先週から
金曜日の夜に
元夫が大事故に遭ったときの事を、記憶を辿りながらお話しさせて頂いています
先週のブログはこちら(元夫の大事故①)
病院に着き、個室に通されたあと、
そこで言われた第一声、一番最初に言われた言葉は
今晩が峠です
でした
今晩が峠ってドラマの中のセリフだとそれまで思ってきた私、
まさか本当に言うんだ…
しかも自分が言われているんだ…
と思いショック過ぎて何も言葉が出ませんでした
後に、息子の事故の夜、同じシチュエーションでは
今晩が峠です、明日の朝を迎えられるかはわからない
と英語で言われた事も記憶しています
(息子の大事故③)
ドクターのお話しを伺ったあとは、
いつもなら朝必ず見送りをし
いってらっしゃい
と送り出すのに、今日に限ってちゃんと見送りをしなかった
なんでこんなことになるならちゃんといつものように、見送りしなかったんだろう
見送りしなかったから事故に遭ってしまったんじゃないのか
そんな事はあるはずないのですが、そのことばかりずっと頭にぐるぐると回っていました
因みに、前回のブログで私のトラウマになっていると書いたこと(元夫の大事故①)
実は息子が事故に遭った日も、私は送り出さなかったのです
いつもなら必ずガレージまで行き、出かけていく息子に手を振って、
運転気つけてね
行ってらしゃい
と送り出していたのに、息子のお友達が一緒で2人でバタバタと出て行ったため
あの日に限って見送りが出来なかったんです
だから私にとってのトラウマとは、家族を玄関まで送りに出せないと
家族は元気に帰ってきてくれないという経験を二回もしてしまったため、送り出せないことはとても怖いという思いです
ICUに行くと、彼の姿は私の知っている人ではありませんでした
点滴と酸素吸入と包帯
意識もなくて明日の朝まで命が持つかわからない…
当時まだ24歳だった私ですが、2児の母でもありとにかくしっかりしなくちゃ
気を確かに持ってこれからどうすれば良いのかを考えなくちゃ
と、冷静だった事も記憶しています
朝までいても何も状況がかわらない事はすぐに理解できたし、二人の子供たちの事も心配でした
特に母は普段は、
ベビーシッターは絶対しない
と公言するほど厳しい人だったので、子供たちを預けたまま私が朝まで付き添う事は不可能だと判断しました
会社の方に先生からの説明をお伝えしたあと、一旦お引き取り頂き、私も子供たちを預けている実家に今夜はとりあえず帰り、早朝にまた病院に来よう
そして私が戻ってくるまで、どうかどうか生きていて…
と思いながら、ナースの方に夜中でも何かあれば直ぐにまた来るので、いつでも連絡して下さい
とお伝えし、祈るような気持ちで病院を後にし実家に戻ったのです
to be continue …
来週の金曜日の夜に続きはアップさせて頂きます
Have a good night