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どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

『琉神マブヤー THE MOVIE 七つのマブイ』を観ました。

 

昔より沖縄では人々の魂=マブイの星に祈りを捧げた時、選ばれた若者は琉神マブヤーとなり、悪の軍団マジムンを退治するという言い伝えがあった。

そして現代。

沖縄でヒーローショーを催すアクションクラブに所属する気弱なウルマは、今日もリハーサルで失敗続き。主役を演じる先輩サイオンや幼馴染みのアイリに叱咤される有様だ。

そんな中、現代に復活したマジムン軍団によって気を失ったウルマに琉神マブヤーのマブイが宿る。

マジムン軍団は海のマジムンであるジンベーダーを呼び寄せ、沖縄人の魂である7つのマブイを奪い取ろうとする。

龍神ガナシーとなったサイオンと共にマジムン軍団を敗退させるも、自分の弱さを克服できないウルマはマブヤーとなって戦う事を恐れてしまい……といったお話。

 

本作が公開された頃は、いわゆる変身ヒーローをパロディ化したような、いわゆるご当地ヒーローが多々誕生していました。

そんなブームの中に生まれたご当地ヒーローの1人が沖縄県の琉神マブヤー。

沖縄ではずいぶん盛り上がっていたようで、琉神マブヤーが『琉神マブヤー』として映像作品も作られたほど。

古くはデパートの屋上、昨今ではショッピングモール等で催されるヒーローショーのようなノリで、テレビでやってる変身ヒーロードラマの足元にも及ばないものだろうとタカを括って観てみたところ、足元どころか胸元くらいに追いついているほどのクオリティに驚いた記憶があります。CGにお金を掛けているのが分かる反面、マジムン側の着ぐるみが昭和感たっぷりなのがいい味出してるんですよ(笑)。

変身ヒーローものでありながら殺伐さが皆無で、どこかほっこりするお話もいいんですよね。

 

そんな『琉神マブヤー』がまさかの映画化。久々に観るといいですね~。

テレビ版に愛着がある人にとっては、映画化に際してキャストが大幅に変更されている点にガッカリしたんじゃないかな?

ただ、映画という規模に昇華する以上、ある程度は知名度のある俳優どころかスターを起用せざるを得ないのはエンタメとして仕方のない事ではあるけど、沖縄出身の人たちばかりでキャスティングする配慮に地元愛を感じます

もちろん出演する側の人に関しても同様で、何の情報もなしに見ていれば、ウルマに道を教える女性に驚いただろうなぁ(分かりやすいヒントは先に出てるけど)。

あんなタイトルや内容の割には、埼玉県にゆかりのある人があまり出演していないあの作品との違いです。

 

基本的にはマブヤーとマジムンとの戦いですが、イコール正義と悪との戦いではないのが、特に映画版である本作では顕著です。

人間とマジムンのどちらにも言い分があり、そのどちらが善か悪でもないという、深く考え始めたら永遠に解決しない問題を謳っています。

大人はもちろんの事、子供でも考えが及ぶ題材だし、万人が理解できるという意味で、立派にエンタメしてる作品なのです。アクションあり、コメディあり、そして泣ける見せ場もあるしね。

マジムンだって神様の子供であり、沖縄の宝でもあるという言葉は染みる…!

 

マブヤーと言えば沖縄のご当地ヒーローですが、“ご当地ヒーロー”という言葉が普及したのは、おそらく秋田県の超神ネイガーに始まったものだと思います。

そんなネイガー=アキタ・ケンが登場するのも本作の見どころの一つ。

東映風に例えるなら、”琉神マブヤーVS超神ネイガー”って感じでしょうか? 対立→和解ってパターンも踏襲してるし(笑)。

キリタンソードだのブリコガンだの、秋田の名産品をもじったネーミングは地元愛から来るものだったんですね(後付けだろうけど)。メーゴーサーだのヤーチューだの、他県の人にはサッパリ意味不明なネーミングにもなるほどって感じ。

 

ウルマはマブヤー=ヒーローになる力を得ても戦いを拒絶するような、キャラが変わらずに気弱なままってのがいいですね。

恐怖や非力を自覚してなかなか変身しない、しかも主人公がそんなキャラってのは変身ヒーローものでは稀有な存在です。ウルマとは対極的に、積極的に前へ出たがるサイオンとのバランスも絶妙。

余談ながら、サイオンを演じるISSAさん(!)、たまにはどこかで『龍神ガナシー~ニライカナイの勇者~』歌ってくんないかな……ないな…。

 

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Blu-rayの映像特典はテレビ番組のようなトーク系映像やインタビュー。まさか、友情出演のあの人まで出てくるとは…。

ちなみに、ケースを開くと、

ジャケット裏にはキャラ紹介があるのも好印象。

 

ところで、映像作品の展開は終わっていますが、マブヤー自体はイベント等で未だ活躍中のようです。

今年のGWは、よみうりランドに応援に行こう

『マトリックス レザレクションズ』を観ました。

 

劇場で観た際の感想と粗筋はコチラから。

 

前3部作を揃えちゃっているものですから、劇場で観た際にはウ~ンな感じだった今作も一応は買ったんですがね。

で、復習として前3部作を再見し、今作の鑑賞に臨んだんですが、ここで心境の変化が生じまして。

これ、3作目=『~レボリューションズ』より面白くないですか?と。

 

『~レボリューションズ』って、画面が派手なだけだったという印象が強いんですよ。

ビジュアル的に目新しい事は前2作でやり尽くし、あとは広げまくった風呂敷を畳む事に専念するという、チト事務的な感じの終わり方で。しかも、あんま綺麗に畳めてないというね(笑)。

 

正直、マトリックスの仕組みをきちんと理解している人って、そういないと思うんですよ。

ご存知的に考察している人もいるけど、それも一つの正解ながら、決定的な解釈は自分で探せ系の作風じゃないかなと。それ故、前シリーズとの辻褄が合ってないとか言い出す人もいたかもしれませんね。

その辺、俺ッチは話半分くらいにしか捉えていませんが、前作のアーキテクトと今作のアナリストとの区別が付いてないです…。

 

『マトリックス』と言えば、ふた言目には救世主というワードが出てきますが、あんなヒゲだらけのジイさんに近い時点で希望を感じませんよね(笑)。

あんなルックスなら、仙人とか神とか言った方がしっくり来るかも。

が、本作は救世主の復活(or再生)を描いた話ではなく、新たな救世主の出現を描いた話なんだと考えれば腑に落ちます。

トリニティ―って単に救世主に愛されただけで、かなりデキる女ではあるものの、フツーの人間にすぎません。

そんな身分違いの恋愛がようやく対等なものになるんだから、ある意味、本作はトリニティ―をフィーチャーしたお話とも言えるんじゃないかな? ラストカットが実に象徴的です。

とりあえず、ネオとトリニティ―の息子がどうとかダッセー真似をしなくて良かったよ…。

 

老けたのはネオとトリニティーだけではなく、前作から続投しているキャラも同様ですが、ナイオビは老けさせすぎでしょ(笑)。

“流浪者[エグザイル]”のひと言で片付けられていますが、メロビンジアンも登場します。名前を呼ばれないのは、ああまで変貌した姿だからメロビンジアンだと気付いてもらえなかったんだろうな…。

 

…とまぁ、今作をシリーズ中4番目に面白い作品と言っていない時点で少数派の意見ですが(笑)、これと真逆である大多数の意見に耳を塞ぐがごとく、さらなる続編=5作目の製作が決まったとか……ポカーン。

キアヌさんやキャリーさんの出演は未定との事なので、だったらいっそ、エンドクレジット後の戯言を実現しちゃえばいいんじゃない?

 

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映像特典はてんこ盛りでイイ感じ。

あ痛たたたな監督の姿を見るのがキツいです…。

個人的に久々に観たいなと思ったタイミングに『必殺!』シリーズ6作品がBSで連続放送するそうです。BS朝日ではなく、まさかBS日テレで放送する時代が来るとはね。

それでも、個人所有のソフトで見るという謎の優越感よ(笑)。

って事で、『必殺! THE HISSATSU』を観ました。

 

江戸の町で次々と発見される怪死体。口に六文銭が咥えさせられている彼らは、金で他人の恨みを晴らす仕事人であったという共通点があった。

主水[モンド]を初めとする仕事仲間たちは、同業者の惨たらしい殺され方を目の当たりにしながら、自分らにも危険が近付いている事を思い知る。

一連の事件は江戸での仕事を独占しようとする庄兵衛が仕切る殺し屋集団、六文銭の仕業だった。主水たちは江戸中の仕事人を寄せ集め六文銭に挑むが……といったお話。

 

ご存知、『必殺(仕事人)』シリーズの劇場版です。

劇場版という事で色々とパワーアップしているのが見て取れますが、基本的にはテレビ版の延長です。

でも逆を言えば、テレビ版の画ヅラが映画っぽい証拠なんだよね。必殺シリーズと言えば、光・影・水を組み合わせた夜のシーンが特徴的ですが、様式美すら感じさせるこれらが相変わらず美しい。

日本かぶれな海外のクリエイターに影響を与えそうなものだけど、そんな話も聞こえないって事はそこまでのものではない、もしくは未だ見つかっていないって事なのかな?

 

劇場版必殺シリーズと言えば、ゲストの面々も見どころ。ベテランや時の人を起用しまくっての豪華な画ヅラは、まさにエンタメです。

本作の主なゲストは仕事人としての顔を持つキャラたちですが、これがピンキリなんですよ。

朝之助のような超一流のピンはなかなか手を貸してくれず、容易く仲間になってくれるのは目も当てられないキリばかり(笑)。

「お~待たせいたしました~」でお馴染みの斎藤清六さんを始め、たこ八郎さんや赤塚不二夫さんあたりが演じる仕事人なんて、殺しの技というより大道芸だもんね。あれらを使えるシチュエーションに持っていく事の方が難しいという(笑)。

 

六文銭との激闘を終えたものの、大挙する奉行所の追っ手から逃げる仕事人たちは…?というクライマックスの余韻は、まさかの展開で衝撃です。

これ、劇場で観ていたらどんなリアクションが正解だったんだろうと(笑)。

必殺シリーズはハードでドライな世界観であるべきと捉える人は怒り出しそうですが、そもそも必殺シリーズってファンタジーじゃないですか。かつ、シリアスとコメディといった、硬軟のバランス取りが絶妙なんですよ。

テレビシリーズの『必殺仕事人』で例えると、起承転結の“転”はもちろん殺しのシーン、”結”はせん&りつと主水のシーンで幕を閉じます。最後はクスッと笑わせて締める事で、観終えた後に後味を悪くさせないのがいいんです。

 

TV版が放送していた頃、仕事人のレギュラーメンバーが毎回揃わない事に、不条理や疑問を感じたものです。

『必殺仕事人』で言えば、おりく=山田五十鈴さんですよね。他にも京マチ子さんとか、最初の数話と最終回しか出てないじゃん!みたいな(笑)。

でも、いい歳になるまで、かつ古い邦画をそこそこ観た後であれば、逆にそんな方々がよくこういう作品に出演してくれたものだなぁとも思います。

先のクライマックスのオチであるシーンにおいて、山田五十鈴さんがあの場に収まっているのって、かなり贅沢だと思うんだよ…。

 

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Blu-ray版の映像特典は予告編のみというショボ仕様ですが、本編に日本語字幕が備わっているのがありがたいです。

ザイオンへの侵攻を開始した機械の大群。

防衛網が突破されるのも時間の問題となった今、ザイオンの民は総力を挙げて機械との決戦に臨む。

一方、ネオは人間と機械の和解を申し入れるため、機械の都市へ向かう事を決意。

ネオと同様、マトリックス内での力が現実世界に影響を及ぼし始めたスミスとの決着も間近に迫っていた……といったお話。

 

こうして改めて綴ってみると、今作は粗筋が単純なように思えます。ディテールというか、横筋がムダに多く長いんですよ。

今作の尺は129分ですが(今だったら3時間近くやりそう)、ストーリーを追いかける事に重きを置く作風にしたら、下手すれば90分くらいに収まるんじゃない?

そんな発想に至ってしまうのは、アクション&戦闘シーンがそろそろお腹いっぱいになってきているからです。

特にアクションに関してはそれなりに見入ってしまうものの、前2作で見せたカンフーバトルの延長みたいな感じなので、もはや新鮮さは感じず、ただただ冗長に感じます。

 

ザイオンでの戦いは緻密なCGで描かれる大バトル。

画面はド派手だけど、大したドラマもないし、やってる事もゲームっぽいしで、熱くなれないどころか退屈にすら感じます。

久々にマトリックスシリーズを見返そうかと思った際、1と2作を観ても3作目=今作は別にいいやみたいに思ってしまうのはコレのせいなんですよ。

何しろ、ズガガガガ&うおおおお的なシーンが長すぎるんだよね。戦う相手がキャラとしての魅力も薄いスクィッディー1種類(…)ってのも超つまんねーんだよ。

…が、そんなガチャガチャと騒がしいだけのシーンにも長所はあるもので、マトリックス内の話やネオ周辺の話とか、この決戦の裏で動いている事象は多々あります。やろうと思えばその辺を割り込ませる事はできるけど、決戦シーンで見せるのはザイオンの戦闘のみで場面転換がほとんどありません。

つまり、この間だけは“預言”やら”選択”といったメンドくせーワードは気にせず、頭カラッポで楽しめる時間であるという事です(笑)。

 

現実の世界で戦っている相手は主にスクィッディー(センティネル?)を主とする機械軍団ですが、最後まで敵対勢力である彼らに正式名称がなかったのはビミョーに感じます。敵は”機械”、こっちで使っている利器も”機械”、同じやん?みたいな。

そりゃ機械には違いないけど、まんま”機械”と呼ぶのもエンタメとして味気ない(原語でも“machines”と呼んでいるっぽい)と思うんですよ。

 

今作でシリーズは完結したものの、何を落としどころとして幕としたのかよく分からないどころか、意味不明のまま終わっていました(笑)。大ヒットしたのはいいけど、本当に納得して劇場を後にした人がどれほどいたんだろう?

前作での、設計者=アーキテクトが語るマトリックスの真実を聞いても、観ている時はそれなりに理解できた気分になったけど、他人に説明するのは無理だよね。個人的にはメロビンジアンの存在に混乱させられているんですが…。

まぁ、そのくらいの曖昧さがあった方が映画っぽくていいのかもしんないけどね、もしかしたら2作目を飛ばして今作を見る方がスッキリするのかもしれません。

 

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3部作をコレクションするのであれば、↑のスペシャルパックがお買い得ですよ。

『オーメン ザ・ファースト』を観てきました。

 

1971年のローマ。

アメリカからやって来たマーガレットは修道女を目指し、見習いとして教会で働き始める。

そんな中、マーガレットは教会が引き取った孤児の一人、カルリータに興味を抱く。異端児として危険視されているカルリータは徐々にマーガレットに心を開き、二人の間の緊張も次第に解けて行く。

教会で目の当たりにする不気味な光景、それが幻か現実かの境が付かず疲弊するマーガレットは、街でブレナンという神父に出会う。ブレナンが言うには、ローマには普通の教会だけでなくキリストに反目する集団もあり、彼らは恐怖を以て教会の威厳を復権させようとしているらしい。そのためにカルリータを担ぎ上げようとしているというのだ。

カルリータの過去を調べるうちに、自身の秘密をも知るマーガレット。そして悪魔が誕生するという6月6日が間近に迫り……といったお話。

 

『オーメン』という作品を観てからというもの、車を運転している際“666”というナンバーを付けた車を見ると、知らぬが仏というか恐るべきは無知なる者というか、そんなに早死にをしたいのかと思うんですよ。気持ち、車間距離を開けたり(笑)。

『オーメン』という作品は、それほどまでに俺ッチに恐怖を植え付けた作品です。

それ故、ウン十年ぶりの関連作品が公開されるという事で、いつもなら前作を観直して予習をしていくところでしたが、怖くて止めました(笑)。

傑作とは思うけど、生涯で何回も観るような作品ではないんですよ…。

 

「『エクソシスト』の新作に感化されたか、『オーメン』まで昨今流行りのエピソード・ゼロ商法をやっちゃうとか閉口モノだよ。ダミアン誕生のルーツを明らかにするなんて『ローズマリーの赤ちゃん』みたいなもんだろ? まぁ、”オーメン”を冠する以上、しょうもない茶番にでも付き合ってやるか」

…といった、ちょっと見下した先入観があったんですがね(それでもキチンと劇場に足を運ぶ自分に拍手を送りたい)。フタを開けてみれば、後付け前日譚にしては、まぁそれなり以上には良かったと思いました。前作との辻褄合わせなんか、最初から話半分くらいしか思ってないしね。

 

ダミアンの誕生を描くのであれば、女性が主役になってしまうのは仕方ないですね。

主人公マーガレットを演じるネル・タイガー・フリー(カッコイイ名前)さんは美人でスタイル抜群、日本での配給はディズニーって事で『オーメン』がフワフワしたホラーに成り下がっちまうのかと懸念しながら観ていました。

…が、話が進むにつれ、あんなお嬢さんがどんどんブッ壊れていく様が強烈です。車から降りて、いよいよ産気づいて疼く芝居(しかも1分くらいの長回し)には息を呑みます。日本でこういうのを真似すると引くほど寒くなるからやめてよね。

 

いずれ本作もBlu-rayやら配信やらで見れる日が来ますが、おそらく日本では本作が完全な形として合法的に見れる機会はありません。“ないでしょう”ではなく、“ありません”と断言。

と言うのも……本作には部分的に修正が入っているカットがあるんですよ。映画でモザイクとか何十年ぶりに見たわ。

過去の例であれば“ヘア無修整版”といった、そのくらいであればまぁいいんじゃない?程度の、劇場公開時に比べると緩和処置がなされた上で発売(or公開)されるソフトもありました。

…が、本作で修整が施されているのはド正面からの出産シーン(!)ですからね、そりゃ修整されるのも当然です。

個人的にこれ、かなりムカつくんですよ。

修整を入れた日本の映画業界(の倫理規定)に対してではなく、そんなカットを採用した監督の采配に問題があると考えます(監督は意外にも女性)。世界に向けて発信しているのに、どこかの国では検閲に引っ掛かるかもしれないとという考えに至らなかったのも情けない。

これに関して、配信なりディスクなり、日本でソフト化された際には修整を入れた事に文句を言う人がいるでしょうね。せいぜい20~30代ならまだしも、それ以上の歳でそんな青臭い事、もしくは世間知らずを露呈しているのを見掛けたら指をさして嘲笑ってやりましょう。空気読めねーのかよと。

悪魔を連想させる抽象的な描き方なら結構だけど、具体的な姿(の一部)なんか出さなくていいし、何でも克明に見せればいいってモンじゃないんだよな。

 

“妊娠”よりも“出産”の描写が執拗で、怖いというより胸クソ悪く感じる方が強いと感じる作品でした。

終わり方もモヤッとしたしなー…。

 

劇場プログラムは880円。

ちょっと薄めだけど、情報量としてはこんなものでしょう。

本作で悪魔の子が誕生する際に流れる、かの名曲(?)『アヴェ・サタニ(サンターニ)』の歌詞&対訳が載っているのはありがたいですね。あちら側から見た賛美歌になってるんだな、あれ。

『HG M9Dファルケ Ver.IV』、8割方終わってます。

あとはデカール貼りとトップコートを残すのみ。

 

本来ならここに来るまでの紆余曲折、苦労談や失敗談を写真を交えてマメに綴るものなんだろうけど、何しろスマホのカメラを使わない人なので、事後のチャチな写真ばかりになってしまいます。マメに写真を撮って製作記録を残して、後続の人たちの役に立っている方々の足元にも及ばない体たらくっぷりよ。

つまんねープラモブログだなと思っている方々、それが正解です。

 

まずは本体の完成を大優先しているため、メンドくせー武器関連は後回し(笑)。

しちメンドくせ―合わせ目消し後、サフを拭いてこれがキチンと消えていると感無量ですね。別名、一番カッコ良い状態(笑)。

 

ところで、デカール貼りの際、Rがキツい箇所があったので、

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を使おうとしたんですが、

かなり昔に買った物なので、沈殿物がヨーグルト状態に…。全力全開で瓶をシェイクしても溶ける気配が全くない……ナンテコッタイ。

プラカラーは10年後にも余裕で使えるし、そんな感覚でいたらこのザマですよ。

このグッスマの『デカール軟着剤』は22年に再販があったようですが、こういう用具は恒久的に生産してくんなきゃ困りますね。

 

 

『買った、中古『HG M9D ファルケ』

『HG M9D ファルケ』~その1~

『HG M9D ファルケ』~その2~

『HG M9D ファルケ』~その3~

『HG M9D ファルケ』~その4~

『HG M9D ファルケ』~その5~

『HG M9D ファルケ』~その6~

『HG M9D ファルケ』~その7~

『HG M9D ファルケ』~その8~

『放射能X』を観ました。

ニューメキシコ州警察のベンとエドは、独りで砂漠を歩く自失状態の少女を発見する。
近くには内部から破壊されたキャンピングカーがあり、車中からは砂糖が盗まれ、周辺には獣とは似て非なる足跡が残されていた。
現場から一番近い店では店の主人が殺されていて、身体の各所の損傷に加え、20人相当を溶かせるほどの蟻酸が検出された。そして、ここでも大量の砂糖が盗まれていたという。
農務省から派遣された、共に博士であるメドフォード父娘の調査の下、事件を起こしたのは放射線を浴びて巨大化したアリである事が発覚。
巨大アリの巣を発見し駆除に成功したものの、大量の卵を産む女王アリの姿が見当たらず……といったお話。

…これねぇ、ソフトを買ってまで見るつもりではなかったんですよ。
Amazonで『原子怪獣現る』を買おうとした際、関連商品が列挙される中に本作があったんですね。
これもレイ・ハリーハウゼンさんが携わっている作品だったかと、記憶が曖昧なくせにロクに調べもせずに買ったら、しっかり大間違いだったという顛末。
ダイナメーションによる巨大アリがいよいよ登場……したと思ったら、ナンダコリャ状態に陥る事に(笑)。
若い時に培ってきた知識も、所詮は時間と共に薄まってしまうものなんだなぁと、いよいよ老いを感じた出来事でした。

同様の思い込みをしている方に待ったが掛かれば幸いです(笑)。

ってなワケで、本作の陰の主役である巨大アリは操演によるものでした。
もちろん今の目で見ればショボいのひと言で終わってしまいますが、これがアカデミー賞の視覚効果部門にノミネートされていたってんだから、まぁ時代を感じるよね(笑)。
とは言え、2メートル越えの巨大アリを実物大で表現するのは、それなりに迫力を感じます。
さらに言えば、あんなチャチな作り物を相手に大マジで演技する俳優の力量も加わる事で、画的にも説得力が生まれるんですよね。邦画でもそうですが、昭和の特撮作品の俳優の芝居とか、迫真の度が過ぎてるくらいでしょ?

核実験により変異した生物を描いた作品と言えば、日本人なら真っ先に『ゴジラ』を挙げると思います(まぁ半分以上は名前と外観以外については知らないだろうけど)。
本作も核爆発→放射能から生まれた怪物を描いていますが、似たような内容である両作の公開年が1954年という偶然がチト奇跡的ですね。
本作と『ゴジラ』、どっちがどっちをパクッたなんて話も聞こえないし、口裏を合わせるまでもなく日米両国に反核思想が漂っていたタイミングが一致していた表れにも思えます。

正体不明の巨大生物が相手ですからそれなりの武力が必要という事で、軍隊が出動します。
これは『ゴジラ』もそうですが、たかが怪獣映画ごときに本物の軍隊が登場しているんだから、大人の鑑賞も想定している証ですよね。荒唐無稽のお話ながら、こういうところにリアル要素をブッ込む作品は、もっと評価されていいと思うんですよ。

逆に、これこそが怪獣映画の醍醐味であり、怪獣ばかりをフィーチャーしたがる後年の作品がどんどん手を抜いた挙げ句、子供騙しな作風が増えていったのかもしれませんね。

卵を産む女王アリの存在から、本来なら巨大アリの大群と人間との凄絶な戦いを描きたい気持ちがあったのかなぁと勝手な推察。
本作で叶わなかった表現が40数年後、『スターシップトゥルーパーズ』として結実するのです(←気のせい気のせい)。

 

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Blu-ray版にはちょっとしたメイキングを収録。これだけ古い作品でありながら、当時のメイキング映像が残っているのは意外、かつ貴重ですね。

かなり前、デカール貼りに使えるかなーと思い、ダイソーのカップウォーマーを買った&ちょっと使ってみたけどビミョーだな~という記事を綴ったんですが、その後日談です。

コレね。

 

現在進行中である『HG M9Dファルケ ver.Ⅳ』に、少しづつデカールを貼っているんですがね。

チト埃が積もった↑のカップウォーマーが目に入り、捨てるのも可哀想だし、もっかい使ってみるかという気になったんですよ。

 

…ハイ、ここで前回の記事の内容を撤回します……デカール貼り用としてはメチャクチャ使えるじゃないですか!

カップウォーマー本来の使い方としては大した事なかったのでああいう感想になってしまいましたが、塗料皿程度の小さな器(高台がない=底面がフラットな器がいいと思う)であれば、ぬるま湯以上の温度をキープできます。

 

デカール貼りに使う水はぬるま湯くらいが良いとされていますが、これは本当ですね。本当どころか強めに推奨していいくらい。時の流れが変わリますよ(笑)。

デカール貼りの作業順序と言えば、

 1.デカールを水に浸ける

 2.デカールを引き揚げてペーパータオル等に乗せて水分に浸しておく

 3.デカールの糊が溶けるのを待つ

 4.デカールの糊が溶けてスライドするようになったら、つまんでペタッ

といった工程ですが、水温が低かったりデカールが古かったりすると3の工程に時間を取られるんですよね。2分くらい経っても無反応で焦れる事も度々。

 

…が、カップウォーマーでぬるま湯をキープさせると、ビックリするくらいの時短が可能になりました。

浸ける時間は10秒くらい、ペーパータオルに乗せて、次に貼るパーツの準備を終えた頃には、もうスライドするようになりますからね。3の待ち時間がないどころか、デカールの糊が溶ける時間に煽られている感覚です。

「コレ使えるのかなぁ、永遠に動く気配がなさそうじゃん…」と思わせる、とっくに黄ばんで古くなったハセガワのデカールにも有効でした(笑)。

 

デカール貼りは時間が掛かるから嫌いと感じている人にはオススメの一品。少なくとも俺ッチは目が覚めた気分です。

値段も安い=550円だしね。安いは正義!

今さらながら『マトリックス レザレクション』のBlu-rayを買ったので、おさらいの意味で『マトリックス』を観ました。

 

ソフト会社で働くプログラマーのトーマスは、ネオと名乗るハッカーとしての裏の顔があった。

ある日、謎のメッセージを受信したトーマスは、ネットの世界で有名なトリニティやモーフィアスらと出会う。

トーマス=ネオを捜し続けていたというモーフィアスは選択を迫る。この現実と思っている仮想世界=マトリックスに残るか、もしくは真実を知りたくはないかと…。

後者を選び、真の現実世界に足を踏み入れたネオ。そこはコンピューターが人間を支配する世界で、モーフィアスはその反抗組織のリーダー的な存在だった。

ネオを救世主と信じるモーフィアスは、色々な手段を以て覚醒を促す。そんな中、仲間の裏切りにより敵のエージェントに捕らわれたモーフィアスを救うべく、ネオはトリニティと共にマトリックスに向かい……といったお話。

 

映画史において、その後に登場する作品に影響を与える革命的な作品は多々ありますが、間違いなく本作もその中の1作です。

クールというに相応しいビジュアル、抽象的で分かりにくい世界観、東西折衷のアクションと、斬新な要素がてんこ盛り。

本作の影響下にある作品を多々目の当たりにしている令和の今の目で見ても、十分以上に楽しめます。

 

これまで数回観ていますが、本作には三つの世界があると解釈していました。

 1.ソフト会社に勤めるトーマスが住んでいる世界

 2.ボロボロの薄汚い服を着ている薄暗い世界

 3.黒づくめの服にサングラスでイキッてる世界

最も我々の世界に近い1が現実とした上で、2と3とどうリンクするんだろう?と混乱していたものです。

…が、これは大ボケな話で、2こそが本作における現実の世界。1と3は電脳世界=マトリックスの中(の世界)なんですよね。

ずいぶん遅ればせながら、ようやく気付けて納得できるようになって、一つのストレスが解消された気分(笑)。おかげで新たな楽しみ方ができるようになりました。

分からないからって他人の考察やネタバレに頼る人もいるんでしょうが、こうして自分なりの落としどころを発見するのも映画の楽しみの一つだと思います。それ故、↑の解釈も俺ッチだけのものかもしれませんよ。

 

特に映像に関しては、CGという言葉を普及させた『ターミネーター2』が元祖にして究極に近い位置にありますが(『T2』がCG技術の最高峰と思っている人も未だにいそう)、CGの可能性にはまだまだ伸びしろがあると思い知らせてくれます。

現実にないものを構築するだけでなく、本作のアクションシーンで見せるような、現実にできそうな事を誇張するような表現とかね。この辺に関しての後継作は『少林サッカー』あたりが挙げられます。

 

スクィッディーやらセンティネルといった、滑らかに動くCGキャラも本作の世界観を表す要素の一つなんですが、こういうのには全く魅力を感じません(笑)。

触手が変形してパラボラアンテナみたいな形状になるとか、いかにもCG(のモーフィング)って感じで、立体化できないようなデタラメな構造は嫌いです。

こいつらが大挙する3作目=『~レボリューションズ』になると、もはやゲームの映像でも見せられているような印象が強く、ウンザリすらしてくるんですよね。

 

肝心のお話としては第1話のようなもので、ネオが救世主として覚醒、もしくはその片鱗を見せるに留まっています。

謎の要素も上澄み程度しか見せないし、風呂敷を広げるだけ広げて終わってるんだから、もちろん続き=続編が気になります。

仮に本作が大コケして続編が作られない未来があったとして、だとすればカルト化確定は間違いないし、どっちにせよ続編は作られたでしょうね。

 

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今から改めて見る人は少ないだろうけど、Blu-ray版を買うなら3作セットが割安ですよ。映像特典も多めです。