この中で、ジェフリーさんが「金剛心」(こんごうしん)という言葉を使っていた。

原文では‘diamond nature’だ。



ダイヤモンド・ネイチャー

直訳すると
ダイヤモンドの自然?
ダイヤモンドの性質?
ダイヤモンドの本質?


これは何のことだろうと調べてみたんだよね。



「金剛」というのは、仏教の言葉で一番かたい金属のことをいうみたい。


そこから、「最も優れた」の意味でいろんな分野に出てくる言葉になったのだそう。


金剛石といえばダイヤモンド。




「他者の言葉や社会のあれこれに左右されない 自分というのが、あるねぇ」というのを見出した状態の心金剛心というみたい。


もちろん、意地をはったりガンコに頑なになったりしているのではないよ。



その、「他者の言葉や社会のあれこれに左右されない 自分というのが、あるねぇ」というのを見出した状態の心、金剛心を見出すことを、


ジェフリーさんは「土星から天王星へ向かう」と表現していて へえ!おもしろいな!と思ったんだ。


天王星が象徴している自分、天王星が象徴している個性的な自分に気づく。みたいなこと。




天王星みたいな 太陽系の外側の惑星のことって、星占いでは「なんかちょっと分かりにくい天体」と言われることもある。


分かる範囲、ふつうにしていて意識できる範囲が土星。

ふつうというか、社会の常識におさまったまま意識できる範囲が土星 という感じ。


天王星はその外側だから、意識しづらい、分かりにくいというわけだ。



そんな天王星が象徴するような「個性的な自分」は、分かりづらい。


ちょっと窮屈な意味でいうときの社会の常識に飲み込まれているときや、狭めの土星の箱(世界観)に収まっているときだと、気づくのが難しい自分。


そんなふうに考えると、

天王星が示す自分というのは、「本当の自分を見つけよう」の言葉で言われるときの自分であり、そうやって初めに見つける自分なんだろうな。



天王星よりももっと奥深いところ、もっと遠い天体が示すものにも「より本質的な奥深い自分」を見出すことができるから、天王星的に見つけた自分が「ザ!本当の自分」であるとは言い切りにくいけどね(笑)


ともあれ、社会の常識とか みんなと同じでいることで居場所や安心を得ようとする心でいては、見つからないものだというのは確かだ。




ナリ心理学のナリさんも「ダイヤモンド」という言葉を使っていたね。


ナリさん、うまいこと言った!





土星逆行は、

土星の天王星の間の壁が薄い感じらしい。


それで、

天王星が象徴する自分に近づこうとしているような

天王星が象徴する自分を受け入れようとしているような感じ…!


だから、

「みんながこうだから」「社会的にはこう」というのにはハテナがいっぱい。



そのハテナのことを解決できるように、

「みんな」といるところからはいったん下がってじっくり考えたり、

「いや、自分としてはこんなふうに感じているんだよな…」というのをじっくり確かめたりする必要があるんだね。


『進化占星術での土星逆行の考え方』ジェフリーさんの進化占星術スクール。School of Evolutionary Astrology - Jeffrey Wolf GreenEvolutio…リンクameblo.jp



というインスタライブをしました。


→ 天王星が象徴する自分と 金剛心と 土星逆行





「これぞ!本当の自分だあああー!」と思ったら、後から後からもっとおもしろい自分が見つかったりして(笑)


私はもう 簡単には「これが本当の自分です」と言えなくなってしまったよ。


絶対もっと出てくるwww



恒星の占いだって、きっともっと先があるんだ。

だって私はまだ、ブラックホールの占いとか 銀河の占いとかやっていないもん。



自分は、思ったよりもずっと奥深いぞ!





【進化占星術関連のご案内】


Kindleバージョンと紙バージョンがあります。


ご案内

相原あすかのドラゴンヘッド本
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
詳しくはこちらをどうぞ!



  プレゼント  アイディア使ってくださいませプレゼント 
思いついたけど手いっぱいなので、使ってもらえたらうれしいです。

惑星マルドゥク破壊と地球のアセンションの昔話

・宇宙由来の魂さんが集える催し物

異銀河交流会とか、地球の自転で目が回る人の情報共有会とか

冥王星対極点、ルシファー対極点がおもしろいとなれば、ほかの星の対極点もおもしろかろう…!




でも、それに気づく一発目、

そういうふうに壁を越えていくときの

最初に見つける自分のことは

(少なくとも今の私たちには)やっぱりすごく感慨深いから


その向こうにどんなにたくさんの

もっと奥深いおもしろい自分がいようとも


一発目が「本当の自分」と呼ばれがちなこと、

逆に今はそれがいいのかもしれないと思えてきたよ。