『噂(うわさ)』ですが…
こんばんは☆
大型で強い台風8号は、
かなり勢力を衰えさせて、今こういう感じです…
☆「台風8号は10日午前7時前、鹿児島県阿久根市付近に上陸した後、
九州を横断して宮崎県沖へ抜けた。
台風は10日未明に風速25メートル以上の暴風域はなくなり、
勢力は次第に弱まっているが、雨の影響が長引く可能性もある。
東海地方には同日夜から11日明け方にかけて最接近する見通し
台風は12日朝には北海道の東に進み、温帯低気圧になる見込み。」
勢力が衰えたとはいえ、
雨の影響には十分に注意が必要と思われます。。
さて、きょうの記事ですが、
「え!」というような内容であることをお断りしておきます。
そして、これはあくまで「噂」である、ということです。
ズバリ、最初に言いますね☆
「天皇家」が京都に帰られます☆
これは、「京都帰還(きょうときかん)」です。
明治維新(1867年、または1868年)によって、
明治新政府となり、明治天皇が旧(きゅう)徳川幕府・江戸城を
「皇居(こうきょ)」とされ 京都から移転されました。
しかし、京都にはもともと「京都御所」があります。
昭和天皇の「即位式」は京都御所・紫宸殿(ししんでん)で
執(と)り行われました。
もともと、京都の人々は、
「天皇は東京に貸してあるだけでいずれ戻ってくる」と思っています☆
その天皇の帰還の時のために、公家(くげ)の冷泉家(れいぜいけ)が
京都に残っています。
明治初期に京都の公家たちは、明治天皇に従って東京へ移りましたが、
冷泉家だけは京都に残りました。
彼らは、天皇が京都に戻ってきたときの受け皿としてずっと残っていた
と言われています。
昨年(2013年)の6月にこんなことがありました☆
天皇皇后両陛下「冷泉家(れいぜいけ)」訪問
美智子皇后陛下はお身体(からだ)の調子が思わしくないために、
公務をお休みされることが多かったといいます。
そのような中での京都・冷泉家訪問です。
お身体の不調を押してでも京都を訪問しなければならない理由が
おありになるということですね。
天皇・皇后両陛下の冷泉家訪問は衝撃的なできごとでした。
※「冷泉家(れいぜいけ)」は平安末期から鎌倉初期の歌人、
藤原定家(ふじわらのさだいえ)の流れをくむ家柄で、
この住宅は日本最古の公家(くげ)屋敷とされています。
和歌に関する古文書など数万点を所蔵していて、両陛下は、
国宝に指定されている藤原定家が書写した『古今和歌集』などを
ご覧になりました。
建物は、同志社大学今出川キャンパスの隅に現存しています。
また、
京都には歴代天皇の御陵(ごりょう=お墓)が数多く存在していますが、
中でも最大のものは、京都・伏見「桃山(ももやま)御陵」です。
これは、明治天皇を埋葬(まいそう)した御陵です。
明治天皇は死して後(のち)に、京都に帰られたのです。
それにもともと、
明治天皇は東京への「遷都宣言」をしていません。
それなのに、東京都が日本の首都として国際的にも認められ
機能してきたのは、「天皇がおられるところが首都」という暗黙の
了解があったからです。
明治天皇が、東京都に「遷都宣言」をされていないということは、
京都が いまでも本当の日本の首都、と言えますね☆
(クレームは受け付けません〈笑〉)
一口メモ=これ大事です
「天皇が江戸へ向かう際、国内向き(主に京の市民)には、
ちょっと江戸へおでかけするだけという事で行幸(ぎょうこう)だと説明され、
首都も京都のままですよということで、
「東京遷都」は正式には「東京奠都(てんと)」と言います。
(「遷都」ではなく、「奠都」です。これは、都を移すのではなく、両方とも都という意味)
そして、天皇が江戸に長期滞在するということで、江戸は東の京という意味で
「東京」と改称され現在に至ります。
このような事情から、歴史上、東京が首都だと正式に宣言された事が無いので、
現在も「事実上の首都」だという位置付けです。
というのも、国家元首がいる場所が首都ということになりますが、
元首である天皇の玉座(高御座=たかみくら)は京都御所・紫宸殿に安置されたままと
なっているので、天皇が本来居るべき場所は京都となり「どっちやねん!」という
状態になっています。」(Yahoo知恵袋から)
そうです)^o^(
天皇は、東京に「長期滞在」されてるだけなんです☆
2005年に、
京都御所の中に「国立京都迎賓館(げいひんかん)」が建設されました。
京都御所では、「京都帰還」のための準備が着々と行われていると、
まことしやかにささやかれています…。
また、みなさんは「リニアモーターカー」のことをご存じだと思いますが
JR東海社長はこのように言ってます。
「京都は経由(けいゆ)しない」と。
ところが今、京都に駅を造(つく)る計画が持ち上がっているそうです…
なぜでしょう…
このことはもちろん、京都にとっては経済的な死活問題であることは
間違いなく、積極的な誘致(ゆうち)運動がされていますが…
はたして、理由はそれだけでしょうか?
このことは、天皇の「京都帰還」と全く関係ないと言えるのでしょうか?
京都御所の一角
(御所は、いなか道少年が遊び場としていたところです。畏(おそ)れ多い(笑))
昭和天皇即位式の行われた『紫宸殿』
京都御所の俯瞰図(右上に 斜めに見える河川は「鴨川」)
右側に、鴨川の流れがあります。その上の「Y字」になってる部分が
出町柳=デマッチです(笑)
京都御所の中にある『京都迎賓館』
同じ京都迎賓館
みなさん、いかがでしたか?
はじめにお断りしましたように、これはあくまでも「うわさ」です…
しかし、このことを完全に否定もすることはできません。
なぜなら、
「火のないところに煙は立たない」って言いますよね?(笑)
☆天皇の玉座・高御座(たかみくら)は京都御所・紫宸殿に安置され、
主(あるじ)である、天皇の京都帰還を待っているのですね。。
きょうも、数あるブログから、いなか道のブログを
読んでくださって、ありがとうございました。
長文で、申し訳ありませんでした☆
もし、間違ったことを書いていましたら、ご容赦ください。
ほな(笑)…
あ~つかれたー(@ ̄ρ ̄@)zzzz