2016年12月 伊豫之高根 石鎚山圖繪 | 旅する石鎚信仰者

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やはり石鎚山は素晴らしい。

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伊豫之高根 石鎚山圖繪を手に入れた

現代の漢字に直すと「伊予の高根 石鎚山図絵」であるがこれは昭和9年発行の

石鎚山案内図で当時の貴重な内容が記されているので記載してみる。

今までこのような物がある事も知らず、手にして始めてその内容が貴重である

事に気がついたのである(僕だけかも知れない・・・)そして2つ折の表紙の中には

鳥瞰図(ちょうかんず)「簡単に言うとパノラマ図」が付いていてこの絵図から始ま

旅はひじょうに興味深い内容である。

まず鳥瞰図の題名が「石鎚山・石土山参詣案内図」と言う事である、石土山とは現在の瓶ヶ森の事であり昭和9年当時はまだ石土山と呼ばれていた事になる。

そして石土山 (瓶ヶ森) も当時は参詣者が多く、子持ち権現本掛け道を信者さん

が鎖をこいて登っている姿は他の書物で見た事が無く、石鎚山と変わらず瓶ヶ森

の石土信仰が繁栄していた様子がうかがえる貴重な資料である。

更には今年の石土山お山開きの時に石土山別当寺石中寺の方から聞いていた

石中寺にある古い書物に記された瓶ヶ森氷見二千石原のどこかにあるとされる

不動の掛け岩そして黒ナベラ文字がこの鳥瞰図から見て取れる

この名所が記された書物を見るのは始めてであり、不動の掛け岩に関しては

氷見二千石原にある大岩で見当はつけていたのだが黒ナベラの情報はさっぱり

であり鳥瞰図からすると子持権現本掛け道に存在しているようである。

この2箇所に関しては来春には調査してみたいと思うばかりであるが他にも点々

とこの鳥瞰図から新しく発見すべき情報はある。

そして最後に、この伊豫之高根 石鎚山圖繪は石鎚山頂上山荘内の受付横に

白黒ではあるが同じものが掲示されてある。

 

 


 

 

 

これが伊豫之高根 石鎚山圖繪
表紙に書かれたこの絵だけでも当時の
様子を知ることができる
御来光の滝だろうか?何より登拝者の
服装が目にとまる
 
裏側には石鎚山登山道全体図が記されていて
昭和9年、主要道は現在とまったく変わりない事が分る

最初の頁(表紙裏側)に出てくる滝の写真
「石鎚山名勝止ごりの滝」とある
しかしこの滝がどこの滝か僕には分からない(>_<) ! !
祈りの滝のようにも見えるのだが・・・
これが分らぬとはまだまだ修行が足らぬ証拠だ ! !

そして折りたたまれた鳥瞰図(ちょうかんず)がある
「石鎚山・石土山参詣案内図」とある
この石土山とは瓶ヶ森の事であるが当時は
石鎚山と同じぐらい信仰されていた証拠である

この図には僕にとって新たな情報が多々ある
まさしく新しい旅の始まりである


登山口となる石鎚神社本宮
おおざっぱな絵図であるが建物の表現は気目細かい

現在の黒瀬ダム周辺
ダム湖に沈む前の村が描かれている


石鎚山と石土山
石鎚山には石鎚神社と記され石土山には
石土蔵王大権現と記されている

当時の距離と時間が記されている
貴重な情報であり現在とさほど時間が変わらない事から
登山道もある程度整備されていた事が分る
そして石鎚山標高もまだ1981mの時代であり
昭和45年9月に石鎚山天狗岳の標高は1982mと変更された
ちなみに石鎚神社は元々石鉄神社だったが「鉄」が「鎚」に
統一されたのは明治35年(1902)3月8日である。

石鎚神社は現在の本殿がまだ記されてない
昭和41年まで現在の祖霊殿が本殿であり
それまでは旧参籠所にて祖霊の御霊を御祀りしていた

横峰寺・黒瀬村周辺
ダム湖に沈んだ黒瀬村の様子は貴重である
全然知らない場所に「石中寺出張所」も見受けられる

極楽寺周辺は今と変わりはなさそうだ

今宮道と黒川道が記された河口周辺
知らぬ場所に当時は水祓所があったよう

石鎚山周辺は大変興味深い
さほど今と変わりは無いように見えるが
やはり今宮と黒川宿の反映の様子がはっきり記されている
そして黒川道の行者堂には鳥居があった事も分かる

ここで注目すべきは現在のしらさ峠が
白笹峠と記されている事や
子持権現山本掛け道が記され平兵エ石もある
そして白笹峠から本掛け道と十郎アレへ
登山道がある事である

自分的にいちばん興味深い部分である。
氷見二千石原に不動掛岩が記されているが
これで予想通りの岩であった事が証明された
そして子持権現本掛道にはクロナベラも記されている
この2つの名称は既に消え去った名と言えるとこだが
この不動掛岩とクロナベラが記された書物は
僕の知っている限り始めての発見である
こりゃ子持権現本掛道はもう一度行かなければならぬ

ここで注目すべきは右上の写真で
石鎚山弥山であるが祠が2つある事である
どれぐらいの期間2つあったのかは不明だが
祠の中が気になるのは僕だけではあるまい

内容は現在とほぼ変わりないが
この案内図は昭和9年発行である
祭日の所を読むとロープーウェイがない時代に
今宮登山口を通り越し西之川まで神輿が
入っていた事を記している、要は西之川道を
成就社まで神輿を担いで登った事になる
 
この部分は石土山 (瓶ヶ森) を記しているが
石鎚山は既に石鎚大神である事に対して
石土山は石土蔵王大権現であると言う事である

ここは当時の主要登山道が記されている
やはり今宮道・黒川道が主要道であり
表参道である成就社が出発地としていたよう
 
 ここで気になったのは左下の写真であり
子持権現山本掛け道小剣山に架かる2の鎖を
信者さんが登っている写真である
まるで石鎚山の光景のようだがこの時代は瓶ヶ森も
今の石鎚山と変わりなく信仰されていた事が分る
なぜ衰退してしまったのか?謎は深まるばかりだ
来春は新たな旅が始まりそうだ
 
2017年5月調査
不動掛岩 → こちら
クロナベラ → こちら
 
 
 
 
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