皆さま、おはようございます!
昨日は肥薩線&吉都線の駅巡りを楽しんできました。
最後まで大雨に当たることなく、
気持よく過ごすことが出来ましたよ。
自分の雨男パワーも所詮はこんなものです。
ほっほっほ~
個性が強い駅だらけの両線ですが、
中でも強烈に印象に残ったこちらの駅の訪問記です。
肥薩線・瀬戸石(せといし)駅です!
球磨川の岸辺に位置する駅舎がない無人駅でした。
駅舎がない…と言いましても
駅前に広がる空き地を見てもわかる通り、
以前はここに駅舎があり、
駅員さんが常駐されていたらしいですよ。
この空き地を見てそこまで推測できる自分、
駅探訪の経験値も満更じゃあるまい。
鉄柵のわずかに開けた場所からホームに入れます。
瀬戸石駅は列車の行き違いが可能な
島式ホーム1面2線構造でした。
瀬戸石駅が開業したのは明治43年のこと。
当時は鹿児島本線の八代駅以南の区間が開通しておらず、
肥薩線は門司-鹿児島間を結ぶ重要路線でした。
幅が広いホームはその証だそうですよ。
それでは昔はどこに駅舎があったのか?
駅舎はなぜ消えたのか?
そんなことを考えながら駅前を眺めてると、
落ち葉のお掃除されているおばあちゃまがいらしたのです。
ひょっとして、
駅舎があった頃の瀬戸石駅を知ってるのではないかと思い
声を掛けたところ…
衝撃的な話を聞かせて頂きました。
瀬戸石駅の駅舎が突如消えたあの日のお話です。
おばあちゃまは古くからこの地にお住まいだそうで、
大きな木造駅舎が鎮座していた瀬戸石駅を
今でも覚えてるそうです。
ところが昭和40年に球磨川を氾濫させた水害が発生、
駅舎はその時に流されてしまったんですって。
その後の復旧作業では、
水害に強い駅となるよう路盤の嵩上げ
(おばあちゃまがホウキで指してる先の高さまで)と、
駅舎も鉄筋造りのものに建て替えられたそうです。
ところが昭和57年に再び水害が発生、
駅舎はまたも流されてしまったとか。
結局のところ、
駅舎は再建されずに現在の姿になったそうです。
瀬戸石駅は、球磨川に設けられた
荒瀬ダムと瀬戸石ダムに挟まれた地区にあるため
おばちゃまも洪水には再三注意を払ってましたが、
昭和57年の水害では自宅にも水が迫ってきたそうで、
その恐怖は今でも忘れられないと話されてました。
後の対策では瀬戸石ダムの治水能力も向上され、
それ以後は河川決壊等の被害は発生していないとのことです。
瀬戸石駅より球磨川沿い1.5キロ上流にある瀬戸石ダムです。
それでも川が増水する日には
この道が水面で埋まってしまうらしい。
対岸に見える地層の変色は河川の増水で出来たとのこと。
こんなに高い位置まで水かさが増すなんて、本当に恐ろしいですね。
そんなおばあちゃまの現在の悩みのタネは
対岸までの移動手段。
瀬戸石駅の真下から道路橋の袂まで
県営の渡し船が運行されていたそうですが、
船頭さんが御高齢になられたために
渡し船を使えばわずか5分で渡れる対岸も、
今では1時間近く歩かなければならなくなったとのことで。
その足腰の強さが
おばあちゃまの若さの秘訣かもしれませんね。
色んな話を聞かせて頂きありがとうございました!
再び駅に戻ってきました。
瀬戸石駅の安全を守っている瀬戸石ダム、
駅名標にも描かれてましたよ。
2度の流失を受けた後の瀬戸石駅ですが、
ホーム上に仮設のプレハブ駅舎が設けられるも現在は撤去、
この待合室が役目を果たしているようです。
乗降客数10人未満の無人駅ですので
待合室の中を覗いてみた。
日付が平成3年なのは目を瞑っておきましょう。
瀬戸石駅は夏目友人帳の聖地(舞台)だそうです。
肥薩線
↑(八代駅方面)
瀬戸石駅(平成27年12月1日)
↓(隼人駅方面)
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