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特別会符 (通称 黒会符)
石鎚神社特別会符とは石鎚神社先達手帳にこのように記されている ! !
特別会符 (通称 黒会符)
霊峰石鎚山、夏山の大祭時、石鎚神社四社の奉仕者、約三百五十名。
全国に包括団体を約二百ヶ所。本殿建立、成就社新建立、神社会館建築、土小
屋遥拝殿建立、及び改築、大鳥居建立等。石鎚神社の今日の隆昌を見るまでには、多年の辛苦の日々を経てきた事を忘れてはなりません。
明治以降、石鎚神社は、神社として存在するようとの国家の認定を受け、別当と
して石鎚神社を管理していた寺院は立ち退きました。
管理者のいなくなった石鎚神社へは旧の各藩の藩主が社司、社掌として任命さ
れましたが運営困難の上、火災にて社殿焼失、建立を行うもその借金債務、甚
だしきものでした。明治四十五年、武智勝丸が就任の折は、社務所には何も無
く、借用書証文の山、来訪者すべて返済要求の債務者ばかりであり、近隣の財
産家にこの様な書簡をしたためました。
布団二流・座布団五座・湯呑五客・急須一注・米五升・味噌一樽・醤油一升
何卒借用戴きたく、右、重ねて御願い申し上げ候。伝々。
武智勝丸は、大正四年に特別会符を制定し、特別奉賛を行いました。
初穂料金百円也を神社に奉献したる先達に対し、限定百本の特別会符を授く。
特別会符は、漆に塗り、金文字により、その番号と所有人住所氏名を表す。
特別会符を有したる者は、石鎚神社復興の功労者として、未来永劫、頂上社に
参拝の折は、御神像を最優先にて拝戴すべし。
当時の記録は現在でも「特別会符台帳」として石鎚神社の宝物、事務書類として
もトップシークレットとして保管されています。
台帳を開きますと、当時、特別会符所有希望者は百人の定員を僅か二ヶ月で満
籍しかし、金百円の初穂料は当時は大金だったのでしょう二回から十数回にて
分割にて奉納、一括奉納者はわずかでした。
この湯呑すら無い状態から解決の道を導き、この後、当時の数万円の債務を全
て返済し、今日の石鎚神社を迎えました基こそは、大神様の御力、そして「特別
会符」いわゆる黒会符の奉賛会を始めとする事業への、協力を借しまぬ全国奉
賛信徒の力だったのです。
先達各位、頂上社にて特別会符所有者と御立会いましたら、どうぞ先人の功績
に敬意を表されますよう御願い申し上げます。石鎚神社先達手帳より要所のみ抜粋させていただいた。
という歴史ある会符である ! ! この特別会符の発行は大正4年 (1915) 6月8日であり、
今から102年も前の話で、現在の貨幣価値で約50~100万円ぐらいの額であり、石鎚
神社の歴史的にも、先人の功績を知る上で最も価値ある会符であり、特に古い先達
にとっては木地屋市衛門の1番札同様に権威・霊能あるものとされる。
この特別会符の事は石鎚神社一千三百年史にも記され前々から知っていたし石鎚山
のお山開大祭の時に一度だけ所有している先達と会った事があり、現在も引き継が
れ存在していることを知り感激したのは昨年の事であった ! !
そして通常の先達会符は他人に譲渡する事ができるのに対してこの特別会符に限っ
ては子孫だけしか譲渡する事ができないしこの際は保証人を要すると先達手帳に記さ
れている事から、石鎚神社の台帳上の事とはいえ、このような条件が特別会符を引き
継ぐ事ができず実際にお山で見る機会を少なくしているように思える。
はたして102年前に100本だけ出された特別会符は現在どれだけの数が存在している
のだろうか?その内どれだけの会符が今もお山に登っているのだろうか?自分的にも
実際に手に取りじっくりと拝んでみたい会符である事も事実である。
そしてこれも天の囁きか?それとも石鎚大神様の御神徳と考えるべきだろうか?
ある日突然、目を疑うメールが僕に届いたのである
何と、特別会符を譲ってくれるという人が現れたのである(^_^)。
お話を伺えばこの会符所有者の身内の方でも無く、これが何かも分からない様子で
ただ行き先に困りこの会符の価値が分る方へという内容であった。
たしかに、「石鎚神社 木の板」で検索すると僕の日記がトップ頁に出るのよね、どうも
この特別会符は僕の先達会符に呼ばれたと思っている。
このままではこの特別会符はただの木の板になってしまい、どこへいったかも分らな
い、まず石鎚山へ登るなんて事はないだろう、まだまだ信仰者としても未熟な自分では
あるが、これが何かも分らない人が持っているよりはよっぽどましである。
そして今、僕の手元に黒塗りの特別会符がある訳である しかしこれは今後どうす
ればいいものか?石鎚神社へ持っていけば祖霊殿に合祀、永久に奉斎していただけ
る事は知っている、しかし本当にそれでいいものか?
先々はそうなる事と思うがとりあえず来月のお山開大祭の時は先人に代わって石鎚
山へ担ぎ上げようと思っている、お山開きの時はよく登拝口に代参で何本もの先達会
符を背負っている信者さんを見かける、今の僕にできる事はそれぐらいである。
おそらく先人も悪い気はしないだろう、そしてタイミングを見て石鎚神社の方に相談し
てみようと思っている。
そしてなかなか見る事すらできない石鎚神社特別会符 ! ! こういうものがある事すら知
らない人も居るとは思うが石鎚神社の不振時代を乗り切る為に先人達が残した功績
と言う事でここに掲載してみる。
そして最後にこの石鎚神社特別会符、102年と言う歴史を越え今、僕の手元にある訳
である、普通に考えれば元々の所有者は亡くなられているだろう、そして子孫の方に
受け継がれるも結局は行く手が途絶えてしまった、まったくの他人の手に渡りながらも
よく今まで残っていたと思うばかりである、まず見る事すら難しい会符がこうやって僕
の手元に来たのも何かの御縁、この会符は確実に残していこうと思う。
石鎚神社特別会符 (通称 黒会符)
ただここにある ! ! と言うだけで感激の余り
1人だけの直会が終らない(^_^)。
しかし重大な任務を背負っている事も理解している
石鎚神社の文字は彫られてあり金色
何よりも「平成改」のプレートが打ち付けられている
これで元々の所有者から1代は受け継がれている事が分わる
後に記す「武改」が昭和の先達会符調査からすると
これは平成元年4月から行われた大規模調査の証と思う
右側が僕の先達会符
特別会符は少し小さい事が分かる
しかし厚みは特別会符のほうが5mmほど厚い
肝心なのは裏面である
元々の所有者だろう住所・氏名が記されている
しかしこの住所は現在は無い
上部の石鎚神社の焼印は彫られてある
不思議なのは途切れている部分が彫られていない事
上部に「武改」と刻印されてあり
これは石鎚神社が行った昭和26年の先達調査の証と思われる
「昭和26年「武改」と称する小規模の調査をした」と
僕の本に記されてある(^_^)。
角度を変えてみると石鎚神社の文字は輝いて見える
地方の消え去ろうとしている石鎚山に供えられた
古い先達会符は誰よりも見てきた事は間違いない
そしてその会符に先人すべての思いは込められている
自分もそうしているから分かるのである
後日、正式に僕の名義となった → こちら
旅する石鎚信仰者