愛媛県八幡浜市向灘に権現山 (364m) があり山頂に石鎚神社がある。
ここに来るのは2回目であるが既に5年以上前の事であり今回はまた違う見方で訪れ
てみた。そして、この権現山と言う山名は石鎚大権現からきているものと思われ、特に
この地域の石鎚信仰の歴史はかなり古く、手元に以下の資料がある。
「権現山 ・ 向灘地域の北に位置する讃岐山、通称「権現山」にはもともと石鎚神社が
鎮座されていた。昭和2年9月28日に杖之浦の朧神社、大内浦の産敷神社・守神社、
中浦の敷地神社、高城の一宮神社と石鎚神社を合併合祀した。」更に八幡浜市談に
よれば「向灘の住人萩森源三兵衛が天明六年 (1786年) 五月ニ日に向灘浦鎮護の為
石鎚大権現を勧請したという」と記されてあり、実際に権現山石鎚神社社殿前の鳥居
には「弘化三年」 (1846年) 、奉燈一対と狛犬には「安政五年」 (1858年) という年号が
現在も確認できる。
そして現在は参拝者も少ない為か、石鎚神社の状態は以前より悪くなっているように
思える、この地には他にも点々と石鎚山が勧請された地が残されているが先人が造
り上げた石鎚山勧請の地、何とか残してほしいと願う。
八幡浜市の権現山 (364m)
グーグルには石鎚向日神社と出る
権現山山頂までの道は細いが車で上れる
登り詰めたところに電波塔があり奥に階段がある
階段を入って行くとすぐに石鎚神社がある ! !
この建物の中に石鎚神社の社が建っている
正面には「石」の印
どこにも石鎚神社とは記されていない
中に入ってみると石鎚神社の社がある。
中に御神像はなく神鏡のみ
南向きに建つ社殿の正面は展望無し
鳥居に神額はない
柱には「弘化三丙午(1846年)九月吉日」
鳥居の前から鎖が掛けられている
狛犬の台座には「安政五年」
石鎚神社の境内から奥に道が続いている
奇麗な社だがどちら様か分からない
その先には4社の境内社が並ぶ
これは昭和2年9月28日に石鎚神社に合祭された
杖之浦の朧神社、大内浦の産敷神社・守神社、中浦の敷地神社、
高城の一宮神社であった
鳥居の柱には「嘉永六年(1853年)丑六月吉祥日」
こちらもどちら様か分からない
この社も分からなかった
そして道なりに下りて行くと
石鎚向日神社、すべて閉ざされ何も記されてなかった
すぐ横に並ぶ寄附者の石碑
石鎚神社石鎚本教の名もある
石鎚向日神社の参道には鐘楼(しょうろう)がある
傍にある鐘「南無石槌大権現」「八幡浜市石槌山」
「昭和三十一年(1956年)七月八日」と記されている
石鎚神社の時代に吊るされていた鐘と思う
こちらは鐘楼の鐘、正面に「南無石鎚大権現」
「八幡浜市 向灘讃岐峰鎮座」「寄進氏子中」
「昭和六十一年(1986年)九月吉日」
裏側には「石鎚向日神社」と記され、更に鐘楼前にある
手水舎には「天明七丁未歳(1787年)三月吉日」と記されてある
この地の石鎚信仰は古くから発展していたよう
「やはり石鎚信仰はすばらしい」
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旅する石鎚信仰者