毎週金曜の夜に
元夫が大事故に遭ったときの事を、記憶を辿りながらお話しさせて頂いています
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(元夫の大事故①)
(元夫の大事故②)
(元夫の大事故③)
(元夫の大事故④)
(元夫の大事故⑤)
(元夫の大事故⑥)
(元夫の大事故⑦)
先週は元夫が暴力に近い言動をするようになったお話しをさせて頂きました
ストレスの限界になっていたのか、彼が育った環境も相まってのことなのか、
はたまた高次機能障害によるものなのかは当時、まだ若くて色々な事に無知だった私には、全くわかりませんでした
ただ仕事が終わって家に帰る時、早く帰りたいという普通の気持ちから、帰って暴力を振るわれたらどうしようという不安な気持ちにかわって行ったことは間違いのないことでした
ある夜、寝ていた私が突然飛び起きる出来事がありました
もう夜中で、家中うす暗い状態です
子供たちも隣で寝ていました
私は突然元夫に殴られたのです
平手ではなく、グーでいきなり寝ていた私の顔を彼は殴ってきたのです
痛くてビックリして起きた私、もう遥か彼方昔の話しですが、今でもその時の家の情景が頭の中に出てくるほど、私には衝撃的な出来事でした
ビックリして起きた私に、彼は容赦なくグーで顔を殴り続けてきました
子供たちが起きてしまったら大変と、とっさに思いリビングに逃げた私のお腹やわき腹を何度も何度も蹴ったり殴ったり、
口は切れて血が滴り、近くにあったビデオデッキの説明書が私の血で真っ赤になってしまったほどでした
もうこの時はあまりの痛さと恐怖で、我慢できず遂には泣いてしまったのですが
その物音と、私の泣き声で娘が起きてきてしまったのです
娘は小さいながらも、何か異変を感じたのか、リビングに歩いてくると泣きだしてしまいました
すると彼は自分の娘の顔も殴ってしまったのです
私はそれを見た瞬間に、もう我慢できない、終わりだ
と感じました
私を殴るのは事故に遭いたくて遭ったわけではないし、私にしか当たれないのだから我慢しよう、耐えよう
と思ってきたのに、娘に手を挙げるのだけは、どんなに苦しい状態でも許せることではない
と思った瞬間でした
娘に手を挙げてしまい、我に返ったのかその晩の彼の暴力はそれで終わりました
私の顔は紫に腫れあがり、あばら骨も骨折しました
口の中も唇も何か所も切れて食事などが出来る状態ではありませんでした
とても外に働きに行ったりできるような状態ではありませんでしたが、仕事は休めずその腫れあがった顔で私は仕事にも行っていました
さすがにこの酷い顔を見たら、私の両親が心配すると思って実家には行かないように、電話にも出来るだけでないようにしていたのですが、
様子がおかしいと思った両親が突然、私を訪ねてきたのです
私の顔を見れば誰かにボコボコに殴られた事は一目瞭然
いつも穏やかな父が激怒しました、後にも先にも父があれほどまでに怒った姿は、あの時のたった一度しか見た事がありません
結局家族全員で話し合う事になり、私たちは親のススメで暫く別居するという道を選びました
私の場合は、両親が近くに住んでいてサポートをしてくれた事によって精神的に逃げ場があったため救われたと思います
脳挫傷になるような事故に遭うというのは、怪我が治って退院してからの方がずっとずっと大変なんだという事を身を持って知ることになり、
一人が事故に遭うだけで、その周りの多くの人の人生が様変わりしてしまうことなんだと、事故とは本当に大変な事なんだとその時に改めて知りました
何の因果か、当時まだ一歳にもなっていなかった息子が
大学一年生の夏休みに、元夫と同じように交通事故で脳挫傷になりました
元夫の事故の経験から、知っていたことも沢山あり、結果息子に接する態度や、どうやって看病したら良いかなどを最初からわかって行動できた事は
辛かった経験も無駄ではないと思えましたが、出来ることなら事故に遭わないことがベストです
毎日普通に仕事に行ったり、日常を淡々とこなせる事は、実は当たり前ではないのです
どんな人でも家族やお友達、自分を大切に思ってくれている人が必ずいます、そんな自分を大切に思って下さる方たちを悲しませないためにも
日常に感謝し、日々大切に生活して頂けたらなぁと、自分の経験から感じています
そして、家族が二度の大事故から生還した者として
どんなにつらい事があっても、どんなにもうダメだと思う事に遭遇しても、諦めなければどうにかなっていく、何とかなるものだという事もお伝えできればと思います
このブログ記事のシリーズは、一応今回で終了しようと思います
毎週金曜日の夜にお付き合い頂いた皆さま、ありがとうございました
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