今日は「体育の日」ということで朝から休日モード。依然として喉と左側の腰部が痛い。咳は治り、熱もない。これは風邪なのだろうか? この腰の痛さは所謂「腰痛」では? 寝ていてもズキズキする。体重コントロールも上手くいっているし、下半身の筋力トレーニングもやっているので腰痛になる可能性は少ないと自信を持っていたのだが?
webで調べると「腰痛」ならば動ける範囲で動きなさいとの話。この数日ソファーで安静にしていたが対応を換えようと思う。安静にしてTVや本をみているといつの間にか昼寝になって無駄な感じでもあるし… それに勉強も再開しないとね!
それはともかく、そんなこんなで、『世界を変えた野菜読本』という本を読み終わった。気楽に読める本は、咳と腰痛を紛らわすのに効果的!
<世界ふれあい街歩き「ロンドン・ブリクストン界隈」>
https://www4.nhk.or.jp/sekaimachi/x/2019-10-14/10/12792/1767514/
スープキッチン、フリーブック、フリージム。英国史の負の部分、植民地政策の記憶が残る場所と言うと言い過ぎか?
イギリスには一度しか行ったことがない。ドイツの学会のあと、以前競争相手だった先生の研究室でセミナーをさせてもらった記憶がある。あの先生も元々はスウェーデン人だったと思う。インド系イギリス人の先生もいたし…
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世界中から優秀な研究者を惹きつけた英国だが、やってきたのは何もハイクラスの人だけではない。否、その何千倍、何万倍もの貧しい移民の群れもやってきたということだ。
この先イギリスに行くことがあるだろうか?
『エリュトゥーラ海案内記』3
現在のイエメンとジブチの間の海峡に島があり、この近くを航行するときは風が強く、潮流が激しいとある。Google mapで見てみるとこの30キロ程度の狭い海峡の間に確かに島がある。当時、Diodoros島。現在はPerim Islandとある。この海峡を挟んだ両岸は当時同じアラビア人の藩主によって支配されている。p116 …ジブチを戦略的拠点として中国が抑えたのはよくわかる。
先日、アラビア半島南岸のアデンがから、エデンを連想したことを述べたが、注釈によれば誰しも私と同様に旧約聖書のエデンを連想したようだ。だから「幸福なる」都市と呼ばれたという説もあるらしい。まんざら間違いでもなかったよう(笑)p184
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実は本文よりは注釈の方が読む時間が何倍もかかるし、面白いことが色々描かれている。例えばシントス川、Sinthosはギリシャ語で、サンスクリット語ではSindhuこのサンスクリット語がペルシャ語になるとSの音がhとなり(Hindhu)、ギリシャ語ではこのhが脱落してindhu→Indosになるというような話。こうしたS→H転換、語の脱落は別の本でもあった。p215 同じような話は『馬・車輪・言語』でもでてきた。
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この本にはマレー半島までの情報が描かれているが、誤りや簡潔すぎることから、著者自身が行ったことはなく伝聞と解釈されている。おそらく著者の実体験はセイロン止まりだろうという。それにしてもすごいこの時期(1世紀)エジプト在住のギリシャ人がセイロンまで航海したとは!
45節にインドのCambay湾(半島の西の付け根部分)の潮流による危険性について事細かく書かれている。p229 これはこの湾の構造によるものだが、あたかも杭州湾(钱塘江)のように出口が広く急に狭くなっているので大潮で高波が生じるようなことが起こっているのだろう。下の図はWeChatで送られてきた動画からのショット。
56節の本文に南インドに何処からか運ばれる絹織物が書かれている。p137 訳者によれば、これは中国産で1世紀にインドと中国の間に交易があることが判る。これは、やはり張騫が西域を旅している途中で蜀(四川)名産の竹と布がインド経由で西域に入ったことから蜀から雲南→ビルマを通ってインドへと繋がる交易ルートがあることを知ったことと繋がる。
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また胡椒が産することが描かれているが、中世西欧ではこれが最大の交易品だったが、この知識は途絶えたのかもしれない。またこの節の後半部分で、それまで沿岸に沿うような航路から、現在では直接アラビア半島(カネーとアデン)あるいはソマリア半島先端(アローマタ)からインド洋を横切る航路がヒッパロスにより西南季節風を使う航路が開拓されたことが書かれている。この著者はおそらくこの航路を使ったのだろう。p137
現在のマレー半島はクリューセ、Chryseとして示される。p267 著者自身が行ったわけではないのは、この60節には多くの間違いがあることから、不正確な伝聞によるものと思われるから。
ここで「鬼市」について書かれている。これは交易品を浜辺に放置し、その交換品を別のグループが同様に放置するという物々交換の形式。p281 これは中国の史書にも見られる。 曰く、『お互いに直接顔を合わせることなく売買や物々交換をする「沈黙交易」』
https://mainichi.jp/articles/20190201/ddm/001/070/125000c