本日は夏休み最終日(涙) 今日も遊び倒そう。
<感度した>
草刈正雄氏とはは同じ歳。彼についてはよく知らなかったが、今回偶々知ったファミリーヒストリー。
https://www.nhk.jp/p/famihis/ts/57RY735RG4/episode/te/2J43WG1VGY/
母子家庭は私と同じだが、私の父親が死んだのは小学生の時、まだ記憶はある。それに比べて顔も知らず、まして婚外子。どれだけ辛く、厳しかったろうかと思う。 70年の歳月を経て事実が判明するとは、人生は時として小説以上。
Deeply touched!
<災害記念碑>
月曜は朝から台風によるお盆休みの交通混乱のニュースで溢れる。幸い、今度の台風7号は福岡直撃はないのようだが、やはり災害情報は気になる。それにもう8号も生まれているみたいだ!
それで思いついて、地元の災害記念碑について調べてみた。国土地理院のデーターベースに地元の災害記念碑情報はないが、
https://www.gsi.go.jp/bousaichiri/denshouhi.html
個人的に1〜2、知っている。土石流で1973年に被害が出たという内野谷地区と、先日から何回か話題にした宇美川の氾濫だ。後者は何度も起こったらしいが、そうした歴史は共有されず、最近も新築の家が沢山建てられている。その他にも沢山あるはず!
調べてみると、宇美町役場のHPにこうした情報の記載がない。こうした記憶は簡単に忘れ去られ、新たに団地ができたりするので公的機関が責任を持って記録に留めておくべきではないか? これは是非、パブリックコメントとしていつか提案しよう。
また、煩い住民とブラックリストに載せられるかな? でもこうして自治公民館全部にFree-Wifiが導入されたから良いこともあると思うのだが?
そんなこんなで、暇を持て余したリタイヤ高齢者。色々web検索した上で、現地取材に赴く。 現地報告は後日にでも。予告編として、webで見つけた1例。昭和25年の台風被害。
<新たな本>
『中国歴代西域紀行選』は読み上げた。内容は比較的分かりやすく読みやすいが、如何せん地名が繁体字で描かれている。それでGoogle mapやGoogle Earthで確認するときには簡体字に転換して探す必要がある。ちょっと面倒。
それと簡単な地図しか添付されていないのでこれも不便。細かい地図があれば場所を正確に特定でき、写真や地形もいまの時代、Google mapやGoogle Earthなどの便利なツールがあるので楽しめる。ま、1997年出版の本、仕方ないですね。いまなら色々工夫可能。
一方の『NATOを知るための71章』はまだ手こずっていて、漸く半分読み上げた程度。何しろ基礎知識がないのでそれを頭に入れながら、様々な国の場合を考えていかないといけない。冷戦からデタント、テロとの戦い、で同じ国でも対応は変化するし、まして国が違うと同じ「テロとの戦い」でも持つ意味が全然異なる。このことは、今回の本で初めて知った。
『NATOを知るための71章』5
NATO東方不拡大の約束はあったか。
結論から言うと、「言質」としては何度もあったことは資料から間違いない。しかし文書としては残されなかった。ま、普通に常識的に考えれば「NATOというか、米国の裏切り」でしょうね。p117
但し、冷戦後の世界情勢の変化が、それを後押ししたこともあるみたいだ。つまりNATO自体の意味が変ってきたこともある。つまり、加盟国の集団防衛のみならず、民族紛争やテロにも対処するようになった。変化点はいくつかあるようだが、前者はボスニア紛争、後者は9-11がまず挙げられる。
ボスニア紛争は旧ユーゴの解体で起こった事件。ここにはムスリム系とセルビア系の民族紛争が基盤にある。前者は人口としては大きいが、軍事的には後者が圧倒していてセルビア系によるムスリム系の「民族浄化」とされる虐殺が行われた。p120 これに対してNATOが介入した最初のケースらしい。p124 つまり国連では力不足ということ。法的基盤としては「非5条任務」。即ち、
<加盟国が攻撃を受けていなくても軍事的に関与できる> というものらしい。p125
また後者のテロとの戦いにおいてはロシアも共有の問題、民族紛争や過激派問題、を抱えていたので協力する余地があったが、やがてNATOの活動範囲が中東、中央アジアに広がるに従い変質せざるをえなくなったということだろう。p128
