<数値目標>
https://www.youtube.com/watch?v=svq8CaeWyqU&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=8
HSK3~4 #6~#8 背了四十一分钟单词。
https://www.youtube.com/watch?v=H2mSlGPQi2s
https://www.youtube.com/watch?v=LdL-RIDAX3Q
武井&典典ちゃんねる十三分钟。b4 Corona
https://www.youtube.com/watch?v=bePbZrxcaIo&list=PLZI8vVTxzS7k7jbSknCDOssrgqGpd3BCS&index=14
誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,听写一个小时。
https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk
【完全版1~1200】HSK5,1h15min~1h22min,0.75速度,x2,背了半小时单词。
https://www.youtube.com/watch?v=DTj_eiPK6mw
毎日中国語のかね,1~33,九分钟
https://www.youtube.com/watch?v=ACDyz2GfF6U&list=PL9C3D1AAF2BEA5F2D&index=11
カエル、10~11,学习二十五分钟汉语文法。
https://www.youtube.com/watch?v=nJgJNC_Km44
エリの中国語研究室,学习十三分钟汉语。一共三个小时十一分钟。
运动;爬上散步 3.2km,4562步,7楼。(计划)
blogの予定のアンカリングでナッジされ、雨の中、傘をさして坂道散歩。とりあえず目標達成!
昨日は涼しかった。夜寝る時だけ、2時間だけクーラーを使った。
<靴はOK>
初めて履いて動いてみたが、しっかり足首がホールドされて安定感がある。靴ひもを上まで結ぶのにちょっと時間が掛かるが、それ以外はOK。特に違和感はないので後は足を靴に慣らすまで。
昨夜も複雑な振り付け(汗)先週台風で休講だったので、他のクラスからの振り替えの人が多かった。写真の十代の女の子は初心者だそうだが!(入門クラスを飛び越えて入ったらしい)体が軽く、先生のリードに素早く反応し、びっくりするほど上手。今からこうだとプロを目指せるかも?
誰もが同じようなコースを辿る必要はない。一芸に秀でれば良い。
<糸口か?>
周王朝の起源についてWikiに以下のような記載を見つけた。
『周王朝の祖である后稷(こうしょく)の母である姜嫄の「姜」は「羌」と同じで、このことから周は元々羊の遊牧文化を持つ非定住農耕民であったという説がある』
もしこれが正しければ、西域まで遠征したとのお話。その範囲は兎も角、まんざら作り話ではないかもしれない。
因みに、后稷は、中国の農業の神として信仰されているが、ならばその前は農業ではなく牧畜だったからこそ、彼が「農業の祖=神」となったとの解釈も成り立つ。 歴史書は書かれなかった事にも注目する必要がある。
実際、『馬、車輪、言語』という本によれば、(←終活で昔のteacup blogを失ったのは今となっては実に残念!!)騎馬の技術は遊牧民によりユーラシアの北のステップ沿いに急激に東に広がっていったことが考古学と言語学の解析により言われている。将来、これに遺伝子解析が加わるだろう。
確かに騎馬という技術は太古の昔でも移動距離を飛躍的に高めたはずだし、そもそも遊牧は移動の生業。周が遊牧民族のルーツを持つなら5代くらいまでは(100年も経っていないはず)その伝統は残されたはず、否、それどころか周の軍事力はその騎馬軍団にあったかも?(←ここらの情報はどうだろう? 『穆天子伝』でも馬の獲得が主要なテーマになっていたが)
…それにしても、先のAK氏のコメントにあったように、文献学というのは金文にしろ竹簡にしろ、それを書いた作者の世界観により、如何様にでも描かれうる。更にその後代の注釈書になれば、また当代の世界観で様々な解釈がありうる。そこから更に現代の研究者の自由な空想が輪をかけて広がる、、、 大変ですな(笑)
しかし、今は考古学(それとて現代の研究者の独断と偏見があるが)やDNA解列を基にした遺伝学が新たに加わった。特に後者の遺伝子は正に文字情報。しかもたった4文字だけの単純な文字情報だ! ヒトのみならず動物、植物などの先入観のない膨大なBig Data。これらを組み合わせれば凄い発見が生み出されると思う。多少、我田引水的になるが(汗) そうした総合科学としての歴史学が期待される。
1つの例としてSFのミッション・ストリートで、新型コロナが誰から誰に移ったかはこの遺伝情報の変化を基に伝染経路が決定された。
『中国歴代西域紀行選』2
河源記:
元時代に西域は王朝の支配が及んでいたのでフビライが女真族の都実将軍に黄河の源流を調べさせたらしい。この本はその記録。
以前にもその手の文献はあったが、まだ当時はここらの土地は中央の王朝の支配下になかったので、真偽のほどは疑問視されていたようだ。しかし元朝時代になると支配力が及んでいたので、この記録はその意味では最初のものだとか。p36
ここで現在の黄河の源泉と知られる星宿海(xing su hai)が描かれる。この言葉の由来は上から見ると湖沼の輝きが星を並べたように見えることから。p38
Google mapで探すとその手の写真が出ているが、確かに天気が良ければ星のように見えるだろう。
伊犂日記:
清代、高宗〜仁宗時代の人で仁宗に奏上した朝政改革の書が大不敬罪となり1799年、新疆に配流され後、恩赦で故郷に帰るが、その伊犂までの記録。p46
これも詳しい日程が書かれ、誰と会ってどのようなものを選別として貰ったかが事細かく記録されている。かなりの高官が面会を求めてきているから、流罪人とはいえ、それなりの尊敬を集めていたことがわかる。ここでの面会人に江西省出身の進士で同じく新疆に3年流罪とされた人が受けた罪に「邪教案」というのがあるので検索してみたが調べきれなかった。p64 もしかするとキリスト教関連かもしれない。



