1AAF2BEA5F2D&index=11

カエル、10~11,学习二十五分钟汉语文法。

 

https://www.youtube.com/watch?v=nJgJNC_Km44

エリの中国語研究室,学习十三分钟汉语。一共三个小时十一分钟。

 

运动;爬上散步 3.2km,4562步,7楼。(计划)

 

blogの予定のアンカリングでナッジされ、雨の中、傘をさして坂道散歩。とりあえず目標達成!

 

 

昨日は涼しかった。夜寝る時だけ、2時間だけクーラーを使った。

 

 

<靴はOK>

初めて履いて動いてみたが、しっかり足首がホールドされて安定感がある。靴ひもを上まで結ぶのにちょっと時間が掛かるが、それ以外はOK。特に違和感はないので後は足を靴に慣らすまで。

 

昨夜も複雑な振り付け(汗)先週台風で休講だったので、他のクラスからの振り替えの人が多かった。写真の十代の女の子は初心者だそうだが!(入門クラスを飛び越えて入ったらしい)体が軽く、先生のリードに素早く反応し、びっくりするほど上手。今からこうだとプロを目指せるかも? 

 

誰もが同じようなコースを辿る必要はない。一芸に秀でれば良い

 

 

 

 

 

<糸口か?>

周王朝の起源についてWikiに以下のような記載を見つけた。

 

『周王朝の祖である后稷(こうしょく)の母である姜嫄の「姜」は「」と同じで、このことから周は元々羊の遊牧文化を持つ非定住農耕民であったという説がある』

 

もしこれが正しければ、西域まで遠征したとのお話。その範囲は兎も角、まんざら作り話ではないかもしれない。

 

因みに、后稷は、中国農業として信仰されているが、ならばその前は農業ではなく牧畜だったからこそ、彼が「農業の祖=神」となったとの解釈も成り立つ。 歴史書は書かれなかった事にも注目する必要がある。

 

実際、『馬、車輪、言語』という本によれば、(←終活で昔のteacup blogを失ったのは今となっては実に残念!!)騎馬の技術は遊牧民によりユーラシアの北のステップ沿いに急激に東に広がっていったことが考古学と言語学の解析により言われている。将来、これに遺伝子解析が加わるだろう。

 

 

 

確かに騎馬という技術は太古の昔でも移動距離を飛躍的に高めたはずだし、そもそも遊牧は移動の生業。周が遊牧民族のルーツを持つなら5代くらいまでは(100年も経っていないはず)その伝統は残されたはず、否、それどころか周の軍事力はその騎馬軍団にあったかも?(←ここらの情報はどうだろう? 『穆天子伝』でも馬の獲得が主要なテーマになっていたが)

 

…それにしても、先のAK氏のコメントにあったように、文献学というのは金文にしろ竹簡にしろ、それを書いた作者の世界観により、如何様にでも描かれうる。更にその後代の注釈書になれば、また当代の世界観で様々な解釈がありうる。そこから更に現代の研究者の自由な空想が輪をかけて広がる、、、 大変ですな(笑)

 

しかし、今は考古学(それとて現代の研究者の独断と偏見があるが)やDNA解列を基にした遺伝学が新たに加わった。特に後者の遺伝子は正に文字情報。しかもたった4文字だけの単純な文字情報だ! ヒトのみならず動物、植物などの先入観のない膨大なBig Data。これらを組み合わせれば凄い発見が生み出されると思う。多少、我田引水的になるが(汗) そうした総合科学としての歴史学が期待される。

 

1つの例としてSFのミッション・ストリートで、新型コロナが誰から誰に移ったかはこの遺伝情報の変化を基に伝染経路が決定された。

 

 

 

 

 

 

『中国歴代西域紀行選』2

河源記:

元時代に西域は王朝の支配が及んでいたのでフビライが女真族の都実将軍に黄河の源流を調べさせたらしい。この本はその記録。

 

以前にもその手の文献はあったが、まだ当時はここらの土地は中央の王朝の支配下になかったので、真偽のほどは疑問視されていたようだ。しかし元朝時代になると支配力が及んでいたので、この記録はその意味では最初のものだとか。p36

 

ここで現在の黄河の源泉と知られる星宿海(xing su hai)が描かれる。この言葉の由来は上から見ると湖沼の輝きが星を並べたように見えることから。p38 

 

Google mapで探すとその手の写真が出ているが、確かに天気が良ければ星のように見えるだろう。

 

 

伊犂日記:

清代、高宗〜仁宗時代の人で仁宗に奏上した朝政改革の書が大不敬罪となり1799年、新疆に配流され後、恩赦で故郷に帰るが、その伊犂までの記録。p46

 

これも詳しい日程が書かれ、誰と会ってどのようなものを選別として貰ったかが事細かく記録されている。かなりの高官が面会を求めてきているから、流罪人とはいえ、それなりの尊敬を集めていたことがわかる。ここでの面会人に江西省出身の進士で同じく新疆に3年流罪とされた人が受けた罪に「邪教案」というのがあるので検索してみたが調べきれなかった。p64 もしかするとキリスト教関連かもしれない。

<数値目標>

https://www.youtube.com/watch?v=RBvTiSELGqs&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=6

HSK2~3 #4~#6 背了四十分钟单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=swgUjw9LD0s

知香ChinaTV,看了九分钟China频道

 

https://www.youtube.com/watch?v=VqcEC3eww78

誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,6h1min~end,听写一个小时十六分钟。

 

https://www.youtube.com/watch?v=QDvTvGMNg2o

看了十六分钟興梠频道

 

https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk

【完全版1~1200】HSK5,1h5min~1h15min,0.75速度,x2,背了四十分钟单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=UiB19H7Em6w

李姉妹ch、看了十一分钟李频道。

 

https://www.youtube.com/watch?v=39uFTc8xQ0s&list=PL9C3D1AAF2BEA5F2D&index=9

カエル、7~9,学习二十二分钟汉语文法。

 

https://www.youtube.com/watch?v=aJux6xNMGM8

チャイナ娘くまちゃん,看了六分钟的频道。一共三个小时四十分钟。

 

运动;一堂Salsa课(计划)

 

 

 

 

<敗戦>

昨日15日は終戦記念日。地元では正午にサイレンが鳴った。戦後世代としては一族に戦没者は知らない。只、話に聞くとことによると叔父さんが学徒出陣で、ビルマで消息を絶ったという話だけ。あの飢餓街道で、あるいはその後の終戦までの1年の敗走途中のどこかで行き倒れたのかもしれない。

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12815698611.html

 

多くの若者を死地に送り出し、内地でも多くの死者を引き起こした。更に東アジアの国々を侵略したことで、現在も大きな「負の遺産」を残し続けているあの戦争。その戦争指導者が戦後も多く、おめおめと生き延びていたことに怒りを感じる。

 

軍人ならば、政治家ならば、責任を取り自決するのが当然だろう? 中には岸のように敵国(CIA)に協力したことで自分の戦犯としての罪を帳消しにしただけでなく、政治権力を維持、拡大した輩もいる。

 

その詳細は戦後極秘扱いが解除され公開された米国資料に詳しい。概略は1994年のNY Timesに掲載されている。題名も“CIA spend millions to support Japanese right in 50’s and 60’s”だ。

https://www.nytimes.com/1994/10/09/world/cia-spent-millions-to-support-japanese-right-in-50-s-and-60-s.html

 

ここから、岸-安部一族に脈々と流れる共通の権力・利権構造を感じる。

 

 

語られることのない責任

 

付け加えると、不問にされた、存在。即ち昭和天皇についても戦争責任が無かったとは思わない。否、確実にあったはずだ。実際、1957年にそれについての「天皇メッセージ」なるものが存在する。このことは殆ど知られていない。

 

 

再度引用しておこう。

 

『…the Emperor hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus. In the Emperor’s opinion, such occupation would benefit the United States and also provide protection for Japan.…』

General Records of the Department of State, Central File, 1945-49 Box No.7180 Folder No.1【0000017550】
https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4730
 

これが事実だとするならば、天皇は敗戦後も日本の外交、軍事に深く関わっていることになる。決して《飾り》だったわけではない。

 

エリアーデを引用するつもりはないが、当時国家神道の象徴として、シャーマンの役割を持った昭和天皇は、その力を失った時、少なくとも象徴的な「死」が要求されるべきだった。またそうしてこそ「再生」は可能になる。これは天皇制を否定するからではなく、むしろ天皇制を正しく維持する為にも必要だった。その機会を(米国の意向により)失ったことは実に残念。


 

 

 

<遠心力を上手く使う>

Marc Anthony のValio la penaは好きな曲の1つだが、これでこんなsexyなダンスが踊れるとは! 遠心力を上手く使うことを覚えないといけないね。これは何時も心がけている事だけども…

https://www.youtube.com/watch?v=0b7iqlziMdI

 

今日のクラスでは新しく購入した靴を始めて使ってみたい。

 

and Nice talk

 

 

 

 

<地元の自然災害碑>

14日午後、地元の自然災害碑の実地検分に行った。暇な年金生活者の記録。

 

これまで散歩コースで災害碑というわけではないが、災害により昔の碑石が損傷したことで新たに作られた碑があることは知っていた。またそれ以外にも土石流?の災害碑があることも知っていた。今回Web検索で1つ新たに別の災害碑があることを発見した。

 

見つけた資料は災害碑というわけではなく、地元の仏石像や、それ以外の様々な記念碑、歴史的史跡等を調べたもの。図中の上、灰色で22番の地点。地形図からも幾つかの谷間の出口に位置する。如何にもと言う感じ。

 

場所は障子岳四丁目ということらしいので早速、ナビを頼りに現地に行ってみる。

 

簡単に見つかる。かなり立派な石碑。昭和25年に建てられた災害復興記念碑。横はすぐ宇美川上流で、ここで氾濫したのだろう。

 

今はコンクリートで川の両側は整備されている。現時点では水量は僅かだが、多分集中豪雨ともなれば、地形から今でもかなりの水量になるに違いない。

 

Google Earthでみると右上の谷間にむき出しの地形が見える。問題はこんな場所にも新築の家が幾つも建てられていることだ。そんなに大昔ではないのに住民はこの水害(土石流?)のことを知らないのだろうか?

 

碑裏の記載によれば、昭和24年に襲ったジュディス台風(如何にも戦後直後の表現)の被害の復興記念碑。

 

次に行ったのは先に紹介した1973年の土石流での被害の復興記念碑。これも土石流だろうか? ここらには人家は少なく、あるのは工場だとかトラックや建設機材の類の駐車場。特に問題はないだろう。

 

 

次に行ったのは、散歩コースの1つ。私がここに平成元年に移住してから何度も水害に見舞われた場所。災害記念碑ではないが神仏像が水害で流され、それを再建した旨が裏面に書かれている碑。この周りにもドンドン新築の家が建てられている。この石碑のすぐ横は宇美川。

 

 

 

というわけで、少なくとも3カ所の自然災害碑が町内にある。多分。それ以外にもたくさんあるのではないか? 今後も折に触れ探索してみたい。こうした記録は大切にすべきだと思うのだが、検索した限り、役場のHPの何処にも記載はない。

 

情報共有・広報が必要だと思うのは、こうした地区にどんどん新たな団地が建てられているから。自然災害の時間と人の時間はスケールが違う。

 

 

 

『NATOを知るための71章』はまだ半分以上残っているが、その間読み上げた本を忘れないうちに記録しておく。

 

『中国歴代西域紀行選』

渡辺義一郎著、ベースボール・マガジン社、1997年初版。

 

出版社と本のタイトルに違和感があるかもしれないが、これは著者の渡辺氏がクライマーで主に中国の奥地の山岳登山を専門とした人だからの様。

 

穆天子伝:

これが『穆天子伝』の本邦初めての翻訳だとか。紀元前11〜10世紀、周の5代、穆王の西域遠征の記録。初めて聞く話。西晋の頃に(AD281)戦国魏の襄王の墓が盗掘にあい大量の竹簡が見つかり、それを西晋の武帝の命で纏めたものらしい。p5

 

『穆天子伝』をweb検索してみると「歴史というよりも、むしろ小説の元祖だ」だとか「史実と伝説が混在している」という評価もあるよう。youtubeで関連動画を発見した。

https://www.youtube.com/watch?v=5LIVDgoAU44

 

またAK氏によれば西域と言っても現在の山西省あたりだという考えもあるらしい。それなら納得がいくが、この記述 (特に地名や山の名前とか) との矛盾はないものか?

 

兎に角、日程が細かく記されて、そこここを支配する人々から歓待を受け、いろいろなものを献上される記録が続く。献上されるものとしては家畜、玉、酒が多い。何となく遊牧社会的。

 

『赤烏(せきう)の出自は周と同じである』という一節があるが、p15 この赤烏は遊牧民のよう。理由は馬、羊、牛などを大量に献上しているからだ。もしそうなら周も出自は遊牧民となるのか? 

 

なお赤烏は美人の多い土地だとも書かれている。ならばペルシャ西域系のような気もする。添付された図からは新疆ウイグルの西の端まで、天山山脈の西の端、現在のキルギスのイシククリ湖辺まで行ったことになっているし、p11 西北1万4千里まで移動したということになっているが、何処まで真実かは不明。p26

 

以前読んだ本に、古代の軍事国家は西の騎馬文化、文明によると書かれていたが、周もその流れを汲むものか?

  

使于闐(和田)記:

唐王朝滅亡後の五代・後晋の高宗時代に于闐王に冊封する使者の記録記。時代はAD938年、ここらになると史実に近いだろう。特に印象に残ったものはなし。

本日は夏休み最終日(涙) 今日も遊び倒そう。

 

 

 

<感度した>

草刈正雄氏とはは同じ歳。彼についてはよく知らなかったが、今回偶々知ったファミリーヒストリー。

https://www.nhk.jp/p/famihis/ts/57RY735RG4/episode/te/2J43WG1VGY/

 

母子家庭は私と同じだが、私の父親が死んだのは小学生の時、まだ記憶はある。それに比べて顔も知らず、まして婚外子。どれだけ辛く、厳しかったろうかと思う。 70年の歳月を経て事実が判明するとは、人生は時として小説以上。

 

Deeply touched!

 

 

 

 

<災害記念碑>

月曜は朝から台風によるお盆休みの交通混乱のニュースで溢れる。幸い、今度の台風7号は福岡直撃はないのようだが、やはり災害情報は気になる。それにもう8号も生まれているみたいだ!

 

それで思いついて、地元の災害記念碑について調べてみた。国土地理院のデーターベースに地元の災害記念碑情報はないが、

https://www.gsi.go.jp/bousaichiri/denshouhi.html

 

個人的に1〜2、知っている。土石流で1973年に被害が出たという内野谷地区と、先日から何回か話題にした宇美川の氾濫だ。後者は何度も起こったらしいが、そうした歴史は共有されず、最近も新築の家が沢山建てられている。その他にも沢山あるはず!

 

調べてみると、宇美町役場のHPにこうした情報の記載がない。こうした記憶は簡単に忘れ去られ、新たに団地ができたりするので公的機関が責任を持って記録に留めておくべきではないか? これは是非、パブリックコメントとしていつか提案しよう。

 

また、煩い住民とブラックリストに載せられるかな? でもこうして自治公民館全部にFree-Wifiが導入されたから良いこともあると思うのだが?

 

そんなこんなで、暇を持て余したリタイヤ高齢者。色々web検索した上で、現地取材に赴く。 現地報告は後日にでも。予告編として、webで見つけた1例。昭和25年の台風被害。

 

 

 

 

<新たな本>

『中国歴代西域紀行選』は読み上げた。内容は比較的分かりやすく読みやすいが、如何せん地名が繁体字で描かれている。それでGoogle mapやGoogle Earthで確認するときには簡体字に転換して探す必要がある。ちょっと面倒。

 

それと簡単な地図しか添付されていないのでこれも不便。細かい地図があれば場所を正確に特定でき、写真や地形もいまの時代、Google mapやGoogle Earthなどの便利なツールがあるので楽しめる。ま、1997年出版の本、仕方ないですね。いまなら色々工夫可能。

 

一方の『NATOを知るための71章』はまだ手こずっていて、漸く半分読み上げた程度。何しろ基礎知識がないのでそれを頭に入れながら、様々な国の場合を考えていかないといけない。冷戦からデタント、テロとの戦い、で同じ国でも対応は変化するし、まして国が違うと同じ「テロとの戦い」でも持つ意味が全然異なる。このことは、今回の本で初めて知った。

 

 

 

 

『NATOを知るための71章』5

NATO東方不拡大の約束はあったか。

 

結論から言うと、「言質」としては何度もあったことは資料から間違いない。しかし文書としては残されなかった。ま、普通に常識的に考えれば「NATOというか、米国の裏切り」でしょうね。p117

 

但し、冷戦後の世界情勢の変化が、それを後押ししたこともあるみたいだ。つまりNATO自体の意味が変ってきたこともある。つまり、加盟国の集団防衛のみならず、民族紛争やテロにも対処するようになった。変化点はいくつかあるようだが、前者はボスニア紛争、後者は9-11がまず挙げられる。

 

ボスニア紛争は旧ユーゴの解体で起こった事件。ここにはムスリム系とセルビア系の民族紛争が基盤にある。前者は人口としては大きいが、軍事的には後者が圧倒していてセルビア系によるムスリム系の「民族浄化」とされる虐殺が行われた。p120 これに対してNATOが介入した最初のケースらしい。p124 つまり国連では力不足ということ。法的基盤としては「非5条任務」。即ち、

 

加盟国が攻撃を受けていなくても軍事的に関与できる> というものらしい。p125

 

また後者のテロとの戦いにおいてはロシアも共有の問題、民族紛争や過激派問題、を抱えていたので協力する余地があったが、やがてNATOの活動範囲が中東、中央アジアに広がるに従い変質せざるをえなくなったということだろう。p128

<日曜スマホ学習会>

盆休みもなく開催。但し、参加者は僅か2名。墓参りに行くとのメンバーからの連絡も。

 

問題は参加者の数ではなくテーマがないこと。ほぼ出尽くした感じで今回も雑談にくれる。どうしたものか? その中で、近くのイオンのスーパーが今月末に閉店されることが話題になった。近くて便利だったのに… 個人的には、車があるから別に困りはしないが、これまで徒歩で買い物に来ていた高齢者世帯は無くなると困るのではないか?

 

 

 

 

<昨日のカシーノの動画>


Cuban Casino 超上級編

https://www.youtube.com/watch?v=rsthpn_W0gE

 

 

 

 

<完全版ビルマ絶望の戦場>

日曜早朝、たまたまニュースを確認しようと点けたNHK-BSで流れていた番組。2022年8月初回放送分+α版。

 

1944年7月、インパール作戦は3万もの戦死者を出し、惨憺たる結果に終わったが、その後、終戦までの1年間で、それをはるかに上回る将兵、及び民間人の命が失われていたとか。


放送最後に初回放送後に日本とビルマから送られた追加情報が加えられていた。

https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/NLVVJ5JNX2/

 

いろいろ思いが湧き上がったが、感情的な部分があるので少し時間をおいて何時か書いてみたい。ただ1つ思いが消えないうちに書くことがあるとすれば。

 

多数の若者を死地に送った人間はそれに対し《責任》が求められるということ。戦後もおめおめと生き延びた輩が如何に多いことか!!


 

 

 

 

『NATOを知るための71章』4

段々知らないことばかりで読むのが大変。それだけ無知だったということ。

 

統一ドイツ後、東ではソ連軍の撤退後、この領域に外国軍や核の配備は禁止された。但し、覚え書きにはドイツ政府が判断するものとされた。また西ドイツ側での基地や核は維持された。つまり抜け道があったということで、のちのロシアが裏切りと捉える部分もあったということだろう(著者はそのようには書いていない、私の解釈)。p101 

 

なお、当時アメリカのベーカー国務長官はゴルバチョフと会談した際、

 

NATO軍の管轄は1インチも東に拡大しない』 と明言した。p102 

 

しかし、最終規定条約にそのような文言は盛り込まれず、今となってはプーチンが言うようにこれは裏切り行為をNATOは行った。p103 

 

これは当時東欧の民主化に直面し、ロシア国内でも市場経済化や連邦制改革に関する対立を抱え余裕がなかったからだろう。

 

1999年、プーチン政権が発足した時、40代の彼はNATO加盟に向けて動いたとか! その後起こった、2001年の9−11事件で米中が同じく「テロとの戦い」で利害が一致したことにもよる。それがバルト3国のNATO加盟を許した。

 

ところがイラク戦争、ジョージアやウクライナで起こった「革命」で2007年には流れが反転することになる。p106