そらまぁさまざまな問題が
あった時代は
解決などできる
めどなんか 無いしね
どうやって解決をしながら
暮らして行ったら
良いだろかと途方に
暮れていました
わけですが
もちろん今も違った種類で
対応しなければ
ならない問題もありまして
対応やって行ける
だろうかと思う次第
なんですが
まぁそらやれば
やれるものなんですね
そのように思いました
私は若いころから
家業です農業と
サラリーマンと
一人で二役をやってましたから
そこへさまざまな問題を
こなさなければ
なりませんでしたから
少なくとも3人分の
人生はやってました
物理的には時間が
いつも無い状況に
おちいりまして
ゆっくり🐌💨💨過ごす
時間がすっかり無い
状況となっていました
今は仕事を8割ほど
減らしまして
ブログを書くことに
集中していきます
私のブログの書き方は
私自身が私自身に
つぶやく状況を
ライヴしていきます
ような形をとって
いますから
それなりに楽しんで
頂けるのではないかと
わたしも楽しんでいます
気持ち的には
やれる前まで
やれるのか やれないのかも
わからないわけですし
致し方無いのですが
やって見てやれてから
自信がついて来ましてね
人間と言いますのは勝手な
ものですね
自信の無いことは
ひたすら自信が無いし
自信がつくと自信がつくし
そうやって感じていますと
自信がない時と言いますのは
まぁ言うたら
やれるわけないとか
不可能なんですよね
その時の気持ちと
言いますのは
不可能へ挑むような
気持ちでしたね
まぁそらそれほど
沢山あった問題も
すぐに解決できそうな
事は何ひとつなかった
ですからある意味で
不可能に挑むなんて
できるわけないことでしたから
ある意味怖かったですね
ただ単に自信がなかった事を
怖かったと言っている
私ですが
自信がないから怖かった
事も確かですね
自信ができると
怖く無いのか
人間は勝手ですね
自信ができると
怖くなくなりますね
ですから私の場合は
10代 20代30代40代50代は
自信がついて行くことも
沢山ありましたが
新しい問題など
出てくるたびに
自信なかったですね
ですから65歳の今まで
自信がなかったことも
多くどちらかと言えば
不可能に挑んできました
そんな状況ですね
でもね長年にわたって
気持ち的な面においての
表現で
不可能に挑めたことは
良かったですよ
それはそれで価値が
あったと感じてますよ
そもそも不可能になんか
挑むものはいないですから
挑めただけ価値ありましたよ
そこなんですよ
挑む者が無いのに
挑めたと言いますのは
挑まなければならなかった
わけですね
ひとつの例を言いますと
父と母がケンカになっている
だから止めなければならない
ひとつの例ですが
そのような例として
ケンカになっている
と言いますのは
気持ち的に良くは
ないですよね
でもね勇気を出して
止めなきゃとか
そのような意味ですが
そのようなこととか
違う種類のこととかが
さまざまな問題として
日常に出くわしました
挑まなければ
ならなかった人間と
挑まずにすんだ人間と
人間はふたてに
わかれますそのような
人間が紙一重
となって結果が
わかれますように思います
皆さんどうか
紙一重に別れる
結果となりましても
また違うことに
幅広く挑戦すれば
良いじゃないですか